不思議のカフェのハーバルスター

美木間

カフェネームと個展

第1話 カフェ ハーバルスター

 空気のような男の子。

 水のような女の子。

 そのカフェで働いている子らは、子どもの一生懸命らしさとは一線を画す、洗練された身のこなしをしていた。


「いらっしゃいませ」

「ようこそカフェハーバルスターへ」


 交互ににこやかに言われて、思わず笑みを返してしまう。

 笑みを口元に残したまま、私は差し出されたメニューに目を通す。

 

 マーブル模様で縁どられた紙には、斜めに綺麗に揃った文字で、本日のおしながき、と記されている。


 コーヒー「オリオンブレンド」

 ティー「各種取り揃えております」

 本日のランチ「クスクスとササガキゴボウのビネガードレッシング和え、ベイクドトマト、刻んだミントとクミンの味が爽快なミートボールのサワークリーム煮込み、グレープフルーツと春菊のサラダ」


 そして、一番下には、「おたのしみ」とあった。


「本日のおたのしみは、柚子ピールのマドレーヌ、アマンドダンテル、ストロベリーヌガー、ガトーショコラ、タルトタタンです」


 きれいな発音の澄んだ声。

 カウンターのガラスのふたをかぶせたコンポートに並んでいるのが、本日のおたのしみなのだそうだ。


「じゃあ、ランチと、後で、柚子ピールのマドレーヌとオリオンブレンドを」

「はい、ランチと、食後に柚子ピールのマドレーヌとオリオンブレンドですね。承りました」


 男の子は注文の控えを持ってさっとカウンターの方へ舞うように去り、女の子はペコリと一礼してからリネンナプキンを見る間にバラの形に折り上げて、「どうぞ」とテーブルに置いた。


「あ、ありがとう」


 まさかカフェのランチでこんなパフォーマンスを見るとは思わなかった。


 ナプキンのバラを掌に乗せて目の高さに持ってきてみた。

 心なしかバラの香りがしたような気がした。


 ん? と思って鼻を近づけた。

 清潔な生成りの麻の香りしかしなかった。


 確かにバラの香りがしたと思ったのだけれど。

 マジックのように生まれたバラだから、何か仕掛けがあるのかもしれない。


 そうしているうちにランチが運ばれてきた。


「お待たせいたしました」


 男の子がランチプレートをテーブルに置き、女の子がカトラリーを並べた。


「いいにおい」


 野菜とハーブとひき肉と、みんな、新鮮なにおい。

 おなかすいてたんだ。

 こんなに。

 食欲が私を現実にひきもどす。


「ええっと、あなたたち、学校は行かなくていいの」


 運ばれてきたランチプレートの春菊をつまんでいじりながら、ひきもどされた現実に暮らす私は、つい無粋な言葉を口にしてしまう。


「この星で生きていくために、働いているんです」


 きれいにハモって屈託のない笑顔。


 あ、だめだ、負けた。

 やんなるな、子どもにまで負けちゃってるよ。


 ため息が空気を震わせる。


 無意識の健気さに勝てる大人なんていない。

 そう心でつぶやきかけて、気がついて落ち込む。


 またやってしまった。

 何にでも勝ち負けをつけてしまう。

 折り合いをつけられない性格。

 相手が誰であれ理詰めで追い詰めてしまう。

 それが今、こうして平日の昼下がりに自分をもてあましている原因。


 成人しただけじゃ大人とは言えないな……と、なんとはなしの寂寥感。


 このままじゃ、おいしく楽しくランチなどほど遠い。


 心の中でもごもごつぶやいて、食欲をそそるランチプレートを前に、私は失礼にもため息をついた。


 と、カウンターの奥に立っていた店主らしき人物が丸くて小さな銀縁眼鏡をすいっと人差し指で持ち上げて、にこにこしながらこちらへやってきた。

 年齢不詳のタイプだ。


「いらっしゃいませ。私、マスターのオリオンと申します」


 挨拶をしながら、彼はミネラル水の入ったコップを新しいものと手早く交換した。 

 近くで見ると、眼鏡の奥の瞳が、綺麗な灰青と赤みがかったブラウンだった。

 思わず見入ってしまった。

 それに気付いたのか、彼、カフェハーバルスターのマスターことオリオンさんは


「リゲルとベテルギウスなんです」


 と、片目ずつ瞬かせてみせた。

 きょとんとしてると、男の子と女の子が声を揃えて


「オリオン座の1等星です」


 と言った。


 そうだった。

 思い出した。

 地学の授業、いや、理科の授業で習ったっけ。

 星座早見盤を懐中電灯で照らして、夜空と交互ににらめっこしながら、二色の1等星を探した。


 彼の瞳と二人の子どもを、今度は順に見比べてみる。

 似てない。

 輪郭が淡く、あくのなさそうな雰囲気に共通するものがあるけれど。


「あの、このお子さんたち、ご親戚のお子さんですか」


 自分ながらなにを言っているんだとますます困惑しながらの質問。

 彼は笑みをたたえたまま、少し前かがみになって囁くように


「彼はフェザリオン。彼女はティアリオン。この子たち、すい星の落し子なんですよ」


 と言った。


 え、なんかへんじゃない、ここ。

 由緒ありげな木造ゴシックの外観と、漂ってくる美味しそうなふくよかな香りにつられて入ってしまったけれど。

 だいたい店主の名前がオリオンで、従業員はすい星の落とし子?


 心の中であたふたしながら、それでもさっきまで鈍ってたどんよりの気持ちが、オリオンさんのひと言で攪拌されて散っていく。


 もう一度彼を見る。

 笑顔が眩しい。

 オリオン座ってこんなにまぶしかったっけ?

 思わず逸らせた視線が行き場を失ってさまよう。


「すい星って、あの、ハレーとか百武とかの、すい星のことですよね」

「そう、コメットです。けれど、そんなに有名なものではありません。ささやかなほうき星です」

「ぼくたち、ほうき星といっしょに旅をしていたんです」


 うれしそうに再びハモる声。

 こう大真面目にうれしそうに言われてしまうと、それだけでその言葉は真実になってしまう。


「では、どうぞごゆっくり」


 オリオンさんはそう言って、カウンターの奥へもどっていった。





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