第20話

 小百合さんは10年も前の話を鮮明に語ってくれた。


 その顔は語っているだけなのに、とても幸せそうだった。


 しかし、驚いたな。


 言われてみれば、川で流されている少女を助けたことがあったが、まさか小百合さんだったとは……。


 当時は彼女の方が俺より背が低かったせいか、勝手に年下だと思っていた。



「私はすぐに君の言葉を実行したよ。つらいことから逃げないで戦うことにした。自分の意見を大切にすることにした。そうしてみると、初めは今までと同じように避けられていたが、諦めずにいるとわかってくれる人がいると知ったんだ。その時私は決めたんだ。『誰にも負けないで生きよう』って」


 なるほど。小百合さんの負けず嫌いはそこから来たのか。あと、ちょっと一方通行に自分の意見を言うところも実は俺のせいなのかもしれない……。



「私はあの時、君に助けられた時、単純に君のことがかっこいいと思った。助けられることでこんなに幸せになるとは考えてもいなかったんだ。だから私は困っている人を見かけたら率先して助けることにしたよ。そしてやってみて驚いた。あんなにも人に好かれるとは思ってもいなかった。信頼されることによって人脈も増え、こんなにも楽しい生活を送れるとは思ってもいなかったんだ」


 少し冗談交じりにそう言った小百合さんは、心底嬉しそうだった。



「ついでに言うと、私はあの事件がきっかけで水泳を始めたんだ。いつかおぼれている人を見かけたら、ためらわずに助けられる人になりたくてね」



 屋上はすっかり暗くなりあたりはすっかり闇に包まれていた。その中に小さな光がぽつりぽつりと存在する。まるであの時の夜みたいだった。



「どうだ。これで君が私にとって私の人格さえも創り上げてしまった『特別な存在』だとわかっただろう?あの時、私を助けて、私の話を聞いてくれなかったら、今の私はここにいないだろう。君がいたから私はここにいる。そう言い切れる自信がある。智樹君もそう思わないかね?」

「…………」


「文芸部のミーティングの時、私は浅野智樹という名前を聞いてもしやと思ったよ。そして君のそのまっすぐな目線を見た瞬間、私は確信したんだ。彼はあの時私を助けてくれた浅野智樹だとね。それと同時に私は運命を感じた。住んでいる場所が全然違う私たちはもう会うこともないと思っていたのに、まさか同じ学校で同じ部に所属しているとなっては、運命を感じても仕方がないだろう?」

「…………」


「私はその日から君のことが頭から離れなかった。常に君の事を考えていたし、君をたまたま廊下なんかで見かけると幸せな気分になった。そして私は気が付いた。これが恋なのだと。恋というのは恐ろしいもんなんだな。好きな人の事を考えっぱなしで、まったく水泳の練習や勉強に集中できん。だから私は思い切って君に告白をしてみたのだ。いっそ、付き合ってしまった方が気が楽なのではと思ってね。君に告白してからの1週間は地獄のようだったよ。まともに寝れないし、何にも集中できない。平静を保つのが精いっぱいなくらいだった。だけど、君がきてくれた水泳大会は楽しかったな。あの日は君のいつもとは違う一面を見た気がして、さらに君のことが好きになったんだ」

「…………」


「改めて言おう。私は君のことが大好きだ! 君とならば何でも乗り越えられる! 君とならば私は幸せになれると確信しているのだ! このままでは私は君という鎌によって心がズタズタにされそうなんだ! どうか、私と、付き合ってくれないか!」



 小百合さんの思いは痛いほど俺の心に伝わってきた。


 本気で俺を愛してくれ、俺を頼りにしてくれている。


 そんなものは話を聞かずとも、彼女の顔の真剣さで分かった。



 何度も言うが、俺は小百合さんが嫌いではない。


 むしろ好きだろう。


 彼女と付き合ったら楽しい日々が送れるに決まっている。


 そんなことは誰よりも俺自身が1番分かっていたはずだ。



 だけど、俺はそれでも凛を愛していた。


 凛を諦めることができなかった。


「ごめんなさい。小百合さん。俺はどうしても諦められない人がいるんです。小百合さんの話を聞いてもなお、俺は自分の事ばかりを考えてしまう。自分の幸せばかりを願ってしまう。そんな自己中な俺を見せてしまったことが恥ずかしく思います」



「……そうか…。残念で仕方ないが…君がそう言うのならば今は付き合えまい。だけど、これだけは言わせてくれ!」

「……?…」



「さっき君は自分の事を自己中だと言ったが、私は決してそう思わないぞ。浅野智樹が『本当に大切だと思うもの』を貫き通しているじゃないか。それは君が私に10年前に教えてくれたことそのものではないか。それを私は自己中だとは言わないと思うぞ」



「……! そういうもんなんですかね…」


「あぁ! 私は君のそういうところも好きだぞ! あ、そうそう。私は決して諦めないからな! 君と付き合うまで私は君にアタックしていくつもりだ! ㇵッハッハ!!」


 そう言って、豪快に笑う小百合さんは、とても振られた後の人とは思えない笑顔だった。


 でもきっと彼女の心の中では、色々な思いがごちゃ混ぜになってかき回されているはずだ。


 それを吹き飛ばすように、彼女は振られた相手に宣戦布告をしたのだ。


 全く恐ろしい。



「最後に、君の…その……好きな人を教えてくれないか…? 何か参考になるかもしれない」


「いいですけど、あれ? 言いませんでしたっけ? 松田凛という、ぱっと見小学生みたいな容姿をしている娘ですよ。えーと、ほら土曜日に一緒にご飯を食べて、先輩たちのせいで修羅場まで発展してしまったではないですか」


「…? 誰だそれは? 私はそのような記憶は全くないのだが?」


「やだなぁー。自分に都合の悪いことを勝手に無しにしないでくださいよー」



「いや、無しにしてなどおらん。あの時は私と智樹君と由衣ちゃんと佳穂しかいなかったあずだ」



「!?」


 小百合さんはいたって真面目な口調で言う。とても冗談を言っているようには見えなかった。


 俺が困惑していると、俺のポケットに入っていた携帯電話が鳴りだした。


 見てみると、このタイミングを見計らったかのように凛からの電話だった。


「あのー。凛から電話みたいなのでちょっと出てもよろしいでしょうか?」


「構わんが」


 俺は一応、小百合さんの承諾を得て電話に出る。


「はい。もしもし? どうかしましたか?」


『“どうかしましたか”じゃないわよ! バカ! 助けて! 急にみんなが私の事を忘れてしまったかのように振舞い始めて、なんか連絡先もあんたの携帯しか残ってないし……ああ! もう! 一体どういうことなのよ! いいからちょっと来て! 西泉駅で待っているから!』


 一方的にいろいろ言って勝手に切られた。


 よくわからないが、なんかヤバい状況だということだけは、ひしひしと伝わってきた。


「小百合さん! あの……凛がとても困っているみたいなので助けに行ってもいいですか? 話が中途半端で申し訳ないですけど…」


「しかたないな。行きなさい。困っている人を見たら、助けたくなるというのが君というものなんだろう。君らしくて何よりだ」


「ありがとうございます!」


 そういうや否や俺は駆け出した。


 電車に乗って30分くらいで西泉駅に着く。改札口には、珍しく不安げな凛の姿があった。


 そこから先は俺が生きてきた中で1番ハードで理解不能な時間になった。


 

 まず結果だけ言ってしまうと、



 松田凛はこの世の人間から忘れられ、社会のどの記録にも彼女の事は消えていた。


 唯一俺だけが、彼女の事を覚えていた。



 さらに簡単に言うと、



 彼女はこの世界から消えていた。




 そして彼女は――



 孤独となった。


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