第17話 ゆりの退院

ゆりは新薬の効果も出て、転移も確認されず退院し、秋から車椅子生活を始めた。

その車椅子ときたら、なんとビアンキ自慢の『チェレステカラー』だった。ゆりのロードとお揃いで白とピンクのラインまで入っている。何でもコウヘイさんが調合して塗装、その上に[Bianchi]のロゴステッカーまで貼ってある世界でたった一台の特注品だった。

ゆりはカフェ・ワッフルにもたまに車椅子でやって来る。コウヘイさんが連れて来たり羽田大先輩が連れて来たり、みんなゆりのエスコートをしたがっていた。カフェを訪れるサイクリストも、たまたま出くわしたゆりの車椅子にはびっくりする。

「え?これ、ビアンキなんですか?」

ゆりは「はい、オーダーなんですよ。ホイールはカンパニョーロでコンポはレコードです」なんて澄まして答えている。


そしてカフェ・ワッフルで一番陽当たりの良い席で、ゆりは『1年4組ゆりレスキュープロジェクト』お手製のノートを見て勉強した。ゆりは理系・医学部を狙うことにしたのだ。

「え?医学部? じゃ、理系?」

ゆりの唐突な決断に琴はびっくりした。

「うん、そう、2年から理系に行く事にした」

「それってやっぱり入院して助けてもらったからとかなのかな?」

「ううん、白衣着られるってカッコいいから」

「は?それだけ?」

「そだよ、駄目?」

「んー、駄目じゃないけど、そうやって簡単に人生って決まるものなのかな」

「そんなもんじゃない?悩んだところでやってみないと判らないし、コトだってある日突然、国際線パイロットになりたいって思うかも知れないでしょ」

「えー、どうやったらそんな思いに辿り着くんだ」

「ま、体育の先生じゃなく、みんなの先生になるって事で、あんまり変わらないんだよ」

「えーそうなの?そうなんだろうか」


やはりゆりには理解し難い所がある。ま、いいや、私はパイロットなんかになる筈ないし。


そして秋が深まった頃、ゆりは春水高校に戻って来た。1年4組は1階だったから、ゆりは余り不自由せずに授業に出る事が出来た。

それに1年4組『ゆりレスキュープロジェクト』が、段差にマット敷いたり、ゆりの席を車椅子の付けやすい場所に勝手に!替えたり、学食から出前を届けたり大活躍だった。

初めて登校した日なんか、[おかえり ゆりちゃん]と美術部渾身の大看板が吊り下げられ、チアリーダー部の生徒が教壇でエールを送り、千羽鶴だのハワイのレイだのカピパラのぬいぐるみだの机の上は盛りだくさんになっていたのだ。思わずゆりも涙ぐみ、感化された先生も泣きだして1時間目の授業は休講状態だった程だ。


琴は「これで半分だけ元に戻った」と感じていた。

闘病で少し痩せたゆりの顔を見るのは心が痛んだが、ビアンキの車椅子にまとわりついた。

「これは私の特権ね」琴は正門まで車椅子を押しながら専属ドライバーを宣言した。

「ありがとコト。前にひどい事言ってごめんだった」

「忘れた。それに今は甘えてていいんだよ。今だけだけどね」

「わお、じゃ、ずっとこのビアンキでもいいかなあって」

「駄目に決まってるでしょ。四輪ビアンキは邪道だよ」

「使わなくなったらカフェ・ワッフルに寄付するんだ」

「誰が使うの?」

「自転車乗りで、自転車に乗れなくなった人」

「あー、それいーかも」

「退院したねえ」

「うん、退院した」

「後は良くなる一方だよ」

「だよね」


紅葉舞う秋の空はどこまでも高かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る