5話 外側から来るもの

 駅舎には、トリと、彼らの家族が住まっている。


 拓深が連れ帰った少女は、トリの妻の一人に服を着せかえられて、寝床に横たえられていた。

 犬がその横に寄り添っている。建物の中に動物を入れるのは嫌われるが、犬が少女のそばを離れようとしないので、そのままになっていた。冷え切った少女の体を温めるものも必要だった。


「大丈夫? 目を覚ます?」

 次の日の夕刻、都波は何度か繰り返した問いを口にした。

 颯矢太に外套を返しに来て、そのまま居座っている。神垣の人は駅舎に足を踏み入れないが、都波がいつも颯矢太にくっついているので、トリたち気にしないでくれていた。


「体が凍りついたわけじゃないし、疲れと寒さで気を失っただけだから、そのうち目を覚ますよ」

「この人、トリじゃないよね? どこかの神垣の人かな」

「革の服は狩りをする人のものだから、どこかの垣離の人だろう」

「そうなんだ」

 都波は、うつむきがちに膝を抱えて、少女を見た。沈んでいる都波を見て、颯矢太は言う。


「やっぱりもめているのか」

「……里長のところで話し合いをしているみたい。司も呼び出された」

 毛皮をまとい、見たことのない衣服を着た人間を見て、人々は動転している。

「この子、どうして一人で外にいたのかな。池野辺に住むのかな」

「どうかな」

 颯矢太は困ったように言う。


 ぴくりと犬が顔をあげた。

 木の戸に向けて、低く細く唸り声をあげる。都波はつられるように戸を見てから、雪を踏みしめるいくつかの足音に気づいた。

 話し合いが終わって、里長たちが来たのだろうか。里長にしては、やけに足音が荒いけれど。足音は駅舎の前まで来て止まったが、戸が叩かれる前に大きな声が聞こえた。


「外から来た娘が駅舎にかくまわれていると聞いたが」

 ――かくまう、なんて。変な言い方だ。

 思ったところで、拓深の落ち着いた声が応えた。馬の世話でもしていたのだろうか。

「かくまうってなんだ。トリは伝書だけが役目じゃないし、雪の中で拾った命をつなぐ責がある。回復するまで預かっているだけだろ」

「どのような娘なのだ。神垣の人間には見えないと聞いた」

 荒々しく、そうだ、と続く声がある。

「神垣に何かあったらどうするのだ!」


 拓深が深く息をついた気配があった。

「神垣に災が及ぶようなことにはならない。俺もそんなことは望まない」

「だが、ここは神垣の内だ」

「駅舎の中は、トリの領分だ」

 だが、とまた強く声があがる。

「神喰じゃないのか!」


 怒声に、都波が立ち上がった。駆けだそうと足を踏み出した時、犬がひとつ吠えた。都波は、びっくりして止まる。


「あたしは神喰じゃない」

 低く抑えられた声が、犬の傍らから聞こえた。都波は瞳を大きく開くと、少女のそばへ戻った。寝具の横に手をついて、顔を覗き込む。

「目が覚めたの?」

 弾んだ都波の声に、少女は言葉を返さない。横たわったまま、強く天井を見ていた。


「ここはどこだ」

「池野辺の神垣よ。ここは駅舎の中。トリが外であなたを見つけたの」

「礼なんか言わない。どうせ追い出すんだろう。追い出すならはじめから助けてくれなくていいのに」

 少女は、暖かな部屋にも寝床にも、安堵などしていなかった。

 起き上がろうと手をついて、そのまま崩れ落ちた。颯矢太が支えるよりも早く、犬が少女のもとに駆け寄る。主を支え、頭を低くして、都波たちに低く唸り声をあげる。


 少女はうつむいて、苦しげに手をついて体を支え、吐き出すように言った。

「追い出される前に出ていく」

「追い出したりしないよ」

 都波はびっくりして声を上げる。

 せっかく助けたのに、追いだしたりしない。だけど、神垣のみんなが怖がっているのは確かだった。今まさに戸口の外に迫っている。


「あたしの里は、神喰に里を襲われた。奴ら、神垣も垣離も関係ない。――でも、あんたたちだって同じだ。あんたたちにとっては、神喰も、垣離の人間も同じだろう」

「そんなこと思ってないよ」

「命からがら逃げて、この守夜もりやが人里をさぐりあててくれた。神垣を見た時は、本当にほっとしたよ。だけどその神垣は、あたしを追い出した。安心から突き落とすのはあまりにも酷い」

 少女は犬と同じように、険しい目を都波に向けた。雪の中で力尽きて、死にかけていたというのに、少女のまなざしは強かった。


「あんたたち神垣の連中は、外にいる人間を全部穢れだと思っている。確かに追放者だっているけど、皆がそうじゃない。動乱のせいで神を失っても、生まれた土地を離れなかった人だっている。陰謀で神垣を追い出された人間だっているのに。――また追いだされるなら、自分で出ていく!」

 少女は叫び、突然力をなくして寝具の上に倒れこんだ。犬が都波たちを見て吠える。


「どうしたの!?」

「……気を失っただけだ」

 颯矢太が慎重に少女の様子を見て言った。


 都波は顔を険しくして立ち上がる、そのまま扉に突進した。外開きの木戸を開け放つ。戸は壁に跳ね返り、大きな音をたてた。

 戸を背にして立っていた拓深は、木戸に張り飛ばされそうになり、びっくりして振り返った。追いかけてきた颯矢太が大きくため息をつく。


「お前な……」

 あきれる拓深の後ろで、神垣の男が三人、驚いて都波を見た。それから眉をしかめる。

 吐息が、細く長く白い彼らの口からもれた。不満と不服が、どんよりとした雲の下で、いっぱいになっていた。


「神喰じゃないよ」

 都波は、神垣の男たちに強く言い放つ。それから慎重に、颯矢太に問うた。

「……そうだよね」

「俺も神喰に遭遇したことはないから、はっきりとは言えないけど。神喰は、顔や体に紋様をほどこして、鉄の剣を持っていると聞いたことがある。あの子はほんとうに、どこかの垣離の娘だと思う」

 颯矢太も気軽な声ではない。うん、と都波はうなづく。男たちは何も言わない。

「トリが言うんだから、きっと神喰じゃないよ。わたしも、あの子が悪い人には思えない」

 きっと怒りと疲れで、動転しているだけだ。請け負う都波に、神垣の男たちは顔を見合わせる。


「どこの者で、何故外にいたのか、何故この神垣の近くにいたのか分かるまでは、見張りをたて閉じ込めておくべきでは……」

「それは俺たちがきちんと見張り、責を持つと言っているだろう」

 いよいよ面倒くさそうに拓深が言う。男たちは言葉を詰まらせた。

「だが、そうは言っても」

 男たちのうち一人が、なおも言い募ろうとした時だった。




 板木の鳴る音が響いた。二度叩いて、一拍置いて、もう一度。それを繰り返す叩き方。

 また来訪の警音だ。皆が驚いて門の方を見遣る。こんなに立て続けに、この警音が鳴らされることなんて、今までになかった。

 警音はだんだんと早くなり規則性を失った。力任せに板木を叩き続ける音は、必死さでいっぱいだった。その後ろで、石笛が鳴り響く。


 固まる大人たちを尻目に、都波は駅舎を飛び出した。

 少女を見つけたときのように、恐る恐る集まった人々をかき分けて、簡素な木の門の前に立つ。


「都波!」

 飛び出すと思ったのか、追い掛けてきた颯矢太が腕を掴んで引き寄せた。

 門の向こう、止まない雪の中に、いくつもの赤い炎が揺れている。でも吹きすさぶ雪で、何が向かってきているのか分からない。


 唐突に、いくつかの明かりが空を割いて飛来した。

「火矢だ!」

 誰かが叫ぶ。火矢は椿の玉垣に当たり、赤い門に当たって落ちた。固唾を飲む人々が、ほんのすこし安堵の息を吐いた。


 次の瞬間には、火矢が門や玉垣を超えて、神垣の内に飛来した。うすく積もった雪に突き刺さり、音を立てて消える。


 吹雪をやわらげてくれる玉垣は、火矢を防いではくれなかった。

 神域の内側にも殺戮の炎が上がる。悲鳴が上がり、人々は散り散りに逃げだした。

 外の明かりはどんどん近づいてきて、間断なく放たれる火矢が、神垣の家々に突き刺さる。藁ぶきの家は簡単に燃え上がった。木や藁が燃える臭いが、当たりに充満する。


「都波、さがれ!」

 呆然と立ち尽くした都波の腕を、颯矢太が引っ張った。そのまま駅舎へ向かう。慌てて家から出てきた人たちも、燃える門や黒煙を見て、悲鳴を上げて逃げていく。


「神喰だ!」

 誰かが叫ぶ声に振り返る。

 燃える門をくぐりぬけて、毛皮をまとった男たちが里に踏み込んだ。片方の手には松明、残りの手には剣が握られている。頬には、赤い渦のような紋様が刻まれていた。


 黒煙と炎を纏って、彼らは雄叫びをあげた。

 見たこともないほどの憎悪が、そこに渦巻いていた。剣を持った男たちが、玉垣の椿の枝を乱暴に叩き落としていく。


「何をしている! 皆、山へ逃げろ!」

 里長や男たちが、手に武器や農具を持って、館からの道を集落へ駆けてくる。


 トリの駅舎の扉は開け放たれていて、そこにいたはずの男たちは誰も残っていない。厩の馬が悲鳴のように嘶いている。

 ただ、この騒ぎでまた目を覚ましたのか、犬を連れた少女が立ち尽くしていた。


「来て!」

 叫ぶ都波を、少女は茫然とした顔で見た。火矢がいくつも駅舎に突き刺さり、箱の形をした建物は煙をあげはじめている。


 駅舎の中から、毛皮を着込んだ拓深が飛び出して来た。

「持ってけ」

 驚いて振り返る少女に、少女の外套と弓を持たせてから、颯矢太にも外套と革の袋を投げてよこした。最後に投げた短刀と椿の卯杖が雪の上に落ちる。

「山に身を隠したって、火を放たれたら終わりだ。神垣のやつらが外に出る気があるなら、逃がしてやらないと」

 ――火を放たれたら終わり。その言葉が、ずしりと心の臓に重く響いた。


「早く、一緒に来て!」

 都波は青ざめた少女の手をとって、走り出す。颯矢太は一緒に来てくれたが、拓深は厩に駆けて行く。


 火の勢いが強い。

 家を燃やされては、神垣の内側でもみんな凍えてしまう。里長の御館が燃えたら、食料の蓄えもなくなってしまう。

 雪のないわずかな季節に植えるべき種籾や、野菜の種子も。このままでは、山も、お社も燃える。


 火を消さないといけない。だけどどうすればいいのか分からない。今はとにかく、逃げるしかなかった。

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