4話 身の証し


   ※



 ゆらゆらと体が揺れている。頬がごわごわとした毛皮に触れる。誰かに背負われているようだった。ぬくもりで温かい。

 都波は瞳を開いて、しばらくぼんやりと揺られていた。目の前に、次から次へと雪がふってくる。


「雪が大きい……」

 神垣では見たことがないような、大きな雪だ。

「都波、気がついたのか?」

 声が近くから聞こえる。すぐに、自分が神垣の外にいること、雪の傾斜を落ちたことを思い出して、都波は顔を上げた。

 見慣れた頭巾が目の前にある。


「颯矢太……!?」

 けれどすぐに力が抜けて、颯矢太の肩に額を寄せてしまう。颯矢太が都波を背負って歩いている。颯矢太が一歩進むごとに、二人分の重さでその足が沈む。


「神垣が見えてきた。もうすぐだから、がんばれ」

 崖を放り出されてどうなったのか、いつから颯矢太が背負ってくれていたのか、少しも覚えていない。

「わたし、自分で歩く」

「もう少しだからこのままでいいよ。すぐに動かないほうがいい」

 体に力が入らないのを、すっかり見通されているようだった。

「……うん。ありがとう」


 本当は颯矢太にばかり面倒をかけるのが嫌だから、自分で歩きたい。

 だけど無茶を言ってもやっぱり迷惑をかけてしまうのが分かっていたので、おとなしく言うことを聞いた。


「拓深たちはとは別れたの?」

「近くの垣離を探してみるって」

「そうなんだ」

 白いため息が漏れる。もたれかかる颯矢太の背中が、なんだか頼もしかった。力のない都波の声に、颯矢太は励ますように言った。


「ほら都波、玉垣が見える。もう少しだ。珠纒は近いはずだから、今度こそ何か教えてもらえるかもしれない」

 言われて、颯矢太にもたれながら顔を上げた。

 赤い門が見える。

 黒々として見えるほど濃い葉の連なりが、真っ白な雪の中に揺れているのが見える。

 最初に卯ノ花の神垣を見たときのような驚きや喜びよりも、安堵が先にきた。


「あれは、黒鉄黐くろがねもちの葉だ」

 この神垣には颯矢太も来たことがなくて、二日前に立ち寄った神垣で教えてもらったことだった。

 近づくと、濃い葉の中に、赤い小さな実がたくさん生っているのが見えた。

「実が真っ赤だね。かわいい」

「苦くて食べられないらしいから、口に入れるなよ」

「よその玉垣の実を勝手に食べたりしないよ」

 言い返したけれど、声に力がこもらない。



 神垣の赤い門の近くに辿り着いた頃には、曇天の向こうで日が沈みかけていた。空は闇に覆われ、雪がほの白くあたりを照らす。

 もう少し遅かったら、あたりは雪明りもなく、暗闇に覆われていただろう。


 板木を鳴らす音がする。けたたましく打ち鳴らす警音だ。神垣ごとに来訪を告げる音は違ったが、これが来訪の音でないのは分かる。

 心臓がざわついた。満秀が見つかった時のことを思い出した。守夜の遠吠えを聞いた時の皆の動揺。


「……まずいな」

 颯矢太がつぶやくのが聞こえた。

「もう少し明るいうちに神垣につきたかったんだけど、遅くなってしまった」

 あの時、トリがこんな時刻に来るわけがない、来るなら余程のことだと、都波も思った。

「……大丈夫かな」

 不審な者は身ぐるみ剥いで追い出すのがおちだと、拓深が言ったのも思い出した。


「大丈夫だ。何とかする」

 颯矢太は、門前に立ち止まると、自分と都波を結び付けていた帯紐をほどく。雪の上にそっと都波を下ろした。

 杖を渡されて、都波はそこではじめて、颯矢太が怪我しているのに気付いた。


「颯矢太、その怪我……!」

 見上げると、雪の積もった頭巾をかぶった顔が、小さく笑った。

 都波の織布の上に降り積もった雪を払い落としてくれる。その上から上から、雪が落ちてくる。

「こんなの珍しい怪我じゃない。慣れてるから、気にしなくていい。行こう」

 あっさりと言って、颯矢太は都波を促した。


 雪の向こうで、見張り番がこちらをうかがっている。その後ろ、神垣の男たちが駆けてくるのが見える。

 門前でもたついていたら、余計に不審がられるかもしれない。

 もっとたくさん言いたいことがあったけれど、全部飲み込んで、都波は杖に掴まった。なんとか一緒に歩いて門を入る。


 赤い門の内側は雪が降っていなかった。地面にうっすらと積もっているけれど、外に比べると少しも寒くない。ふわりと熱すら頬に感じる。そして神垣は、雪明りに満ちていた。

 颯矢太はいつもと同じように手袋を脱いで、見張り番にトリの証を見せた。見張り番は八咫烏と颯矢太の顔を見比べて、不審そうに言った。


「トリか。見ない顔だな」

 颯矢太を見知っている神垣とはまるで違う反応だった。相手が例えトリでも、やっぱり外から来た知らないものを恐れるのだ。

「少し前に、先触れが来ませんでしたか。池野辺の神垣の巫女姫を運んでる」

「……ああ」

 納得のいかない顔で、見張り番は言う。


「巫女姫が、神垣を離れて何をしに来たんだ?」

「珠纒に用事がある。その途中なんだ」

「里長か司からの言伝はあるのか。証文か、地産のものは?」

 見張り番は不遜に言った。


 証文のようなものがあったところで、それが本当のものかどうかなんてわかりもしないのに。身を明かすために池野辺の物を出せという言葉は、進物を寄越せと言っているのと同じだった。

 神垣を守るために、見慣れない者を不審に思うのは、当然のことかもしれない。

 けれど今はとてもつらい。やっと辿り着いた神垣で、ほっとした矢先の拒絶に戸惑い、苛立った。

 早く颯矢太の怪我の手当てをしたいのに。


「……池野辺の椿の油なら。里長に挨拶へ向かったときに渡すものだ」

 手首の怪我をかばいなら、颯矢太が腰の荷物から何かを取り出そうとした時だった。


「一体何なんだ、さっきの警音」

 どこかふてぶてしい声がした。

 神垣の人とは明らかに違う、赤茶の髪の人が歩いてくる。トリだろう。颯矢太が、どこかほっとしたのが分かった。


 毛皮を着こんだその人は、颯矢太と変わらない年頃に見える。颯矢太の手を見て、見張り番を見て、言った。

「トリか。何か問題あったのか」

「池野辺の神垣の巫女姫を運んでる」

 颯矢太が答えると、少年はまじまじと都波を見る。


「巫女姫だって?」

 雪をかぶって、杖にすがって立つのがやっとの都波を見て、眉をひそめた。

「本当に巫女姫なのか?」


 雪人で、トリの証を刻んだ颯矢太と違って、都波は身を明かすことができない。都波をとりまく不思議は、起こそうと思って起こせたことではない。

 今までの神垣は、トリが運ぶものをそんなに不審に見ることがなかった。戸惑い、傷ついて、都波は答えられない。


「巫女姫に証明をしろというのは、無粋だろう」

 いつになく強く颯矢太が言った。トリの少年は、はっとした様子で颯矢太を見る。

「……ああ」

 思わずのようにつぶやいた。

「あまりに違うから」

 ――違う、とは?

 大駕が何か言ったのだろうか?


「トリが一人で巫女姫を運んできたのか。池野辺の神垣は、西の方の遠くだと聞いたが」

「もう一人は垣離の娘を連れてるから、神垣に入るのをやめて外で待ってる」

「垣離だと?」

 見張り番の不審の声が強くなる。

「雪の中で拾ったんだろう。とりあえず、こいつらは駅舎で預かる」


 少年はふてぶてしく見張り番に言った。

 いつの間にか、神垣の人たちが遠巻きに様子を見ている。本当に、拓深が満秀を見つけたときのようだ。満秀の戸惑いや怒りがわかる気がした。


篝野かがの、何を勝手なことを」

 見張り番が慌てて言うが、篝野と呼ばれた少年は気にした様子もない。

「トリを駅舎に入れて何が悪い。一息ついたら、すぐ里長に挨拶に行かせる」

 踵を返してさっさと歩き出した。彼の向かう先に、四角い形の建物があった。門の間近に、駅舎があるのは、この神垣も同じだ。


 成り行きを見守っていた人たちから、ひそひそと声がする。不承不承の様子で、見張り番は、颯矢太に言った。

「おかえり」

 いつもトリにかける言葉だからというだけの、少しの歓迎の心もない、そっけない迎えの言葉だった。

 颯矢太は苦笑して応える。

「ただいま」

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