第4章 仁義なき異世界(1)


「答えろ、流華!!」


 俺の必死の叫びに、しかし流華は、あっさりと頷いた。


「ああ、名前、憶えてくれてたんだね」

「当たり前だろ」


 忘れる筈がない。

 そもそも、俺が異世界を志すようになった、その切掛けなのだから。

 

 俺がこうして、生きている、その出発点が、こいつとの別れだった。

 時が経ち、余計なしがらみばかり増えてきたけれど、その原点は変わらない。

 結局、頑固な悪ガキのまま成長してしまったように。

 

 しかし、流華の変化は、あまりにも劇的だった。

 良く見れば、目元や鼻筋辺りに、かつての面影は残っている。

 総じて、確かに自分の幼馴染、天花寺流華であると認識できる。

 

 しかし、それらを全て吹き飛ばすほどに、

 身に纏う雰囲気が変わっている。


 まるで、戦場を渡って来たかのように。

 世界の負の側面に晒され続けてきたかのように。

 ひたすらに、擦れ、磨耗しているように思えてしまう。


 口調こそ記憶にあるものに近いが、

 それは慣れない役を演じているかのようにぎこちない。


 しかし、どんなに変わっていたとしても、それでも、幼馴染なのだ。

 分かれていた年月の分、話したいことが沢山ある。

 流華が何をやっていたのか、俺が何をやっていたのか。


 とにかく、話をしたい。

 

 しかし、それは叶わない願いだった。

 ここが同窓会の場か何かでもあったならば、そうしていただろう。

 

 しかし、今、こいつは、敵の側にいる。

 俺とは、対立する世界に立っているのだ。

 

 そのことを、きっと流華も理解しているのだろう。

 突き放すような口調に変えると、首を振った。


「再会を祝いたいところだけど、生憎、そうもいかないな。君の相手は、あくまでもついでなんだ。まずは私の目的を、果たさないとね」


 そう言って、流華は横を向く。

 その視線の先にいるのは、侵略者に抱えられて、ぐったりとしている上月さんだ。

 

 そう、異世界人から彼女を護る、というのがそもそもの俺達の任務だった。

 どういう狙いかは不明だが、彼女を異世界に連れて行こうとする動きがある。

 

 上月さんを狙っているのは、異世界の勢力に他ならないのだ。

 現世界の人間を尖兵として使ってはいたが、その点は変わらない。

 だけど。


「お前は元々、こちらの世界の人間じゃないか」

「……ああ、そういえばそうだったね」


 俺の、当たり前の指摘に。

 しかし流華は、まるで、たった今気づいた、と言わんばかりの反応を見せた。

 そんなことは、頭の片隅にさえ存在していなかったと、ばかりに。


「すっかり忘れていたよ」

「忘れたって、お前」

「何せ、10年以上の前の事だからさ」

「……ッ!」


 そう、10年も前の事なのだ。

 俺が、こいつと……流華と生き別れになったのは、そんなにも昔の話。


 しかし、そんな年月の差以上に、大きな断絶があるような気がするのだ。

 友人で幼馴染だった筈の流華が、もっと得体の知れない何かに変わってしまったかのような、そんな恐ろしい考えがどうしても離れないでいる。


 出来るならば、昔の流華として話がしたい。

 けれど、そんな甘い考えは、決して叶わない。

 俺の甘えを否定するように、流華は決然と告げて来る。


「今の私は、ここにいるもので全てだ」

「今の、お前……?」

「昔の私なんて、もうどこにもいないんだよ」

「そんなことッ!」


 いつか、届くかもしれないと思った俺の想いは、ここで届くことはない。

 流華は、俺の事を完全に無視したまま、後方へと振り返る。


「丁度、帰りの魔法陣も、用意出来たようだからね」


 終わりを示す光が、部屋中に満ちる。

 流華達、侵略者一行が、異世界に上月さんを連れて行くための魔法陣が、完成したのだ。


 部屋の中央に出現した魔法陣。

 異世界へと繋がる、巨大な門。

 この門をくぐった先にあるのは、俺の知ることのない、別の世界だ。


 流華は、もう振り返ろうとすらしない。

 俺の事は既に眼中にない。

 

 この10年間の間に何があったのかは分からないが、

 しかし、異世界側に立ち、異世界の論理に従って、ここから消えようとしている。


「さあ、それじゃあ、さよならだ」

「ま、待て!」


 必死に手を伸ばすけれど、届かない。

 同じ部屋の中にいるというのに、流華の背中が、ひたすらに遠い。

 それでも、ここで届かないのならば、きっと永遠に届かないに違いない。

 

 動け。

 動けよ、俺の身体。

 

 今動かなければ、大変なことになる。

 それは、上月さんを連れ去られる、というだけの話ではない。

 幼馴染の、流華の手がかりを、失ってしまうということだ。


「動……け……!」


 床に爪を立てて、どうにか起き上がろうとする。

 震えの止まらない足を、必死で突き立てて、支えにする。

 

 幼馴染への想いをを火に変え、鍛えた肉体に熱を入れる。


「流……華……ッ!」


 動いた。

 両手が地面から離れ、2本の足で立ち上がる。


 身体が動く。

 だから、俺は今にも消え去ろうとする幼馴染に向けて駆け出そうとして。


 だけど、遅過ぎた。


 あと僅かでも時間があれば、駆け出したまま躍り掛かることも可能だったろう。

 しかし、距離が離れすぎている。

 俺の必死のあがきでは、流華の歩みを止められない。

 

 胸を焼き尽くすほどの悔しさと焦燥を抱えたまま俺の目の前、

 上月さんを連れた流華が、再び前から消えようとした。

 その直前。


 ぐげー、と。


 カエルを押し潰したかのような、

 完全に場違いな音が、部屋に響き渡った。


 あまりに意外な、その音。

 何とも言えない、野太い声。

 それは、いかな異世界の戦闘の玄人といえども、予想出来なかったらしくて。


「……!?」


 その瞬間、部屋にいた全員の目が、異音の発生源……隼瀬に集まる。

 集まざるを得なかった。

 それが、あまりにも場違いな音だったからこそ。


 誰もが、いきなりの異音に戸惑っている隙間。

 俺だけは、その音の原因を、正確に理解していた。


 床に倒れ込んでいる隼瀬の手の中に握られているのは、グッズの監修の為に持って来ていた、妙な声で鳴くマスコットだ。


 どんな意図があって、この土壇場で、隼瀬がそれを鳴らしたのかは分からない。

 ただ、倒れたまま、こちらを見る隼瀬の目が、何かを訴えかけていた。

 

 言葉は聞こえない、しかし、思いは確かに受け取った。

 「今です」という、隼瀬が託してくれた思いのままに、動く。


「うおおおおおおお!!!!」

 

 立ち上がった体勢のまま、俺は駆け出す。

 雄叫びをあげながら突撃する。


 伊達に鍛えてはいない。

 流華が身構えるよりも早く接近し、

 そして、その身体を突き飛ばした。


 何故なら。

 邪魔だからだ。


 俺は、そのまま一直線で向かう。

 目の前に開いた魔法陣へ。


 ここしかない。

 今が、最大のチャンスだ。


 今日ここで起こったことは、色々と、分からないことばかり。

 隼瀬が何をしたいのか、上月さんがどうなるのか、流華がどうしてこんなことになっているのか。

 誰も、何も答えてはくれない。

 

 だから今は、自分を信じて進むしかない。

 進む先にこそ、未来がある。


 だって。

 今なら。

 そこの魔法陣を使って、俺は異世界に行けるんだからな!!


「そいつを止めなさい!!」

 

 流華の声が響く。

 俺のやろうとしていることを察したのだろう。

 

 しかし、その制止はあまりにも遅い。

 俺の全力の突撃を、決して止められない。


 慌てて伸ばされた手を次々と掻い潜り、魔法陣へと接近する。

 すぐ目の前に、求めていたものがある。

 

 やった!

 ついに、チャンスが来た!!

 

 苦節何年になるだろうか。

 組織の任務を淡々とこなしながら、ずっと待ち望んでいたのは、こんな展開。


 異世界に、現世界の人間を連れて行くための魔法陣。

 それが、無防備に俺の前に開かれる時が来るのを、ひたすらに待っていたのだ。


 そして今、状況は整った!

 今なら、異世界に行ける!!

 ようやく、異世界に行けるんだ!!!


「鷹広!?」


 俺の意図に気付いたらしい史雄の声が聞こえる。


「先輩ッ!!」


 怒っているかのような隼瀬の声が聞こえる。


 そんな、仲間たちの声援に押されるようにして、俺は床を蹴って跳躍する。

 後はもう、魔法陣に飛び込むだけだ。


 それだけで、俺がこれまで抱えて来た願いは、ようやく叶う。

 それに、俺が異世界に行ってしまえば、魔法陣を一つ分余計に消費してしまうわけで、流華たちの思惑も多少は妨害出来る。

 

 己の目的を達成して、更に敵の計画も阻止するとか、もう最高じゃん!!

 完璧な作戦じゃん! 流石は異世界対策チームのリーダーだ俺!

 

 いやもうすぐリーダーじゃなくなるんだけどな!!


「イヤッハァッーーーー!!!」


 絶好調な気分のまま、俺は飛ぶ。

 最高にハイって奴だ。

 今までの苦労は、この瞬間の為にあった。


 流華のことで悩んだりもしたけれど、まあそういうのは後で考えれば良いし?

 同じく異世界に行った立場になってからの方が対等な立場で話せると思うし?

 だから何も問題ないし?


 では行こう。

 魔法陣の先。

 まだ見ぬ、異世界に向かって――!!


 しかし。

 魔法陣に突入しようとした、その直前で。


「……あっ」

「え?」


 短く発せられた声。

 誰かが、俺の進む先にまだ残っていた。

 

 といっても、それは偶然引っ掛かってしまった、というような軽さのもの。

 俺の突撃を止めようとする動きではない。

 

 どうせ、侵略者のうちの誰かだろう。

 このまま魔法陣に一緒に突っ込んでしまっても問題はない。


 そう思ったからこそ、

 より一層前へと体重を掛けて勢いを増し、あえて止まろうとしなかった。


 俺の頭の中の、冷静な部分は、その声に確かに覚えがあった。

 覚えというか、それは今日初めて出会ったばかりにもかかわらず、中々に忘れ難い声だった。


 それは、上月ライラの発する声だった。


 その歌声によって、誰をも感動させるという、天上の歌姫の声。

 異世界以外のことに興味を持たない俺ですら魅了するほどの声の持ち主。


 薬によって昏倒させられていながら、しかし僅かに意識は残っていたのだろう。

 ふらふらしながらも立ち上がった上月さんに、スーパーハイテンションで前をよく見ていなかった俺が突っ込んだ。


 その結果、俺と上月さんは、揉みくちゃになり。

 そのまま、2人揃って、魔法陣に向けて投げ出される。


「……あ」


 ようやく、自分の仕出かしたことに、思い至った。

 ただ、思ったところで、この身体は止められない。


 異世界に連れ去られるわけにはいかない天上の歌姫、上月ライラを巻き込んで。

 異世界行きの魔法陣に、今まさに、飛び込んでいるのだった。


「しまったあああぁぁぁ!!!」


 俺だけが行くことに意味があるのに、上月さんを巻き込んだら駄目じゃん!!

 むしろここまでの努力を無意味にする奴じゃん!!

 

 俺が異世界に行く過程で、どれだけ他人に迷惑を掛けようとも全く気にはしないけれど、異世界に行くことに他人を巻き込むのは全く別問題だ!!

 

 異世界に行くのは、俺だけでいいのだ。

 

 しかし、叫んでみても遅い。

 そのまま俺と上月さんは、まとめて魔法陣の中へと吸い込まれていく。


   ◆    ◆    ◆         


 視界が揺らぐ。

 目眩に襲われる。


 そこは、既にホテルの一室ではなくなっていた。

 それどころか、どこなのかも分からない、そんな空間。

 目に映る景色が、万華鏡のように揺らいでは消えて行く。


 身体が、浮遊感に囚われるのを感じた。

 どこに繋がっているのか分からない、異界への門へと吸い込まれる。


 せめてもの矜持として、

 巻き込んでしまった上月さんの手をしっかりと掴みながら。

 

 落ちて行く。

 

 落ちて行く。


 落ちて……行く。


 ああ、異世界に行くのは、ずっと望んでいたことなのに。

 いざ行くとなると、こんなにも不安になるものなのだ、と。

 そんなことを、ふらつく頭の片隅で思いながら。


 俺はただ、ひたすらに落ちて行った。

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