傘さし狸と迎え人 ――蛙――10


「ほどなくして両親は離婚したよ。最後まで俺が家出した責任を押しつけあっていたから、結局、俺がとどめを刺したようなものなんだろうな」


 すっかり語り終えた羽根川は、疲れた顔つきで鼻筋を揉んだ。


 その後、両親のもとを離れて父方の祖父母に預けられた羽根川は、教育大学を卒業後、県立影繪高校の教員として採用され、生まれ故郷のこの町へと帰って来た。


 そして――。


「ずっと探してたんですか? その人のことを」


 問われた羽根川は、しばらく考えこむように目を伏せると、


「……わからない。今となっては、何もかも夢か妄想だったような気がするんだ」


 それに、と。


 足元の地面を見つめ、自嘲するように息を吐いた。


「もし実在したとしても、飽きて捨てられたのには違いないさ」


 皮肉げな口ぶりは、羽根川自身がその言葉に傷ついているのが感じられる。


「そんなことは――」


 ないのでは、と否定しようとして言葉に詰まった。


 捨てられたのは、漱也も同じだ。


 子を捨てる親がいるならば、拾い子を捨てる妖もいるだろう。


 喉の奥に引っかかった言葉をそのまま呑みこむ。そんな漱也の横顔をうかがった羽根川は、物言いたげに唇を開いて、しかし思い直すように首を振った。


「時間をとらせて悪かったな」


 言葉少なに謝ってベンチから立ち上がる。


 残された漱也は、かける言葉も見つからないまま、ただ遠ざかる背中を見送った。



   ◆



 しばらく漱也はベンチから立ち上がることができなかった。


 捨てられたのだ、と羽根川は言っていた。


 当時の彼の気持ちを思うと、やりきれない痛ましさを感じる。棘のように胸に刺さって抜けない痛みは、幼い日の漱也と重なるものだ。しかし、だからと言って今さら何ができるわけでもない。


やがて溜息を吐いて立ち上がろうとした、その時だった。


(ん?)


 尻ポケットから、ぽとっと何かがこぼれ落ちた。


「……折り紙?」


 黒と白、ツートンカラーの和紙で折られた鴉だった。


 小学生の頃、図工で習ったことがある。確か〈おしゃべりからす〉と呼ばれるもので、翼を広げたり閉じたりすると、くちばしがパクパク上下に開閉する仕組みだ。しかし一体どうしてこんな場所から――。


(なんだ? 嫌な予感がする)


 ぞわりと背筋に寒気を覚えた、次の瞬間。


〈アンタ、お使いに行ったきり、どこで油売ってんですか!〉


 かぱっと開いたくちばしから、蒼生の怒声がフルボリュームで飛び出した。

とっさにキーキーパタパタ騒ぐ鴉を通行人の目から隠すと、漱也は猛ダッシュで路地の奥へと駆けこんだ。どうも携帯電話と同じ機能があるようだが、これでは心臓に悪いどころの話ではない。


 とりあえず平身低頭した後で、


「実はさっき……」


 と羽根川から聞いた話をそのまま伝えた。


 初めは憮然としていた蒼生だったが、やがてふんふん相槌を打ち始めると、


〈十中八九、傘さし狸ですね〉


 そうあっさりと結論づけた。


〈いわゆる化け狸の一種ですよ。雨の降る夕暮れ、傘をさした人に化けて一緒に来ないかと誘いかけるんです。うっかり中に入ると、とんでもない場所に連れられて、そのまま放り出されるんだとか。しかし悪戯者の中にも情の深いのがいますから、行き場をなくした子供の姿を見て、棲家に連れ帰ることにしたんでしょうね〉


 そして訝しげな声で「ううん」と唸ると、


〈不思議なのは、今までこの町にそんな化け狸がいたなんて話、アタシは聞いたことがないんですよ〉


「いや、単に忘れてるだけじゃないのか? なんせ物心つく前の話だろう?」


〈おや、どうやら勘違いしてるみたいですね。こんな見た目ですけど、アタシは大正の生まれですよ〉


「……………………は?」


 単純に考えて、少なくとも九十を超えている計算になる。


「い、いくらなんでも若作りしすぎじゃないだろうか」


〈失敬な! ひとを化け物みたいに言ってくれますけどね、そもそもおかしいのは茜辺原っていうこの場所ですよ〉


 聞けば、神域である茜辺原にいる限り、老いも病もないのだそうだ。それどころか、たとえ飲まず食わずでいたとしても、喉の渇きや飢えに悩まされることもないらしい。


 ずいぶん便利なものだなと感心すると、


〈そう単純な話でもないんですけどね。まあ、だから傘さし狸なんて妖怪がいたら覚えてますよ〉


「……老人性の健忘症ということは」


〈しばきますよ、アンタ〉


 一声、威嚇するように蒼生が唸った。人食い虎さながらの凶声だ。


 やがて。


〈まあ、化け狸が絡んでるなら、ウチの領分と言えないこともないですか。やれやれ、町の人からの相談事なんて、この先一生ないんじゃないかと思ってましたよ〉


 あれ、と漱也は違和感を覚えた。


 てっきり迷惑がられるとばかり思ったのだが、意外にも蒼生の声はうきうきと弾んでいる。何にせよ、人探し、もとい狸探しに協力してくれる気になったのなら、これほどありがたいこともない。


「ありがとう。正直、助かった」


 そう素直に礼を言った漱也に、「ふん」と蒼生は鼻を鳴らした。ひょっとすると照れているのかもしれない。


「で、とりあえず俺は何をすればいいんだろうか?」


 意気ごんで訊ねた漱也だったが、蒼生の答えはごくシンプルだった。


〈とにかく、あの辺りのことに詳しそうな人を探してください。羽根川って人の言う通り、化け狸の棲家が商店街にあったのなら、何らかの手がかりが残ってるはずです。何にせよ、あとはアンタの手腕一つですよ〉


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