第2話 蘇生屋グラト


 はじめ、「対話」と「暴力」が賭けをした。

 一度めの賭けに勝った「対話」は、世界に「ひとつのことば」をもたらした。

 二度めの賭けに勝った「暴力」は、ひとつのことばを千々に乱した。

 三度めの賭けは最後であり、「対話」は「暴力」を世界から放逐した。

 千々に乱された「ひとつのことば」を見た「対話」は嘆き、世を去った。

 いつか「ひとつのことば」が戻る日に、「対話」は帰還するという。


 残された、一千と一千に乱された世界を、もって「百万の庭」と称する。


 ──語り部の家、創世の伝承に曰く。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 背後に浮かぶかめを示し、グラトは笑顔で問うた。


「出物はありませんかね」


 死んだものは帰らない。それは世の理である。

 それがたとえ齢十二にも届かぬうちのことであれだ。情けの入る余地はない。

 世と約束されたときのはて、天寿を覆すことはできない。

 この世の理が、真っ当に働いている限りは。


 世の理を捻じ曲げる方法というのは、ある。

 たとえば、いまグラトが牽いている壺がそうだ。

 中に子供がひとり押し込めるほどの金属の甕。たとえばこれを、宙に浮かべることができる。詳しい理屈は専門家に任せるとして、普通なら持ち上げるのも苦労するような金属かねがめを、水に浮くように宙に浮かべて、楽々と牽いて歩くことができるのだ。


 これをなす基盤を、異法、と言う。

 百万の庭のほとんど隅々まで普及している「当然のこと」だ。

 初めて見るものは、大概ひどく戸惑うことになる。


 それはそれとして、異法で人を甦らせられるかといえば、否である。

 これはグラトも商売柄、売り口上ためずいぶん勉強をした。

 要するに「語るもの」は死んだとき、自分を語る方法を失う。

 あるいは、自分を語る方法を失うことを、「語るもの」の死と呼ぶ。

 「語るもの」の特権は、「語る」ことである。

 異法はそれを、思い切り誇大解釈した結果なのだ、という。

 ただし、「語るもの」は他人を「語る」ことはできない。

 よって、異法が直接効果を及ぼせるのは「語るもの」ならびに「騙るもの」以外の物体や現象と、異法を使った本人のからだ、それだけである。

 

 しかし、死とは自分を語るすべを失うことである。

 よって、異法では死者を生き返らせることはできない。

 証明終了。閑話休題。


「出物つってもなあ、お前」


 カウンター内、グラトより頭三つほど背が高い店主は、外甲質の顎を爪で掻いた。

巨大種蟲人の表情は読みにくい──何しろ顔の可動部が、横開の厳つい口しかない。しかし、呆れているのだろうとは察しがついた。グラトが彼の立場でも、呆れる以外にあるまい。


「死人を呼び戻すような横紙破りが、そうそう流れ着いてたまるかよ」


 店主は三対の腕で棚から縄巻の瓶と木杯ジョッキを取り、同時進行で肩をすくめてみせた。


「そこで口八丁、騙眩だまくらかすのが蘇生屋の仕事だろ。お前それで稼いでるんだろうが」

「そこを何とか。<翡翠顎>さん、『無尽迷宮』一の事情通が看板じゃないですか」

「ないものの在り処は出せねえ」


 信用商売だからな、と、<翡翠顎>はなみなみと注いだ木大杯ジョッキを押し出した。


「飲んだら帰って、他に当たれ」

「いただきます」


 一気に傾けた杯の中身は、強い酒のはずだ。

 ただ、喉を焼く感覚も、独特の風味もまるで感じない。これも商売柄だ。

 からだに刻み込んだ異法が、毒らしい毒の効果を大半、遮断してしまう。

 むろん、そこに由来する味もだ。口の悪い連中は、鉛舌の法などと言う。

 強い酒など、酒精の風味が芯になっているものだ。

 それが抜けた色水、これは有り体に言って、うまくない。

 <翡翠顎>もそれは承知の上で、要は、さっさと出て行けということだ。

 だがそうもいかないのが、請負商売の哀しいところである。

 酒代の迷宮札を置いて、グラトは表情の見えない翡翠面を伺った。


「しかしね、<翡翠顎>さん。これ、どう思います」


 軽く編み紐を引くと、金属かねがめがふらり、と揺れた。

 甕じたいが浮いている分を入れても、随分と軽い。

 中に水を満たしたとしても、その半分の重さもないだろう。

 <翡翠顎>は巨大種らしい、金属線を擦るような声で応じた。


棺桶カンオケだろ」

「ええ。まだ十を過ぎたばかりのお嬢さんですよ」

「また安請負しやがって」

「流れってのがありましてねえ」


 商売で負けが込んだら、嫌でも無茶をしなければならないときが来る。

 主上の保護を受けられないような商売を、手広くやっているならなおのことだ。

 女衒紛いに口利き屋、口入屋、手形手配師。それに蘇生屋。後ろ暗さ極まる。

 いましくじれば、恐ろしい筋から追っ手がかかる。それこそ、迷宮に終生、引きこもることにもなるだろう。つまり、迷宮に湧いて出る魔物か、「騙るもの」どもか、さもなければ追っ手に殺されるまでの間。


 首尾よくこの娘を親元に返せれば、まずは山ほどの礼金が入る。

 逆に、もししくじろうものなら、いろいろな方向からグラトの尻に火がつく。

 もはや、やすやすと引き返せるような話ではない。

 峠はとっくに踏み越えて、あとは崖から飛び降りるばかりなのだ。


「後払いで、僕が払えるだけ、言い値で出しますよ。<翡翠顎>さん」


 グラトはカウンターへ身を乗り出した。


「紙で誓っても構いません。もし、信用していただけないならね」

「そりゃお前」


 <翡翠顎>は腹を反らし、軽く胸を引いた。

 鎌首をもたげるようにして、考える素振りをみせる。

 翡翠色の爪でカウンターを数度叩く。色々を、秤にかけているようだった。

 やがて複眼を逸らし、軋る声を潜めて、<翡翠顎>は呟いた。


「北区の中層に、あながあいた。腕利きが何組か向かったが、戻らん」


 <翡翠顎>は、カウンターの迷宮札を取り上げた。朱で鮮やかに描かれた異邦の文字と文様、通商数字の真ん中に、大胆に図案化された女の横顔がある。


「ちからとしちゃ、公主と似たり寄ったりの代物が出てきている可能性がある」

「もっと騒ぎになってないのは何故です?」

「何も外に出てこねえからだよ。ウロあなじゃねえかって噂になってる」


 <翡翠顎>は、分厚い鎧のような第一肩を竦めた。

 第二腕で払いを金箱にしまい込む。


「後払いには十分だろ?」

「ええ。良い出会いがありますように」


 グラトは席を立ち、ぐいと浮遊甕かんおけを引き寄せた。紐を巻き取り、把手を掴む。

 迷宮の素潜りは暫く振りだが、まあ、なんとかならないこともないだろう。

 安い希望に人生を賭けるとは、要するにそうしたものである。

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