第29話

「……嘘だ」

 ポツリと呟いたのが引き金だったのか。

「あぁぁぁぁぁああぁあ!!」

 そのあとはトコシエという少女から発した止めどない爆発だった。


 たったの一日程度の交流しかないクライクハントに彼女の全てを理解したなどとは思っていない。

 それでも、自分が刺された後でも冷静でいた彼女が、信じられないほどに取り乱す姿は俄かには信じられなかった。


(あぁそうか。)

 それは決壊だった、と理解するのにそう時間はいらない。

 彼女の目的は未だ知らないが、魔導機関を敵に回してでも叶えたいモノがある。

 だとすれば、普段の冷静さは生来のものではなく、己に課したものだったのかもしれない。


(この叫びは、私に向けてではない。己を奮い立たせるためのものであったか)

 そう思えば、トコシエに対して憐憫を禁じ得ない。


「己の献身は許せても、他者の犠牲が許せんか」

 その高潔さは素直に評価せざるを得ないが、同時にその甘さは「使命」を掲げた者には決して許されないものだ。

 人を踏み越えた願いを掲げながら、人間としてどうしようもなく正しいその姿を見て「哀れであるな」と呟く。

 己の性を曲げきれず、かと言って願いへの執着も捨てられない。


「すまないがーー」

 そう前置きをして、

「それは私が手を緩める理由にはならないのである」

 そう言って一呼吸空ける。


「我は鴉、我は蝙蝠、我は北斗、我は死を告げる凶兆」


 その一言で、彼の不思議が姿を現す。


 ※


 姿を現した、がトコシエの目にはその不思議は目に見えなかった。

 しかし、それもあり得る話だ。

 目に見えないからこそ不思議ということだってあるだろう。


 だが、いかに弱っていても、冷静さを欠いていても、彼女は魔法使いである。

 魔法の質、魔力の量、循環効率、その全てを理解してしまう。


 結果。

 自分自身の全開であれば闘えるが、

 今の状態では勝ち目などない。


 そもそも、つい数時間前まで寝込んでいたような線の細い少女が、壮年の大男に勝てるなどと、誰が思えるのか。


 そして、何かしらの強力な魔法を前にして、トコシエは突き進みそうなその足を止めた。


(これは……)


 魔法自体は前日に確認している。

 古川の足を止め、衰弱させた魔法。

 効果範囲外にいたために、直接その魔法を身に受けてはいなかった。しかし、漏れ出る魔力を見れば、それが以前の比ではないほどに強力であることはわかる。


 しかし、振り返ればこれは幸運であったのだ。


 普段の冷静な思考で、これを受ければ間違いなく感情が恐怖に呑み込まれていた。

 そうなれば間違いなく戦闘で遅れを取っていた。


 だが、今は。

 今のこの暴走に近い昂りを前に、彼が放つ「不吉さ」を受けた頭は、冷水をかけられたように思考を落ち着かせた。


「……この魔力。医者が放っていい類のものではないでしょう」

「どうであるかな? 命というもの見向きあった者ほど、そう言ったものとより近く向き合う必要があるのだ」


 その言葉で確信した。

 彼が扱う神秘の正体。


(この人ーーっ!)

 しかし、その正体を知ったが故に、嫌悪感が湧き出てくる。

 目の前の魔法使いはただの魔法使いではない。同時に医者であると話していたのは彼自身だというのに。


「貴方の持つ魔法の正体。それは『病』ですね」


 病。読んで字のごとく、「病気」である。

 古くからある死の形で、その存在で命を落としたものは数知らず。

 時として歴史すらも変えたであろう人類に対する脅威。


「本来、医者あなたたちと敵対するモノのはずでしょう。

 何故そのような魔法を扱うのですか!?」


 しかし、トコシエの糾弾を受けたはずのクライクハントは何一つ表情を変えることもない。

 むしろ今更だと言わんばかりに鼻を鳴らした。


「貴様も魔法使いならわかるはずではないのか? 『クライクハント』と言う名乗りが魔法名ヘクセン・コードだと言うことに」


 かつての話だ。

 が未だこの世界に存在していた頃は、名前を晒すと言うことは、危険なことだったのだ。


 名前を知る、と言うことは「縁」であり、そこを手繰れば割と洒落にならない「呪い」を受ける危険性がある。


 そのために名乗り始めたのが魔法名ヘクセン・コード


 それには、もちろん呪詛に対する予防線の役割もあるが、その名は特別なものを指すことが多い。

 或いは自分の願い。

 或いは自分の使命。

 或いは自分の誇り。


「私の魔法名は『クライクハント』。その意味は祖国の言葉で『病』。むしろ貴様なら分かっていると踏んでいたのだがな」


 もちろん分かっている。

 そこに堂々と掲げていたからこそトコシエには的中できた。


「私は医術を志すものである。ならば『てき』を知らずして、患者は救えんであろうよ」

「……貴方の魔法はそのためのものだと?」

「当然だ。徒らに力を振るったりはせんよ」

 ならどうして、と声を上げる前に「最も、任務とあらば話は別であるがな」と、特になんの感慨を持たずに話す。


「魔導機関にしては少しばかり悪趣味ではありませんか?」

 その言葉に「ふむ」と呟く。

「確かに、私は魔導機関から命じられてここにいるが……、


「まさか、貴方……」

 その言葉に含まれたのは、恐れと怖れと畏れ。

 その言葉に口角を開けて笑う。

「恐らく、その答えで正しいと思うぞ」


 ひとつ、自らの誤りを悟った。

 様子見などとはとんでもない。


 話し合いなどという甘っちょろい手段で、止まるような「敵」ではなかったのだと。


 そこからは早かった。

 今までの遅れを取り戻そうとでもしているように、急速に魔力を稼働させる。


 身体がその負荷に耐えられるのか?

 この後に魔力をギリギリまで使い切って大丈夫か?

 そもそも魔法は正常に起動するのか?

 その他にも諸々の不安がある。


 しかし、それを推して尚の全力をぶつけなければ絶対に勝てない。


 彼女の想像が当たっているとするならばーー、


異端殲滅ヘクセンヤークト

 まるでトコシエの思考を呼んだかのようなタイミングだった。

「私は未熟ながらもその役を務めさせてもらっているのである」


 異端殲滅ヘクセンヤークト

 普通に暮らす魔法使いにとっては都市伝説に過ぎない。


 魔法使いの社会の中にあるいくつかの暗黙のルール。

 その禁忌に足を踏み入れたものを狩る部隊があるーーなどと巷では囁かれている。


 曰く、魔法を公にすることなかれ。

 曰く、国政の中枢に踏み込むことなかれ。

 曰く、人を数多く殺めることなかれ。

 と、数々あるルールの中で、一つ変わったものがある。


 曰く、七大神秘に触れることなかれ。


 幼い頃は、姿を見せないものにどうやって触れればいいのかと考えたこともあった。

 しかし、こうして直面してみれば、それに触れるとは然程難しいことではないのだと知る。


 返せば、トコシエはそこまで踏み込んだのだ。

 いや、踏み込めた、というべきか。


「あぁああぁあぁぁぁあああぁ!!」


 一手でも多く攻めるべきだと、トコシエは考える。

 古川との闘いの際に見せた高速移動。


 向かい合った二人を隔てていたのは三メートルであった。

 本来なら距離を詰めて殴るのにも一秒以上は必要に違いない。


 しかし、トコシエはクライクハントの背後に回る挙措を僅かコンマ二秒で済ませ、殴りつけた。


 しかし、殴られたクライクハントは焦りや動揺は微塵に感じさせずに言い放つ。


 その様子が不気味で咄嗟に数メートル後方に跳んだ。

 クライクハントはそんなトコシエにさほど気にかけることもない。


「そして、貴様の魔法も概ね予想できている」

 ボソリといった言葉は死刑宣告に近い。

「認められた魔法は超加速と肉体の治癒。真っ先に思いつくのは肉体の活性化だが……、

 身体を治した際の消耗と肉体の限界を超えた機動は、それだけでは説明がつかない」

 敵に背中を見せているというのに、ゆったりと話し続ける。

 むしろ、殴ったトコシエの方が顔色が冴えない。


「恐らくーー時間操作、と言ったところであるかな?」

 まさしく図星。


 まさか、この地点で特定されるなどとは思っていなかったためか、口に出さずとも表情はそれを雄弁に語っていたらしい。


 クライクハントは「当たりであるか」と口元は少し緩める。


「さぁ、どうでしょう」

 とっさにそう口にしたが、クライクハントには取り繕っているようにしか見えなかっただろう。

 細かな部分までは解明されていない可能性もあるが、根幹の部分は的中している。


「時と空間を制御する魔法は莫大な魔力が必要になるのである。

 今の魔法行使も発動するかどうかは五分五分といったところではなかったかね?」

 それも図星。

 これ以上の連続使用は比喩でもなんでもなく命に関わる。


 もしこの状況をひっくり返すものがあるとするならばーー。

(やはりですか。)

 スカートのポケットに眠る「賢者の小石」が指先に当たる。


 しかしーー、

「既に遅いのである」


 トコシエの脚から力が抜ける。

 次いで、身体が崩れてうつ伏せになり、意識が朦朧となる。


(不味い……)


 たしかにトコシエは速かった。

 移動して殴って離れる。

 その一連の流れを計測したものはいないが、間違いなく一秒かかっていない。


 しかし、その時間がコンマ一秒でも、二秒でも「効果範囲」にいたのなら、汚染の影響を受けずにはいられないのだ。


 そして、受けてみて初めてわかる。

 それは、冥界に漂う瘴気を呼んだとか、魔力を毒に変換しているとか、そんな複雑なものではない。

 ただ「病」。

 死を呼ぶ不吉、とでも言うべきか。

 直接それを操る魔法。


 シンプルかつ強力。

 そのために、防衛策が立てにくい。


 この状態では魔力量が万端でも快調でも関係はない。

 生命力をガリガリと削っていく。

 戦うどころか逃げることすらままならない。


「まだ貴君には『賢者の小石』があったはずでなかったか。

 それを使わない、とはかね」

 トコシエが答えなかったのは決して衰弱しているという理由だけではない。


「藤吉泰生を蘇生させるための魔力とするつもりだったのだろうが申し訳ない。

 私の魔法は『病』そのもの。先程、藤吉泰生に使った魔法はそれを左手に束ねたもの。その効果は簡潔に言えば『死』そのものである」


 魔法の結果の「死」ではない。

 死をもたらす魔法なのだ。


 その魔法が成功するということは誰かしらが命を落とさなくてはならない理の魔法。


 そして、死者の蘇生のためには「病」を解除しなくてはならない。

 故にーー、


「どのような神秘を用いても、その状態から回復させることなどーー」

 チラリと見たのは何だったのか。

 ただ彼の名前が口から出たのか、それとも何かを予感してか。

 兎に角、何かがあるはずがなかったのだ。


「ーーできる……はずが……、」

 彼の本質は医師であり戦士ではない。

 だとしても、目の前にいる敵から目を逸らし、何かを注視することはクライクハントの少なくない闘いの中で一度としてなかった。

 しかし、それを禁じ得ない事態が目の前で起こっていた。


「馬鹿な……」

 のそりと起き上がった彼は見紛うことなく藤吉泰生であった。

 彼の魔法で殺されたはずの少年がゆっくりと起き上がる。


「クライクハント」

 その姿を見て屍体リビングデッドを想像せずにいられなかったが、そうではないことが声を聞けばわかる。

 静かな声であったが、確かな力が籠っていた。

 屍体にはこんな声は出せない。


「悪いけど。その娘からちょっと離れてもらえないかい? 今すぐに」


 しかし、その声は泰生の発した言葉のようにもトコシエの耳には聞こえなかった。

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