6話 力持つ者の務め 


 ※


 拓深は社の階段の上から都波たちを見送った。

 彼らの姿が雪の向こうにかすんで見えなくなってからも、しばらく外の様子を見遣る。

 松明がこちらに向かってくる様子はないが、雪の向こうで、少しずつ増えている。


 都波たちが珠纒にたどり着く前に、はち合わせなければいいが。あれだけ雪人やトリがいるのだからうまく迂回するだろう。

 向かってくる人間がないのを再度確認してから、拓深は社の中に戻った。


 やかましい篝野や都波がいなくなって、中は静けさに満ちていた。しんと澄んで心地よい静けさだ。


 いつもの自分なら、珠纒へ向かうことを選ぶはずなのだが。なぜかとどまったほうがいい気がした。

 残ってみると、適材適所なのは違いなかったが、姫を守るのは篝野の方が適任だった気がしてくる。


 拓深は咲織の姫の横に胡座した。膝に肘を引っ掛けて、頬杖をつく。

 咲織の姫は美しい少女だった。それは一目見てわかるが、それだけだ。


 賢明で気高く、心やさしい巫女姫だと誰もが言っていた。

 篝野があれだけ心酔するような姫だから、どれほどの人なのかと思っていたが、これでは分からない。

 瞳は拓深の顔を映しているものの、何も見ていない。


「強情張りだな」

 まるで話に聞く、凍つる桜のようだ。

 頑迷に自分の内に閉じこもって、ただただそこにあり続ける。何が気にいらないのか知らないが。


「みんなあんたを待ってるぞ、巫女姫」

 拓深は、少女の黒髪に触れた。髪をひと房持ちあげる。

 つややかな髪は、さらさらと零れて落ちた。乱れて白い頬にかかる。拓深は、少女の頬に触れた。

 やわらかい。けれど、とても冷たい。



 ふう、と吐息をもらす音がした。

 夢見るようだった少女の瞳に光が宿った。おっとりとした顔が、彩りを帯びたように表情を纏う。

 長い睫毛が何かを確かめるように上下した。


「気がついたのか」

 あまりにも思いがけないことに、驚いた。

 あれだけ篝野たちが大騒ぎしていた時には、身動きもしなかったのに、なぜ今なのか。


 確かめようと、拓深は咲織の姫の頬に触れたまま、顔を覗き込んだ。

 間近で目をあわせる。黒い瞳が、強く拓深を見た。


「どこかおかしなとこはないか」

 問いかけた。刹那、ぱん、と大きな音がして、手に痛みがはしる。


 突然のことにびっくりして、何があったか分からなかった。

 片手をあげている咲織の姫を見て、手を振り払われたのだと気づいた。

 咲織の姫は素早く半身を起して、拓深から身を遠ざける。


「あなたは誰です。何をしているの」

 拓深は首を傾け、答える。

「雪人だ」

 咲織の姫は、見ればわかる、という顔をしていた。

 見知らぬ男がそばにいること、他の人間がいないことの理由を問うているのだ。

 拓深は意地悪く笑ってから、手袋をはずして、手の甲の八咫烏を見せる。


「トリの拓深と言う。咲織の姫」

「拓深どの、あなたは……」

 咲織の姫は強く言いかけて、止まった。戸惑った様子で拓深を見る。

「どこかで会ったことがあるかしら」

 妙なことを問われて、拓深は眉をあげた。


 美しい巫女姫は、一度会って忘れるような相手ではない。会ったことがないのなど断言できる。

 拓深自身も、一度会った相手に忘れられるようなものでもないと思っているが。なによりも。


「珠纒に来たのは初めてだ。会ったことなどないと思うが」

「そう……」

 記憶がはっきりしないのか、惑った様子で咲織の姫は言う。


「あなたは一体ここで何をしているんです。ここは……」

 拓深は、巫女姫の胸元を指さした。

 領巾が落ちて、薄物だけを纏った巫女姫の体があらわになっている。

 巫女姫は顔を赤らめ、領巾を胸元に引き寄せた。


「ここは、水の宮ですね」

 確かめるように言ってから、白い顔から血の気が引いた。

「わたくし、池で禊ぎをしていたはずなのに、なぜ宮の中に……それに、里長は」


 里長が咲織の姫を無理矢理汚そうとしたのだと、篝野は言っていた。思い出したのだろうか。領巾を握る手が震えている。


「珠纒の里長はどこに」

「ここにはいない。たぶん、珠纒だ」

「篝野どのは!? 直杜どのは無事ですか!?」

 咲織の姫は顔をあげると、叫ぶように言った。


「おふたりをしっていますか。なにかご存知ですか。あの日、わたくしを禊ぎのため連れてきてくれたのは、あのふたりだったはず。篝野どのは、ひどく殴られて……」

「篝野があんたを連れてここに逃げ込んで、助けを呼ぼうと外に出たあと、あんたはここに閉じこもったらしい。里長を追い返したが、それからずっと閉じこもっていた」

「ずっと……」

 状況が飲み込めないのか、咲織の姫は、困惑ぎみにつぶやく。


 眠ったままだった巫女姫は、身も心も普通の状態とは思えない。

 おそらく何を言っても、この巫女姫の負担にはなるだろうと思ったが、のんびりしている状況でもなかった。


「あんたがここに閉じこもってから、ひとつきはたってる」

 拓深の言葉に、咲織の姫は愕然としたようだった。やはりわかっていなかったようだった。

「ひとつき……ひとつきも。なんてこと」

 胸に抱えた領巾を握りしめて、うつむいた。

 ほっそりとした肩も腕も震えている。途端に巫女姫は、かよわい少女に見えた。


「とにかく、そのままだと風邪をひく。服を着て、それからどうするか考えたらいい」

 咲織の姫はうつむいたまま動かない。拓深の存在が気になるのだろうか。

 大人しく立ちあがって外へ出ようとしたところ、咲織の姫は突然腕を伸ばして、拓深の袖を捕まえた。


「珠纒は変わりないのですか。何も問題は起こっていませんか。何か知っていますか?」

 唐突な剣幕に、拓深は思わず身を引く。

 巫女姫には予知の力でもあるのか。ただ不在の間のことが気にかかって、尋ねただけなのか。


 言うべきか、さすがに少し迷った。珠纒の様子を伝えるには、やはり負担が重いだろう。


 でも拓深は、巫女姫の切実な目を見て、自分が決めることでもないと判断した。

 隠したところで、ここから一歩でも出れば外の様子は見えてしまう。


「松明の炎が珠纒へ向かってる。おそらく神喰だ」

 なんてこと、と。咲織の姫は拓深を見たままでつぶやいた。白い顔が青ざめて、倒れるかと思った。


 けれど咲織の姫は、掴んだままの拓深の袖をさらに強く引いて、はっきりと強く言った。

「あなた、トリと言いましたね。わたくしを、珠纒へ連れていってください」

「無茶だ。あんたはついさっきまで、眠りこけていたんだぞ」

「これはわたくしの務めです。どのような縁か、桜の祝いの日にうまれつき、皆わたくしを頼りにしてくれる。わたくしには何の力もないけれど、求められるのなら、そのようにありたいと思っています。わたくしは、珠纒を守りたい」


 押し付けられたのではなく。願われるのならそうありたいと。

 我儘とは違う、覚悟と強い意思を秘めた瞳で拓深を見返した。

 すこしもひるむことのない眼差しに、拓深はつかの間、気圧されてしまった。

 たおやかで美しい巫女姫は、すこしも見た目の通りではない。


 意識のなかった時、人形のようだった。けれど今この巫女姫を、人形のようだと思う者などいないだろう。


「わたくしがそう生まれついた務めです。あなたがたトリが、外で見つけた命を助けるのを、おのが務めと定めているのと同じこと」

 巫女姫の言葉に、拓深は思わず笑ってしまった。


 なんてしたたかな人だろう。それを言われて、揺らがないトリがいるだろうか。

 そして何より、姫の言ったことは、いつも勝手気ままに振る舞ってきた拓深が、ただひとつ守ってきたことだった。


 生まれ持った力。自分が願って、鍛えたわけでもない。

 それを疎むのではなく、持てる力として分け与える。それが定めなのだと。


 だから、果てない雪の世界を窮屈に感じても、トリとして旅を続けてきた。

 ずっと、この空虚を埋めてくれる何かを探しながら。


「すごい巫女姫だよ、あなたは」

 篝野たちが、やたらとこの姫をかばい、持ち上げるのが疑問で、少し反感のようなものも抱いていた。だが、そんなものどこかに消えた。

 恐れ入った、と笑う拓深に、咲織の姫は戸惑いの表情を浮かべる。それからすこし怒ったように、眉をつり上げた。


「何がおかしいのです」

「何も」

 おかしいのではない。嬉しいのだ。なぜか、とても。こんなに頑固な少女に出会ったことがない。

 怒った顔も好ましいだなんて、ずるいものだと拓深は思う。


「いいだろう。あんたの命は俺が請け負う。連れていってやろう」

 都波が珠纒へいきたいと言い出したときとは違う。あのときは、ただ好奇心だった。今もどこか楽しんでいる、だけどあのときとは違う。


 この姫の願いをかなえたいと思った。

 拓深は唇を片方つり上げて笑う。不敵に、すこし意地悪に。



 社の扉の外に出ると、火はあちらこちらに増えていた。

 雪が炎の色を照り返して、あかあかと眩しい。

 太陽は分厚い雲の向こうに隠れたままだと言うのに、外は拓深が見たこともないくらいに明るかった。異様な光景だ。


「なんということ」

 扉を出てきた咲織の姫が息をのんだ。

 巫女の白い衣に、色糸を織りこんだたすきと帯を身につけた姿は、清らかで美しかった。

 だけど拓深は、そんなものより、さっきの姿の方がよほど綺麗だったけどな、と思う。着飾るよりも、無垢なままで美しい巫女姫だ。


「急ぎましょう。珠纒が取り囲まれる前に」

 強気だが咲織の姫の足取りはあやうい。

 階段を降りようとしてよろけたところを、拓深は慌てて腕を捕まえた。

 あぶない、と叱ろうとした拓深を振り返り、咲織の姫は微笑んだ。


「ありがとう」

 少し拍子抜けした。

 咲織の姫は拓深の手を借りながらも、自分の足で社を出て、門へ向かった。少しも意志はゆるがないらしい。


 咲織の姫は領布を頭巾のかわりに頭にかぶり、あまったものを首に巻き付けたが、それだけでは心もとない。

 拓深は門前で、咲織の姫に自分の毛皮の外套を着せかける。雪人の拓深でも、外套なしに吹雪の中を動くのは厳しかったが、少しくらいなら耐えられるだろう。


 方角を図ってから、はぐれないよう咲織の姫の手をとって、簡素な門を出る。


 外は吹き荒れる風と雪で、拓深の体をさいなむ、はずだった。

 なのに覚悟していたほど寒気は鋭さを持たない。風から顔をかばうために腕をあげていたが、その必要もなかった。

 まるで神垣の内側にいるようだ。


 どういうことだ。拓深は目を瞬いて、咲織の姫を振り返る。

 寄り添うようにしていた少女は、不思議そうに拓深を見た。どうしたのか、と問うように。


 つないだ手が暖かい。

 この手。なぜか、懐かしかった。

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