一組目 ××な〇〇たち

実験一日目 その1

 実験一日目


 肌を刺す冷たい風が鼻腔を貫くと、つきんと痛痒さが襲ってくる。


「ぶえっくしょん!」


 両手に材料の入った紙袋を持っていたので、咄嗟にマフラーの中に口元をうずめて盛大なくしゃみをする。

 枯れ葉を巻き込んで走り去ってゆく木枯らしに店主は身を震わせた。


 ――十一月も半ばに差しかかり、気温は冷え込む一方の日々。


 早朝から買い出しに出ていた彼は、喫茶店の十時開店に間に合わせるためにやや足早で時計塔へと向かっていた。

 大きな街道を進むとスクランブル交差点に出る。

 車の交通量が多いせいで大抵信号に引っかかるのだが、今日も案の定引っかかり、寒さで力の籠る足を止めた。

 動かしていた身体が少し止まるだけでさらに寒くなった気がする。

 意識を他所へ向けようと、店主はおもむろに周囲の人々に視線を向けた。


 人間観察が好きで昔から暇になればそこら中の人を眺めては、彼らがどこからやって来たかや、どこへ向かうのかを想像したものだ。


 交差点の中心には、交通整理を行う警察官の姿。きびきびと手旗信号で交通整理をしている。

 歩道には自分と同じで、信号待ちをしている人々。登校途中の学生や、出社前のサラリーマン、ランニングをしている老人。朝ならではのいつも通りの顔ぶれだ。


 しかしその日は、見慣れぬ人間の姿もあった。


 目的地があるわけではなさそうな数人の若者が、辺りをしきりに見回している。誰かと待ち合わせでもしているのだろうか。

 彼らはそれぞれ一人きりで、連れというわけではないようだ。


(……今年の流行りは花型の鞄なのか)


 若者達が一様に花の形をした鞄を持っているのに気づく。

 雑誌も読んでいるので流行には疎くないと思っていたのだが、そのようなトレンドは知らなかった。

 改めて注意深く周りを見てみると、花型の鞄を持っている人間が十人以上はいるではないか。ここまで来ると流行りというより、何らかのイベントがある可能性が高い気もする。


 信号が変わる合図の笛の音が、冷えた朝の空気に響き渡った。

 一斉に横断歩道を渡りだす人の波に紛れ、花型の鞄を数えながら足を前へと進める。

 すると、自分が渡ろうとする反対側の歩道脇にあるカフェに見慣れた金髪を見つけた。


 二階席の窓から交差点を渡る人々を眺めている彼女は、心なしか楽しそうな顔をしている。


 ここ五日程見かけなかったその姿を思いもよらぬ場所で見かけ、思わず女を凝視してしまう。


 ――前を向いて歩いていないのだから、人とぶつかりそうになるのは当たり前だ。


 視界の端に近づく人影に気づき咄嗟に横へと避けたのだが、その際にバランスを崩してよろけ尻もちをついてしまった。

 鈍痛の襲う尻に顔が歪むが、何より先に謝らねばと「すみません」と慌ててぶつかりそうになった相手に謝罪する。


『歩行者の方はお渡り下さい。歩行者の方はお渡り下さい』


 警察官は店主に目もくれず歩行者を誘導していた。

 紙袋から転がり落ちた林檎が、警察官の足をすり抜けてゆく。


 実体のない相手に謝る男の姿に、横断歩道を渡っていた学生がくすりと笑った。


「……あ」


 ――やってしまった。


 数ヶ月前にスクランブル交差点に設置された最新の交通整理システム。

 そんな機械を相手に頭を下げてしまったのだ。


 転がった品物を拾ってくれた人々に礼を言い、店主はそそくさと横断歩道を渡り終える。


 気になってカフェの二階窓を見上げると、既に女の姿はなかった。


 道ゆく途中でも花型の鞄を持った若者と多くすれ違ったが、いつの間にか思考は流行りの鞄を数えるよりも、自店の常連客の存在に塗り替えられていた。


(あの子、うち以外の店にも寄るんだなぁ)


 当然といえば当然なのだが、彼女があまりにも年がら年中時計塔喫茶に顔を出すので、他の店にいるところなど想像したことが無かったのだ。


 時計塔に到着し古い鍵で裏口の扉を開き、ヴィンテージ風だと言い張る古ぼけた店内に入って、真っ先に暖房をつける。

 まずは、コートとマフラーを脱いで制服に着替えた。

 清潔感のある白いワイシャツに黒スラックス。

 腕捲りがベテランっぽくて素敵だと、開店当初に若い女性客に言われて以来、真に受けて冬でも袖は肘付近まで捲っている。

 黒いミドル丈のエプロンは特注品で、裾に時計塔の姿が刺繍されていた。


(この前少し言い過ぎただろうか。だから他の店に……?)


 変わり者の奇天烈な発言は常通りといえば常通りだったので、さして気にしていなかったのだが、思えば彼女は五日前に言い争った日からこの店に顔を出していない。


(それともいつもこの時間帯は、あのカフェに立ち寄っているんだろうか)


 正体が謎めいている彼女がこの店にいない時、どのように暮らしているか想像がつかない。あれこれと妄想してみるが、勝手に推測をしたところで正解が分かるはずもない。

 それに気づくと、気を取り直してさっさと開店準備にかかる事にした。


 品物を貯蔵庫と冷蔵庫にしまい込み、机の上にあげた椅子を下ろす作業から始める。

 店内の広さは三十坪。

 カウンター席が三つに、二人掛けのテーブル席が四つ、四人掛けのテーブル席が二つある計十九席が用意されていた。

 テーブルを拭き、北側の壁に飾られた黒板メニューの一部を書き変え、数カ所に置かれた観葉植物に水を与える。

 料理の仕込みを終える頃には、店内の時計は開店時間の十分前を示していた。


「おっと、もうこんな時間か」


 大きな窓のカーテンを開けて、玄関扉のクローズ看板をオープンに引っ繰り返す。

 朝の光に浮かび上がった時計塔喫茶≪rencontreランコントル≫を振り返り、思わず顔が綻んだ。


 木製のテーブルと椅子は、オレンジのペンダントライトに照らされ暖かな雰囲気を醸し出していた。

 そして西側には玄関扉と大きな窓ガラスがあり、朝陽が店内へと差し込みペンダントライトと絶妙な光の色合いを演出している。

 玄関扉を開き右を見ると、西の壁に沿って小さな本棚が置かれ、南側の壁には二人掛けのテーブル席。

 昔流行したラブロマンス映画のポスターが壁に飾ってある。当時人気だったベテラン俳優と、美しい若手女優のツーショット。その下には、映画の有名な宣伝文句『運命は常に開かれている』が英文で綴られている。


 左を向けば西の窓に沿うように二人掛けの席、北側の壁に黒板メニューと、四人掛けテーブルが二つ。東側の店内奥には南に沿ってカウンター席。三つのカウンターチェアが置かれ、店主の城であるキッチンカウンターがある。

 壁にはまた二人掛けの席。北側には手洗いへの扉があり、大きな観葉植物が置かれていた。店内中央にも二人掛けの席があり、カウンター側から遮るように仕切りがある。客にゆったりと過ごして欲しいために、座席数は少なめで、フロア中央はゆとりがあった。

 黒板メニューには三十路を過ぎた男が書いたとは思い難い可愛い文字が連なり、店内には爽やかなジャズが流れる。


 この場所こそが、彼の宝であった。


 開店早々に来店客が来ることはほとんど無い。

 支度を終えた店主はカウンターに入ると、暇つぶしに今月発売の占い雑誌を広げた。一日の始まりに淹れる珈琲が客にではなく自分に、という現実に寂しさを覚えたのは随分昔である。


 それから自慢の珈琲を啜り、お気に入りのジャズを楽しみながら、三十分程のんびりと雑誌を読んだ。


 カランカランと来客を告げるベルの音。

 駆け込むように入店してきた若者は、数少ない顔馴染みの客の一人だった。


「聞いてよマスター! 俺振られるかも!」

「いらっしゃいませ。久しぶりだねぇ」


 若者はラブロマンス映画のポスターが飾られた店の一番南側の席に座り、珈琲を注文するや否や「この前彼女と喧嘩をして……」と、情けなく肩を落として語りだした。店主は珈琲を淹れながら、その話に耳を傾ける。


 若者が恋愛相談をしに来るこの光景は、時計塔喫茶≪rencontreランコントル≫ではそう珍しいものではない。

 むしろ顔馴染みの客のほとんどは、恋愛に悩み事があるとこの店に立ち寄るくらいだ。相談目的もなくこの店に立ち寄るのは、あの金髪の女くらいだった。


 相談ごととは、まず相手が本当のところ何を話したいのかを見極めるために、愚痴を最後まで根気強く聞くことが大切である。

 暫く相槌と同意の言葉を口にしながら若者の悩みを聞いていると、二人目の来店を告げるベル音が鳴った。


「いらっしゃいませ」と顔を上げると、壁に飾られた黒板メニューを眺める金髪の女の姿。


「……いらっしゃいませ」


 ――ひょっとしたらもう来ないかもしれない。


 勝手にそんなところまで想像していたので、僅かばかり驚いた。

 そのせいで彼女の姿を確認すると、二度も歓迎の言葉を向けてしまった。


 彼女は繰り返された「いらっしゃいませ」を気にした様子も無く、いつもと同じカウンター席の一番端のカウンターチェアに腰を下ろす。


「ホットティー。角砂糖は三つ。あと今日おすすめのデザート」


 不愛想な注文もいつも通りだ。

 畏まりましたと頷き、早速準備に取り掛かるために若者に一言残してからカウンターに入る。

 紅茶を用意し角砂糖を三つ投入。

 開店前に焼き上げたアップルパイを切り分ける。


「交差点に落とした林檎はもちろん使ってないでしょうね」

「……やっぱり見ていたの」


 女の口角が僅かに上がっているのを見て、恥ずかしさに首が竦んだ。

 女は意地悪な笑みを浮かべて「あれはかなり滑稽だった」と小さく肩を揺らす。


「このご時世、を知らない人間がまだいるなんてね」

「知らないわけじゃないよ。ただ気づかなかっただけで」


 〝バーチャルサポート〟とは、人間の視覚と聴覚にハッキングし、実像のない存在を見せる近未来の科学技術である。

 幻視・幻聴による直接的な脳へのハッキングなので、ホログラムのようにその姿が実在しているわけではない。

 今朝、スクランブル交差点にいた警察官の足元を林檎がすり抜けたのは、彼もまたバーチャルサポートが見せる幻影だったからだ。

 日本人学者がノーベル化学賞を受賞して以来、バーチャルサポートシステムの普及率は年々勢いを増していた。


「バーチャルサポートに謝るなんて、思い出しただけで笑えてくる」

「笑いたきゃ笑え。僕みたいなヴィンテージ主義には未来科学は魔法にしか思えない。君みたいな時代の最先端を好む魔法使いさんにはついてゆけないんだ」

「ヴィンテージ主義。それって時代遅れなだけじゃないの?」


 失礼な物言いもいつものことなので、今さら気にしやしない。

 何から何までいつも通りの女の様子に、この五日間店に来なかったのも大した理由は無さそうだと、店主はなぜか妙に安心していた。

 女は出されたアップルパイを一口食べると、何も言わずにノートパソコンを開いた。彼女はいつもデザートを頼むけれど、感想を口にしたことは一度もない。


「マスター、俺の話も聞いてくれよ!」


 女が来店してから、すっかり放置されてしまった若者に悲痛な声で呼ばれる。

 すぐに行くと答え、女の様子を横目で窺うとキーボードを高速で打っていた。

 会話を若者に邪魔され気分を害するのではないかと思ったが、彼女の意識は既にこちらへは向いていないらしい。これなら気にする必要もなさそうだ。


「はいはい、それでどうしたって?」


 店主は朗らかな微笑みを浮かべ、再び若者の元へと向かう。

 それから数十分は、青年の情けない声と、店主の穏やかな声、そしてキーボードが打たれる音が、流れるジャズに重なって店内を彩っていた。



 散々恋人との恋愛事情について語った若者は、晴れ晴れとした表情で笑った。


「ありがとう。マスターに話を聞いてもらうと上手くいきそうな気がするよ」

「そう言ってもらえると、こちらもアドバイスしたかいがあるってもんです」


 来店時と表情がすっかり変わっている若者を見て、店主も満足げに頷く。


「ごめんね。珈琲一杯でこんなに長話を聞いてもらっちゃって」

「気にしないで下さい。君が運命の恋に一歩でも近づく手助けになれるのなら、それで十分なんです。僕はこの店を、少しでも多くの人にとっての運命が動く場所になったらと思って開いているから」

「……あ、ああ、そう?」


 満面の笑みと共に素で臭い台詞を向けられ、若者は曖昧に笑った。

 店主のアドバイスは的確だが、こういうのは何度言われてもどうにも慣れない。

 キラキラと輝く夢見る少年のような表情も、三十路過ぎに浮かべられるとうすら寒いものがある。


「……それにしても、マスターは凄く恋愛のアドバイスに長けているよね。きっと皆が憧れるような素敵な恋をたくさんしてきたんでしょう? マスターの彼女さんは幸せ者だなぁ」

「ハハ、そんなことはないよ。彼女いない歴もうすぐ五年目に突入だし」


 尊敬の眼差しを向けられ、眉をハの字にして情けなく苦笑いを浮かべる。

 意外な事実に「えっ、そうなの?」と若者は身を乗り出した。


「偉そうにあれこれ皆にアドバイスしているけど、どうにも僕自身の恋愛は上手くいかないんですよ。きっと僕はまだ運命の出逢いってやつが出来ていないんだと思います。だから今は、運命の人に出逢えるまで、こうして自分のお店でお客様の力になって恋愛の徳を積んでいる最中ってわけ。少しでも早く運命の人に出逢えるようにね」

「へ、へぇー」


 真剣な眼差しと声音には迫力があり、思わず若者は乗り出した身を引いてしまった。


「君はもう出逢ったんでしょう? だったら喧嘩くらいでその人を放しちゃ駄目だよ」

「……うん、そうだね。仲直りできるように頑張ってみるよ。ありがとう、ご馳走様でした」


 大きく頷いた若者に、「お粗末様でした」と小さく頭を下げる。

 カウンター横のレジで支払いをする若者から金銭を受け取り、つり銭を返す際にふと開店時に読んでいた雑誌の内容を思い出した。


「そういえば君、射手座だったよね。今日の射手座は青いハンカチが恋愛運を上昇させるって書いてあったよ」

「そうなんだ。じゃあ、青いハンカチを持って彼女に逢いにいくよ」


 頷く若者が助言を流したのか真に受けたのか、それは当人にしか分からない。

 今日一番の助言をしたと思い込んでいる店主は満面の笑みで「仲直り頑張って」と、扉のベルが鳴る音と共に若者を見送った。


 空になったカップを下げ、テーブルを拭く。

 その間に、ずっと続いていたキーボード音も止み、いつの間にか店内にはジャズだけが静かに流れていた。


 女はじっと店主を見ていたのだが、店主はご機嫌そうにジャズのリズムに合わせてテーブルを拭いているだけで視線には気づいていない。

 その様子に女は呆れた顔で、長いこと閉じていた唇を開いた。


「………………好きだね」


 唐突に話しかけられ「へ?」と間の抜けた声をあげる。

 その反応に、女は声を強くして言い直した。


「占い。好きだよね、アンタ」


「はあ、まあ、好きだよ。だってロマンチックじゃないの。それに最近また流行っているだろう? ほら、占い師のツェリって知っている? ツェリの占いサイトは滅茶苦茶当たるって有名で……」

「占い信じてる? 当たると思ってるの?」


 好む話題に瞳を輝かせるも、女は言葉を遮り言及してきた。

 信じられぬといわんばかりの女の表情。

 それを見ると自然と気分が落ち、弾んだ声をしおしおと戻しながら「当たらなきゃ流行ったりはしないんじゃないかな」と呟く。


 ――彼女が強い物言いをする時は、マシンガントークの前触れだ。こうなると大抵、勢いのまま押され、彼女が満足するまで小難しい話を聞いているしかない。


「でも、結局は当たる当たらないの判断って、当の本人の気の持ちようなのでは? 思い込みなのでは? 例えばたかだか一円を拾ったとして、今日は金運が良いと思っていれば、拾った時に当たったとその人は思うでしょう。けれど信じていなかったら、きっと何も考えずにその一円を財布にしまうだけで終わるんじゃない?」


 只でさえ分かるようで分かりにくい理論を早口で並べ立てられ、「はあ」と相槌にもならない音を漏らすしかできない。


「ご愛読の星座占いによる今日のアンタの運勢は?」

「お、聞いてくれる?」


 マシンガントークに耐える覚悟をしたところで話題を振られ、思わず笑顔が戻る。


「僕は山羊座なんだけどね。占いによれば今日は一位! きっと良いことがあるに違いないよ」

「はい、ではここでよく考えてみて下さい」

「えっ」


 クイズ番組の司会者さながらに、きっぱりと話し出す女。

 先程の質問は、言葉の散弾銃の前触れに過ぎなかった。


「山羊座は十二月二十二日から一月九日までに生まれた人間を指します。人口が一日にどれくらいの勢いで増加しているかご存じですか? 世界人口にしたら一分でおよそ百三十七人、一日で二十万人誕生しています。この国だけで考えると一日四千人。四千人だよ、四千人。ようはこの国だけで一年の内に山羊座の人間は十万千六百人誕生しているわけです。そして毎年毎年それと同じだけの山羊座が生まれているわけです。ようはあんたが大喜びしたその結果と全く同じ人間が何百万人いるわけ。で、それ信じる?」


 身振り手振りも加え、もはやクイズ番組の司会者顔負けの問題提起をされ、次々と提示される大きな数字に戸惑い、「え、いや、うーん」と、出ない答えを探す。

 しかし女は自分で質問を振っておきながら、彼が答える前に再び弾丸を口からこれでもかと飛ばした。


「私は何も占いを批判しているわけじゃない。時には非科学的なものに頼るのもアリだと思う。それに、結果を意識することでポジティブに生きることも、失敗に気をつけて過ごすこともできる。内容が当たっていようが、当たっていなかろうが、その当人が良い一日を過ごせるよう気を配って生きる手助けになるならば、占いには十二分に価値があると思うよ。当たるも八卦当たらぬも八卦ってのは、まさに的を得た言葉だね! ただ……そんなふうに考えていたら、人間ってのはなんて単純なんだろうと思って」


 徐々にスローダウンする言葉。

 どうやら最後の一言が、彼女の最も言いたかったらしい。


「単純ねぇ」と店主もその言葉を繰り返した。

 小難しいことを考えるのが苦手なので、いまいち彼女の言うことにピンと来ない。


「さて、ここで例の実験に繋がるわけです」


「この前のあれって本気だったの?」

 奇奇怪怪な言動はしょっちゅうの女。

 五日前のなんてものも、どうせいつもの戯言に過ぎないと思っていたのだが、彼女はどうやら本気のようだ。


「今回は、そんな人類単純代表である占いを信じやすい人間を選抜して実験を試みることにした。題して、『』!」


「うわー、興味は湧くけど夢の無い実験だなぁ」

「こちらのサイトをご覧下さい」


 普段クールな表情が多い女が珍しくはしゃいだ様子で、パソコンを操作し画面を向けてくる。店主は言われるままに画面を覗き込んだ。


 宇宙を背景にしたそのホームページは、巷で流行りの占いサイトだった。

 彼も何度かアクセスした経験がある。〝占い師ツェリの運命占い〟と題され、運勢が事細かに書かれていた。


 先ほど話題に上げようとした大人気占い師のホームページを見せてくる彼女に、散々屁理屈をこねながらも占いとか見ちゃうんじゃないか、と微笑ましさで目元が緩む。


「これ占い師ツェリのサイトじゃない。やっぱり君もこういうの信じて……」

「違います。よくご覧下さい」


 おどけた店主の顔を容赦なく片手で掴み、女は彼の顔を画面へ更に近づける。

 真っ黒なマニキュアが塗られた人差し指が示す場所を数秒眺めた店主は「……あ、カタカナが違う」と呟いた。


 ではなく、になっている。


 派手な金色のフォントのせいで、只でさえ似ているカタカナが余計分かりにくい。

 女は胸を張って自慢げに「私が作った偽サイト」とパソコンの画面を改めて両手で示した。


「えー。よく作りこんであるなぁ、気づけないよコレ」

「そうでしょうとも。既に試験段階も終えてあるから、今日から本格的に実験に入るわよ」

「試験って……何したの?」

「偽占いサイトに嘘の情報を書き込んだのよ。『ラッキーアイテムの花型のバッグを持って、ラッキースポットの時計塔のある街に出向くと、新しい出逢いがあるかも』ってね。するとどうでしょう! そこら中にわんさかと花型のバッグを持つ若者が!」

「あれって君の仕業か!」


 女――シェリはブイサインを作った。


 流行かと思ったのに、まさかたった一人の女による所業だったとは。

 褒められたことではないが、普通の人間には難しい業を成し得てしまうシェリに、思わず感心してしまう。

 彼女がカフェの二階でニヤつきながら交差点を見下ろしていたのは、自分の思い通りに花型の鞄を持った人々が現れ、実験の成功と人間の単純さに喜んでいたからだったのだ。


「さて。このサイトに加えもう一つ今回の実験に欠かせないものがあります。それは私が開発した、作為的に運命を作る為のプログラム。その名も〝ウンメイカー〟」

「ウンメイカー」

「簡単に説明すれば、このプログラムはありとあらゆる人間のデータの中から今回の実験に最適である被験者を選出し、尚且つ運命を作るためにバーチャルサポートまでする優れもの」


 ノートパソコンから外されたのは、サイコロ程の小ささをした黒いキューブだった。

 近年流通し始めたバーチャルサポート専用のメモリーキューブに店主の顔が青ざめる。


「バーチャルサポートってまさか」


 メモリーキューブが発動し、電子音と共に二つの人影が浮かび上がった。


 白いワイシャツに黒のカマーベストとスラックスを着込んだ男と女。首元にはネクタイ。異様なのは彼らの目元に、色彩派手なヴェネチアンマスクが装着されていることだった。

 二つ空いた穴から本来見えるはずの目玉は見えず、暗闇が広がっている。

 鼻から下は素顔が見えているものの、やはり人間でないからか酷く無機質に感じられた。


 仮面の登場と共に、店内には単調な重低音を基盤にした電子音楽が大音量で流れだし、幻影のスポットライトやミラーボールも出現し、赤や青、黄色や緑と鮮やかに壁と床が目まぐるしく照らされる。


 喫茶店ではありえないクラブのショータイムのような雰囲気は、店主をとても異様な心地にさせた。


「これはそこいらのバーチャルサポートとは訳が違う。ウンメイカーは対象者の脳波から深層心理にクラッキング、更には五感にアクセスしてリアルな幻覚や幻聴を作り出す」


 一般的なバーチャルサポートとは違い、視覚、聴覚だけに留まらず、味覚、嗅覚、触覚まで操り、挙句は思考回路まで誘導可能の脅威のプログラム〝ウンメイカー〟。

 このプログラムを使用すれば人間の脳を洗脳することさえも容易だが、あくまで被験者本人の自己暗示による思い込みで運命を作り出さなければ意味がないので、プログラムによる作用は自己探求への扉の鍵を開ける程度にしか設定していない。


 シェリは平然とした顔で説明した。


――この子、本当に何者だ? 天才プログラマー? まさか本当に魔法使いじゃあるまいな。


 使いようによっては人間を好き放題操るのも可能な恐ろしいプログラムを開発した謎の女に、店主は戦慄せずにはいられなかった。


「ウンメイカーにより選出された運命を求める人間の目に、こんな内容の偽占いサイトが触れるように仕込んだ」


 無表情で直立不動の待機姿勢にあった仮面男が、口元に笑顔を浮かべ、溌剌とした声で喋りだす。


『十一月二十八日生まれのあなたに運命の出逢いの予感。運命の場所に時計塔の真下にある喫茶店が見えます。一番南側の席、ピンクの帽子を被った人があなたの運命の人でしょう。ラッキーアイテムは黄色い靴』


 早朝のニュースで女性キャスターが読み上げるような占い。その内容に自分の店が含まれていることに驚く。

 確かにこれだけヒントがあれば、この店に辿り着けるかもしれない。時計塔の真下に経営されている喫茶店は滅多にないはずだ。


『七月十四日生まれのあなたに運命の出逢いの予感。運命の場所に時計塔の真下にある喫茶店が見えます。一番南側の席、黄色い靴を履いた人があなたの運命の人でしょう。ラッキーアイテムはピンクの帽子』


 続いて仮面女が溌剌とした声で、ラッキーアイテムを入れ替えた文面を読み上げる。


「真逆のことを書いたわけか」

「その通り。早ければ今日にでも条件に合った人間が、このサイトにつられて運命の人と出逢う為に時計塔喫茶を血眼になって探し出し、その南側の席に座るって寸法です」


 仮面達が満面の笑みを浮かべたまま、両手で喫茶店の南側の席を示した。

 数十年前に大ヒットしたラブロマンス映画のポスターが枠に飾られており、その前に二人用のテーブル席。壁に沿うようにそれぞれ座り心地の良さそうな背もたれつきのウッドチェアが置かれている。


「でも同じ条件の人が二人以上来たり、万が一沢山来たりしたらどうするの?」

「そうなれば実験の進行が難しくなるので、ウンメイカーを作動して入口に見張りをつけます。彼らは同じ条件の人間が二人以上この店に入らないようにしてくれる」

「え、追い返すの。どうやって」

「そりゃあ、ぼこぼこって」

「やめてよ人の店で!」


 ファイティングポーズを取る仮面達を見て大慌てで声を上げる。


「冗談だよ、冗談。ただ電磁波が走って痺れちゃうくらいで」

「やめてよ!」

「嘘うそ。脳にクラッキングして、クローズの看板を見せてお帰り願うだけだから」


 単調な口調とほとんど変わらない表情では、何が冗談で何が本気か分かりやしない。

 シェリは些かつまらなそうな顔をしていたが、これはあえて浮かべている表情に過ぎず、彼女の本心はなかなか見抜けないのだ。


「僕の店の客を勝手に帰らせないでよ……」

「どのみち来やしない客だったんだからいいじゃない」


 言われればそうかもしれない。店主は文句を飲み込む。

 役目を終えたウンメイカーは休止状態に入り、停止音と共に、仮面達が空気に溶け込むように消えてしまう。


 再び爽やかなジャズが耳に入り、明るさも温かみにあるオレンジ色に戻った。

 いつも通りの喫茶店に胸を撫でおろし、カウンターの上に転がる小さなキューブを見つめる。


「どこに設置しようか。カウンター裏ならバレないかしらね」

「店につけるの?」

「そうよ。自動認識で作動するから楽よ」


 あっけらかんと言う女に、店主はもう文句を言うのも諦めた。いそいそとカウンター裏にメモリーキューブを設置する金色の頭を見下ろしながら、訝しんで問う。


「……こんなので本当に運命が作れるの?」


 確かに凄かったけれど、一体どうやってを作るというのだろうか。


「一見馬鹿らしく思えるかもしれないけど、百パーセント信じたらどうなる。吊り橋効果は、命の危険から来る興奮を恋愛と錯覚するっていうよ。それじゃあ相手が運命の人と信じ込めば、身体も精神もそう錯覚するんじゃない? そして、身体も精神も相手を運命の人だと互いに思うのなら、?」


「でもそれじゃあ偽物の運命じゃない」


「運命に偽物も本物もありません」


 きっぱりと断言しメモリーキューブの設置を終え、姿勢良く紅茶を飲むシェリ。

 見た目はファンタジックだというのに、中身は女らしからず夢もへったくれも無い。

 反して、三十路を過ぎても未だにロマンに生きる店主は「そうかなぁ……」と不服そうな顔で、いつの間にか平らげられていたアップルパイの皿を片付ける。


 ――その時、本日三人目の来客を告げるベル音が鳴った。

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