花迷路・中央


 エーデムリングに属する者・セリスは、黒曜門が開いたことに気がついた。

 すぐさまブレイン会議を中断すると、イズー城の地下深く降りて、黒曜門に手をかけた。

「お父様! セリス様!」

 すっかりぐしょぐしょに泣きはらしたレイラが飛び出してきた。

 ブレインの一人でありレイラの父でもあるベルヴィンは、さすがに気が動転し、娘に詰問した。

「いったい、どうしたのだ? なぜ、おまえがこんなところに?」

 しかし、娘は答えることができないほど興奮していた。

 父親の狼狽ぶりに、セリスはレイラを抱きしめて髪をなでながら答えた。

「ベルヴィン、姫はどうやらあなたが思っているよりもエーデムリングに近い者だったのです。黒曜門は寛容な門……。たぶん、姫の願いを聞き入れたのでしょう」

 大事な会議を中断させるようないたずらにも、セリスは寛容だった。


 ――こんなに至らぬ娘をほめて下さるとは……。


 ベルヴィン公は、深く王に敬意を表した。

「ま…まって……エレナが!」

 レイラの一言で、今までの微笑がセリスの顔から消えた。

「どうしたのですか? まさか、エレナも一緒だったのですか?」

 セリスの声は穏やかだったが、目は真剣になっていた。

「……氷竜が……エレナ、エレナ……」

「はっきりと、王の質問に答えなさい!」

 普段は穏やかなベルヴィンの声が、きつく娘をしかった。

 セリスは手でベルヴィンを制すると、ゆっくりとさらに優しい声で話しかけた。

「レイラ姫、教えてください。エレナはどうしたのですか?」

 レイラは突然爆発したように泣き出すと、セリスの胸をバンバンたたき出した。

「セリス様! ごめんなさい。私が悪いの! 私……! エレナはエーデムリングの迷宮にいるの! 私のせいなの! お願い! 早く助けてあげて……」


 ブレイン達はザワザワと騒ぎ出し、お互い顔を見合わせた。

 セリスは声を失った。顔はすっかり硬直していた。

「セ…セリス様?」

 レイラの声に我に帰ったセリスは、この上もなく悲痛な表情をしていた。

「私は……いけません」

「なぜ?」

 レイラには信じられない言葉だった。

 エレナは……。

『迎えがきます。セリス様がきっと迎えにきます。だから信じて待ちましょう』

 エレナはずっと言い続けていた。

「どうして? セリス様! お願い! エレナを助けて!」

 甲高い声をあげるレイラの目を避けるように、セリスは背を向けた。

「私には大事な仕事があります。今日これから統一リューマ族長を迎え、会談することになっています。これを断るわけにはいきません」

 レイラは耳を疑った。

「それは……エレナより大事なこと?」

「そうです。一人の運命よりも大切なことです」

 信じられないという顔で、レイラは怒鳴った。

「だって! セリス様は! セリス様は、エレナを愛しているのでしょう? とっても大事な人なのでしょう?」

「ええ。でも、私は私である前に、王なのです」

 その言葉で、レイラの王子様像は崩れ去ってしまった。


 ――本来王族としてあるべき結婚を断って、愛を貫こうとしたのではないの?

 なのに、たかが会談のほうが大事だというの?


「見そこないました! いいわ! 私がエレナを助けに行くわ!」

 大騒ぎするレイラを、ベルヴィン公が押さえつけた。

「ベルヴィン、あなたには時間を与える。姫がこの門に近寄らぬように、家まで送り届けなさい」

 セリスは、凍りつきそうな声で命令した。




 重たい会議室の扉が開かれ、明るい表情のリューマ族長がセリスと共に歩み出た。

 長年の交易問題は、この会議にて大まかな決着を見た。統一リューマにとっても、エーデムにとっても、一歩譲って十を得る、満足した結果となった。

 その後、二人の元首はイズー城の中庭を散策し、お茶の時間をとることになっていた。

 イズー城の中庭の美しさは多くの詩人が詩にするほどであり、セラファン・エーデムによってもたらされたお茶の時間という過ごし方は、多くの人々に支持されていた。

 くつろぎの時間という魔力によって、セリスは多くの交渉事をまとめあげていた。


「セリス殿、まったく見事な庭ですな」

 リューマの言葉に、セリスは一瞬反応が遅れた。

 考えないように気を張っていたのだが、この庭にはエレナとの思い出が多すぎる。

 選ばれない者にとって、あの迷宮がどれほど恐ろしい場所であるかは、おそらくセリスが一番知っている。

 かすかな風にさえ花びらを振るわせる銀薔薇のひとひら、すべてがエレナの怯えた姿に変わるのだ。

 やや白髪の混じる髭をさすりながら、リューマは微笑んだ。

「セリス殿、あなたはまだお若い。このような美しい庭にいても、心が別に飛んでしまうことがあろうとは」

「恥ずかしい限りです。長年の憂いをあなたと共に払うことができ、気がゆるんでしまいました」

 一面の花・花・花……。

 セリスは花の向こうに、迷宮を見た。

「……あなたは誠実で真直ぐな方ですな。だが、時に遊ぶことも寄り道することも必要じゃ。それが肥しになることもある。たとえばこの庭……このようなところはぜひ、美しい姫と歩いてみたいと私なら思うが……」 

 リューマの言葉にセリスは足を止めた。

 リューマ族長が、イズーで噂の『二人』の話を知らぬはずがない。

「あなたのご自慢の許嫁に会わせていただけないのは、私が至らないせいなのだろうか? どうでしょう? 美しい庭を美しい姫と歩きたいという、この老人の願いをかなえてはもらえぬだろうか?」

 どうやらリューマは、セリスとエレナが喧嘩でもしたと勘違いしているらしい。途中までは見事にセリスを読みきっていたが。

 時代は平和となった。この老人は、若い二人の仲直りを取り持つ役を引き受けたいのだ。

「私はしばし、待たせてもらう。どうか姫を迎えにいってはもらえぬか」

 セリスは、リューマ族長に敬意を示し、一人庭を後にした。

 中庭から城内に入ったとたん、セリスの足は速くなり、やがて地下に向かって走り出した。


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