クユンシーラの秘密

 アプロディーテはつまらなそうにエルフたちの薔薇の園を歩いていた。


「待ってる時って、暇なのよね……」


 もちろんエルフたちから返事があるわけではない。

 しかし、アプロディーテはそこに話し相手がいるかのように、ひとりひとりのエルフに語りかけていた。

 

 アプロディーテは隣り合う男女のエルフを見て足を止めた。そして考え込むように唇に指をあて、二人が咲かせている花を見比べる。

 しばらくすると何かを思いついたのか、アプロディーテは妖しい笑みを浮かべた。


「うふふ……エルフちゃんたち、どうなるかしらね」


【花煙草のキセル】から燻る煙の色がアプロディーテの瞳のように赤く染まる。


「んー、でもこれはマグメルちゃんに相談してからか。お楽しみはしばらくお預けね、エルフちゃんたち」


 アプロディーテの瞳が透き通ったような青色に戻ると、【花煙草のキセル】の煙も薄い桃色に変わる。

 

「マグメルちゃん、うまくいったかな」


 アプロディーテは花煙草の煙を大きく吸い込むと、ゆっくりと空に向かって吐き出した。

 その煙は徐々に色を変えながらダンジョンの不思議な色をした空に昇っていくのであった。



             ▫️



「あ、帰ってきたわね」


 白い霧が立ち込めると、アプロディーテは花弁のソファから立ち上がった。


「ただいま、女神様!」


 マグメルが意気揚々と霧の中から現れた。アプロディーテが笑顔で出迎える。


「おかえりなさい、マグメルちゃん」


 続いて霧の中からクユンシーラが現れた。アプロディーテはクユンシーラの登場に一瞬表情を曇らせる。

 クユンシーラは感嘆の息を呑んで周りに広がる空間を見回していたが、アプロディーテを見るや、膝を軽く曲げて頭を下げた。


「初めまして、女神アプロディーテ。クユンシーラと申します。この度は──」

「堅苦しい挨拶は抜きよ。それよりも貴女……似てるわね。マグメルちゃんは気づかなかったの?」


 マグメルはアプロディーテが何を言っているかわからず、クユンシーラの顔を食い入るように見つめる。


「う、うーん……」

「もう、鈍感ね。大理石の部屋にあったあの彫像とそっくりじゃない」


 マグメルが「あっ!」と声を上げる。


「思い出した?」

「ええ、確かに言われてみれば……全然気づかなかったです」


 クユンシーラはアプロディーテとマグメルのやり取りに付いていけず、苦笑いを浮かべる。


「クユンシーラ、僕の洞窟ダンジョンに君にそっくりな彫像があるんだ、見てみるかい?」

「事情がよくわからないのですが、その彫像はそんなに私に似ているのですか?」

「貴女自身の目で見て欲しいわ。偶然とは思えないほどそっくりだから」

「それじゃ、その彫像のある部屋に案内するよ」

「クユンシーラ、ここで少しでも変な動きをしたら……わかってるわね?」


 アプロディーテはクユンシーラの全身を一瞥すると、恐ろしいほど冷淡な表情になった。


「もちろん承知しております。私はあなたたちに助けられた身、そんなことができるはずもありません」


 クユンシーラはまっすぐな瞳でアプロディーテを見つめ返した。


「では、着ている服を脱ぎなさい」

「えっ」


 声をあげたのはマグメルの方だった。

 一方のクユンシーラはアプロディーテの意図を悟ったのか、素直にこくりと頷くのであった。


「あの……ひとつお願いがあります。そこに捕らえられているエルフたち……」

「ああ、このエルフちゃんたちね。邪魔だったかしら」


 アプロディーテがパチリと指を鳴らすと、エルフたちを絡み取っていた薔薇のつるがスルスルと解けていった。そして解放されたエルフたちは一斉にアプロディーテたちに背を向け、夢遊病者のようにフラフラと歩いていってしまった。


「あの、女神様? クユンシーラに何を……?」

「マグメルちゃん。この娘の体にはがあるわ。それを確認してからじゃないと安心できない」

「一目見ただけで見抜かれたのですね。さすがは神。ここに来た甲斐がありました」


 クユンシーラは少しのためらいも見せず、まとっていた黒い薄手のローブをするりと脱いだ。マグメルは慌てて下を向く。

 

 ローブの下から現れたのは下着もつけていない一糸纏わぬ裸体であった。

 はち切れそうなほどに豊満な胸や尻と、細くしなやかな肢体が描く女性特有のなまめかしい曲線。透き通るほどに青白く、それでいて陶器のようなきめ細かい色艶の肌。それはまるでこの世に具現化した神のオブジェのようであった。


「美しい身体──完璧に計算された芸術品のよう。美を司る者、そして女として見ても惚れ惚れするぐらい」

「光栄です、女神アプロディーテ。ただ、この身体は私にとっては単なる偽りの器、何も誇れるものではありません」

「偽りの器……貴女はということね。そして単なる召喚でこの世界に来たわけでもない」

「何から何までお見通しですね。私はこの世界に魂のみ転移させられ、この身体を罰として授かったのです。これは召喚ではなく、創造神による天罰……」

「なるほど、鎖に繋がれていたという話も頷けるわね。とても興味深いわ……」


 アプロディーテは目を細め、クユンシーラの胸、腹、両手足、背中まで観察するようじっくりと見回した。


「いろいろ聞きたいところだけど、その前にその身体に魔導紋様を見せてちょうだい。マグメルちゃん、しっかりと見ておくのよ」


 顔を赤らめて下向いていたマグメルはアプロディーテの言葉にたじろいだ。


「マグメルちゃん、どうしても見ておいて欲しいことがあるの。それにもうこれは芸術品の域。照れることはないわ」

「マグメル、構いません。元はと言えば滅び行く運命であった身体なのですから」


 クユンシーラはそう言うと、目を閉じて両手を広げた。すると、銀色のさらりとした髪が波打って、ふわりと逆立ち始めた。そして全身の肌に青く光る紋様が浮かび上がったのだ。


ほこらのダンジョンで見たときと同じだ……」


 マグメルは大きく目を見開いた。クユンシーラの荘厳な姿に先ほどまでの照れを忘れてしまったかのようだった。

 

「私はこの身体の中で大量の魔素を生成し、蓄積することができます。そして、この身体に一度でも魔導紋様が書き込まれると、その魔導紋様の術式や魔法陣にこめられた魔法やスキルを自分のものとして完璧に使いこなすことができるのです」


 紋様に描かれている複雑な術式や魔法陣が数秒ごとに目まぐるしく書き換わっていた。

 アプロディーテとマグメルはその神秘的な光景に驚きを隠せなかった。


、そこに魂の抜け殻となった私の本来の身体が残されているのでしょう。その身体に新しい紋様が描かれると、こちらの世界のこの身体にも同じ紋様が現れるようです。魂だけ異世界へ飛ばされてしまった私を心配し、私の元の身体に今も魔導紋様を刻み続けてくれている姉と兄がいます。こちらの世界にいる私に生き延びろと言うメッセージを送ってくれている……この魔導紋様こそが姉と兄の愛情なのです」


 クユンシーラの頰を伝う涙。


 アプロディーテはクユンシーラの着ていた黒いローブを拾い、そっと手渡した。

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