第12話 囚われの巫女

 薄っすらとしか光が射さない洞窟。

 その洞窟は十メートルほど奥へ行くと、人一人が生活するのに十分な広さにくり抜かれている空間があった。

 実際、そこには生活に必要な家具や備品まで用意されているので部屋としての機能は十分に備わっている。

 ところがそこは快適な部屋などではない。

 空気の循環が悪いので湿気が多くてじめじめしているし、外部の音は魔法的に遮断されていて何も聞こえない。

 もし、普通の人間が一年も閉じ込められたとしたら、間違いなく病気になるか、気が狂うだろう。


 黎明樹れいめいじゅの巫女であるセレスティー・ミラドールは十六年間の長きに亘りこの洞窟に閉じ込められていた。


「暇だわ……」


 その言葉を口にしたのは何千回目だろう? いや、何万回かもしれない。

 いずれにせよ、それに応えてくれるものなど誰もいないのだ。


「いったいわたしの王子さまは何年待たせるつもりかしら。もう十六年も待っているのに、お便りの一つも寄こさないなんて」


 この愚痴も毎日繰り返されていて、すでに日課というか儀式のようになっている。


 セレスティーはエルフである。寿命は人間の十倍以上あるだろう。

 だからと言って、エルフがこの環境で十年以上も耐えられるだろうか?

 彼女が正常な精神を保っていられるのには理由がある。

 それは、〈王子さま〉が助けに来ると信じているからである。


 王子さまが必ずセレスティーさまを助けに行きます――


 彼女にそれを吹き込んだのは黎明樹の精霊シルキーである。

 セレスティーとしては王子さまが助けに来るのを待つしかないのだが、さすがに限界が近い。


「暇すぎて誰かに八つ当たりしたくなるわ……」


 その時、誰かが近づいて来る気配があった。

 セレスティーのお世話係がここへ来るのは朝昼晩だけである。今は昼を過ぎてだいぶ立つからお世話係のはずはないし、客人が来ることは殆どない。


(誰かしら?)


 何者かの足音は部屋の前に設置された鉄格子のところで止まった。


「セレスティーさま、久しくご連絡を怠り、まことに申し訳ありません」


 そこに現れたのは十六年前に桂木翼を殺した白黒天使のゼラキエルである。

 あれから漆黒化は進んでいないようだが、左側の半分ちょっとが黒く染まっている。


「ゼラキエルさん、一年ぶりかしら? わたしの事など忘れてしまったのかと思ってましたわ」


 セレスティーは立ち上がり、ゼラキエルに近づいた。

 ゼラキエルは何かに怯えたように後ずさりした。


「おっと、それ以上は接近しないでください」


 ゼラキエルの顔がみるみる青くなっていく。


「まあ、ゼラキエルさんったら、相変わらず小心者なのね」


「そう言われましても、八つ当たりされそうな気がしたので……」


「失礼な人ね。何もしませんし、何もできませんよ。だってこの監獄には魔法滅却の魔法陣が仕掛けられているのですから」


「それは解かっているのですが、体が勝手に……」


 それは、ゼラキエルの生存本能は正しく機能したということだ。


「まあ、それはいいでしょう。それで、わたしを助けに来てくれたわけではないようね。あなたは王子さまではありませんから、役割が違いますものね」


「王子さま? 残念ながら違います。この結界を破る力を、わたしは持ち合わせていません」


 エルフは魔法障壁や魔法結界に長けた者が多い。

 エルフの里に住むエルカテリーナ族は特に魔法結界が得意で、この洞窟の周辺には念入りに彼らの結界が張られている。


「それでも、ここに侵入できただけでも凄いことだと思いますわよ」


「お褒めに与り、光栄の至りです」


 おそらく人間種ではここまで侵入することはできない。ゼラキエルがここまで来れたのは天使の力があってこそだろう。


「それで……、何をしに来たのかしら? お土産も持たずに……」


 セレスティーの言葉で、ゼラキエルの顔が、今度は赤く染まっていった。


「申し訳ございません。とんだ不義理をしてしまいました」


「許すわ。さっさと本題に入ってほしいのですけれど」


 本当は雑談をしたいところだが、セレスティーは悪い予感がしていた。


「はい、この大陸で次元振動が感知されました。おそらく中央山脈付近だと思われます」


「あの辺りには古代魔法文明の貿易都市がありましたね。まだ転移魔法陣が活きているのではなくて?」


(異界ゲートではあるまいし……)


 セレスティーの心配事はそれではない。


「はい、調べさせています」


「もっと悪い知らせがあるのよね?」


「お察しの通りです。新たに小さな異界ゲートが三つ開きました。これで八つになります」


「わたしが幽閉されてから二年に一つのペースね。予想したよりは少ないわね」


「これからも監視を続けますが、やはりセレスティーさまを救出しないことには埒があきません」


「そうね……。異界ゲートの監視に人員を傾けるよりは、王子さまの捜索に力を入れたほうがよさそうね」


「王子さまとはどなたでしょうか? セレスティーさまを助けることができる人物に心当たりがありません。まさか龍神族?」


「そんなことはありませんわ。王子さまは白い衣装を着て、白馬に乗ってわたしを迎えに来ることになっています。シルキーさんに訊いてくださいな」


 シンデレラ・シンドローム(死語)の典型的な症状である――


 ゼラキエルとしては苦笑するしかない。


「このままではセレスティーさまの精神状態が心配です。その……王子さまの捜索に力を注ぐことにします。それでは失礼!」


 彼女は慌てた様子で翻った。


「ちょっと待ちなさい、ゼラキエルさん」


「はい、何でしょうか?」


「今度来るときにはお土産を忘れないでね」


 ゼラキエルの顔が再び紅く染まった――

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