2章 その6

 三人は森の入り口付近で課題のための植物を探していた。その場所は細い道のようになっていて、行こうと思えば道なりに行くことで奥までガンガン進めそうだったが、慣れていない二人もいるため、できるだけ森の浅い場所で探すことにした。リュミエールは二人に次々とそこら辺に生えている木や草を紹介し、解説していた。


「……これはエルダー。この木の花や葉は薬になるのよ。ハーブティーにして飲むと風邪とか鼻づまりに効くの。もうすぐ実が生ってくる時期だけど、その実も食べられるのよ。ワインやジャムになるの。ただし、未熟な実は食べたらお腹壊すから、ちゃんと熟したのを食べるのよ」


「へえ……そうなんだ。勉強になるなあ……」


 ヨアンはエルダーの花をノートにスケッチしていた。彼は絵が得意で、課題にスケッチをつけて提出するつもりらしい。犬のダッシュはヨアンの横でお座りしてその様子を眺めていた。


「なんだか解説している君を実際に見ると、いつもと違う感じがするな。見直したよ」


 アランは少し驚いたような顔をしていた。


「あら、まるでこれまでのあたしの評価が低かったみたいな言い方じゃない?」


 リュミエールはジト目でアランを見て言った。


「そんなことよりヨアン、そろそろ切り上げないか? もう十分調べただろ?」

「あっ、無視したー!」


 リュミエールはひとりでわめいていた。アランはヨアンの傍に(ダッシュを避けるようにしながら)寄っていった。


「うん、そうだね……そろそろ時間だし、これ描き終わったら帰ろう……。今日は付き合てくれてありがとう」


 風で木々がサーッと揺れる。カラスがガアガアと濁った声で鳴いている。空は相変わらず曇っており薄暗いが、昼間より肌寒く、夕方になり夜が徐々に近づいてきているのがわかる。

 二人は彼が描き終わるのを待っていた。森の音と、鉛筆が紙の上を走る音だけが聞こえてきた。

 その音に混じって、森の奥の方から、かすかにガサっという足音のようなものがあったのをリュミエールはとらえた。


「しっ、二人ともちょっと静かに。何かいる」


 リュミエールは声を潜めて二人に促す。


「な、何? 狼か何か出たのか?」


 アランは小声で不安げに彼女に話しかけた。ヨアンも描く手を止め、彼女を見つめた。ダッシュもそれに倣って鳴き声も上げずにじっとした。


「かもしれない。少しじっとしてて」


 三人と一匹は音を立てないようにこっそりと脇の草陰に身を潜めた。そして、草

の間から少しだけ顔を出して音がした方向を見た。


「あれは……よかった、人だ。でもこんなところで何の用だろう」


 リュミエールが見たのは人影だった。距離が遠くどんな格好をしているかよくわからないが、徐々にこちらの方向に近づいているのがわかる。


 人の姿だとわかった瞬間、アランがハッとした顔になり、息を押し殺しながら彼女に言った。


「リュミエール、出るなよ。黙ってそのまま隠れててくれ」


「どうして? 狼とかならまだしも人ならそんなに怖がらなくても」


「やばい奴だったらどうするんだ。たとえば、『白蝋はくろうの魔女』とか」


「『白蝋の魔女』? この前も聞いた気がする。誰なの、それ」


「おしゃべりは後だ。まずは静かにしてくれ」


 リュミエールはアランの言うことに従い、固唾を飲みながら少しずつ大きくなってくる足音を聞いていた。足音がもっとも大きくなる地点に差し掛かったとき、その姿を拝むことができた。先週から何度も見た、ゴシックなデザインのメイド服。メイドキャップと、明るい金髪。これは間違いない……。


「ベル?」


 リュミエールは思わず声を出しそうになったが、横からアランに手で口を塞がれて声は彼の掌の中に消えた。

 ベルは彼女らに気付くことなく、そのまま遠くへ進んでいった。その様子を見計らって、三人は草陰から出た。


「今の、ベルだったよね? 森の奥から来たけど、どうしたのかな?」


 リュミエールはアランに疑問をぶつけた。アランは苦い顔をしていた。


「もしかしてベルは裏でよからぬことをしているのかもしれない。皆に内緒で」


「まさか……薬草を探しに来たのかも」


 リュミエールは信じられないという面持ちで言った。


「君と一緒にするなよ。庭には畑があるし、家事で手一杯なのにわざわざ森の中ま

で入って取りに行くわけないだろ」


「そうかなあ……」


 リュミエールは腕組みをして少し考えるようなポーズをした。


「ねえ、今のはアランの家のメイドさん……だよね? 前に何度か見たことあるけど……」


 ヨアンはおとなしくしているダッシュを撫でながら、おずおずと二人に訊ねてきた。彼は以前からアランと親しかったので、何度か家に遊びに行っていた。そのため、彼女に見覚えがあるのだという。


「ちょっと前まではね。でも、今は父上の命令でリュミエールの家で仕事をしているよ」


 アランの答えに、リュミエールは感心したような声を出した。


「そうだったんだ、元々アランの使用人だったのね」


「知らなかったんだ……まあいいや。それより、もし悪いことをしようとしているなら、大変だ。早く父上に知らせないと」


 アランは冷や汗を垂らしながら言った。本当に何か企んでいたら、彼の父や彼自身の命にかかわる可能性がある。


「そんな回りくどいことをする必要はないよ。他人を頼るより自分の目で確かめたほうがいいじゃない」


 リュミエールは森の奥の方に視線を向けた。


「リュミエール、まさか……いくらなんでも危ないと思う」


 アランは彼女を諭すように言った。


「僕も反対……ねえ、一旦帰ろう?」


 ヨアンも泣きそうな顔で言った。ダッシュは心配そうに彼を見て、クゥーンと一鳴きした。


「ここが道のようになっているのは、いつも誰かが通っているという証拠だわ。辿って行けば、きっと何かがあるはず。目の前につるされた可能性を捨てるのはあたしの流儀に反するの。モヤモヤしたまま帰るのは嫌。だから、二人は先に帰ってて。

あたし一人でも見に行くから」


 リュミエールは彼らに背を向け、森の奥に強引に突き進もうとした。アランは彼女の肩を掴んで止めようとする。


「離して!」


 リュミエールはわめく。


「力は俺の方が強いの、わかってるだろ。ちょっと落ち着け」


 アランは彼女をなだめる。


「でも、君が言ったらきかない性格なのもわかってる。だから仕方ないから俺も一緒に行くよ。危なくなったら引っ張ってでも帰るから」


「ぼ、僕も行くよ……。ほら、ダッシュもいるから、何か役に立つかな、って」


「二人とも……」


 リュミエールは二人の顔を交互に眺めた。


「でも、今回だけだからな! 本当はこんな危ないことに首を突っ込みたくないんだ」


 アランは言ったあとに彼女から一瞬目を逸らした。


「うん……わかった、ありがとう、アラン! ヨアンもね。それじゃ、森の奥まで冒険よ!」


 そして三人は意気揚々と森の奥へ進んでいった。風は強まり、木々の音もザワザワと強まっていた。カラスの声もしていたが、奥の方に入ると次第に消えて行った。

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