微妙な空白

 今年も、残すところあと3日になった。


 年末年始。

 去年までは、付き合ってる女の子と一緒に過ごしたり、それなりに賑やかなイベントもあったりで、普通に年越しを楽しんでいた俺だった。

 だが、今年の俺には、なんとも言えぬ微妙な空白ができていた。


 正月の三が日くらいは、横浜の実家に帰るか。どうせ、両親とも雑煮を食べたらまた仕事で、実家をほぼ空き家状態にするつもりなのだろうが。

 その他は……こっちでGSのバイトと。DVD借りたり、読みたかった本読んだり。

 そんなもんかな。


 神岡工務店副社長として、神岡家長男として。また二階堂家令嬢の婚約者として過ごしているであろう彼のことを考えそうになり……はっとしてぶんぶんと頭を横に振る。

 ……なんとも言えず微妙に苦痛な、この空白。


 そして、俺には片付けるべき最高にブルーな仕事が残っていた。


 盗聴・盗撮探知機という代物を、近くの家電販売店で購入した。

 それほど高価でもなくこういうものが手に入るなんて、初めて知った。変に大げさにならないところは有り難い。


 宮田から渡されたテディベアに、その手の物騒なものが仕込まれているかもしれない——

 そう警戒した俺は、そのぬいぐるみを袋に戻し、ベランダのダストボックスに押し込んでおいたのだ。


 本当は触るのも嫌だったが——だからといって、そのまま放置しておくのもとんでもなく気分が悪い。

 そのクマの実態を確認すべく、俺は今年最後の勇気を奮い起こしていた。


 ベランダへ出て、恐る恐るダストボックスへ近づく。

 探知機を寄せた。

 怪しげな反応は何もない。

 呼吸さえ殺しながら、そおーっと蓋を開ける。

 テディベアのすぐ側まで探知機を持っていく。

 これだけ近づければ、本当に仕込まれている場合はブザーが鳴るはずだ。


 ——無反応。


「はあぁぁ……」

 大きなため息とともに、がっくりとその場に膝を折る。


 ……くそっ。

 宮田に、思い切り弄ばれた気がしてきた。


 こんな風にいかにも怪しげな演出をして、あいつは俺の動揺を煽るつもりだったに違いない。


 それとも——まさか、純粋に俺へのプレゼントだったのか?


 どっちにしても、気持ちが悪くて吐き気がする。


「——ふざけるなよ」

 絶対に手元には置いておきたくないこのクマを掴み、俺は立ち上がった。




 美容室『カルテット』へ向かったのは、その昼下がりだった。

 テディベアの包みの入った紙袋を提げ、店のドアをぐっと掴んで引き開ける。


「いらっしゃいませ」

 受付の女の子が、可愛らしく微笑む。

「三崎といいますが……宮田さんはいらっしゃいますか?」

「宮田でしたら、昼の休憩で外出していますが……もう間もなく戻って来ると思いますよ」

「——そうですか。ありがとうございます。じゃ、少し外で待ってみます」


 彼女に渡してもらうつもりはなかった。

 なんだかよくわからないが……あの男の顔を見て、はっきり言ってやらなければいけないことがあるような気がした。


 店の脇のフェンス越しに、年末の慌ただしい通りを行き交う人のざわざわとした流れが見える。


 彼は——

 神岡は、今頃、何をしてるだろう。

 大企業の副社長には、仕事納めなんて悠長なことを言ってる暇はないんだろうか。

 それとも……婚約者の美月さんと、既にゆっくりどこかへ出かけたりしているのだろうか。


 彼は……

 こんな風に、一瞬でも俺を思い出してくれるだろうか——


「あれ? 三崎君?」

 その声で、我に返る。

 思わず背筋がぞわりとした。


 休憩から戻ってきた宮田が、美しい笑顔で俺に歩み寄ってくる。

「嬉しいな。ボクに会いにきてくれたの?——あ。もしかして、やっとボクと付き合ってくれる気になったとか?」


 バカじゃないのか……そんな言葉を飲み込み、俺は紙袋を突き出す。

「——返しにきただけだ」

「あれ、気に入らなかった?

 ——それとも。頭のいい君のことだから、ちょっとスリリングな思いをしちゃったとか?」

 そんなことを明るく言いながら、俺の顔を覗き込む。

 ねっとりとしたこの男の空気を避けようとするほど、彼は面白がるようににじり寄る。

 フェンスの隅に背が触れるまで退がった俺は、長身から楽しげに見下ろす彼の視線をぐっと睨み返す。


「——ねえ、三崎君。年末は、彼も忙しくて君の部屋にも来られないでしょ?

 ボクのとこにおいでよ。……すごい楽しいこと、教えてあげる」

 俺の耳元まで唇を寄せ、宮田はそう囁く。

「——気絶するほどの快感。……知らないだろ?

 君のそのかわいい身体はきっと、ボクなしじゃいられなくなるよ」

 すぐ側まで接近しながら、宮田は俺を舐めるように見つめて微笑む。


「——何度も言うが、俺はあんたが嫌いだ」

 粘りつく視線を正面から受け止め、俺はそう返す。

「だからさ、そういう反応がますます煽るんだって。……さぞ嫌がって、もがいて、痛がるんだろうなあって。……ああ、もう今ここでやっちゃおうか?」

 店の敷地の隅は、人も入り込んで来ない死角だ。

「君はフェンスをしっかり掴んでてくれれば、それでいいから。ボクが後ろから君の綺麗な腰をぎゅうっと抱いて……あー、屋外っていうのも、またたまらないね」


 いたぶっているのか。——本気なのか。

 彼の腕に囲まれ、出口を失った。


 …………そうだった。

 完全にイカれたこの男に、俺は言いたいことがあったんだ——。


 後ろ向きにフェンスへ押さえつけられそうになりながら、俺ははっきりと彼に向かって伝える。


「俺は……

 俺は、彼が——神岡さんが好きだ。

 あんたみたいなクズに、彼は渡さない。……絶対に」


「———」


 その瞬間、俺の背にのしかかる宮田の動きと荒い息遣いが、ピタリと止まった。


 ——弱気な嘘なんかで、隠さない。

 ここにいる間は、こんな最低な男から絶対に逃げたりしない。


 唖然として動かない宮田の腕を払いのけると、俺は足に力を込めて通りへとまっすぐ歩き出した。


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