応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 一番美しいと思う「最初の一文」はなんですか?作品も教えてもらえたら嬉しいです。

  • Identity Shake -揺らめき-への応援コメント

    作者さん、こんばんは あなたを
    夜遅くにこういうものを書く(応援コメント)
    精神疾患を経験した・・・

    自分のことのように感じ、、思うところあり
    あなたは今、楽しいでしょうか・・・?

    自分と似ている、その理由
    自分に悩み、かつそれを形にすることは、意味のあることでしょうか、それとも
    無いことでしょうか。

    よろしければ、拙い文章を書いております、ご参考まで。
    どこかでお会いできれば、幸運です。

  • 「腐肉 現代という時代」への応援コメント

    最近のご自身の思考がまとまって綿密に考察された良記事です。執筆お疲れ様です。

  • とても勉強になります。
    自己作品の参考にさせていただきます(*' ')*, ,)✨ペコリ
    殺し屋の小説を書いているのですがそこで参考にさせていただいた書物のひとつとして宣伝させて頂いてもよろしいでしょうか?

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    はい、全然大丈夫ですよ!

  • 似たような体験を何度もした気がします。共感できる愚痴です。


  • 編集済

    精神医療をめぐる社会課題への応援コメント

    「病は気から」と言われてきて、実際そのような事例もありますが、精神的に参っている、心が上向きにならない人間に、「病は気から」、「気にし過ぎ」、「やる気の問題だ」と気軽に声を掛けるのは今も昔も変わらない気がします。
     単に「できる」、「できない」のレベルを超えていると、解ってもらえないし、伝えられない壁があるのだと、当事者は愕然とし、無力さに更に打たれます。
     デジタル化で伝達手段が発達し、個人でできるとされる範囲が増え、色々な仕事が合理化されていって、生活環境も科学の進展で変わりました。
     でも旧態依然としたものは残っています。古い価値観を変えられないまま、変化に揺さぶられています。
     狐が憑いたと煙でいぶされるのは真っ平ですが、神社や寺の側に捨てて置かれる、老いて姥捨て山に連れてゆかれる大昔と、現代が改善されていると果たしていえるのか。
     大きな問題提起であると思います。

  • 良い切り取り方です。しかも何に基づいてそう考えたのかが分かりやすいです。両記事です。


  • 編集済

     鎌倉仏教の一つを信仰しておりますが、それは法華経ではありません。「南無」で阿弥陀如来を唱えるのと、法華経を唱えるのと、違いも知りません。
     しかし、釈迦尊の言葉、各宗教の開祖の言葉は己や迷える衆生を救おうとどれだけ尽くしてこられたのか、悩まれてきたのか、伝わってきます。
     小さなパイを争うこの気忙しい世の中、アンガ―マネージメント、マインドフルネスの重要性が説かれ、ノウハウがあちこちに散見できます。
     案外、原点に戻って、自分の実家の宗教、菩提寺の説話を確かめてみるのも悪くないかと思います。
     宗教団体の組織悪の粗探しになりがちですが、原点は救いであるのですもの。

     拙作について、ここのメッセージ機能に不案内で、前回の応援コメントを編集して追加しておりました。

     返信有難うございます。仏教に限らないのですが、愛、絆、全ては確執で、釈迦は王太子の地位だけでなく、妻子も捨てて出家の道を選び、イエスは母のマリアを見ても、信仰を共にする者が自分の家族と言っています。
     執着や嫉妬を失くし、思い上がりを捨てて、万人、万物に平等に接していこうとする姿勢は、やはり厳しい道なのでしょう。
     拙作への感想、有難うございます。細部よりも、文章の勢い重視で書き上げたので、粗の部分については数々ご指摘をいただいております。女性、それも育児経験のある女性からの感想は肯定的でした。
     批判を繰り返した方は、作中人物が傷ついたり命を落としたりする展開に敏感なようです。特に社会的に弱いとされる立場の女性と子どもに対して。「こんな作品を書く人だとは思わなかった云々」と評されて、はあ? なのです。
     執筆当時、わたしの住む県の県庁所在地で、いじめを苦にした母子無理心中があったことがヒントであり、お題の「心中」と結び付き、わたしの幼稚園や小学校での体験を元に綴りました。
     子どもの心や知能、体格に成長の差が出て当然、そして各家庭での習慣にも違いがあります。それを理解せず声高に指摘し、からかう。幼児でなくても、大人でもあるでしょう。そして追い詰められる。
     現代の日本人が神仏に縋って解決する展開は、どう解釈されるか、挑戦になるかも知れませんね。
     本当に有難うございました。

    作者からの返信

    ありがとうございます。

    私は最近、仏教というのも一つの思想、覚り・仏とは人間の心の持ち方の理想の在り方ではないかと思うのです。
    その境地は、怒りや嫉妬や傲慢のない穏やかで慈愛に満ちた寛大な境地です。それをもって釈尊は覚りとしたのではないか。いうならば仏とは一つの比喩なんじゃないか。
    個人的な解釈ですけどね。でも迷いや苦しみの多い現代です。これも一つの哲学的な示唆ではないでしょうか。


    ここで返信するのも変かもしれませんが、URLの作品読ませて頂きました。
    育児あるある、というのかな日常の生活に密着した悲劇だなというのが第一印象でした。悪意云々というのは感じませんでしたが、結末に至るまでの過程が粗いのは個人的に目につきました。家庭を取り上げると、あるいは母性というものを取り上げる際にはなにかと反発を受けます。それは多分そうして創作物が人々の中にある無意識の固定観念、スティグマを刺激するからでしょう。今回の恵美子さんの作品はそういうところにも挑んだものかもしれませんね。


  • 編集済

    最果タヒの無自覚な悪意への応援コメント

     不勉強で、最果タヒなる詩人を知りませんでした。三津さんの文章から幼さを感じたので、検索してみたら、三十を過ぎた著作の結構ある有名な詩人さんのようですね。最果タヒの作品を直接読んでいないので、大きなことは言えませんが、他人と関わり、世界や歴史を観察、考察するより、自分の世界を深める方が重要といった印象を持ちました。
     傾いたコップの中の水面のように、縁に近い優れた感性、低くて鈍い部分が、創作者としてあるのかも知れません。
     さて、こことは別の小説投稿サイトに投稿した拙作について、悪意(毒)があると評してくださった方がいました。
     わたしも不気味な人間なのでしょう。
     そこまで貶されるとは光栄と感じたのですから。


     お返事有難うございます。
     拙作の題名は『掛け違いの上着の釦(三十と一夜の短篇第36回)https://ncode.syosetu.com/n5090fj/です。これは毎月第一土曜日に、参加者と共通のお題で、好きな発想で短編を綴って、発表する企画です。第36回のお題は「心中」でした。
     ある方からお題ありきの結末だ、ラストに必然性を感じないと 感想をいただきましたが、返信しましたのに、何故かその方は感想欄を削除なさいました。後日、その方の活動報告で拙作について同じ内容を発表されました。余程気に入らなかったのでしょうが、編集されてわたしの作品を評しているのか解らなくされてしまいました。それでも話の演出上の無意識の悪意や作者の毒があるとか綴られていました。
     まあ、確かに嬉しくはないですが、そこまで嫌われればむしろ創作者として光栄といった所です。
     へそ曲がりの言い分です。お暇があればご覧になってみてください。

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    そうですね、考察よりも自分の世界を探求するというのがぴったりな作者であると思います。
    そういうところが、多分幼さであり悪意なのでしょう。
    話は変わりますが、恵美子さんが「毒のある」と評された作品を読んでみたいと思いました。よければURLなど送って頂ければ読みます。

  • よく考え込まれた上で丁寧に書かれていると感じました。良作です。

  • 幼稚な大人への応援コメント

     色々と考えさせられますね。空気を読んで結局何も言えなくなるのは嫌だと自覚しているのに、雰囲気や相手の置かれた状況を忖度して相槌程度で終わってしまった経験が多いです。
     そうかと思えば、頭に浮かんだことは全て口に出るようになっているのかと羨ましいような、困るなあと感じるような人がいます。
     自分の話す事、それ自体に価値があると信じて長時間喋り続ける人。(だいたい人間はそのようにできています)
     後は年齢の所為もありますね。わたしの実母と姑は高齢の為に耳が遠いので、こちらはたまに声を張り上げなければならないし、耳が遠いと自覚のある母は大声を出さないけれど、姑は結構声が大きい。わたしは注意力散漫になりがち。その為ではないけれど、一時期心因性の難聴を心配された経験さえあります。
    「近頃の若い者は」、「年を取って頑固になった」、いつの時代にも出てくる言葉です。
     この頃はオーバーツーリズムの問題が日本で取り沙汰されています。三津さんやわたしが生まれる前ですが、日本の高度経済成長期、海外への団体旅行客が滞在国のマナーを知らない、旅の恥は掻き捨てと田舎者丸出しだった話があります。また、これはバブル景気の頃にあったという日本人の外国でのブランド品の爆買い。
     茶番のように歴史は繰り返されています。
    「あれをご覧」と指差されて、指先を見るような人間にはなりたくないです。想像力は誰しも持ってるけれど、誰もが百メートルを十秒で走れないように、それも差が大きいと感じています。
     ええ、わたしはミュージアムや劇場、映画館で大きな声で喋らないで欲しいと強く感じています。こっちは真剣に観ているのですから。

    作者からの返信

    こんにちは。
    ありがとうございます。

    「自分の話す事、それ自体に価値があると信じて長時間喋り続ける人」
    「『あれをご覧』と指差されて、指先を見るような人間にはなりたくないです。想像力は誰しも持ってるけれど、誰もが百メートルを十秒で走れないように、それも差が大きいと感じています」

    とても共感できました。
    最近、物事に「怒り」を感じることは若さの表れなのだなぁと感じ、自分の未熟さを自覚する尺度にもしています。
    ここで書いたような、想像力について何年鈍くなっているひとの多さには正直辟易とします。
    それはそのまま社会の中にある文化資源に対する、極めて稚拙で狭量な見方と比例するような気もしています。そして、その主体は子どもではなく、大人です。
    私はそういうものを指して、「社会の劣化、未熟」だといいたいと思いますね。

  • そこに、悩みがあるからへの応援コメント

     実生活では実現できない全てを試みるもの。歴史の仮説を論文ではない形式で述べるもの。嘘八百。そして悩みや疑問を、読む方へ問題提起するもの。
     四十過ぎても惑うのですから、悩みも煩悩も尽きません。
     

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    そうですね、悩みは尽きません。だから多分私はなにかを書きたいと思うのでしょうね。

  • 社会の理不尽さへの応援コメント

     人は「見たいものしか見ない」、常識バイアスとは違った意味で存在します。独立しようとする子と、旧弊な考えの親にもあるし、自分の我が儘を正義とするカスタマーと出来うる職域に限りのある職業人にもあります。
     精神的な消耗で感受性を磨耗させてしまう辛さ。それに負けず、改革を試みる強さを持てるのはわずかな人たちです。基本的人権があって、身分制度が無く、参政権が等しくあるにも関わらず!
     野心や夢を語るのを鼻であしらう人こそ、恥じらうべきだと言いたいです。


  • 編集済

    趣味としての宗教への応援コメント

    引用無しで、三津さんの言葉だけでのエッセイを拝読したいです。
    勝手な感想ばかり寄せてしまい、申し訳ないです。
    多くの感想が寄せられ、また三津さんご自身がお仕事でお忙しいでしょう。三津さんの作品を期待しております。無理のないようお続けください。

    作者からの返信

    いつもありがとうございます。そうですね、ちょうどごく私的なエッセイといえばいいのか私個人の雑多に考えていることをテーマにエッセイを書こうとしています。よければまた読んでみてください(o^^o)

  • 不自然なこころへの応援コメント

    感情や情念を単なる電気信号とするのか、はたまた魂なんていう摩訶不思議な概念とするのか。話を書くうえで考えがちです。

  • 自制と共感と、情動への応援コメント

     一瞬、EQってHSPと関係あるのかな? と連想しましたがそうではないですね。(HSP、Highly Sensitive Paeasonの略で刺激に敏感過ぎる人を指します)
     人をどのように導き、行動や思考を磨いていくか、教育には常に時代の要請と試行錯誤がついて回り、何が正解か、育児と同様判断しづらいものです。
     詰め込みだの、ゆとりだの批判されつつ、それでも子どもは青年になり、社会人になっていきました。
     自分で自分を成長させる術を持つ、或いは気付いていけるのが理想です。
     個人個人のわずかな差異を大袈裟に騒ぎ立て、無駄な争いで消耗し、感情を荒立てるのだけは避けたいと願っています。
     それが知性を持ち、社会を形成している生物であると証拠とできるのですから。

  • 変なエッセイ求む! 前編への応援コメント

     なろうのエッセイランキングをバッサリ斬りつつの、卑猥考察。笑ってしまいました!
     春画は、どういう意図で描かれたんですかね。漫画家がペンネームを変えてこっそり描くような、副業的活動だったのか。それとも、大名の娘あたりが嫁ぐ前に渡される、指南書の作成依頼があって描いたのか……

     「まんこ」は卑猥か。イラストやアニメだと、ツルツルで綺麗ですが、実物はどっちかというと見た目や臭いなど「気持ち悪い」と思うから、色々思うに卑猥じゃないという気がします。ろくでなし子さんの創作物は、見た感じ別に卑猥だとは思いませんでした。というか、性行為の動画すら、どっちかというと大概見た目が汚いので、卑猥だと思いません。
     卑猥って、何ですかね。刑事罰の対象になって初めて、卑猥、と言えるのかもしれません。私の感覚ですが。
     ちなみに私は、ブログで自作の春画を掲載しております。卑猥な気持ちで描いておりません。ただ、挿絵があった方が良かろうという事で描きました。見た人の反応は、それぞれでしたが……

  • 「1 dollar please」のない国でへの応援コメント

    「日本は素晴らしい国だ」と言い切る人が増えた日本を、外の国から眺めています。おっしゃるような1 dollar pleaseのない国、助けてと言葉を発する人を暗に嫌う人が多い気がして、ちょっと暗い気持ちになることがあります。


  • 編集済

    人種は存在するか?への応援コメント

    とても共感できる言説でした。
    僕は人種区別は肯定派なのですが、それでも一定の説得力を感じ、自身の思想の再考のきっかけにできました。

    確かに科学的観点から見れば、人種に対して地域的・座標的な区別は存在しないという事は理解が可能です。
    しかし当然ながら、長い年月の間独自の文化圏を構築してきた人類は、地域によって様々な思想的・肉体的適応を遂げており、その適応の効果は他の地域においては適用されません。それ故に、人類はまだ適応していない他種の人間の侵入に対して帰還を推奨する特性を持っています。
    【人種差別の否定】とは、その帰還の推奨という行動が『迫害』という概念に差し替えられて生まれている事に対する、倫理的なエゴイズムに過ぎないのです。

    その点を否定せず、あくまでも客観的な視点から人種の問題を語っている点でも、この記事は非常に良質なものであると思いました。

    作者からの返信

    ありがとうございます。

    科学的見地から、構造的な差別や瑕疵というのを否定することは簡単です。ただ、その否定的なもの倫理的な観点から言えば差別的なものの中にも文化やそこに生きる人々がいます。科学や学問とは、そうした部分も含めて新たな社会や世界の創出を行うべきだと私は思いますね。

  •  バシュラールの科学的精神に対する言論を、綺麗に現代の誤謬の原因へと結びつけ、論理破綻無く転化させている点に驚嘆しました。素晴らしい感想であると感じられます。

     客観的な意見としては、哲学書にありがちな迂回的言説が多く、カクヨム読者の視点からはやや難易度の高い言論になってしまっていると感じられました。
     言葉の一つ一つが何を意味しているかを解説し、それが思想にどう接続しているかを明示すると、更に良い記事になるのではないかと考えます。

     長文失礼しました。
     良質な記事を有難うございます。

    作者からの返信

    ありがとうございます。

    私はものを考える時に、それが現代もっと言えば今の私たちといかに繋がっているのか、関係があるのかという視点から考えるようにしています。そのところを見て頂けてとても嬉しいです。
    ただ、カクヨムの読者層にはあまり馴染まないかもしれません。噛み砕くのもいいのでしょうが、自分の備忘録的な部分が多くてあまり読む人のことは意識できていなかったですね。

  • 蟻のように書くへの応援コメント

    本当にその通りだと感じました。自分で同じように感じながらも言語化できなかった思いを見るようでした。
    文学の側面への言及も大いに頷けます。

  •  定見が無ければ、批判も批評もできないでしょう。それは気に入らない、面白くないといった印象、感想とは違います。
     頑固と言われるのは仕方ないにしても、古臭い、かび臭いと言い返されないよう、日々勉強は怠りたくないです。
     小説投稿サイトで批評めいた意見を送信して、逆ギレされたり、いきなりブロックされるのは素人同士、無駄な労力を趣味に費やしたくないのだなあはあります。同じ土俵での論争は、プロのライター陣でも難しいのですから。
     多くを知り、考える、意見を持つ為の手段、表現方法は人様々。おばちゃんが姑くさいこと言ってらあと、批判されないよう、わたしも気を付けなくっちゃ。

  • 批判・批評についてへの応援コメント

    批評は難しいです。
    作品について、ここが稚拙、何を訴えたいか解らないと、わたしは評価したのに個人攻撃ととらえられた経験があります。逆に批評に信用されたこともあります。(本当はそうでもない)
    好んで論争を吹っ掛けて来る人もいます。
    プロのライターや評論家でもあーたらこーたらありますから、一晩眠って忘れるのが一番いいのです。ポジティブなところだけ、有り難く受け取ればいいのです。

    作者からの返信

    本当に批評って難しいですよね。受け取り方で個人攻撃にもなってしまいますし。ある言葉が単なる個人攻撃か批評かの境目は、作品と言葉に対して愛があるのかによると考えたりもしています。それは見返りを求めない、芸術に対する純粋で無償の愛でなければならないと思います。

  • 「だっさい」ことへの応援コメント

    「だっさい」真似したことあるし、「だっさい」仕打ちをされたこともあるから、お腹の底から笑いたいです。

    作者からの返信

    誰だって、「だっさい」ところあると思うんですよね。そこに気付くか気付かないかが大きいのではないかなぁと。

  • 2ヶ月目に思うこと。への応援コメント

    お仕事お疲れ様です
    私は、社会人になるまであと2年ほどありますが、自分が何をしたいのか、自分を活かせるものは何なのかがわからず日々悶々と過ごしていました。しかし、「この道しかない」わけではないという言葉に励まされました。ありがとうございます。

    平日は思いきり働いて、休日は読書に費やすという生き方、とても素敵だと思います!

    作者からの返信

    ありがとうございます。学生のうちしかできないこともあるから、楽しんでくださいね(*´꒳`*)
    なんといっても時間があることは大きいです!その中で「自分らしさ」を求めていってほしいと思います。

  • 2ヶ月目に思うこと。への応援コメント

    お仕事お疲れさまです。

    私自身も同じく新社会人二か月目なので、色々と共感することが多かったです。本当に時間があっという間に過ぎて行ってしまいますよね。自分は疲れてだらだらしてしまうことが多いので、見習いたいです。

    これからも頑張ってくださいね。あと、エッセイもいいですが、もうそろそろ新しい小説も読みたいです笑。

    作者からの返信

    そちらもお疲れ様です。てっきり歳上の方かと思ってたんですが、同世代だったみたいで嬉しいです 笑
    小説の方もぼちぼち上げていく予定です!笑