2章 その4

 リュミエールの身の回りは何かとトラブルが尽きない。晴れて同じクラスの友人となった彼女は、火曜日にはやっぱり馬車は嫌と言って一人で勝手に歩いて帰宅し、水曜日には授業中に寝ていたのがバレてクロード先生にチョークを投げつけられたり、木曜には昼食を忘れたと言ってヨアンから分けてもらったりしていた。まるでトラブルを自ら引き寄せているようだ。とはいえ、アランにその火の粉がかかることはなかったので、彼からしてみれば何事もないある意味平和な日常と言えなくもなかった。


 本日金曜日は、放課後、彼女は突然この学校のガキ大将、ジャコに校舎裏に呼び出され、絡まれていた。転校初日から目立つので何かと噂にはなっており、ちょこちょこと周りからちょっかいを出されたりしていたのだが、彼女が誰かと本格的に衝突するのはこれが初めてだった。


 ジャコは取り巻きの少年二人を従え、校舎の壁際まで追い詰め、リュミエールを三方で囲んだ。


「おい、お前! 転校してきたばかりなのにやけに意気がってんじゃねえか? 誰に断ってそんな生意気な態度とってるんだ? あぁん?」


 彼は大きな顔をリュミエールの顔に息がかかるほど近づけて言った。


 ガキ大将ジャコは他の児童よりもでっぷりと肥っていて体格が一回り大きい。また腕っぷしが強く、周囲から恐れられる存在だ。その恵まれた身体をいいことに幅を利かせており、教師ですら手を焼いていた。


「あら、ごきげんよう、えーっと……豚さん? あっ、失礼。お口が臭いからてっきり家畜かと思ったわ。これからお友達に物を渡す約束をしてるから、用があるなら早めに済ませてほしいんだけど」


 リュミエールは少し後ろに退いて言った。


「てめぇ……!」


 リュミエールの歯に衣着せぬ物言いにジャコは眉をひそめ、拳を強く固めた。


「……ちっ、噂通り生意気な女だ。どうやら俺様が誰かわかってないようだな。いいか、耳の穴をほじくってよーく聞け。俺様はな、泣く子も黙るこの学年のボス、ジャコ様だ。 俺様に逆らえばこの学校にいられなくなるぜ。わかったらおとなしくしたらどうだ、クソアマ」


 ジャコと名乗る豚は彼女に向かって威勢を誇示した。そして彼の後に続くように取り巻きの少年がにぎやかした。


「ぎゃはは。ジャコ様に逆らったらマジでここに居られないから。何しろ父親がこの街の議員なんだぜ。お前ごとき一発で追放だ!」

 

 そのときのアランは、ヨアンに連れられてジャコたちにバレないようにこっそりと後をつけ、その成り行きを見守っていた。気弱なヨアンはジャコに呼び出された現場を見かけて、これは大変だと思いアランに助けを求めるつもりで呼んだのだった。二人は木の陰に隠れながら、彼らに見つからないよう小声で会話をしていた。


「ねえ、アラン、どうしよう。このままじゃリュミエールがまずい……ジャコは本当に酷いことをするんだ。彼に逆らった人がボコボコにされたりもう学校に来なくなったって話を何度も聞いてるよ。このままじゃ、リュミエールがひどいことに……」


「そう思うならお前が助けに行けよ、ヨアン」


 アランは冷たく言い放った。


「でも、僕なんかじゃどうしようも……」


 ヨアンは手足が震えていた。アランは彼に諭すように言った。


「な? ぶるぶる震えてちゃ、助けに行っても返り討ちにあるだけだ。だから俺たちが行っても意味がないんだよ」

「それじゃ、どうしよう、どうしよう。ジャコ相手じゃ先生も頼りにならないと思うし……。アラン……!」


 ヨアンは泣きそうな目でアランを見つめた。


「待って。心配は要らないと思うぜ。俺は数日間傍で見てきたからわかる。まずは彼女を見守ろう」


 二人がそうこう言っているうちに、ジャコは叫びながらリュミエールに掴みかかろうとしていた。


「何だと! 俺様の言うことが聞けねえっていうのか!」

「それはそうじゃない。「俺の使い走りになれ」なんてこと。あたしとあなたは同じ学年で対等でしょ? どうしてあたしより偉いわけでもないくせに、あなたに命令されなきゃいけないのよ? あたし、そういう理不尽なのは大嫌いよ」

「言うじゃねえか。俺とお前が対等だと? 笑わせてくれるぜ。女だからって関係ねえ、じゃあ身体でわからせてやるよ、俺のほうが偉いんだってことをな!」


 ジャコはリュミエールの胸倉を左手で掴み、右の拳を振り上げ、そのままそれを振り下ろそうとした——しかし、その直前に彼女は懐から布袋を取り出しジャコに向かって投げつけ、袋は彼の顔面にヒット。ジャコはひるんで隙を作った。この隙を逃さず今度はリュミエールの方からジャコとの距離を詰め、左手で彼の右腕を引き、右手で左肩を軽く押し、左足でジャコの右足を引っかけて、そのまま足払い。ジャコはそのまま体勢を崩して仰向けに倒れた。


 彼は少し茫然とした顔になったかと思うと、ううっと小さく嗚咽を漏らして涙を流しだした。

 リュミエールは手についた土をパンパンとはらった。


「女の子だから勝てるとでも思った? 残念でした。あたし、男の子にも喧嘩で負けたことないの。なんでも暴力で解決しようとするの、嫌いなんだけどなー」

「う、うそつけ、暴力女!」


 取り巻きがわめく。彼らは大将が倒されてただおろおろするのみだった。


 リュミエールは落ちている布袋を拾い、ジャコのほうに投げた。


「それ、本当は他の人にあげるつもりだったんだけど、あなたにあげるよ。まだ家にあるしね。その中に乾燥させたハーブが入ってるんだけど、そのハーブには鎮静作用があるの。お茶にして飲めば神経の疲れを癒してくれるわ。なんかあなたイライラしてたし、それを飲めば少しは落ち着くんじゃないかしら? ちょっと苦いけどね」


 ジャコは起き上がり、片手で後頭部を抑え、もう片方の手で袋を引っ掴んだ。取り巻き二人はどちらも真っ青な顔で彼女を見ていた。


「ちっくしょう……お、覚えてろよ!」


 ジャコはそう叫び走って逃げ去った。彼の取り巻きもその後を追うように逃げ出した。


「ずいぶん偉そうなこと言ってたわりに大したことないのね」

 彼らのみっともない後姿を眺めながら彼女は呟いた。

「な、心配ないだろう?」


 物陰で一部始終を見たアランは小さな声で言った。


「……う、うん」


 ヨアンは開いた口が塞がらないといった感じで頷いた。


 アランはこの一週間だけでも彼女が自分に手を出すクラスメイトを撃退する様子を何度か目撃していた。彼女は何かと目立つので、難癖つけてちょっかいを出してくるクラスメイトが多かったが、そんなことをものともせず、軽くあしらっていた。アランが目にした限りでも複数回あったのだから、見ていないところも含めるともっとあったかもしれない。しかし、彼女は一切気にする様子もなかったし、喧嘩の後に傷を作ることも一度もなかった。何に対しても物怖じしないだけではなく、自分の身を自分で守ることができるくらいの強さも併せ持っている。アランは彼女がそこら辺の男の子では到底敵わない少女だと短期間で理解していたのだった。


「あれ、アラン、ヨアン! そこにいたの?」


 リュミエールはアランたちの姿に気付いて、パッと表情を明るくした。


「リ、リュミエール……! あの、大丈夫だったの……? ごめん、助けに行けなくて」


「ん、今の見てたのね。でも、あんなの大したことないわよ。大丈夫。それよりごめんね、ヨアン。昨日頼まれてたハーブ、今日持って来たんだけどなくなっちゃった。あなたのお母さんが最近お疲れ気味だって聞いて早めに用意したのだけど、これじゃ渡せないわね……」


「別に急ぎじゃないし、いいよ……。そんなことより、あのジャコ相手に余裕で勝っちゃうなんて、きみはすごいね……。僕には真似できないよ」


 ヨアンは彼女の顔を見てゆっくりと言った。


「あんな威張ってるだけの馬鹿にはあたしは負けないわ。ああいうタイプ本当に嫌いだから……。あ、そういえば「馬鹿につける薬はない」ってことわざもあるわね……。あいつにハーブ叩きつけちゃったけど、きっと無駄ね」


 リュミエールは少し残念そうな表情を見せて言った。


「はは……でも、ジャコはしつこいよ。あいつのお父さんはこの街で権力を持ってる人だから、もしかしたら恨まれると大変。学校にいられなくなっちゃうかも」


 ヨアンは身を案じるように彼女を見ていた。


「そんなもの、あたしなら全部跳ね除けてやるわ! そのためにも、ハーブティーでも飲んで心と身体をいつでも落ち着かせて対処しなきゃね」

「……そうだね」


 ヨアンは彼女の自信たっぷりな様子を見ても、なんとなく不安な気持ちが残っているような表情をしていた。


「とりあえず、明日また持ってくるね。お楽しみに!」


 リュミエールは彼の不安そうな様子を吹き飛ばすように明るく言った。


「いいなー。俺にもぴったりのハーブひとつ分けてくれよ」


 アランも呑気な感じでその会話に入りこんだ。


「わかったわ。アランには……どんなのが好きかわからないし、タンポポ茶でいいかな?」

「……それ、本当に飲めるの?」

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