第8話

 七月二十二日。

 未だ、襲撃した古川は姿を見せることはなく、藤吉邸は程々の緊張を強いられている。

 が、泰生はと言うもののそれとは全く関係のない部分で限界が訪れようとしていた。


「僕はそろそろ限界だ」


 そう突然話し始めた時は、トコシエは泰生の言いたいことを理解できないのか、怪訝な眼差しを泰生に向けている。


「敵が現れないことに苛ついている、と言うことですか?」

 しかも、全く見当違いの推測すら見せる。

「違います」

 今まで一度でもそんな好戦的な雰囲気を醸していなかったであろうに。


「確かに君の話を聞く限り、あの金髪男も魔導機関ってのもヤバイみたいだけど、我が家にもっとも差し迫った脅威から攻撃を受けています」

 穏当ではない物言いに流石に表情を強張らせる。

「まさか。私が周囲に張った結界や使い魔の動きを見てもそれらしい脅威は全く姿を見せていません。

 もしかして、高度の隠蔽魔法を利用した新たな魔法使いの介入が既に行われているとでもーー」

 あまりに聞いていられなくて手にしたお盆でトコシエの頭を軽く叩く。


「……何をするんです」

「君が全くの無自覚であることは今更ながらに理解できたよ」

 彼女の質問にはあえて答えない。

「何で君の部屋でこんな話を始めたか、って地点である程度は感づいて欲しかったんだけどね」


 彼女の部屋、と言っても、以前祖母が使っていた部屋を適当に整理して使ってもらっている。

 それはたったの四日前の話であるので、彼女の部屋と言ってもあまり馴染みはない。

 そう、たったの四日前。

「なのに何だいこりゃ。どうしてこんなに散らかってるんだ?」

 五畳ほどの和室を部屋を敷き詰めるのは、紙くず、本、泰生のよくわからないものと多岐にわたり、その量も半端ない。

 彼の名誉のために付け加えておくならば、祖母の部屋は定期的に整理をしており、ここまで散らかったこの部屋を見たことはなかった。


「ねぇ、トコシエ。今のところ藤吉家最大の脅威は間違いなく君だよ」

「納得できかねます」

 暗に片付けろ、と言った泰生に対して、トコシエは予想外にも抵抗した。

 てっきり、「家主の指示なら」とか言ってシブシブと片付け始めると踏んでいた。

「ここでの清潔度具合で今後の私のパフォーマンスが低下するとも思えません」

「それってつまりは、綺麗にしたからと言ってパフォーマンスが下がると言うこともないってことだよね」


「……」


 表情は相変わらず読めないが、目をそらしてだんまりを決め込むとは、つまりはそう言うことらしい。


 どうも、ただ片付けるのが面倒なのかもしれない。

「えーと、僕も口喧しく言いたくないですが、ここまでとなっては看過できないので、今日は片付けをしてもらいます」

 家主の裁定に不満そうに口を尖らせているが、泰生も譲るわけにはいかない。


「最初は定期的に掃除しろなんて言わなかったじゃないですか」

「そりゃ、たった四日でここまで散らかっちゃったら言わずにはいられないよ」

 最初はいつまで滞在するか分からなかったので、しばらくしてから説明をするつもりでいた。

 もっともそのしばらくがこんなに早い段階で訪れるなどとは想定してなさいなかったが。


「とにかく、今日の掃除をしなければ晩御飯は抜きだからね」

 その一言で彼女の悪あがきに近い抵抗も終わる。ライフラインが握られているとこういう時に立場が悪いようだ。



「ぇ、掃除はできない?」

 部屋に呼ばれて突然切り出されたのはそんな話だった。

 何とか掃除に取り掛かってくれたかと思えば、始めたばかりでこの反応。

 小柄な体格も相まって、子供を相手しているような気がしてくる。

「ちょっと、始まって五分と立ってないじゃん」


 言葉を失う泰生にトコシエは弁解を開始した。

「私だって片付けたいと思っています。ですが、先程もタイセイは言いましたよね。『まず、必要なものと不要なものを分けろ』と」

 その言葉に頷いた。

 掃除とは、要らないものを処分する儀式である、とは泰生の持論である。


「で、部屋のものを見てみたのですが、不必要なものなんて見当たらなかったんです」


 その言葉で理解したくはなかったが、何となく理解できてしまった。

「だから掃除は出来ないって?」

 そう頷くトコシエに頭を抱える。泰生も伊達に家事をしてこなかったわけではない。ここで「はいそうですか」と妥協はしない。


「……ちょっと荷物見せてよ。見せれる範囲でいいからさ」

「? 目の前にありますよ」

 まるで隠すものなど初めから無いと言わんばかりに散らかっている。


 この惨状に対して何を思っているのかは知らないが、深く考えると沸騰しそうなので何も考えないようにする。


「えっとね。なによりもこの紙屑を何とかして欲しいんだよね」

 そう言って、まず拾ったのは、大量のチラシの裏に描かれたメモ書き。

 いたるところに散らばっており、全部拾えば一〇〇枚以上はあることは間違いない。

 一番足元に落ちてある紙を拾う。

 そこ書かれていたものは何かのレシピのようで、アルファベットの筆記体と思しき文章の横に、数字が書かれていた。

「?」

 筆記体がかなり崩れていることもあり、何が書いてあるのか読み取れない。

 チラシの裏を指差して「何が書いてるの?」と聞くと、それを受け取って数行を流し読むと「あぁ」と納得したように頷く。


「魔法薬のレシピです。これは……解熱剤のようですね」

「解熱剤?」

 なんでそんなものが? という当然の疑問が口から漏れる。

「これは今まで私が書いたアイデアです。旅の途中で色々な刺激があったので思いついたことはメモしてます」

 だったら内容に相応しい手帳なりなんなりに書けばいいのに。


 すると、紙屑に埋もれるように落ちていた帳面に気づき、「これに書けばいいんじゃない?」と落ちてた帳面を手に取ろうとして、


「それはダメ!」


 と珍しくトコシエが声を荒げた。

「へ?」

 見たこともない彼女の表情に思わず固まる。

「それはダメです。すぐに床に置いて」


 あまりの必死さに思わず言う通りにしてしまう。

 トコシエは基本的に感情を表に出すことはない。ここまできっぱりと声を強く感情を出すことに多少の驚きがあった。

「えっと、悪い。大事なモンなんて知らなかったから」

 その言葉にハッとして、「こちらこそすいません」と常の彼女に戻る。


「それは結構危険な魔導書なんです。無闇に触ると危険です」

「って、そんなのそこらへんに放ったらかしにしないでよ」


 と、脇に避ける。

 そこらのゴミ屋敷に手を出すよりもあらゆる意味で危険であることを悟る。

 この辺りは後でバインダーでも買ってきて整理させようと考えて、取り敢えず部屋の外へ掻き出そうとして……、


「へ?」


 そこ奥にあるものを掴んでしまった。

 掴んだ感触は表面は多少の凹凸があるもののかなり滑らかな感触で、ひどく冷たい。

 白磁に近い気もするが、それにしては結構ベトリとした感覚でーー

「ヒッ」

 手にしたを見て、喉がヒクつく。


「なんじゃこりゃあぁぁああぁあぁぁあ」


 それは切り落とされてしばらく経った人の右腕だった。


 そこから意識を失ったのか、数分の記憶を思い出せずにいる。


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