たとえ終わりが来たとしても

とーらん

第1話「変わる初夏」


大雨とも言えない、なんとも微妙な勢いで雨が降る。

「げ…結構降ってる…」

(天気予報じゃ4割って出てたのに…)

バス停で少女…七瀬澪は“傘を持っていくべき”と予報した天気予報に的外れな愚痴をこぼしながら、バスを待っていた。バス停の天井は劣化していて、隙間からぽたぽたと雨が滴り落ちる。

(服ちょっと厚めで良かったー…)

バスがやってくる。

居残りをしている友達を待つつもりだった少女は、濡れ鼠に耐えきれなくなってバスに乗る事を余儀なくされた。

バスが水しぶきをあげてこちらへ来る。どうやら自宅の近くのバス停に止まるようだ。


タオルもなく濡れ鼠のままバスに乗り込む。

(はー…災難だった。鞄整理しないとな)

一応成績上位にはぎりぎり食いつけている少女は、予習のために教科書を詰め込んだ事を後悔する。

「あー憂鬱…」

窓の外を望みながらぼやく。雨のヴェールの向こうには、県内でも指折りの大病院が微かに見える。

(ま、病院よりまずは浸水した靴下だよね)

浸水って潜水艦みたい、と思いながらもそれに関する用語は詳しくないので、

「ダウンヒル排水ー」

なんてふざけてみる。…そうしているうちに、バスは目的地に着いたようだ。


定期を通し、バス停からすぐ近くの家に…



突然、足に力が入らなくなる



「…ん…」

「おお!やっと目が覚めたか…心配したぞ」

「…え?」

辺りを見渡す。雨特有の錆びたにおいはそのままに、少女はベッドの上に寝かされていた。

(…病院?)

「ねぇ父さん、ここ…病院?」

「ああ…道で突然転んで動かなくなったらしい。同時に降りた人が救急車を呼んだ」

(大袈裟だなぁ…まぁ、心配してくれたんだし悪くはないんだろうけど)

「まぁ、この通り元気だからね」

「…まぁ、お医者さんが検査してくれる。…検査入院だから数日休むことになるが、勉強は大丈夫か?」

「ちょっと不安かなぁ…数日かぁ」

「全力で取り返せ。今は頑張らないと、大人になって遊べないぞ」

「はいはい、何回目…」

「返事は真面目に」

面倒な父に閉口する。いっつも小言ばっかりで、なのに忙しい母には頭が上がらない父は、少女には尊敬出来なかった。

「お邪魔するよ」

医者の先生がやってきた。優しそうなその先生は、元々小柄っぽいのに猫背のせいでさらに小さく見える。

「お、元気そうだね。…といっても、街中で倒れたんだからちゃんと検査は受けてね」

「はい」

「お世話をかけます」

…雨は、本降りになっていた。バスの時には見えていた距離は完全に雨霧に隠され、窓の外は灰色で覆われていた。


検査入院と言っても、検査が続く訳じゃない。

予習をしておこうとしたが、そもそも授業が受けられないから予習も出来ない。

(……………暇だ)

高校になってから勉強とピアノに追われてきたせいで、暇の潰しかたなんて全く分からない。

(とりあえず病院の散歩でもしようっと)


ぺたぺたと静かな空間にスリッパの足音が曇った響き音を立てる。

コモンスペースに出る。許可が出たので、検査以外はそこで病院所有の本を読む事で暇を潰すことにしていた。

ぺらりと頁を捲る音。患者に配慮してか、音がしない時計。

コンコンッ

「七瀬澪さーん」

看護師がなぜか少女の名前を呼ぶ。

「はい!?あれ?

(私、本に夢中で検査時間に遅れた!?)

え、検査の時間ですか!?」

「いえいえ、まだまだよ。…ちょっとお願いがあってね?」

「患者の私に、ですか?」

「ええ…いえね?ちょっと、誰かと話をしたいって子がいるの。同い年だから、ちょっとは話が合うと思うわ。向こうは筆談だけど、良かったら…」

「んー…いいですよ。こっちも暇ですし」

(まさか新手のナンパでもないでしょ…ナンパされたことないからわかんないけど)

「七瀬さんは優秀ね。…レイくーん」

「…」

そこから現れた少年は、健康体であるはずの少女には少し衝撃的だった。

鼻にチューブをさし、車椅子のままゆるやかに目を向ける少年。口は軽く開かれたままで、生命力がほとんど感じられない。

(待って…聞いてない)

実際にこういう患者に接した事がない少女は固まる。しかし、

(それは失礼よね)

と思い直し、

「はじめまして。」

とできるだけ平生を装って挨拶をする。

すると、声も出ないようで、震える手で文字を書きはじめた。

《はじめまして》

「さっき聞いた限りでは、話がしたいっていう事だったね。どんな話?」

もちろん気になるのは少年…同い年というが、そういうには信じられないくらい衰弱しきっている…の身の上だ。

(今話題の終末期…)

邪推しかけてぞっとする。

(今、私はこの人の死を何気なく考えた…)

しかし、少年は

《本は好きですか?》

少女は自身とは真逆に好意的な少年に罪悪感を抱きながら、

「んー…大正期が好きかな。あなたは?」

《いろいろ読んだから全部好き》

「いろいろ?どんなの?」

《アガサとか、ポーとか、ドイルとか…》

(ミステリ好きか、話は合いそうな感じじゃないなぁ)

《…………バーナードショーとか、カミュとか、ジョイスとか、ウェーバーとか、郭沫若とか…》

震える筆は、しかし楽しそうにつらつらと作家の名前を語っていた。

(…誰…この子、読みすぎじゃない…!?私も読書好きだけど聞いたことない…)

「お手上げ。あなた、本当にたくさん本読んでるのね」

おどけて両手をあげる。

《いつ死ぬか分からないならできるだけ読みたいからな》


(…)

悲しい。

死んだら何にもならないのに、本を読むのか…

「それは、辛くない?」

ややあってから、震えていて全く力が入らないのに、妙に力強く思える文字で

《辛くない。楽しいから》

「そっ…か」

少年は、諦めと楽しさをない交ぜにした複雑な表情をした。…気がした。


(私は、なんだか日々を無駄に過ごしてないかな…)

恐る恐る聞けば、治験の薬が奇跡的に効いた事でようやく外に出れたから、と話がしたかったらしい。

少女にとってはここは檻の中なのに、少年にとっては檻の外だというその一室で、時間が来るまで二人は話に興じた。


退院の日、コモンスペースに手紙を置いておいた。

《頑張って》

退院の日は、ひどい大雨だった。

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