《悪戯のサンプリング》③

「そういえば、昨日部長が言ってたアニメなんだけど。ちゃんと録画した?」

「…………早寝早起き。わたし」

「それは言い訳として部長に使っても無意味だよ……。予約録画も知らんのか、って言われるのがオチだから……」


 掃除を終えて、二人並んで部室目指し歩く。

 部長は突発的に、ぼくら部員に対して宿題のようなものを出す。

 無論、勉学方面なわけもなく、指定したアニメを録画して観ろだの、リアルタイムで深夜アニメを観て感想をすぐ送れだの(こういうキツイのはぼくのみだが)、スパルタなところがある。


 どうやら岩根さんはその宿題を忘れたらしく、微妙に焦っていた。視線がちょっとだけ右往左往しているのを、ぼくは見逃さない。

 こういう彼女の微小な機微を捉えるのも、通訳者として大事なのである。


「あらすじぐらいは知っておいた方がいいかも。最近、部長も岩根さんに手加減しないからね」

「グラウンド十周……?」

「部長に限ってそれだけは絶対ないよ……」


 ぼくはスマホを操作して、部長が言っていたアニメの公式サイトを開く。

 各話のあらすじを覚えれば、岩根さんも部長に対して少しは言い訳が立つかもしれない。この短時間で覚えられるかは不明だけど、岩根さんならいける気がする。

 彼女の前に、ぼくは自分のスマホを差し出そうとし――


「へぶぁ!!」


 ――べちょっ。

 そんな水っぽい音と共に、間抜けな声をぼくは上げた。

 何が何だか全く分からないが、濡れそぼった何かが、ぼくの顔面にいきなりぶつかったのである。

 痛みはそこまでじゃなかったが、ぼくの顔面と首周りは一気にずぶ濡れ状態になってしまった。


「く、九太郎くん。大丈夫……?」

「うう……。一体何が……?」

「濡れタオル。ひんやり……さわやか」

「全然爽やかじゃないんだけど……」


 地面に落ちたそれを、岩根さんが拾い上げて検分する。

 それ即ち、ひんやりさわやか濡れタオルとのことである。

 確かに、真っ白い清潔そうなハンドタオルが、べっちょり濡らされているようだ。


 ただ、誰のものかも分からない濡らされたタオルをぶつけられて、さわやかさなど感じられるわけもない。

 むしろ本当にそれは水で濡らされたものなのだろうか。汗とかじゃないだろうか。

 そんなことを考えると、ぼくは背筋が気持ち悪さでぞわっとした。


「九太郎くん。動かないで。拭いてあげる」

「ごめん、ありがとう」

「……この濡れタオルで」

「ぼくを追い討ちして楽しいかい?」

「冗談……そこまで恨んでいない。九太郎くんを」

「多少恨んでるみたいな言い回しされると、嘘か本当か分からないからやめてよ……」


 うそ。岩根さんはどこか楽しげにそう言って、取り出したハンカチでぼくの顔を拭いてくれた。

 ぼくは全くもって楽しくない状況だったんだけど――岩根さんのハンカチが、何かやばいものでも振っているのではないかってくらいに良い匂いがしたので、口をきゅっと結んでおく。下手すると口元が弛んでしまいそうだったのだ。


「でも、一体何で濡れタオルがぼくに……?」

「落とし物……空飛ぶ。最近のものは」

「過去現在未来において、空を飛ぶような落とし物は存在しないからね?」


 飛んできた、という部分においては事実だが、落としたわけではないだろう。

 落ち着いてぼくらは周囲を見渡してみたが、運悪く誰も居なかった。もしこの濡れタオルが本当に落とし物ならば、すぐにでもぼくの方へ持ち主がやって来るはずである。

 それがないってことは――つまりは、これは落としたんじゃなくて投げられたものなのだ。


「イタズラ……なのかなぁ」

「許せない。冬なら」

「夏でも割と許しがたいんだけど……」


 タオルを濡らしている液体は恐らく水だが、それが清潔な水かどうかも分からない。

 とにかく不気味で、別の意味でヒヤリとするようなイタズラ行為だ。

 ぼくは濡れタオルを証拠品として押収し、急ぎ足で部室へと向かう。


 こういう時、頼れる人といえば――もちろん。

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