3章 その3

 リュミエールがこの街へやってきてから一週間。この日は昨日の曇り空が嘘のように晴れ渡っていた。

 リュミエールは前日の疲れからか、起きる時間が少し遅かった。だがそれは父も同様で、遅くまでオランドさんと呑んでいたため彼女以上に起きるのが遅かった。日曜日で学校も仕事も休みなので支障はないわけではあるが、今日はベルも休みで家にいないため、家事は全て自分たちで行わなければならない。

 この街では使用人の休みは少なく、月に一、二度程度が普通だ。そのため、まだブラジェ家で働き始めたばかりなこともあって、日曜日でもベルに働いてもらうところなのだが、父がそれを拒んだ。たとえ使用人であろうとも、自分たちと同じように最低でも週に一度は休みをとって息抜きするべきだというのが父の考えだった。

 今日は一番に起きたリュミエールが朝食の支度を行った。使用人はいないが、この街に来るちょっと前まではいつも自分たちでやっていたため、慣れたものだった。リュミエールはフライパンでベーコンと目玉焼きを作り、クロワッサンを用意し、カモミールティーを淹れた。

 朝食が出来上がる頃になると、父が二階から下りてくる音がした。


「おはよう、リュミエール。ああ……なんだか頭がガンガンするよ。昨晩は呑み過ぎたみたいだ」


 父は辛そうに自分の頭を押さえて言った。父はいつも規則正しい生活を心がけているため遅く起きてくることはあまりないが、たまに起きる時間が遅いときは、いつも酒を呑んだ次の日だった。父はあまり酒に強くないが、呑むときは少し無茶して多く呑んでしまうことが多かった。


「呑むのはほどほどにね、お父さん。はい、カモミールティーよ」


 リュミエールはそう言いながらお茶をカップに注いで父に渡した。


「ありがとう。しかし、こうも具合が悪いとなると、今日ベルに休んでいいと言ったのは失敗だったかな。起きるのが辛かったよ」


「お父さんの自業自得じゃない。みんなを癒す一流の薬草師がこの様子だと説得力がないわ」


 リュミエールは目を細めてジトっと父を見た。


「ハハハ、違いないね。まいったな、これは」


 父は頭を掻いて言った。そしてカモミールティーを一口飲み、一息ついた。


「ああ、二日酔いにはやはりこれが効くね」


 リュミエールは朝食のパンと目玉焼きとベーコンを食卓に持っていった。


「まだ一週間程度だというのに、もう一か月くらいいるような気がするなあ、リュミエール。父さんにとってはそれくらい濃い一週間だった。父さん、新しい仕事で大変だけど、楽しいよ。君はどうだい?」


「うん、楽しいよ。あたしもこの一週間本当にいろいろあったわ。新しい学校に新しい友達、新しい街のこと、それから……」


 と言いかけたとき、リュミエールはふと昨日あった出来事が気にかかった。ベルが出てきた森を行くと、『白蝋の魔女』、ブランと出会ったことだ。

 朝食の乗った食器を机に置いたとき父が問いかけてきたが、リュミエールはそれを聞いていなかった。


「リュミエール?」


 父が再度訊ねたところで、リュミエールはハッと気付いた。少しボーっとしていたようだ。


「あっ、ごめんなさい、お父さん。聞いてなかった。何?」


「ハハ、リュミエールもお疲れかな? でも珍しいね、よほど楽しいことをしているようだ」


「ま、まあね。とにかく、いろいろ新鮮で楽しかったよ」


 今このことを言ってはいけないと思い、リュミエールは誤魔化した。思ったことをすぐに言ってしまう彼女でも、昨日の『魔女』とベルの不審な動向についての話を気軽に口外する気にはなれなかった。


「ところで、リュミエール。昨日アランくんに君が大変だ、みたいなことを聞いた覚えがあるんだが……何かあったのかい?」


「えっ? あっ……」


 リュミエールは父の言葉にドキリとした。昨日の夜のアランの様子を思い出すと、かなり自分のことを心配していたように思える。いくら言いつけを破って森の奥まで行っていたとはいえ、緊急事態となれば父や他の大人たちに助けを求めるのは自然なことだ。しかし、あまり他人に言いふらしたくはないので、アランには早めに釘を刺しておこう。


「な、なんでもないよ。ただ森の中でアランとヨアンに慣れない案内をして疲れただけ」


 リュミエールは目を泳がせて言った。


「そうかい。まあ、君に限ってはそうそう危険なことはないだろう。でもね、無理はしちゃだめだ。無理をして身体を壊したり怪我なんかしたら、楽天家な僕でも流石に心配するよ、親としてね。だから気を付けるんだ」


 父は諭すように言った。


「わかってるわ、お父さん。あ、ごはん冷めちゃうわよ。早く食べましょ」


「そうだね、リュミエール。君の作る料理はセプテ村以来だから懐かしい気がするね。村からの移動の日数を含めてもまだ二週間も経ってないのに」


 二人は笑いながら少し遅い朝食に手を付け始めた。しばらく談笑しながらゆっくりと食べていたが、父がそういえば、と言って話を切り出した。


「折角の休みの日だし、今日は午後から街へ出かけようか。この一週間はずっと学校で街中をあまり見ていないだろう?」


「本当? 行きたい! ……けど、お父さんその様子だと心配」


「ハハハ、それくらいは大丈夫さ。君の出してくれたお茶のおかげで回復、回復。それに僕も仕事用に買い出さなければいけないものがあるし、どっちみち行かなくちゃいけない。そのついでだよ」


 父は朝食を食べ終わり、食器を皿の上に置いた。


「そう、わかったわ。それじゃ、食べ終わったら準備するね。あ、その前に片付けをしなきゃね。あたしが食器を片付けるわ」


「いや、それは僕がやるよ。僕の今の体調が大丈夫だってことをそれで証明してやるさ」


 二人は準備を終えた後、家を出た。はじめての街の中心部へのお出かけだ。リュミエールは心が躍った。村にいたときは父と一緒にどこかへ行く機会がなかったので、尚更だ。村だと出かける場所がないのだ。これも都会特有の楽しみ方なのだろうか。心配事がないわけではないが、既に彼女が感じているワクワク感は不安を上回っていた。彼女の街へ向かう足取りは軽かった。


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