第八走 アドレナリンはアナドレン

 苦しかった禁酒期間も終わり、ハーフマラソン当日がやって来ました。ナホコさんと最寄り駅で待ち合わせ、出発地点に向かいます。


 流石大きいイベントのある日曜日の早朝、地下鉄の中は九割以上がゼッケンをつけた走者です。ゼッケンで色分けされた走る距離により、降りる駅が違います。マラソンとハーフマラソンは同時に同地点から出発します。5キロと10キロを走る人々とは途中の駅で別れました。


 ナホコさんが降りた駅にあるマ〇ド〇ルドのトイレに行こう、と言い出しました。いい案に思えたのですが、皆考えることは一緒です。二つか三つしかないトイレに百人くらい並んでいるではありませんか。


 何も買っていないのに店のトイレだけ使うなんて気の小さい私には出来ない芸当です。かと言って、ナホコさんに会場の簡易トイレでもいいじゃないの、と強く言えない私でした。何にせよ、早目に出てきて正解でした。百人の後にマク〇のトイレを使っても有り余る時間がありました。


 その日はクロヨさんという友達も初マラソンを走る予定でした。彼女とは現地で会うことにしていました。クロヨさんは降りた駅のすぐ隣にある大学に勤めているので構内のトイレを使ったそうです。


 このように大きい大会でのトイレは切実な問題です。簡易トイレはあっても、紙がなくなっていることも多々あります。私は大会に出る時、いつも紙を少し持って行くようにしています。


 さて、無飲食の〇クドでトイレも無事済ませ、クロヨさんと携帯で連絡を取り合いスタート前に落ち合う事にしましたが、それが大変でした。何しろ三万人の走者がいるのです。彼女からは「簡易トイレの端っこに居ます!」とメールが来ましたが、その簡易トイレ群も二、三十個くらいボンボンッとあちこちにあり「どのトイレの端っこ?」状態でした。


 現地待ち合わせは余程細かい場所指定をしないと無理です。それでも何とか彼女を見つけ、三人で出発地点へ向かいます。


 このような大きい大会では最初のエリート走者たちが出発してから、市民ランナーたちは自己推定タイムの早い順に出発し、最後のランナーもしくは競歩レースとして参加する人が出発出来るまで三十分くらいかかることがあります。


 ということで私たちはお喋りしたり写真を撮ったりとのんびりダラダラしておりました。呑気なものですね。


 大会の時、走り出す前は根拠のない大きな自信と共に出発することも多い私ですが、そういう時に限って最初飛ばし過ぎて最後疲れたり足がつったりでタイムも思っていたより伸びないのです。今日のレースは自信ないからもうゆっくり走るぞーと、欲を出さず自己ベストなど狙わず、予定より遅いペースで走り出す時には最後の5キロくらいで加速できたり歩かず走り続けられたりで意外といい記録が出るものなのです。


 大会では一人で練習する時と違い、沿道で応援している皆さんや、暑い中寒い中立ちっぱなしで大会ボランティアをしている方々に励まされ、最後の余力を絞り出すことも出来ます。しかし、いくら応援されても自分の実力以上、練習した分以上のタイムは出せません。ぶっつけ本番なんてのもこの歳ではまず無理です。ですから題名で「アドレナリンはアナドレン」と申しましたが、アドレナリンに期待し過ぎても駄目なのです。


 さて、走り始めた私はナホコさんより少し早い速度で10キロくらいまでは楽しく走れていました。15キロくらいから疲れが出てきて、17キロくらいから頭の中では「ビール、ビールが待っている、ビィールゥ」と一か月半ぶりに飲めるお酒のことしかありませんでした。


 目もうつろにヨタヨタと「ビール、ビール……」と呟きながら走っていたその時、沿道に気になるレストランを発見しました。あ、このレストラン、少し前に地元紙に載っていて紹介されていた……我ながら一番つらかった辺りでよくよそ見をする気力があったものです。


 それでも確かに疲れ始めた時に何も考えずに走っていると一キロ一キロがとても長く感じられるので「ビールが飲めるぞー!」と考えたり景色を見て気を紛らわせたりはいい気分転換になるものだ、と走り終わってから実感しました。


 そのレストランには後日家族で行きました。チョコレートのデザート専門店で、食事もでき、お酒も飲め、家族皆のお気に入りのレストランになりました。


 さて、最初調子に乗ってサクサク走り、15キロ辺りで力尽きてきて、17キロで沿道のレストランをよそ見していた私は、最後の難関19キロ地点の長い登り坂にさしかかります。もうそこは走って登れず、歩きました。歩いたほうが走るより早いという状態であります。周りもほとんど歩いていましたね。


 そして坂を登り切ったところで足がつってしまい少し休み、そこからダラダラとあと2キロの道のりを走りました。タイムはボロボロでしたが、何とか完走だけは……と体に鞭打ってゴールを目指しました。私は気付かなかったのですが、その時ヘロヘロの私をゴール地点に迎えに来ていたツレアイが写真に収めてくれていました。


 最後の角を曲がりゴール地点の公園に入り、あと200メートルというところでナホコさんに追いつかれました。彼女は私と違い、ゆっくりスタート余裕のゴールでした。21キロ走った後でも元気そうでした。正に水〇黄門の主題歌のように後から来たのに追い越される状態です。


 感動のゴールを果たした私たちはそこで別れ、ナホコさんは車で二時間かけて応援に来てくれているという妹さんと合流し、私は一人でビールをもらいに行きました。


 成人の完走者にはもれなくビールが配られるのです。この瞬間の為に一か月半の禁酒期間を耐えてきたのです。思わずもらった缶ビールと一緒に自撮りしてしまいました。疲れた体に冷たいビールがしみわたります。くぅー!


 それから迎えに来てくれていたツレアイと子供達と落ち合い、家まで車で連れて帰ってもらったのはいいのですが、一か月半の休肝、21キロ走った後のビールに体が驚いたのかどうか、家に着く頃に気分が悪くなってきました。車を降りるなり、庭の芝生の上でゲェーとやってしまいました。


 後で友人達に長い禁酒の後一気飲みするからだと言われました。先に忠告しておいて欲しかったですね。分かってはいたのですが、初ハーフを走り終えた喜びで何も考えておりませんでした。うう、子供達に更に悪い印象を与えた母でありました……さて、帰ってから冷蔵庫を開けるとやっぱりツレアイのビールが2缶まだ残っていました。ふふふ。というか、全然懲りていませんね、私。


 その日の午後、クロヨさんも六時間かけて初マラソンを完走したという知らせを聞いて安心しました。初ハーフマラソン完走は純粋に嬉しかったです。自分も長距離走者の仲間入りをしたような気になれました。でも、タイムには満足できていませんでした。


 以前も書きましたが、当時の走ラン会のコーチに「女子マラソンの世界記録と同じくらいじゃない!」という微妙な励まされ方をされたわけです。世界記録と同じ時間でその半分もの距離を走れた、ということは誇っていい事なのかどうか、未だ疑問です。とにかく今回のハーフマラソンでは反省点も多く今後に生かそうと考えさせられることも沢山でした。

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