Episode18 火喰

 前に二人、後ろに一人の形で、警備員に囲まれながら無言で階段を行く。静寂に五人分の足音が響き渡る中で、わたしとレイは困り眉で見つめ合う。これではまるで、悪いことをして捕まったみたいではないか。まあ、悪いことは現在進行形で行われているが。

 地下階――駐車場フロア――に到着。エレベーターホールに備えられた自動ドアから、駐車場に出ることができる。ドア方面に向かい、歩き続ける一行。なにも言わないとついてきそうなので、そろそろ警備員を離す必要があった。

「あ、ありがとうございます。じゃあここらへんで――」

 一行が自動ドアの前に辿り着いた、瞬間。怒涛の勢いで降り注いだ銃弾の雨が警備員を蜂の巣にした。前にいた二人は吹っ飛んでエレベーター前で即死。後ろの男は、惨劇を認識した瞬間に、情けない声を上げて逃げ出した。

 わたしたちは厚い壁のそばに寄って、座りこんだ。銃撃はピタリと止み、静寂が戻る。吹き抜けた風に、戦場の臭いが乗って来た。

「クソッ、待ち伏せされてる! リサ、どうする?」

 エレベーターが穴だらけになっていた。その数から、敵がそこそこの数いることが見受けられる。突破することは、容易ではなさそうだ。

 わたしのいるところは、いつも戦場になる。この逃避行の始まりから何日も経ったが、まだ慣れることはないこの感覚。死体を見て動じることはなくとも、無意味に死体が積みあがっていくことは不本意ではない。だが、避けようがないのだ。

「リサ! しっかりして!」

「あっ……ごめん。上に戻る?」

「ここが待ち伏せされてるなら、どっちに行っても変わんないと思う。突破するしかない」

「策はあるの?」

「リサ、腕は大丈夫? 銃は撃てる?」

 まだ痛むが、撃てないことはない。首肯すると、レイはバックパックを要求。中から、残りのグレネード類とSCARを取り出した。残弾確認、とレイが言うので、わたしはマガジン内の弾を確認。その間、レイはドアの方に向かい、壁際から銃だけを外に出して威嚇射撃を行った。ここにいる、戦闘の用意があると知らせなければ、銃を持った敵がぞろぞろやって来かねない。

「あ、リサ車盗める?」

「無理だけど」

「マジかー。じゃ。やっぱあたしがやらなきゃダメだ」

 一マガジン撃ち切ったレイが、奥に戻って来る。表情には焦りの色が見え隠れし、状況の切迫度合いを語っていた。

「二人で最小単位でも、互いにやれることは違う。だから、お互いが尽くせるベストを尽くす」

「つまりなに、戦い慣れてないわたしの代わりに危険なことは任せろって言いたいの?」

 レイは俯いたのち、首を縦に振る。こんな状況だ、突破するには危険の一つや二つ犯す必要があるだろう。

「でも、あたし一人じゃ無理。リサにも協力してもらわなきゃだし、撃ってもらう必要も」

「ねえレイ、わたしだって戦えるし、銃だって当てられるよ。大丈夫だから、策を教えて」

 怪我を負ってしまったことが原因か、レイはわたしを戦力として数えようとはしない。しかし、嫌だった。彼女が見る景色は、わたしも見ていたい。それが、わたしたちだから。

「……わかった。まずは――」



 殲滅は難度が高いため、わたしたちは強行突破を選択することに。

「準備いい? まずは見てて」

 右手にFN SCAR。左手には、ガラス片。レイはまずガラス片を壁から出し、外の景色を映して確認した。どこに敵がいるかなど、状況を知るにはうってつけのアイテムだ。

 ガラスを放り捨て、SCARの折り畳みストックを展開。そして、エレベーターホール内へ後ずさり――

「行ってくる」

 助走をつけて一気に戦場へフェードイン。鳥類の名を持ちながら、自慢の得物で見える敵すべてを食い破る。獰猛な肉食獣が、目を覚まそうとしている。

『ヒクイドリ(cassowary)。世界で最も狂暴とされる鳥の名前さ』

 不意によぎる、テイラーの言葉。殺し屋としての彼女が見せる、意志の軽薄な殺意の集合体。しかし、それらしき風情はみられなかった。彼女は己の意志の元に、行動している。

 事前に視認していた敵の場所。全力疾走の最中に、銃口は確実な意志と判断によって、死を送り届ける深淵と化す。絞られるトリガー。マズルフラッシュがひとたび明滅すれば、鮮血が空で舞い踊る。

 オールラウンダーの殺し屋。それすなわち、多くに通じ、その多くをマスターしているということ。レイは格闘はちょっとだけと言ったが、それは彼女の視点による評価だ。一般的な評価で言えば、すこぶる優秀。なら、銃撃は。その答えは、わたしの視界で展開している。

 横方向の敵を殺害しつつ、レイはまっすぐ前に向かう。すると、前方の駐車車両の奥より銃を持った敵が二人顔を出した。

 視認の瞬間、さながら野球選手のごとくスライディング。同時に、栓を抜いたスモークグレネードをその場に投下した。レイの走った跡を、噴出する黒煙が覆い隠す。

 敵の銃撃。寝転がっているレイには当たらず、銃弾はコンクリの壁を削るのみ。安全圏の彼女は悠々自適に銃を構える。SCARの銃口が狙ったのは、男が隠れる車だった。銃弾はガラスを穿ち、男の身体に風穴を開ける。狙った獲物は、確実に食い殺す。

 すぐさま起き上がり、既に割れ尽くしたフロントガラス部分から車内へ侵入。車を盗むための作業に取り掛かる。

 あまりにもスムーズな殺戮は美しさすら感じさせ、それが非人道的な行為であることを一瞬忘れかけるほどだった。少なくとも、わたしがやってきた殺しとは、一味も二味も違う。

 だが、見惚れてばかりはいられない。ここからはわたしの作業だ。煙の中を進み、レイの元へ。そして、こちらを狙ってくる敵がいるようなら迎撃する。それが、わたしに課せられた任務だ。とはいえ、周囲の敵はレイがあらかた狩りつくしてしまったろうが。

 エレベーターホールを出て、黒煙の中へ。周りの景色はなにも見えないが、とにかくまっすぐ進めばレイの元に着く。

 その時――銃声がした。わたしの胸部に殴られたかのような鈍痛が突き刺さる。なすすべないまま吹っ飛ばされ、あおむけに倒れてしまった。胸を刺されたような痛み。

「っ、か、ぁ……」

 もしかして、撃たれた。息が切れ切れに漏れる。でも死んでない。めちゃくちゃ痛いけれど、弾は貫通してない。防弾ベストが守ってくれたのだ。

 胸がズキズキ痛むうえ、背中も強打した。乱れる呼吸が苦しいが、まだ動けることだけは確か。立ち上がって、レイの方へと踏み出す。

 肩を、一条の零度が駆け抜けた。

 なにが起きたか理解が進まないまま、じんわりと左肩の辺りに熱が広がる。進まなければならない。なのに、身体が勝手に、膝をつく。諦めたくない心と相反して、身体が、痛みに喘ぎだす。

 肩を撃たれたわたしは、あまりの痛みに絶叫しかける。だが、唇を噛んで抑えた。レイを心配させては作業が滞る。

「リサ、大丈夫?」

 声がかかる。大丈夫だよ。そう返事を返そうとするが、口を開けたら痛いと言ってしまそうで。周りは未だ黒煙だらけで、世界はまるでわたし一人だけのよう。ものすごく、レイの顔が見たかった。

 右方に、敵がいる。煙の中へメチャクチャに撃ってきているのだ。右手で腰だめにM4A1を構えて、撃った。反動が体に伝わって、血の流出が早まったような気がする。それでも、今は。

 敵の銃声が幾重にも重なって死のハーモニーを奏でる。だが、今度の狙いは黒煙の中ではなかった。着弾地点から、金属音が連続して金切り声のような音を発していく。

「っ、最悪! ごめんリサ、車をやられた」

 颯爽と煙の中に戻ってきたレイが、走ってエレベーターホールへ戻らんとする。その際。膝立ちのわたしと衝突、転倒。コンクリの地面に、二人で横たわった。

「リサ……?」

「ごめん、肩撃たれた」

 撃たれたショックからは解放されつつあるらしい。身体の自由が戻りつつある。踏ん張って起立し、なんとかエレベーターホール内へ戻って来ることに成功した。

 煙幕の中にいた時間が妙に長く感じられたので、明瞭な視界が愛おしい。そこにレイがいて、見つめていられることの愛おしさを全身で味わえた気がした。

 ドンッ、と音がし、晴れだした黒煙の奥に新たな黒煙が生じる。車が爆発したのだ。もうじき、敵はこちらへなだれ込んでくるだろう。そのときわたしは、もう戦力にならない。

 レイはわたしをエレベーター横に座らせ、血のにじんだ衣服を凝視。猛獣のごとき目つきは既になく、似つかわしくない献身が瞳に宿っていた。

 エレベーターホール内にある自動販売機。レイは視認すると、飛び出さんばかりの勢いで近寄って蹴りを叩き込む。鈍い音に合わせて自販機が凹むと同時、ペットボトルや缶が雪崩のごとく取り出し口へと落ちてくる。レイはその中から、水のペットボトルを手に取った。

 わたしの元へ戻ると、ブラウスの肩部分を裂いて傷口を開放。そこに水をかけ、傷口を洗い始める。

「消毒は……車か。クソッ」

 痛い。痛い。わたしの頭の中ではそれだけがこだまする。ある程度洗浄を済ませたら、レイはモッズコートの紐をひっぱり出してナイフで切断。それを、肩に巻き付けて強く縛った。

「じっとしてて。全部殺して、戻って来る」

 瞬間、瞳から意識が溶け落ち、彼女の中に宿った虚無が顔を出す。それこそが、本物の殺意。献身も、猛獣も、すべてはライリー・マクスウェルの分身。シュライクの本懐は、無にあったのだ。

 ヒクイドリ。嫌いなものも愛するものもシャットアウトし、冷酷に殺人だけを執り行う殺戮機械。その境地に至れることこそが、シュライクという殺し屋を強者たらしめる。

「……待って」

 レイの存在が希釈されたその背中を。思わず呼び止めてしまった。

 どこかへ行ってしまう、そんな気がして。現にレイは、わたしの知らない世界を介してアプローチをかけてきた。全身打撲に銃創を抱えたこの身体に、未知へ踏み出すエネルギーは残されていない。離れていくレイを連れ戻す余力は、もうないのだ。

「嫌な予感が、する」

「リサは戦えない。あたしがやるしかない」

 言葉を紡ごうとして、口を開く。その時には、ヒクイドリの強靭な脚で、走り去っている。

 わたしとレイは、かつての――否、かつて以上の関係を取り戻したはずだ。しかし、強靭かつ粘着質な、アンダーグラウンドが生み出す暗澹たる狂気。それを取り払うまでには、未だ至っていなかった。


 壊れ果てた自動ドアが世界を断絶する壁になったよう。外の世界では常に銃声が鳴り響き、火薬と暴力が入り乱れる混沌が展開していることだろう。だが、他人事だ。透明なヴェールが、事物の本質をシャットアウトしている。

 不意に、爆音と共に地面が揺れた。風に揺られた黒煙はなんの因果か、事象の動きを主張するようにこちらへ漂いだす。まさか、レイが負傷したのか。しかし、わたしになにができる?

「……二人で、最小単位」

 たとえ、そこに居るのが殺し屋シュライクでも、ヒクイドリでもかまうものか。立ち上がらねばならないのだ。彼女が一人で突っ走っていいはずがない。

 身体に力を込める。至る所に痛みが走った。やはり、先ほど防弾ベストで守られた部分もかなり深刻な被害を受けている。

 だとしても、行くんだ――

「見つけましたよ、お嬢。よくぞ、ご無事で」

 タン。タン。銃声の合間で聞こえてくる、階段を踏む音。わざと高らかに足音を出して、来訪を伝えるその男。

 結局、わたしは、この男から逃げられない。

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