Episode13 相剋

 なにか夢を見ていた気がするが、思い出せない。否、そもそも夢など見ていない。わたしの意識が、そう語っている。ゆらめきながら開く視界には、レイの私室にあるベッドと壁が見えた。

 寝転がされている。後ろ手に回された腕がなぜか動かない。そして、足がなにかに触れられている。これは、手だろうか。細い管のようなものを、巻かれて――覚醒。

 眠らされていた。しかし、異常なほど早く目を覚ました。こうなった真実は、朦朧とした記憶の中にある。


 ミネストローネを飲まされ、わたしは眠りに落ちた。落ちたはずだったのだ。しかし、未だ身体が言うことを聞くことに気付いた。闘争・逃走反応──火事場の馬鹿力というやつだろうか。このままではテイラーに殺される、と身体が判断した。

 眠り倒れたわたしの元に、のこのことテイラーが寄って来た。絵に描いたように悦に浸る彼女に、身体中の力を振り絞って飛びつく。

「っ、てめえ!」

 わたしもなにか言い返そうとしたが、唇が回らない。今はとにかく、手近な物でテイラーを殺す。眠るのはそれから。

 咄嗟の反応で、テイラーは飛びつきを回避した。わたしはすぐさま立ち上がる。しかし、意識がフラリと揺れて、身体も合わせてフラつく。視界のピントをどうにか合わせて、眼前の敵に向き直らねば。

 そう思った矢先、視界に飛び込んでくる景色。テレビのリモコンを手に取り、振りかぶるテイラーの姿。なすすべなく、わたしはおでこをリモコンで殴打された。

 痛むおでこ、力の入らない身体。身体のイニチアチブは既に眠気が握った様子。仰向けに倒れようとするわたしの身体――突如衝撃が襲う。

 倒れた際、フローリングに背中と後頭部を強打した。これが、リモコンの一撃の何倍も効いた。猛威を振るう眠気と痛覚の叫びが、わたしの体内で内戦を始める。その間に、テイラーは人形のようになったわたしを引きずり、レイの部屋へと連れて行った。

 眠気と痛覚の戦いは、結果的に痛覚が勝利した。赤く腫れあがった後頭部の痛みは意識の混濁を呼んだが、わたしの意識は半覚醒状態にあったのだ。なので、テイラーに引きずられる間に見た廊下の天井も、覚えている。そして、テイラーが吐いたセリフも。

「あたしが終わらせてやる。全部だ。レイ、待ってろ」

 

 今起き上がらないと、後々面倒になる。身体にとにかく頑張れと言い聞かせて目を開き、身体に力を込める。そして、まだ自由な脚を振り回した。

「うわっ!」

 テイラーの驚く声。足のところでなにかしていたのは、やはりテイラーだったようだ。

 寝転がっていてはだめだ。ベッドを転がって床に足を投げだし、なんとか立ち上がった。

 しかし、未だ混濁する意識が、脳と身体の活動に支障をきたす。床に立つための脚はさながら酔っ払いのごとく千鳥足で、身体ごとフラフラと左へ。勢いそのままに、側頭部を壁に強打してしまった。

「あぎゃっ! いたた……」

「クソ! もう起きやがった」

 強打のおかげで意識が鮮明に回復した。視界が明瞭に開け、自分を取り巻いている情報が一気に脳へとなだれこむ。いつのまにやら縛られていた自分。今打った側頭部に加え、やはり痛む後頭部。ガバメントを構えているテイラー。やっぱり転がっているアブローラー。落ちてる結束バンド。

「ん? ガバメント?」

「愛用銃らしいな。てめえを殺すのは、てめえの愛さ」

 黒光りするハンドガン。わたしもよく使っている、汎用性の高い種類だ。その銃口が今、わたしの胴体辺りに向けられている。

 もしかして今、大ピンチなのではなかろうか。わかるのは、抵抗しづらい自分と、テイラーが敵に回ったことのみ。

「無駄な抵抗はするなよ。どうせ死ぬんだ」

「……そんなに殺したいの?」

「当然。このメス犬!」

「メス……っ」

 冷静になれ。このタイミングで頭に血を昇らせる意味がない。よく見れば、ガバメントの銃口は下を向いている。

 一発で殺すなら、頭を狙いそうなもの。銃口は、心臓を狙っているようにも見えない。よくよく見れば、その手は小刻みに震えていた。

 おそらく、彼女は銃を扱い慣れていないのだ。だから、面積の大きい胴体周辺狙いで命中率を上げようとしている。

 まだ状況分析は足りない。この場を生き延びるための、最善の策を探さねば。わたしはまだ、レイと一緒に生きていたい。

「レイはわたしの恋人だった。かっさらっていったのはあなたでしょう?」

「ああ、たしかにかっさらったかもな。でも、レイを手放したのはあんたの方だ。野良猫を拾う自由なら、誰にだってある」

 落ちている結束バンド。アレはわたしの足を縛ろうとしていたものだろう。ならば、腕を縛るのも同様の品。感触的にも、その可能性が濃厚だ。

「わざわざ拘束までしちゃって。どうしてすぐに殺さないのよ」

 後ろ手ゆえ、自分の腕を視認することができない。腕を背中にこすりつけて、感触を確認する。やはり、床に落ちているのと同じ市販の結束バンドだ。強盗なども扱うし、わたしのようなマフィアもたまにお世話になる品である。コードから人間の腕まで、なんでも縛る便利グッズ。

「屈辱を与えて殺すためさ。元カノが出しゃばりやがって。家に入れる話を持ち掛けられたとき、どんな気分だったと思ってる!」

「さあ。旧約聖書の……えっと……」

 ダメだ、咄嗟に気の利いた言葉が出てこない。こういうところで上手いこと会話を続けながら、打開策を探さねばならないのに。

「あたしは神を信じてない」

 ヨブの名前を思い出した頃には、テイラーが喋り出してくれている。

「そうなの? レイはキリスト教徒よ。それにしちゃ行いは悪いけど」

「恋愛と宗教は関係ない」

「ヒュウ! かっこいいこと言うのね。レイが惚れるのもわかるかも」

 我ながら適当な台詞を吐きすぎだ。まだ脳は寝ているに違いない。

 仕事柄、結束バンドの扱い方は心得ている。今腕を縛るこれを外すことだって余裕だ。問題は、外すための隙がないこと。

「……ふざけたこと抜かすなよ。レイがあたしに、本気で惚れてたと思ってんのか」

「そうじゃないの?」

 みんな恋愛が大好きだ。恋愛の話題を出すと、女の子は結構怯む。ここ数日で学ばされた教訓だ。ソフィアだってそのきらいがあった。

 テイラーだって、例外ではない。それも、彼女自身の恋愛に関することなのだ。興味がないわけがない。

「っ……あいつを見つけたのも、あいつが見つけたのも、あたしなのに」

 この状況で、なにを語った? おそらく、感情のままに言葉を連ねている。このまま隙が生まれれば僥倖だが。

「いつまでレイの影につきまとってんだ! クラリッサ・ローレル!」

 目に殺気が灯る。撃つつもりだ。

「もう我慢ならねえ。てめえのこと守ってやれるほどあたしらは――」

 テイラーの視線が一瞬右方――夫婦寝室――へと向かった。おそらくレイが眠っている部屋。

 縛られた腕を後方に振り上げ、結束部分を勢いよくお尻に叩きつける。一回では足りない。もう一回振り上げ、叩く!

「な、なにしてる!」

 結束バンドが千切れ、腕が自由になった。インターネットで調べれば、すぐに出てくる結束バンドの外し方。業界人なら常識だ。

 テイラーはすぐ撃って来るはず。左に行くと見せかけて、右に軽く跳んだ。銃声と銃火。なんとか回避に成功。部屋が狭いので、一跳びでかなり距離が詰められた。

「クソ! クソアマ!」

「うるさい、クソナード!」

 相手の懐になんとか潜り込む。テイラーは無茶苦茶に引き金を引くが、超至近距離ゆえもう当たらない。左手で使い慣れたガバメントのスライド部分を、右手で彼女の左手を掴む。

「お前さえ、お前さえ!」

 ヒスに耳を傾ける余裕はない。手探りでリリースボタンを押し、銃のマガジンを落とす。これでガバメントはただの鈍器と化した。

 ここからどうする――思考した瞬間、顔面に拳が飛んできた。相手が不健康女ゆえ、たいした威力はない。しかし、怯まされた。テイラーは、右手のガバメントを既に捨てていた。

 脅し脅されの関係は、取っ組み合いの喧嘩へ。テイラーのような女に負けるつもりはない。まずは転倒を狙い、組み伏せるのがセオリー。

 だが、彼女は戦い慣れていないがゆえ、予測不可能な行動に出た。姿勢を一気に沈め、懐に突っ込む――タックル。姿勢と視界が一気に崩れ、一瞬の浮遊。そして、フローリングに叩きつけられた。

「苦しんで死ね!」

 テイラーの細い腕が伸びて、わたしの首にかかる。幽霊ゴーストを想起させる冷たい手に力がこもり、首を絞め始めた。引きはがそうと手をかけるが、離れてくれそうにない。彼女の怨恨が、接着剤と化しているのか。

「かっ……はっ、あ」

「死ね! 惨めに!」

 制限される呼吸。もやがかかる思考。こんな弱い腕力でも、首を絞められればかなり効く。だが、こんな女に、やられるわたしでは。

 あえて、抵抗するための手を離す。首にかかる力が増加するが、すぐに拳をテイラーの腹に叩きこんだ。えづいたテイラーの唾液が胸にかかると共に、首の手が緩む。一気に入って来た酸素。呼気に代わり、わたしの口からは自然と言葉が飛び出す。

「恨むなら、好きな女も、悩殺できない自分を恨めば!」

 彼女の赤髪をひっつかみ、顔面をぶん殴る。拳には拳で返すのが礼儀というもの。もう一発。さらにもう一発。彼女の形の良い鼻から鼻血が垂れたのを確認し、こめかみを狙ってトドメのパンチを叩き込んだ。

 鼻血を飛ばしながら吹っ飛び、床を転がるテイラー。地に伏せ、動きを止めた。

 どうにか窮地を脱出し、一息つく。一時的にカットされた酸素の供給に身体が喜んでいるのが、ハイペースな息切れから感じられた。

 これからを考える必要がある。ここに留まり続けるのは危険だ。それを選択するなら、目の前に転がる女を縛るか殺すかせねばならない。躊躇する理由もないので、さっさと殺してしまおうと考えた。

「ガバメントは……あれ?」

 さきほど落ちていたガバメントと、そのマガジンが消えている。十数秒前には、床に落ちていたはずなのに。

 まさか――思い至ると同時、レイの私室を飛び出した。その背後で轟いた銃声。弾丸は壁を穿ち、跳弾がわたしの足元を砕いた。

 テイラーは、吹っ飛ばされた際に銃を拾っていた。そして、倒れている隙にマガジンを挿し直したのだ。完全な油断。これで形勢逆転である。

 廊下からリビング方面に逃げる。それ以外の選択肢がなかった。レイがいるであろう寝室や、武器があるらしい物置部屋に行けば袋の鼠となるのは明らか。フローリングを裸足で駆ける。

 そうだ、レイを盾にすれば――しかし背後にテイラー。私室から出て来たのだ。すぐにリビングに飛び込んで、連続した銃撃を回避した。突き当りの壁にかけられたキーフックが銃弾によって砕け、鍵の束が散らばり落ちる。

 あれは車のキーだ。アレを使えば、この状況から逃げおおせることができるのでは。

 玄関の方を見やる。靴箱の上に、スプリングフィールドXDが置かれている。ここに来た際、レイが置いたものだ。

 隠れるのはもうやめだ。反撃に移行せねばなるまい。

 壁に隠れるのをやめ、飛び込むように廊下を行く。途中、車のキーを無事に拾い上げることに成功。一気に玄関まで駆け、スプリングフィールドXDを手に取りながら外へ。靴を履いている余裕はなかった。

「待て!」

 追ってくる声。さっさと家のドアを閉め、声を壁の奥に追いやった。しかし、銃声が連続し、ドアに穴が。モダンな白いドアは、外界と屋内を隔絶するアイテムではなくなった。

「待たない!」

 わたしも負けじとドア越しに撃つ。威嚇のつもりでとりあえず四発ぶっ放した。これでテイラーが死んでいればいいが、そう上手くはいかないのが世の常。マグレは信じずに走り出す。

 足に芝生を生で感じながら、ガレージへ直行。わたしが来たときのままシャッターは口を開けた状態だったため、容易に侵入できた。そして、車のキーについたボタンを押す。ガチャンと無機的な音と共に、灰色の車のランプが点灯した。レイと乗って来た車とは違うが、まあいいだろう。急いで乗り込む。

 裸足で車に乗るなんて初めての経験だ。アクセルペダルに足を乗せ、強く踏んだ。金属の冷たさを直に感じながら、さらに踏み込む。

 ここから脱出するに際して、車を使わねばならない理由があった。外と家を隔てている門だ。アレは、レイの到着を確認したテイラーが、中から操作して開放したと考えられる。すなわち、わたし単体の出入りができるかわからないのだ。

 通れないなら、ぶっ壊すしかない。

 ガレージから門までの距離はあまりない。力の限りペダルを沈める。今だけブレーキペダルとは無縁になれ。出せる限りのトップスピードで、突撃――衝突の直前、ドアを開けて外に飛び出した。

 芝生の上に投げ出され、ぐるぐると地面を転がる。背後で、ド派手な破砕音が轟いた。

 やった――そう想い、顔を上げた瞬間。フルオートによる銃声が連続し、車にみるみる内に穴が開けられていく。伏せつつ家の方に目をやると、MP5をテイラーが乱射していた。

「これ防弾仕様じゃないじゃん!」

 レイとテイラーの家にある車だ。防弾だとばかり思っていた。運転席の方に視線を投げると、衝突で出たエアバッグが銃撃でしぼんだ後。計器のところでは、パンクを知らせるランプが明滅している。この車は、既に使い物にならない。

 車が突き刺さった門は半壊状態。ボンネットを乗り越え、壊した部分を通り抜ければ外に出ることが可能だ。しかし、未だテイラーがこちらを狙っている。うかつに飛び出せば、わたしまでハチの巣だ。

 伏せた車から頭を出す。すると、テイラーはすぐに撃って来た。彼女は戦いに慣れておらず、挑発に乗ってくれるタイプだ。アトランダムなタイミングで顔を出し、撃たせていく。すると、すぐに弾切れがやってきた。今だ。

 ボンネットの上に飛び乗ると同時、スプリングフィールドXDを構えた。狙いは定めず、威嚇のための射撃――二発で終了。銃はホールドオープンに。なんと、マガジンには二発しか残っていなかった。残り弾数を確認しなかったミスだ。

「っ、ああ!」

 不意に届いた、悲鳴らしき声音。アルトをやや高くしたようなそれは、テイラーの声であった。わたしの撃った弾が、奇跡的にテイラーの二の腕を抉っていたのだ。痛みで、彼女はMP5の替えマガジンを取り落としていた。

 トリガーハッピーだ。天がわたしに味方した――とは言い難い。味方するなら、この状況をなんとかしてもらいたい。

 砕けた門をすり抜け、道路に飛び出した。血を流すテイラーを横目に、とにかく道をひた走る。ここはテイラーの居城で、わたしには武器がない。ここを攻略するどころか、戻って来ることすら難しい。

「ファック! 野垂れ死ね!」

「……っ!」

 空が曇り始めている。それでも、ここから離れるよりほかに選択肢がない。

 コンクリートの道を走るのが、こんなにも痛い。今まで靴で踏みしめて来た――硬く、ときに凹凸のある――地面が牙を剥く。幸い周囲に人影はなく、住宅街を裸足で駆ける女が目撃されることはなかった。

 ある程度走ったところで、石ころを踏んだ。いつもならなんの気ないこと。だのに、足の裏に激痛が走ってそのまま転倒。足裏に熱い感触を覚えながら、地面に突っ伏した。

 なんとか身体を起こし、道端でうずくまる。足裏は尖った石に抉られ、血が流れていた。こんな状態では、もう走れそうにない。どこにも、行けそうにない。

 かといって、目指していた場所もなかった。

 わたしは、どうして戦おうとした? 答えは、とても簡単だ。レイとの想い出が詰まった街を守ろうとした。レイと共に在ろうとした。だが、わたしはもう逃げて来た。なにも持っていない。動くことすらままならない。

 でも、元から、レイは遠くにいる前提の戦いだったじゃないか。

 それなら、わたしにも、まだ戦う意味が――

「こんなところでどうしたんですか? おマドモアゼルさん」

 背に氷塊が滑り込んできた。そんな錯覚に襲われた。実際には、声をかけられただけ。

 紳士的というのが似合う、優しい声音だった。今のわたしに、そんな声をかけるのは。

「……オスカー」

「お迎えに上がりました、お嬢」

 ああ、最悪だ。

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