第31話

 多くの魔力と不吉が蔓延る戦場と化した藤吉邸。

 その中で両者から捨て置かれたトコシエは呆然とその光景を見ていた。


 当然のように、目の前で起こったことに驚いてのことである。。


 蘇生した泰生と


「あの人は……」

 その言葉を遮るように、轟音が響く。


 それは魔力が生み出したもの。

 今まで目にしたことのないほどの量。

 普通の魔法使いであれば数年分といったところであろうか。


 が形を成して襲おうとした瞬間に、クライクハントが左手を振るう。


「え?」

 と声をあげたのは泰生?だった。

 二人を隔てた距離はその掌が触れるような距離ではなかった。

 当然のように左手は空振る。


 声をあげて束の間、組み上がろうとしていた魔法が分解した。

 その不思議に呆然と自分の両手を見つめる。

「はぁー」

 驚いたような、感心したような声だった。


「やるじゃないか」


 ゆっくりと顔を上げて見せたのは不敵な笑み。

 己が必殺を打ち砕かれたというのに、純粋に面白いものを見たような興味深げな表情だった。

「魔法の解除デスペル。いや、魔法を『殺す』のかい?」

 変わったことができるんだねぇ、と興味深そうに左手をジロジロと眺める。


 その不思議はトコシエにも解析不可能。しかし、解析できないということは自ずと答えは限られてくる。


「トコシエ……、で良かったかい?」

「え? は、はい」

 突如として自分に話を振られるなど思ってもいなかったトコシエはうまく反応できなかった。

「アンタは先刻、こいつと闘ってた訳だけれども、どう思う?」

「ど、どうとは?」

 そんな寝ぼけた反応を見せたトコシエに、誰かは呆れたようにため息をついた。

「全く分かってない娘だねぇ。

 いいかい?今のこいつの魔法の説明を聞いて、不思議に思ったことはなかったのかい?」

「ふ、不思議ですか?」

 はっきり言えばトコシエには全て不思議だ。

 神秘言語プライマリー・ワードでは説明できず、なんらかの魔道具を用いた形跡もない。

「なら、象徴神秘シンボルワンダー、といったところでしょうか」

「まあ、そんなとこだろう。細部の解析はやはり甘いねぇ」

 手厳しい評価と言葉に思わず首をすくめる。

「で、ですが、私との闘いでは使うことも無かったですしーー」

「なんだ、分かってるじゃないか」

 話を振られた時も、叱られたのも突然ならば、褒められたのも突然だった。しかもその理由もわからず、らしくなく惚けてしまう。

「それが、今一番大事なことなのさ」

 その真意すら計りかねるトコシエは「はぁ」と返事をするのみだ。


「さて、若者との交流もひと段落したし、今度はアンタともしっかりやりあうかね」

 異端殲滅、クライクハント。

 百戦錬磨の強敵であることは間違いない。

 しかし、そんな敵を前にしても泰然自若な態度を崩さず、余裕たっぷりであることを隠しもしない。


「切り札の一つを無効化したというのに、余裕があるのである」

 己の成果を誇らない。

 しかし、トコシエも魔法使いであるため理解できる。

 心血込めて作り上げた魔法を軽んじられて眉一つ動かさない魔法使いなど存在しないことをしっている。


 対して、その言葉にクスリと笑うのは誰かだった。

「あんなものは切り札じゃあないよ」

 それは相手の言葉の綾を見つけたような顔で、これから相手の驚く顔を想像しているかのような悪い顔だった。


「こいつは手札の一つさ」

 その言葉にもクライクハントは絶句する。

 あれほどの強力な魔法攻撃は、掃いて捨てるほどある「手段」の一つに過ぎないと軽く言い放ったのだから。


 最も、トコシエは驚くことはない。

 本当に「あの中身」が彼女の想像通りだったとすれば、その言葉にも真実味があるというもの。


「……確かに貴君を殺すのは骨は折れるようであるな」

「お褒めに預かりどうも」


 ※


 異端殲滅とは魔法を妨害されたらオシマイなどという温い役目ではない。

 己の魔法つよみが封じられたなら、封じられたなりの対応をすればいいだけの話である。


 故に、クライクハントは魔法による即死攻撃を諦め、基本の攻撃スタイルを体術に切り替える。


 壮年とは言え、西洋人の大柄な体格に鍛え上げた肉体、そして強化の魔法と洗練された体術、それを完璧に運用する思考と経験。


 数多くの魔法使いを抱える異端殲滅だが、彼の象徴とも言えるような「病」の魔法がなくとも他のメンバーと渡り合える。


 短く息を吐くと同時にクライクハントへ駆け出す。

 今のクライクハントであればセツの場所へ辿り着くのに三秒、そこから攻撃を仕掛けて攻撃するまで一秒というところだ。


 セツは咄嗟に魔法での防御を試みたが、左手を振るい強制的に中断する。


 一気に距離を詰めたクライクハントはそのまま顔面を殴りつけようとする。


 互いの位置関係とタイミングは完璧でどうしようが躱せないはずの一撃だった。


「危なっ!」

 しかし、ぬるりと泡を掴もうとして逃げられる。


 半ば予想していたが、やはり死につながる脅威に対して加護は例外なく働くらしい。


 セツへの攻撃は大結界の加護により命中することはない。

 かと言って、逆のクライクハントへの魔法攻撃は左手に宿る「死」によって解除され、徒手空拳ではクライクハントには当てられない。


 互いに決め手に欠けるどころではない。

 どちらかの魔力が切れるまで終わらない千日手だった。


「さーて、そろそろかね?」

 しかし、そこまで待ってられるかとばかりに腕を捲る。

 そろそろとはなにか?

 クライクハントが問うまでもない。

「攻め時さぁ」

 程よく全身の力を抜き、呼吸を深く長く整える。

 それはおよそ戦闘からかけ離れた行為であるはずだが、クライクハントにはその意味は理解している。

 その体内で高濃度、高出力の魔力が渦巻いている。

「なるほど、第六神秘から無尽蔵に吸い付くさんとするこの性能。同じ魔法とはいえ使用者が違うだけでこうも違うか」

 その言葉には敬意がある。驚きは隠せない。しかし、畏れはない。


 いかに甚大と言えようとも、魔力として出力した瞬間に彼の左手は触れただけで無力化できるのだから。


「アンタの魔法は魔法を殺せるんだって?」

 とは言え、畏れがないのはセツも同じ。

「だったら、如月の大結界も、トコシエの魔法も消せたんじゃないかい?」

 その言葉にクライクハントは黙り込む。


「そう言えば、アンタの『病』は生命力を削る魔法だって言ってたねぇ。

 んん? 最近どこかで聞いたことがあるねぇ」

「貴様……」

 低い声で唸るように静かに睨む。



 魔力を消費して魔法となったとき、それにより生み出された力とやらは果たして魔力と同じと呼べるのだろうか?


 例えば、電気を思い浮かべてみよう。

 電気の力は科学を使えば様々なものに変換できる。

 電熱線を通せば、熱エネルギーに変換し、

 モーターを介せば、運動エネルギーに変換される。


 さて、ここで問題。

 もし、その電気を止めたとして、それまでに生み出された熱や運動エネルギーは消え去るのだろうか?


 無論、それまでに生み出されたエネルギーが消え去ることなどないが、それ以上にエネルギーが生み出されることもないのである。


「アンタ、魔法自体は消せないんじゃないかい?」


 魔法を殺すことと、魔力を殺すこと。

 言葉にしてみれば僅か。だが、その僅かとも言って良い差が、大きく結果を変えることもある。


 その言葉を応えるように一陣の風がクライクハントの頬を斬った。

 戦慄する彼とは対照的にセツは気だるげに「だからさ」と言葉を投げかけた。


「発動しまった魔法は打ち消せないってならやりようはある」


 それはつまり。


 準備を早く、

 工程を速く、

 手順を疾く、

 魔力の流れを捷く、

 心の挙措を敏く。


 魔力の発生から発動までを短縮することで、打ち消すことはできなくなる。


 勝ち誇った顔のセツに対して、クライクハントはどこか冷めたような表情が浮かんでいる。

 つまらない、というよりも興醒めといったような気持ちに近い。

 それは、己の間違いに気づかずに突き進んでいる大人を見るような目に近い。

「まさかとは思うが。貴君はそんな小細工で私を攻略したなどとは思ってないのであろうな」


「それよりも速く拳を振り上げれば良いだけのことだ」

 他の三下であれば、苦し紛れの出まかせか、その場を乗り切るためのハッタリと判断できる。

 しかしこの男は嘘やハッタリは使わない。


 できると言うのならできる。

 やると言えばやる。


「やっぱりそうなるよね……」

 まだ底の見えない藤吉セツと言う魔法使いは

 次にどう出るのか、と戦略的にも個人的にも興味がある。

 少々考えて「じゃあさ」と話したとき、次に続く言葉を聞き逃さないように注意を向ける。


「一つ提案なんだけどさ。ここらで手打ちにしないかい?」

 ある意味予想を裏切られた。「なんだと?」と訊き返すと、セツはどこか悪戯っぽく笑う。

「あぁ、アンタが耳を疑うのは分かるけどね。

 冗談やハッタリなんかじゃないよ

 このまま続けていればどっちかは死んじまうだろうさ。しかしねぇ。私としてはアンタが死んじまうのは困る。

 魔導機関に『敵意あり』なんて思われちゃたまったもんじゃないからね」

「それはそちらの都合だろう」

 クライクハントは突き放すように言った。

「いやいや、私が死ぬのはアンタも困るはずだ。なにせ私が死ねば……いや、私が死ぬ前にこの町の大結界が崩壊する」

 その言葉にクライクハントの表情が歪む。

 そして、老獪な魔女はそれを見逃すほどには甘くはない。


「んん?そういえばアンタはこの町の大結界が崩壊しないように来たんだったっけ?

 さて、どうしよう。このままだとどちらにもデメリットしかないじゃないか」

 おちょくるような言い回しに素直に反応するほど甘くはないが、相手が自分を甘く見ているのはわかる。

 正直なところ舐められるのは彼の好むところではない。

「貴様……」

 そんな反応を愉しむように軽く笑う。

「大丈夫。この町の大結界を解体させるなんて私の目が黒い内はさせないよ」

 なおも疑いの目を向けるクライクハントに、やれやれと呆れたように首を振る。


「ま、『星の雫』を使っても第五神秘に至れないと分かれば、そこな娘もそんな無茶はしないだろうさ。

 私もまだ消えるわけにはいかないしねぇ」

「消える?」

「おや、わからないかい? 私の思念はこの町の大結界に取り付いてるようなものだからさ。結界が崩壊すれば当然だが、私も遊離する」

 その魔法の理論が正しいかどうかは、クライクハントのレベルでは判断できないが、その真偽よりも、街の結界の崩壊の方が問題であった。


「それに、アンタのところのボスにもこの町の結界の秘密という土産がある。

 この町には『私』という亡霊が取り憑いている、とね」

「? それが異端殲滅われわれが止まる理由になると?」

 皮肉というよりは純粋な疑問だったが、答えるセツは当然と言いたげな表情を崩さない。

「えぇ、多分泣いて喜ぶと思うけど」

 大袈裟な物言いにクライクハントは呆れつつも相手の言い分の正しさを認める。


 確かに、自分が受けた任務はこの街の大結界を脅かす人間を排除すること。

 排除にこだわって自らの手で結界を壊すなど笑い話にもならない。


「さて、とは言え主導権を握っているのはアンタさ。好きにすればいいよ」

 殊勝な態度に控えめな言動。

 しかし、まるで脅しているように聞こえるのは間違いなく気のせいではない。


「さーて、どうするね?」

 老獪な魔法使いは悪魔のように選択を迫る。

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