壱章

壱(1)

 わたしたちが生まれたのは、恐らくは此の国にとっては冬にあたると思われる時代でした。高度経済成長だ、バブルだ、氷河期だ、そんな抽象的な呼び名は、何時だって其れがはかなく終わってから付くものです。早くて数年、或いは数十年、数百年、何処ぞの学者や御偉い様がそう呼んで初めて付けられる名であるからして、わたしはわたしが生まれた頃合いが如何どう称されるべきものであるのか、未だらぬのです。ただ、わたしには冬なのであろうと思える時代でありました。


 其のほんの数年前まで、此の国は夏の時代であったと聞いています。金が溢れ、価格が跳ね上がった都市の土地には次々と高層建築が建ち並び、人々は酒と高級食材と栄養剤を流し込みながら、夜通し踊って朝になる。無論、一部の誰かの話に過ぎぬとは識っているのです。当時にも貧困は在った事でしょう。地方にはクラブもディスコも無い町も山と在ったでしょう。けれど少なくとも、誰も彼もが此の国の先行きを絶望するような、そんな時代ではなかったのだろうと思います。


 わたしたちが聞く当時が、限られた、真に華やかな部分だけを切り取ったものに過ぎないとしても、少なくとも――其の後の転落をだ知らなかった。熱狂、歓喜。泡沫うたかたの夢。戦後、一気に駆け抜けた春の果ての夏。恵まれた時代であっただろうと、わたしたちの世代はうらやんだものでした。


 わたしたちが生まれたのは、そんな夏が瞬きの間に過ぎ去ってしまった。実りの秋すらも無いままに、人々が呆然とて付く寒さの中に立ちすくむ。そんな冬が訪れて、いくばくか経ったような頃であったのでした。


 時代が冬でも此の国に四季はめぐります。殊更ことさらに暑い夏の末にわたしは産み落とされました。地方の狭い都市。かつては城下町であった土地で、県内の他の町よりは幾らか人やビルの多い街でしたが、其れでも駅から数分も車を走らせれば、田畑の先に杉林や影のごとき山々が見える、そんな田舎で御座いました。


 幼い頃の記憶と云うものは、……否、此の数年、数ヶ月に及ぶまで、わたしの記憶は、正直なところ、はっきりとしたものは多くはありません。極めて断片的で、夢かうつつかも定かではないような、――確かに「在った」と言い切れるような出来事は、特に古い記憶に於いては数少ないものです。


 だからわたしが思い出せるのは、建て替えられて今は無い祖父母の家の和室にした、昼過ぎの強い陽光の色。温められた黄色い畳の上を舞う細かな埃。繰り返し開いた学習漫画のページの手触り。無音映画の一場面にも満たぬような、そんなものが多いのです。

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