#7-2


 その日の夕刻、同市内の某公園にて──。


「みっけ! 缶踏んだ!」

「くっそーっ!」


 小学生の子供たちが缶蹴りをして遊んでいた。最後の一人だった子供は見つかり、悔しげに地団駄を踏む。


「宮内に鬼させるとみんな捕まっちゃうよなぁ」

「鬼じゃなくてもすぐ缶蹴られちゃうし」


「へっへーっ」


 小学三年生の男の子、宮内みやうちきょうは得意気に胸を張る。


 京は母親の都合により、明日から他所の小学校へ通うことになっていた。そのため近所の友人たちと、いつもの公園で最後の思い出作りに遊んでいたのである。


 楽しい時間はあっという間に過ぎ去るもの。公園の入口に、京を迎えに来た母の姿が見えた。


「……母さん」


「え? 宮内くんのお母さんもう来ちゃったの!?」

「えー、早いよぉ!」

「京、もう行っちゃうのかよ……」


「みんな……ごめんな」


 シュンとなる京にやや長身でスラリとした女性が近づく。見た感じ若く、おっとりしていてどこかほんわかとした印象だ。きっと優しい人なのだろう。


「ごめんなさいね、今まで遊んでくれてありがとう。……さ、京も挨拶なさい」

「……みんな、元気でなっ!」


 そう叫び悲しそうな顔に無理やり笑顔を作る京。子供たちも思い思いの言葉を掛け入り口まで付いていくも、やがて親子の去っていく姿を見届け戻るのだった。

 ここはアパートやマンションの立ち並ぶ大型住宅地。親の都合で一時的に引っ越して来ては去っていく姿。それを何度も見送るうちに、いつしか子供たちは別れに慣れてしまったのかも知れない。悲しいことだがこれも近代社会の寂しげな一面なのであった。


「……行っちゃったね。京君のママ、綺麗で優しそうな人だったね」

「いいなぁー。うちのガミガミかぁちゃんと大違いだ」

「モデルさんみたいだったね。何のお仕事してるんだろう」


「うちにいるばぁちゃんがさ、拝み屋さんじゃないかって言ってた……」


 子供たちの中のひとりがポツリと呟いた。


「ふぅん? オガミヤサンって、なぁに?」

「……知らね。そういう仕事があるんじゃね? あ、みんな絶対誰にも言うなよな! もし誰かに話したことバレたら怒られんだから!」

「今言っちゃったじゃん!」

「ぎゃはははっ!」


 友人が去った寂しさを紛らわせるように、子供たちは黄昏時まではしゃぎ、やがて一人、また一人と帰っていくのだった。



 母と並んで歩くアスファルトの熱は、じんわりと京の体を包み込み纏わりつく。


「……」


 不意に母から手を繋ぐよう差し伸べられるも、それすらもうっとおしく感じて横を向く。今の京は先程の寂しい表情も無理やり作った笑顔もなく、無を浮かべている。生気の失われた目には感情すらどこかへやってしまったでは、と心配になるくらいに濁っていた。


(京……)

「……」


 こうなってしまったのは自分のせいだと、京の母「宮内菖蒲あやめ」は思った。


 一身上の都合で転校を繰り返しているうち、外では明るく振る舞うも家では冷めた子供になってしまっていた。こればかりは仕方がないのかも知れない。


 だが理由はそれだけではない。京に父親はおらず、それどころか菖蒲とも血は繋がっていなかったのだ。以前、世話になった人物から親戚を預かってくれと言われ、引き取ったのが当時まだ赤子であった京だったのである。

 一般的な考え方であるなら、ある程度子供が大きくなるまで事実を伏せるべきだ。しかし菖蒲は早くから敢えてこの事実を打ち明けた、それがつい先日のこと。

 理由はシンプルで、どうして父さんが居ないのかと尋ねられたからだ。落ち着いて淡々と話したつもりだったが、それでも小学生の子供には衝撃が大きすぎた。


『今度行く町の近くに御両親のお墓があるそうよ。一緒にお参りへ行きましょう』


 この言葉に京は何も喋らず、膳をひっくり返して当たり散らし、外へ飛び出すことで応えた。二分後には捕まって戻され、酷く叱責を受けた後に、仕置のため木へ縛り付けられた訳だが……。


 菖蒲は済まなく思う一方で、決して謝罪の言葉を吐かない。自分が間違っていたと認めるのは、子供に弱さを見せることだと考えていたからだ。菖蒲は京に強い子へと育って欲しかった。シングルマザーという立場も踏まえ、親が弱れば子も弱く育つ、そう思っていたのだ。


(完全に嫌われちゃったか……)


 小さく溜息を付き、菖蒲は空を見上げる。薄暗くなり街灯が照らされ始める中で、ボーッと立ち並ぶ高い建物が陽炎のように揺れて見えた。そう遠くない未来、この場所でも良くないことが起こる。子供のことを思えば、一刻も早くここから立ち去りたかった。


「母さん」


「な、なに?」


 二度と口を利いてくれないのでは……。そう考えていた矢先に声がかかり、菖蒲は驚きとも喜びともとれる調子で聞き返す。


「…引っ越す前に隣のクラスの金田の家、寄れないかな? あいついい奴でさ、俺が体育着忘れた時、貸してくれたんだ。できればもう一度お礼言っていきたい」


「……」


 この言葉に、菖蒲は何も答えてやることができなかった。


「…別にいいよ。駄目なら、いい」

「……」


 結果など知っていたのに、聞いた自分が馬鹿だった。そう言いたげに京は申し出を取り下げた。

 

 一方で菖蒲は京の言葉に胸を締め付けられる思いがした。本心からそう言ってきたのか、自分への当てつけのために言ってきたのかはわからない。だが京の言ったことは、社会で成長していく上で大事なこと。大切な教育の機会を己の都合で握り潰してしまうことに、思わず自分を責めずには居れなかった。


(完全に親失格ね、私……)


 立ち止まり思いつめる菖蒲。その姿に京は黙って目を背けていた。


(それでも立ち止まる訳にはいかない、この子のためにも……)


 かつて菖蒲にも愛する夫と子があった。しかし訳あって自分の手で子を育てることができなかった。だからこそ京への思い入れは、より一層強かったのかも知れない。


 身を屈めて京の背丈に合わせ、その両肩を掴む。突然のことで京は一瞬驚いたが、やはり目を逸らす。それでも菖蒲はその顔を覗き込み、じっと目を見た。


「……母さんがいつもどんなことをしてるか、知りたい?」

「……」


「これはいつか知らなくてはいけない、とても大事なことなの」

「……」


「今晩私と一緒について来なさい。その目で見て確かめて、その上で私と一緒にいられないと思ったなら、もう私を『母さん』と呼ばなくていい。親戚のお婆さんの家でお世話になりなさい」

「──っ!!」


 今まで母として振る舞ってきたのに、あまりにも身勝手な言葉。この時菖蒲はもう親ではないと思われても構わないと、そう覚悟していた。京に自分の姿を見せることで、今後も家族として暮らしていける相手かどうか見極めて欲しかったのだ。

 その上で京に自分の将来を決めて欲しかった。小学生にとっては重すぎる決断かも知れないが、今後自分と生きていくなら必要なこと。これは「賭け」などではなく、必然性から生まれた通過儀礼そのものだった。

 

「一緒に来てくれるわね?」

「……」


 小さく京が頷いたのを確認し、菖蒲は立ち上がる。普通の子供なら、駄々をこねて泣き出してしまってもおかしくない。しかしこの子は自分の言うことを理解し、その上で返答した。それだけでもこれまで京と暮らしてきた日々に悔いはないと思えた。




 その夜、烏頭目宮市内某所にて──。

 誰も来ない竹藪の中で、地を掘り返す人影があった。


 道具は用いずとも柔らかく掘られる。当然だ、自分で一度掘ったのだから。


 目的の物はすんなりと見つかった。当然だ、自分で埋めたのだから。


 埋まっていたのは死体だったが驚かない。当然だ、自分が殺したのだから──。



 人影は僅かに届いた月明かりに照らされ、その姿を現す。目は爛々と怪しく光り、頭部には大きな尖った三角の耳、幾本もの長い尾がうねうねと動く。人間とも獣ともつかぬその姿は、やがて鋭い爪で死体を切り裂き始めたのだ。


ビチャッ ポキッ ペチャッ……


 弄びできた血液の溜を、泉から湧き出た水のように手で掬う。

 やがて開かれたはらわたの海へと顔を埋め、牙を立て始めた。


 他の食べ物や嗜好品では絶対に味わえない、忘れかけていた本能を呼び覚まさせてくれるような開放感。例え何十年、何百年と経とうがこの感覚だけは忘れない。


「……ヒヒッ」


 獲物に満足したか、声を漏らす──。


 その人影は璃子だった。


 着ていた服を乱れさせ、全身を死体の肌に擦り付けるようにして、また貪る。

 肝を引きずりだし、舌で舐めると握り潰し、口の中へと注いだ。二の腕に、脇腹に牙を立て、柔らかい胸を口に含むと噛みちぎる。死臭が辺りへと充満し、彼女により満足感を与えると、再び恍惚の表情を浮かべてあえぐ。

 忙しく動く人間社会。その影でたった一人自分だけ、これほどまでに背徳な行為が許されている。そう考えるだけで身悶えがするまでに高揚し、これまでにない興奮を覚えるのであった。



 暫く続くと思われたこの悪魔の儀式、それは唐突に打ち切られたのだ。



「──誰?」


 血化粧を施したまま、璃子は不機嫌そうに声を出す。誰も来ない筈の竹藪の中で、邪魔をしたと思われる白い装束の姿を見つける。璃子はそれに指をさして笑った。


「何よその格好、イカれてるわ」


 白装束の顔には般若の面が付けられていた。足には脚絆きゃはんがされ草履を履いている。どういうつもりか知らないがじゃない。今の璃子にはとてつもなく滑稽に映り、腹の底から笑い声を響かせた。


「っ!」


 しかし次には璃子の顔から笑いは消え、大きく飛び跳ねていた。先程まで貪り弄んでいた死体に、何本もの苦無(暗器の一種、短刀)が刺さっている。これには璃子も怒りをあらわにし、般若の面を睨む。


「……勿体無いことしないでよ、まだ遊べたのに」


 璃子の言葉に般若の白装束は答えない。代わりに黙って短い刀を二本抜き、今から斬りつけんとばかりに切っ先を向けた。


「そっかそっか、あたしと遊びたいのか」

 

 ここでようやく璃子は理解した。こいつは自分が放火の元凶と知っていて、その上で自分を殺しに来たのだと。どこの差金かは知らないが、こちらが人ではないと理解した上で殺しに来たのだと。

 普段の狡猾さがあれば、璃子はとうに立ち去っていただろう。しかし楽しみを邪魔された挙げ句、馬鹿にしているのか一言も喋らない。その相手に対し、璃子は完全に頭へ血が登っていた。


「泣かせてあげる、血の涙を流させてあげるっ!」


 叫んだ瞬間、逃すまいと辺りに炎が巻き起こる。次には指先から鋭い爪を伸ばし、般若の白装束へと飛び掛かっていた。

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