5話 寂しがりの女の子



 外は曇天の向こうに日が沈みかけて、薄墨のような色合いになっていた。颯矢太は見知った神垣みがきの中を、里長の御館みたちへ向かった。


 里長の住まいは、どの神垣も門から遠い場所にある。

 巫女の住む社が、里長の館よりさらに奥にあるのも同じだ。神の残り香を祀る巫女は、何よりも神垣の内側で守るものだから。


 里長の住まいは、トリの駅舎と同じように囲炉裏に火が入って、暖かかった。

「おう、よく来たな」

 卯ノ花の神垣の里長は、大駕と同じくらいの年頃の、壮年の男性だった。囲炉裏の前に座して、颯矢太を手招いている。手には杯があった。


「一人で来たと聞いた。あまり深刻な報告でないといいんだがな」

「大駕さんが、先触れに来ていると思いますが」

 一礼してから、囲炉裏を挟んで里長の向かいに座る。

 炎の熱が凍えた頬をとかして、ちりちりと痛い。飲むか、と杯を差し出されたが、颯矢太は苦笑して断る。

 酒は身を温めてくれるけど、目を離せない都波がいるのに、酔うわけにいかない。


「先日渡って来たばかりなのに、もう戻ってきたから、何事かと思っていたんだ。本当に、巫女姫を連れてきたのか」

「珠纒の桜の話を聞いて、池野辺の巫女姫が、ぜひ見てみたいと言うものだから」

 ここには、池野辺へ来る前に立ち寄り、その話を伝えたばかりだった。

「この神垣には巫女姫はいないが、池野辺は巫女姫がいたか」


 巫女を束ねるのは、巫女の司の役割だ。

 巫女姫は役目とは違って、特別に与えられる称号だ。

 生まれに曰くのある娘や、特に神垣の人たちから敬愛を受ける巫女につけられることが多い。巫女姫がいることのほうが珍しい。


 椿のことは言えないので、颯矢太は別の話をした。

「あの子は年が明けた日に生まれました。その年は、稀にみる豊作だったそうです。それから池野辺は、大きな飢饉に見舞われたことがないとか」

 池野辺の里長に聞いた話だ。


 日の恵みのないこの国では、神垣の内側も決して豊かなわけではない。

 だけど池野辺は、椿の花の下で都波が見つかった年から、満ち足りているわけではないが、ひもじい思いをすることもないのだと聞いた。

「それは、尊いことだな」

 卯ノ花の神垣の里長は、しみじみとつぶやいた。


 そう、実りのあることは、何よりも尊いことだ。同時に、皆が都波のことを遠巻きにする理由の一つだ。

 決して怖がっているわけでも、嫌っているわけでもない。都波と共にあるそういう不思議をありがたく思いながらも、持て余している。


「珠纒の桜か」

 里長は、顎髭を撫でて、思案する様子を見せた。手にした杯から酒を飲み、つぶやいた。

「咲き乱れた、と」

 夢想しているのか、酔っているのか。


 桜は、春が来れば花を咲かせるが、颯矢太は枝いっぱいに咲いた姿を見たことがない。颯矢太の父親ほどの年の里長もそうだろう。

 どの神垣でも、濃い茶色の細い枝に、ちらりほらりと瞬くように花をつけるだけだった。

 咲き乱れる、とは言うが、それがどのような様子なのか、話を伝え聞いただけで、想像もつかなかった。


 誰もが、花が咲くことで悪いことなどないと思っている。都波の言うように、瑞兆だと。

 この枯れた国で花が多く咲くことが、良いことでないわけがない。花が咲けば、実りがある。


「見たいという巫女姫の気持ちもわかるが、よく神垣の皆が、巫女姫を外へ出したものだ」

「あらたかな神変を見て、見識を広めるのも巫女姫のためにいいだろうと、司が」

 もっともらしいでたらめを、颯矢太は口にした。あの司は決してそんなことを言わないだろう。


 戻ったらきっと行かせてもらえないと都波は言っていた。実際司は、少し過剰なくらい、都波に構っていた節がある。その司が、珠纒へ行かせるなんてこと、あり得ない。

 外が危険だからというだけじゃない。颯矢太には、池野辺の神垣の人たちが都波を遠巻きにするのは、司のそういった態度も要因の一つに思えた。


 桜の不思議の話には、池野辺の里長が言ったように、さっきトリが言ったように、不安もある。

 これほど喧伝して、神喰が珠纒に狙いを定めるのではないか。そこに都波を連れていくことは、危険なことではないのか。


 だけど、都波の気持ちがいつも外に向いているのは知っていた。

 幾度となく冗談にまぎれて、外へ連れて行ってと言っていたのが、本心でもあるのだとわかっていた。


 都波は体が鈍いほうで、思いを言葉にするのが下手で、ぼんやりしていると思われがちだが、本当はとても鋭敏だ。

 人の強い意思は、都波には重すぎる。少しの悪意や敵意にも傷つく。

 ぼんやりして見えるのは、自分の周囲に膜を張るように、鈍いくらいに構えていないとつらいからだと、颯矢太は知っている。

 そういった意識の外からやってきたものには、脆い。だから満秀に肩入れしすぎるし、神喰の少年だって、なんとかしようとしている。


 都波の不思議は、椿のことだけじゃない。

 守夜が自然と都波には牙をむかないように、都波はなぜか動物にやけに好かれる。木に囲まれると、子守歌が聞こえるようで、落ち着くのだと言っていた。

 司はそういう都波のことを尊んで、手放そうとしない。


 池野辺を救うのは、何よりも大事なことだ。それは本当のことだ。

 だけど、椿の祝いのもとに生まれた都波に、珠纒の桜を見せてあげたいと思った。寂しがりの女の子に、一人ではないのだと、教えてあげたかった。


「ただ、少し急いでいて、あまり食料をもって出られなかったんです。分けてもらえると助かります。手持ちは、池野辺の巫女が織った白妙の布が少しあるだけなんですが」

 普段なら、旅の間に狩った動物の肉や皮と交換にしたり、伝書を預かるかわりに、食料をもらったりする。

 白妙の布は、椿の繊維を取り出して糸をり、それで織った布だ。都波が纏っている織布も同じもので作られている。


 満秀を外で拾った時、いつでも出られる準備をしておけと言っていた拓深自身が、荷物の中に入れていたものだ。

 神垣の人に話をつけてわけてもらったんだろうが、拓深はこういう交渉事がうまい。女好きがするからというのもあるだろうが。


 本当は池野辺の椿の油や、乾燥させた椿の葉や花弁を持っている。

 でも、どちらも旅に必要だから、手放せない。あとは、神垣の善意にすがるしかない。拓深の言う通り、巫女姫への敬意に。

「巫女の織った白妙は有り難いもの。食料をいくらか持てるように手配しよう」

 里長はそう言うと、再び盃を傾けて、中の酒を飲みほした。



 明日の朝発つまでに食料を持たせてくれるとの約束をもらって、颯矢太は里長の館を後にした。

 薄く積もった雪の上を歩く。道を行く人の姿は少なく、家々から囲炉裏の火が漏れている。やがてそれも消えるだろう。灯りは貴重なものだから。

 日が沈むと、誰もが家に帰って、寄り添って眠る。時間に構わず神垣の中を駆け回っているのなんて、都波くらいなものだ。

 その都波がむくれていたのを思い出して、颯矢太の足が自然と大股になった。


 雪を踏み鳴らす音が、藁の家の間に響く。

 都波に雪の上を行くための藁沓を貸してしまったので、今はその中にはいていた革の靴だけだ。

 寒さに強い雪人と言っても、このまま旅をするのは無茶だった。早く戻って、都波の足にあった靴が駅舎にないか聞かないといけない。もしなかったら、急ごしらえでも作ってしまわないと。


 駅舎の扉の前に、人の姿があった。

 白い衣装に肩帯は、巫女のしるしだ。ここが池野辺なら、都波だなと思うところだが、ここは卯ノ花の神垣だ。不審に思いながら近づくと、少女が振り返った。

「颯矢太、少し前に来たばかりなのに、戻るの早いのね」

 にっこり笑って言う。名はなんと言ったか、思い出せない。よく見る顔なのだけど。


「急に頼まれごとがあって」

「拓深は一緒じゃないの?」

 苦笑が漏れる。よく見るはずだ。

「近くまで来てるんだけど、用事があって外で待ってる」

「なあんだ」

 あからさまに、がっかりした顔をした。

「こっそり抜け出してきたの。戻らなきゃ。颯矢太、すぐ発つの?」

「明日の朝には」

「そうなんだ。拓深にも、気を付けてって伝えて」

 少女は白い衣の裾をひるがえして、踵を返した。


 伝えてと言われても、名前が思い出せない。問おうとした頃には、少女は駆けて行ってしまった。

 頭を捻りながら、駅舎の扉を開く。中は囲炉裏の火で明るい。

 火のそばで、都波が丸まっていた。隣に座って覗き込むと、眠ってしまっている。よほど疲れたのだろう。


 気配に気づいたのか、都波が睫毛を震わせて、目を開いた。瞳の中で炎が踊っている。

 目が合うと、颯矢太、と笑った。それからすぐに眉が寄せられる。

「誰かと話してたの?」

「寝てたんじゃないのか?」

「うとうとしてただけ。外から声が聞こえてた」

「拓深さんの取り巻きの女の子だよ」

 そういえば、巫女ばかりだ。巫女は村から選ばれた娘たちがなるものだから、好みにうるさい拓深が気に留めるのは分かる。


 トリは神垣の外を、命がけで渡っていく。

 そういう危うさや、過酷な大地を生き抜く力強さにひかれる女性も少なくはないそうだけど。

 少女たちがトリを気にかけるのは、閉じ込められた神垣の中で、刺激を求めているからなのだろう。そういった子は、神垣の中の見知った顔に飽いたりするものなのかもしれない。

 結婚の相手として歓迎されることとは別の話だ。


 拓深は見目がいいから、黙っていても女の人に好かれるけど。それが分かっていて、誰にでも同じように接するから厄介だ。

 そのくせ拓深は、誰にも特別に興味があるようには思えない。


「ふうん」

 不服そうに言って、都波は体を起こした。なんだか変な顔をしている。

「颯矢太と仲のいい女の子じゃないの?」

 颯矢太は苦笑する。

「俺は愛想が悪いから、拓深さんみたいに好かれたりしないよ」

「そんなことない。颯矢太は優しいもの」

 ますます苦笑してしまう。


「お腹すいて機嫌が悪いんだろう。何か食べさせてもらおう」

 そんなんじゃないのに、と都波は頬をふくらませて、むくれてしまった。

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