02. チャンスはある(2)

 講堂の外に出ると、しかめっ面の先生が待ち受けていた。ペアを決めたことを告げると、名簿にそれが書き込んでいく。

「リュシアンにクロエは、53番――担当教官は、セシリア・ルベル教官だ」

「ええっと…… 先生にご挨拶に行けばいいですか?」

 頷かれ、リュシアンと歩き出す。

 二月。春を待つ空はまだ冷たい。

「寒いね」

 ショールを掛け直しながら振り返る。外套ルタンゴトを着たリュシアンはまだ無言だ。


――このまま喋ってくれなかったら、どうやって論文の課題を決めたらいいんだろう。


 学園の真ん中、三階建ての校舎の中。卒論に付き合ってくれる教官たちの部屋の前は混雑している。皆、挨拶に来ているのだ。

 挨拶ついでに論文の趣旨を決める場合がほとんどだから時間がかかる。後から来た生徒ほど待たされる。

「53番ってことは後ろから数えたほうが早いんだもの。長く待ちそうよね」

 ね、と声をかける。まだ無言で無表情。

――ひええええ…… 気まずい。

 廊下の壁にもたれかかって、隣に立つ少年を見上げる。

 背はそこそこに高いが、何分細いから威圧感は無い。鼻も顎も薄い唇も線が細い。その繊細さに見合う、淡い髪と瞳の色と、手の動き。

 なるほど、顔は良いと評されるわけだ、と納得する。

 入学以来、目が合えば挨拶する程度。何が好きなのか、どんなことをしているのかは全く知らない。いつも本を読んでいるけれどと、彼が小脇に抱えた本を見た。

 それは二百年前の公爵による箴言集。

「その本、わたしも読んだことある。授業で必要だったからだけど…… すごい、皮肉屋さんよね。周りの人の揚げ足取りばっかりしてて、自分はどうだったのって言ってやりたいわ」

 ちらり視線が寄せられる。反応はそれだけ。クロエは溜め息を呑み込んだ。

 視線が下がる。ラズベリー色のドレスが揺れる。

「クロエ、まだ終わっていないの?」

 声に顔を上げると、寮で一緒におめかしをした友人の一人が正面に立っていた。

 背が高くて、豊かな髪も高く結われていて、くっきりした目鼻の少女。

「シャルリーヌは終わったの?」

 クロエの問いかけに、彼女は薔薇色の唇をするりと綻ばせた。

「一番に声をかけてもらったわ。今から彼とお茶をしながら計画を立てるの」

 そう言って示した先に居る少年に、目を丸くする。

「ランベールと一緒にやるの?」

「そうよ」

 ふふん、とシャルリーヌは胸を張った。

 ランベール・エランはこの学年の出世株だ。アンヴェルス公爵の嫡男という出自に、成績優秀で、もちろん容姿も抜群。将来は国の中枢部での活躍も期待されている。

 彼と組んだということは。

――勝ち組だ、ってこと。

 アイボリーに薔薇の柄という大人しそうなデザインとは裏腹のシャルリーヌの笑みは、羨望の声を期待しているのだろう。

 心の裡だけで舌を出す。

「どうぞ、行ってきて。順調に進みますように」

「クロエもね――こいつとじゃ苦労すると思うけど」

 また笑われる。

「負け組同士、せいぜい頑張って」

 クロエは首を振る。

 リュシアンは変わらず無表情。


 そのまま、教官に呼ばれるまで、無言。


 ボン、と時計がなった後にようやく呼ばれた。

「ごめんなさいね、お昼ご飯になっちゃったわね」

「お話終わったら食べてきます……」

 あはは、と笑うと奥の椅子に腰かけた教官が頷く。

「セシリア先生、よろしくお願いします」

「こちらこそ」

 まだ若い教師だ。クロエの姉と言っても不思議そうではない年頃。丸縁眼鏡の、丸い頬の女性はおっとりと微笑んで、クロエとリュシアンの顔を見比べる。

「あなたたちが組んだのね。待ち時間の間、どんなことをしたいか話をした?」

「ええっと……」

 碌に会話もできていません。クロエの頬が引き攣り、セシリアも肩を竦めた。

「そうね。話ができないから大変と思うけど、頑張って」

 クロエは俯く。セシリアのため息が聞こえる。

「じゃあ、私からあなた達が書けそうな話題を提案させてもらえる?」

「はい」

「とは言ったものの…… どうしようかしら」

 ラベンダー色のスカートの裾を揺らして、彼女は狭い部屋の壁一面を占拠した本棚の前をウロウロし始めた。

「リュシアンの家はブランドブール侯爵よね」

「そう、です」

 本人が答えないから、クロエが言葉を継ぐ。セシリアは地図を引っ張り出してくる。

「王国の東端――その先には広大な平原プレンヌ・メルヴェイユーズしかないって言うけれど」

 ばさっと音を立てて、見慣れた王国の地図が机に広げられた。

 セシリアの指先が東端に描かれた、聳え立つ城砦を指さす。

「ブランドブール城は平原を見渡せるよう、丘の上に建てられているの。今は観光名所として、中を見学させてもらえたりもするわ。クロエ、あなたは行ったことある?」

「いいえ、一度も」

「勿体ないわ。一度行ってご覧なさいよ。地平線が見渡せて――こんなに世界は広いのかと思うから」

 セシリアはクロエの方を見て笑った。ちらりとリュシアンを見遣る。無表情。彼はセシリアを見ているのに、セシリアは見向きもしない。

「それで――どうしようかな」

 セシリアはまた本棚の前を行ったり来たりしている。

「クロエのおうちはドゥワィアンヌ…… 梨の産地ね」

 実家の周りの、梨畑を思い出しながら頷く。

「そうねえ…… 二つの土地の共通点は、鉄道かしら」

「鉄道?」

 瞬く。

「そうよ。そうよね、我ながら名案」

 何冊か本を取り出しながら、セシリアは笑った。

「西の港町ウニーズから、ここ王都ル・キャトル・ヴァンを通って、ドゥワィアンヌを抜けて、東端のブランドブール城下が終点。鉄道が敷かれたのはこの十年の話なのは、あなたたちもご存じでしょ?」

「ええ、まあ……」

 曖昧な頷き。セシリアはにこにこだ。

「そうしましょ。絶対楽しいから」

 どっさりと抱えた中から、一冊手渡される。『ベルテール王国への鉄道敷設の提言』と題されたそれだ。

「これは?」

「議会に敷設推進の議案が出された時の提案書の写しよ。良かったらどうぞ」

 ずいっと押し出される。つい手にする。

「じゃあ、次の面談は二週間後ね」

 そして、セシリアに背を押された。




「なんか、先生に良いようにあしらわれた気がする……」

 トボトボと廊下を歩く。後ろをリュシアンが付いてくる。

「どうしよう…… 今日はみんな、卒論の課題探しに出かけたりしている人がほとんどなのよね」

 自分たちもそうすべきなのだ。だけどその前に美味しいごはんが食べたい。コルセットが苦しいけど、食べたい。食堂で食事を一緒にしてくれる友達もいないけれど、食べたい。

そうでもしなきゃ進めない、と。

「リュシアンはあの課題でよかったの?」

 振り仰いで問う。

「ええっと。もっと何か、調べたい?」

 彼はやっぱり無表情。ううと唸って、ぴっと人差し指を立てる。

「午後、もう一度図書室で会いましょう?」

 セシリアに押し付けられた本を撫でながら、言うとようやく微かに頷かれた。

「じゃあ…… また、後でね」

 校舎の外で、敷地の反対側に立つ男子寮と女子寮に向かって別れる。

 背中から彼の気配が消えてからようやく、クロエは一際大きな溜め息を吐き出した。


 どうやって彼と意思疎通を図れというのか。

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