2話 陰謀と巫女姫のゆくえ

 囲炉裏で燃える炎を見るのは、久しぶりの気がした。人の営みがそこにある証のようで、なぜかとても落ち着く。雪人に囲まれていると、幾度か颯矢太と訪れた駅舎を思い出すからかもしれない。

 都波は囲炉裏の火のそばに座る。旅の途中、駅舎にたどり着いてここに座ると、いつもすぐ眠くなってしまった。思い出して、悲しくなった。


 部屋の奥には、丸くて平らなものが、木の台座の上に掲げられていた。真っ黒に焦げている。そこから色とりどりの新しい飾りの布が、床に長く伸びていた。

 都波の目線に気づいて、直杜なおとと名乗った雪人は言う。


「これはただの抜けがらです。滅びの日に燃やされたものを掘り起こしたものだそうで。ここには、珠纒のように御神体が健在なわけではなく、神の骸や、それが眠ると言う伝説もない。ただただ、人々の信仰があった場所で、この神具はその残骸だというだけなのです。……それで、十分なのでしょうが」

 そういった願いの形に、何かが宿ったのだとしてもおかしくないのかもしれない。火無群の神垣の御神体も、力を無くしてなお神垣を守っていた。

 もともとここは、万物に神が宿ると言われた国だった。豊葦原の瑞穂の国。豊かで美しい国だった、はずだ。


「あなたが、池野辺の椿の巫女姫か」

 直杜の声は穏やかだった。

 都波の向かい、炎の向こうに座った直杜に、都波はただうなづく。拓深が都波の近くに腰を下ろした。それから、いつになく真剣な様子で問うた。


「珠纒で何があった。颯矢太はどうして、追放なんて目にあったんだ」

 都波は、自分のことでいっぱいいっぱいで、拓深にちゃんと話していないのにやっと気づいた。


「珠纒の巫女姫にお会いしたかったけど、いらっしゃらなかった。かわりに、里長が凍つる桜に触っていいと言ったの」

「なんで里長はお前に桜を触らせたんだ。御神体だろう」

「里長は、わたしが椿を咲かせたことを知ってた。だから、もしかしたら、凍つる桜も咲くかもしれないって」

 拓深は眉をしかめた。


「お前の椿の話は、池野辺の里長が俺たちに口止めしたはずだ。まあ、ここの雪人たちはトリから聞いたとしても、なんで珠纒の里長が知ってる」

「颯矢太も同じことを言ってた。それで里長が怒ったの。颯矢太のこと、珠纒を混乱させようとする元凶だって言って、捕まえたの。わたしは閉じ込められてた」

 兵に殴られ、血を流していた颯矢太を思い出すだけで、息が苦しくなる。


「よその神垣の巫女姫で、花を咲かせられなかった奴を捕まえてどうする。罪人として罰するのか」

 拓深は、火をはさんで向かいに座る直杜に言った。確かに、と直杜は苦笑する。


「あの里長なら、巫女姫でも害するだろう。自分の手を汚すが嫌だったとしても、ひとりで外に放り出せば、たいていの人間は死ぬ。それもしなかったということは……」

「珠纒の巫女が、何かに利用するつもりだろうって、言っていた」

 直杜は考え込む様子で、自分の顎を掴んだ。

「真実はどうであっても、花を咲かせたと逸話を持つ巫女姫がはるばるやって来たということは、大きな奇跡のひとつだからな。特に珠纒は、咲織の姫を慕っている。巫女姫への敬意を強く持つ者が多い。池野辺の里長の意思に反しても、皆に広めれば、利用することはできる」


「俺は垣離の焼けた跡で、神喰といる珠纒の里長を見かけた」

 拓深の言葉に、篝野と直杜の表情がこわばる。構わずに拓深は続けた。

「とは言っても俺は珠纒の里長を知らないし、連れがそうだと言っていただけだがな。確信もないし、信じなくてもいいが」

「神垣の外で、神喰といたの? さらわれたのではなくて?」

「害されてる様子はなかった。何を話していたのかは知らない。いい方に考えて、珠纒を襲わないよう話していたのかもしれないし」

 拓深は少しもそんな風に考えていないような、不穏な笑顔で言う。


 突然、直杜の隣にいた篝野が、床を拳で殴りつけた。力まかせの怒りの音に、都波は肩をびくりと震わせる。

「あいつは、咲織の姫の禊の場に押し掛けて、無理矢理に姫を汚して妻にしようとした。下劣な奴だ。そんなやつの企てが、ろくなものなわけがない」

 篝野は吐き捨てた。憎悪の塊が言葉となって出てきたようだった。


 司のほかの巫女は、やがて人々の中に戻って、夫を迎えて家族を持つものだ。どの娘だって望まれて夫婦になるものだけど、巫女だった娘は特に大事にされる。

 巫女姫を汚して、無理強いして妻にするなど、あってはならないことだ。けれど珠纒の里長は、御神体の前でさえ血を流すことにためらわなかった。

 人へも神へも、少しの敬意もない。


「何があったの」

 驚いて声を上げる都波に、篝野は荒く息を吐く。

「咲織の姫は毎朝、水の宮の泉へ禊に行かれる。ここと同じように、水の神を祀っていた宮のあったところだ。そこに里長が押し掛けて、姫を我が物にしようとしたんだ。俺と直杜さんはその時、姫と一緒にいたが、何もできなかった」

 篝野の言葉を、直杜が継ぐ。


「行く道の途中、人影が見えたので、姫が、迷い人なら助けるよう言われた。俺は篝野を見張りに残して様子を見に行ったが、何も見つけられなかった。戻ったら、里長が水の宮におしかけていた」

「姫は里長を拒絶して泉に逃げ込んで、そのまま水の中で気を失ってしまわれた。俺は姫を泉から救い出して、社にかくまった。直杜さんが戻ってきたから、里長のことを知らせようと社から出たんだ。そうしたら、中に入れなくなった」

 篝野は忌々しそうに続けた。


「姫が気がついて、閂をかけたのかもしれないと思った。俺たちは助けを呼びに外へ出て、すぐに水の宮に戻ったが、今度は門の中にも入れなくなった。柱と冠木だけで、扉すらない門だと言うのに。何かに押し戻される」

「ご無事なの?」

「わからない。俺たちも、それきり姫の姿を見ていない。だが、里長が咲織の姫を手に入れた様子もない。もしそうだったら、さっさと言い触らして歩くだろう、あの里長は」


 それきり、篝野はむっつりと口を閉ざした。その様子に苦笑して、直杜が言葉を継ぐ。

「珠纒の神垣の桜がいっせいに咲いたと言うのは、同じころだ。良いことなのか悪いことなのかわからず、珠纒の人間は恐れている。里長は、瑞兆だ、咲織の姫が生まれた時のようだと喧伝した。だが当の咲織の姫は、ぱったりと姿を見せない。何かが起きていると、皆がうすうす感づいている。だけど、それを表に出して、確実になるのが怖いから、神垣の人間は黙ってるんだ」

 息をひそめて、本当に何かが起きるのを恐れている。じっと待っている。口にしてしまったら、まるで自分の言葉が引き寄せたように感じるから。


 珠纒は、池野辺よりもずっとずっと大きい。三重の守りに、兵がいる。ずっと豊かで広いのに、池野辺と変わらない。

 みんな玉垣の内側に縮こまって、不安と閉塞感でいっぱいになりながら、じっとしている。怖いから。


「トリは里の者の意志なしに、物事を伝搬しない。言葉も人も、外へ運び出すことはない。だがこれは、珠纒の神垣に居合わせたトリと、日の宮の雪人の意志で、他の神垣や垣離の者へ伝えるべきだと思ったのだ。何かが起きようとしていると」

 何人かのトリの伝播を経て、池野辺へ伝えたのが颯矢太だった。


「トリは、どこかの神垣に肩入れしないものだと思っていたが」

 拓深の言葉に、直杜は静かに言う。

「ここは、トリにならなかった雪人や、トリをやめた者が住まっている。咲織の姫は、そういう者に、禊の水の宮へのお見送りや、神垣の周囲の見回りなどの役割を与えてくださる。旅に耐えられない者が定住するために、心を砕いてくださるんだ。巫女姫は、豊かな珠纒の神垣を頼りに人々がやってくるのを知っていた。それを取りこぼさないため、雪人が周囲を見回るよう、願った。神垣を守るため、神喰への牽制としても。俺たちがそういった役割を請け負うことで、雪人に珠纒のものを分け与え、飢えることがないようにしてくれた」


 ただただ、施すのではない。役割を与え、その礼として珠纒のものを分ける。そうすることで神垣から不満の声が上がることもなく、雪人達もここへ留まることが出来る。

 心優しいだけではなく、ただ哀れんで施すのではなく、きちんと人の思いを理解し、心を砕くことの出来る人だ。先を見据えることの出来る人なのだと思った。

 篝野が、拓深を睨むようにして言った。


「神垣に肩入れしてるんじゃない。珠纒や日の宮に住まう雪人で、あのお人を助けたくない者などいない」

 挑むような眼差しを、ふん、と拓深は鼻先であしらった。


「里長は巫女姫を手に入れて、どうするつもりだ」

「何をしたいのかは分からないが、咲織の姫はある意味、里長よりも神垣の民の信が厚い。それを利用しようとしたんだろう」

「信が厚いと言っても、巫女だからだろう。妻にしたところで、皆が従うのか」

「姫が生まれた時の神秘が消えるわけじゃないし、姫がどれだけ民に気を砕いているかは皆が知ってる。信が厚いのは、巫女姫だからというだけじゃない。もし何かが起きて、里長が号令して、咲織の姫が反対をしなければ、みな従うだろう。――咲織の姫は、言いくるめられるような方じゃないが。里長はこのところ、兵力を蓄えることばかりに注力している」


「神喰への備えか」

「普通は、そう考えるな。だが咲織の姫は、兵の増強をよくは思っておられなかったようだ。里長は咲織の姫を手に入れられなかったたが、かわりに神秘を起こす巫女姫がやってきた。今度はその巫女姫を利用して、民の心を操ろうとしたんだろう。もし失敗しても、咲織の姫が戻らなくなった責任せめを押しつけて、罪人とがびとにしたてあげることはできる」

 直杜は、囲炉裏の火の向こうで、都波に頭をさげた。


「椿の巫女姫。我々は、椿を咲かせたあなたの神秘も聞いている。里長と同じようにそれにすがるのも癪だが、どうか咲織の姫を助けてほしい。何かが起きているとしても、止められるのは、あの方だけだ。あなたなら、水の宮へ入れるかもしれない」

 都波が応えられずにいると、拓深が言った。


「生きているのか」

「あの社は、あの方を守っているようにしか思えない。そうでなければ、拒絶だ」

 潔白な巫女姫が、無理矢理汚されそうになったのだ。何もかもを拒絶してもおかしくはない。


「でも、わたし……」 

 豹変した里長を思い出して、思わず言いよどんだ。

 ためらう都波に、直杜が言い募る。

「我々にはあなたを陥れる理由がない」


 疑うと言うのは、とても嫌なことだった。まっすぐに思いを信じたいのに、もうできない。

 自分は神垣の奥に守られていたのだと、今はよくわかる。


 みんなとは少し違ったけれど、神垣の内側に産み落とされて、司に守られていたから、そういうものにさらされずにいた。

 巫女の社の外は過酷で、知らないことばかりで、たくさんの欺瞞に満ちている。都波が抱えきれないほどに。

 こんなに暗く黒い感情は、知らなかった。


 でも、と都波はつぶやく。

「わたし、颯矢太を探しに行きたい」

「あなたを運んだトリか」

 直杜の眉が曇った。都波のことを巫女に聞いたのと同じに、追放されたトリのことも、聞いているのだろう。

「咲織の姫が閉じこもってしまわれてから、我々は珠纒の見回りを増やした。神垣の人間が雪の中に不浄を捨てたのなら、珠纒の塀の周囲で見つかるはずなんだ」

 なるほど、と不穏な顔で拓深がつぶやいた。


「それなら、雪人が遠くに捨てたんじゃないのか。あんたたち、本当に信用できるのか」

「トリが颯矢太を運んで、雪の中に捨てたって言うの? トリは、雪の中の命を救うのが、務めなのではなかったの? 自分たちの仲間にそんな仕打ちをするの?」

「ここに来るトリはそんなことはしない。決して」

 篝野が強く言い放つ。直杜もうなづいた。

「これを伝えたのが証だと思ってほしい。手を尽くしてそのトリを探すと約束する」

 困惑する都波の横で、拓深はふてぶてしく頬杖をついたまま言った。


「俺は神喰に襲われて命からがら逃げてきた。都波と会えたと思ったら、颯矢太がいなくなったと聞かされて、こんなところに連れてこられて、さらに調子よく巫女姫を助けてくれと言う。もしかしたら、あんたたちも何か企んでいるのかもしれない」

 篝野がまた拳で床を殴りつけ、腰を浮かした。直杜が腕を掴んで止める。それを少しの動揺もなく、炎越しに眺めながら、拓深は薄く笑った。


「まあ、里長が怪しいのは俺も同意する。嘘がへたくそな都波もそう言うんだからな。それに普通なら、神垣の人間はトリと諍いを起こしたくないはずだ。なのに、トリを殺そうとした。何か手立てがあるんだろうし、何か企んでるのは確かだろう」

 トリがいなければ外の報せも来ないし、雪の中に孤立する。珠纒のような大きな神垣ならば、余計に外の様子を知りたいはずだった。

 それから拓深は、傍らの都波を見下ろして言った。


「おい、都波。お前はどうする」

 ここのトリたちは、あきらめていない。

 そうだ。都波は、彼らの明るい色の瞳を見る。

 トリは、雪の中で迷っても、諦めない。その務めを果たすために。この雪の国で生きていくために。息絶えようとする命のことも、諦めない。


 颯矢太を探しに行きたい。旅の間ずっと都波を支えて、都波が歩けなくなれば背負って、ここまで連れて来てくれた。都波の手で見つけて、一緒に帰りたい。そう約束した。

 だけど都波が闇雲に探すよりも、雪の中や珠纒に詳しい彼らに任せた方が確かなのは、事実だった。


 自分のするべきことをしなくてはいけない。

 そもそもここまで、珠纒の玉垣の桜を見に来たのだった。凍つる桜にも触れた。

 でもまだ、巫女姫には会えていない。

 池野辺を助けるための手掛かりを、何も得ていない。都波が目的を放り出せば、颯矢太はがっかりするだろう。


「わかった。わたし、水の宮へ行ってみる。拓深、一緒に来てくれるよね」

 しかたないな、と拓深は笑った。

「俺も颯矢太を探しに行きたいが、この辺りには詳しくないからな」

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