2 ラズベリーの涙

   



 ケメコは反射的にメイン・スイッチをオフにした。通常のセーブ手順を踏まない危険な切り方だったが、思わずやってしまった。


 ぶつんとすべての画面が切れてコックピットが完全な闇に包まれる。暗い中でケメコは耳を澄ませ、息を潜めるが、カーニヴァル・エンジンの厚い装甲を通して外の音がとどくはずもなく、もし追撃者の2機が騙されてくれなければ、ばーんとこの身体ごと爆発して終わりである。

 ケメコは息をとめるようにして空があるはずの方向をにらんだ。



 のろのろと時間が過ぎてゆく。緊張に耐え切れずカオリンの電源を入れそうになり、ぐっとこらえて、ケメコはアナログ表示式のクロノグラフをのぞく。

 ストップウォッチを動かして冷静に秒針の動きを見つめる。針の動きは、イライラするほどゆっくりだった。


「ケメコ?」

 左の操作パネルがともり、青白い画面が闇の中で光を放った。


「ラズ、あんたどうして?」ケメコはおどろいて画面の中のラズベリーを見る。「電源切れてるのに、なんで登場できるんだよ」


「ほら、パソコンとかも電源切っても時計って狂わないじゃないですか。あれと同じでカーニヴァル・エンジンの電源切れていても、ヘルプウィザードって実は動けるんですよ」


「そっか」ケメコはふっと目元を緩めた。「そんなの初めて聞いたけど」


「行動規制プログラムが取れたから……」ラズは安堵したような笑みを浮かべる。「もう隠し事はいっさいなしです」


「なんだい。今まで隠し事してたような言い方だな」


「ええ。実はいろいろと隠してました。本当の年とか、体重とか。ねえ、ケメコ。あなた凄いブスですよ」


「ははははは、そりゃ分かってるよ」ケメコは快活に笑った。「隠し事ってそれだけかい? そんなのは見たまんまの話だぞ」


「ブスなのは外見だけです」ラズは楽しそうに笑う。「中身はすてきな人。あ、それとこれも言っておかないと。あのね、これはゲームなんかじゃないんですよ。あなたが生活している惑星世界から約1万光年離れた宙域で展開されているリアルな星間戦争なんです。ケメコはここでネットゲームをして遊んでいるつもりかも知れないけど、実はこれって遠い惑星で繰り広げられている本当の戦争なんですよ」


「は? なんの話だ?」

 ケメコは首をかしげる。もしかして、ラズ、本当に壊れたか?


「ごめんなさい、ずっと隠してて。あたし、ケメコのことをおだてたりすかしたりして、あなたに何人もの人を殺させました。あたしに騙されたとはいえ、あなたは今現在までに7115人の命を奪っています」



「ラズ、あんた……」


「ケメコ、現実を直視する勇気、あなたにありますか?」


「なんの話?」


「これがゲームではないって話。理解できてます?」


「いや、ゲームだろ?」ケメコはむっとして答えた。


「本当に?」


「これはフィクションだろ?」


「よく考えて。ヘルプウィザードが言うと思います? 『これはゲームじゃない』って」


「ラズベリー、おまえ、ほんとうにどうかしてるぞ。これは……」


「行って見ましょうか?」


「どこへ?」


「街です」


「なにがあるんだ?」


「街全体が死体で埋め尽くされていますよ」


「行きたくても行けないだろ。スラスターがやられてるし、スポイラーも折れた」


「そうですね。このまま修理しないと、どこにも行けないんですよね」

 画面の中でラズがうつむく。


 ケメコはポケットからメモリースティックをそっと取り出した。この中にはラズベリーのデータが保存されている。もし彼女が壊れたのなら、ロードし直すしかないかもしれない。


 ラズはちらっと顔をあげてケメコが手にしているスティックに目をやった。


「ケメコ、あたしが破損したと思ってますか……」ラズベリーは残念そうにため息をついた。

 そして、ふいに手のひらで口を押さえると、がくりと首を折って身を震わせる。

「ここにいよう、ケメコ。ずっと二人でここにいよう。そうすれば、もう、人を殺さなくて済むから……」


 ラズベリーはぐずぐずと鼻をならして泣き出した。


「……あなたにこれ以上、人を殺させたくないの。お願い……、ずっとこのまま、ここにいようよ」


 ケメコはメモリースティックをコネクターに差し込んだ。


「ロードするの?」涙を浮かべた目をあげてラズがたずねる。「無駄だよ、ケメコ。良心回路を直さないと、あたしの行動を規制するプログラムは回復しないから、あたし、何度でも言うからね」


 ケメコはスイッチを押してからいった。


「ロードするんじゃない。セーブするんだ。いまお前が言ったこと、忘れてもらっちゃ困るからね。あとになって、そんなこと言ってませーんなんて、とぼけるんじゃないよ」


「ケメコ……」

 ラズは嬉しそうに笑った。



 ひとつ溜息をついたケメコは、クロノグラフで時刻を確認する。


 夕方までに洗濯と部屋の片付けをしたかったが、その時間はないかもしれない。明日も早いから零時前には寝たいが、この状況だと難しいか。睡眠時間を削るのは痛いが、しかしここには彼女の数少ない友達がいる。



「うーん、しかし、プレイヤーキラー判定は困ったなぁ」

 これがゲームでなく本当の宇宙戦争だなんて話を信じているわけではないが、たまの休みくらいこのゲーム空間で遊んでいたいというのが本音だ。


「このまま、ここにいたらどうなるんだろう? もうすぐサーバメンテナンスで、ステージが変更になるじゃないか。それにともなって、あたしも艦にもどってるとか、そういう展開ないのかな?」


「それはないですけど、瞬間通信機シンクロルを経由しての接続に距離は関係ありませんから」


「ということは」ケメコは目をとじて考えた。


「このままずっとこの惑星に二人っきりでいられるってことです」

 ラズが嬉しそうに答える。


 ケメコは片目をあけてラズベリーをちらと見た。

「だめ?」さっきまで泣いていたのが嘘みたいな甘えた笑顔である。


「とりあえず、外に出てみるよ」

 ケメコは肩をすくめてシートベルトを外した。



「機体が横臥しています。外部ハッチを開いたら落下に注意してください。母艦がないので、プラグキャラが破損すると修理できないですよ」


 ケメコはシートを降下させると、太った体を立ち上がらせて、横になった搭乗路をよたるように歩いてハッチにとりついた。


 三重の装甲ハッチを開放して、外の景色を眺めてみる。

 惑星カトゥーンの清涼な風が、ぶわっと顔を撫でてきた。


 上空から見下ろした地上は森林のように見えたが、いま見回してみると、ここは人工的に造られた森林公園であるらしい。

 コンクリートの舗装路が走り、手すりと案内板、植樹された樹木の間に電柱があり、園内放送用のスピーカーがある。が、人の気配はまったくない。


 遠くの空を眺めても飛行物体は発見できないし、地上にはラズが言ったような死体があるわけもない。


 やはり誰もいない。もしカオリンのスラスターが完全にいかれてたら、母艦に戻ることはできず、自分はここで漂着者とならざるを得ないのか? まさかね。そんなゲーム、聞いたことないし。


 ケメコは観音開きに開かれた外部装甲板の上に腰をおろし、脚をぶらつかせた。


 ごちんと頭に硬いものが当たって反射的に振り向くと、そこにはなぜか拳銃の銃口があった。


 痩せこけた、目つきの悪い女がそこにいて、彼女の頭に銃を突きつけている。


「動くな、デブ。あたしはこう見えて遠慮なく撃つタイプだからね」



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