最終話 星の御子

「……曲輪、ちょっと、曲輪っ!」

 何かに乱暴に身体を揺すられ、一は重いまぶたを開く。いつの間にか眠ってしまっていたらしく、おぼろげな視界には余暇部部室の白い天井や壁がただ映っていた。

「もー、中々起きないんだからねーこいつは。ていうか、そこ誰のベッドだと思ってんの」

「誰のって……」

 まだ身体を揺さぶられ割と痛くなって来たので仕方なく身を起こすと、側には部長がいた。虫の居所が露骨に悪そうで、さっさと一にどくよう目だけで命令してくる。

「あ……ここ、ソファじゃないですか。俺、いつからここで寝て……」

「いいからどく。せっかくのふかふかした寝心地が、あんたのせいでひしゃげちゃったらどうすんの」

 いや、毎日ここでごろごろしてるんだし、今頃寝心地も何もないのでは、と疑問を覚えるものの、実際背中は温かく、心地よさがあったのも本当で。一は軽く頭を下げて謝罪しつつ立ち上がった。

「すいません、でも部長だって最近、ここ使ってないから……あれ……?」

 そういえば、部長が最後にソファに座ってたのって、いつだっけ。眠気がまだ残っているのか、頭がくらくらする。今は何時だ、と思って時計を見ようとするが、なぜか壁にかかっていない。それどころか、カレンダーすらない。

「えっと……今日って、何日だっけ……」

「何わけわかんない事言ってんのよ。それより、もうここで寝ないでよね。それじゃ」

「あれ、部長……寝て行かないんですか?」

 身を翻した部長に声をかけるが、なぜか振り向かず背を向けたまま。

「……今日はそういう気分じゃないから。後……やっぱりそのソファ、使っていいわよ」

「なんでですか……なんか気持ち悪いですよ、部長」

「うっさいわねー……ただの気まぐれよ」

 何かが腑に落ちず、一はあたりを見回した。部室には何の音もない。周囲からも、とそこで気づく。窓の外が暗い。夜まで寝過ごしたとかそういう事じゃなくて、地面も空も何もないみたいに、底知れなく透明な闇――深淵だけで埋まっているのだ。

「部長……戻って来て下さいよ」

「あたしはここにいるでしょ」

「じゃあ、こっち見て下さい。顔見たいんです」

「嫌よ。振り返ったらその……また怒りが再燃しそうだし?」

 部長にしては歯切れの悪い口調に、一はすとんと得心した。するとその思いが契機となったように、部室後ろ側の蛍光灯が一本、ブレーカーが落ちるような音とともに消える。

「俺……弱いけど頑張ったんです。結局駄目でしたけど……」

「そんな事ないわよ。あんたは良くやった。それに来てくれて……あたしも嬉しかったし」

「でも……勝てなかったら意味ないんです。あいつは強い。勝ち負けには普段こだわらないですけど、この戦いにだけは、勝てなきゃ駄目なんです」

 部長は無言で歩き出し、ドアの前で立ち止まる。直後、廊下側の電気が全て消えた。

「……あんたは弱くないし、立派だった。あたしがいなくてどんな風なのか不安だったけど、これでその心残りもさっぱり消えたわ。……だから、もういいのよ」

「いいって、何がですか。……部長こそ、本当に納得してるんですか」

「言ったでしょ、あんた達を守りたいって。それだけは本当。あれよ、空の上からいつでも見守る、とかじゃなくて、マジで守ってると思ってくれれば、そっちこそ納得しない?」

 茶化すように告げて、部長はドアを開けた。部屋に残っている蛍光灯は、後一本。

「……俺、まだ諦めたくないです。佐倉も新寺も、部長を待ってます。だから頑張れって言ってくれれば、まだできそうな気がするんです」

「いやいや頑張れとか、子供じゃあるまいし、無理しなくていいって。そんな傷つく部員を見たい部長がどこにいるのよ」

「……だけど」

「……だから、あたしは大丈夫。あんた達が覚えてくれていれば、あたしこそ頑張れるから……」

 ――じゃあね。

 また明日も普通に顔を合わせるような、そんないつもの日常を思わせる声音で部長が言って――光が消えた。部長の姿も、部室も闇に覆われ、一は一人立ち尽くす。


 闇。どこを向いても闇。何もない虚無。こんなところなんだろうな、と思った。きっとこんな場所で、部長はこれから過ごすのだろう。一人で、悠久にも近い年月を。

「……ふざけんな」

 小声のセリフが、闇に吸い込まれる。誰も応答しない、寒々しい景色。だけど。

「……――ふざけんなあァァァァァッ!」

 堰を切ったように身内の底を突き抜け、その深奥より感情があふれた。とどまる事を知らないそれを、何もないはずの虚空へとむき出しのままぶち込んでいく。

「あんたは何も分かってない! その上嘘つきだ! 本当は誰よりも怖いくせに、誰よりも泣きたいくせにッ! そうやって強がって、弱いところを隠して! それで俺達が本当に失望するとでも思ってるのかよ! あんたの事を見限ると思ってんのかよ!」

 一呼吸、置く。ただ次の思いをぶちまけるまでの、溜めとして。

「――そんなわけないだろ、見くびるのもいい加減にしろぉぉぉぉぉッ!」

 何がなんでも絶対取り戻す。絶対に許せない。二つの矛盾した感情がより合わさるように螺旋を描き、一つの形を得た憤怒が奔流となって際限なく湧き上がり――一は全身が砕け散る程の力で咆哮した。

 胸にくすぶっていた火種が最大火力で爆散すると同時、あたりを染め上げていた闇に、一を中心とした青い炎が燃え上がる。否、それは炎の形状に似せた、無数の粒子。青と緑が混沌と食い合うような、おぞましくも美しい光。

 ぶつん、と激昂の赤で汚れきった視野が寸時、冷たく透き通った刃のようなレンズへと切り替わるような感覚。一の中で何かが切れて、闇が猛スピードで蹴散らされていく。

 後に残ったのは――。



「……む?」

 一の昏倒を見届け、元のように岩戸へと向き直っていた岩戸天狗。しかしその矢先、ゆっくりと一が立ち上がる気配に、驚きを隠さず振り返る。

「主……まさかこの期に及んで起き上がるとは……! 一体、どれほどの……っ」

 そこで一の様相を目にし、さらに声を詰めるようにして硬直した。一は立っている。だらりと腕を下ろし、されども二の足で、しっかりと地面を踏みしめて。これまでに受けたダメージや苦悶など、元よりなかったかのように。

「その、光は……なんだ? いや、これは――!」

 その言葉を受けて、一は手を上げ、自らの髪に触れた。血や汗で凝固した前髪に、柔らかな感触がある。確かめた人差し指と中指を目前へ下ろし、そして見た。

 砂のように、あるいは鱗粉のように煌めく光の粒。いくつもいくつも、数え切れないようにそれらが、指先に付着している。少しこすれば取れるものの、髪全体に散らされているのだと思えるほどにその粒子は細やかで、鮮やかだった。

「……何者かは解せぬが……そうやすやすと儂を倒せるなどと思わぬ事だ……!」

 岩戸天狗が錫杖を手に、襲いかかって来る。一は二本の指を見下ろすようにしていた眼球を、ぐるりと相手の方へと向けた。そして、何気なく無造作に前へと踏み出す。

 裂帛の気合を込めて、岩戸天狗が錫杖を薙ぎ払う。致命ですらある本領の一撃は、受ければ人体など微塵に砕ける程だろう。手加減も慈悲もなく、錫杖が振り抜かれて。

 ――それを通り抜けるかのように、一は岩戸天狗の眼前へと躍り込んでいた。

「何――」

 岩戸天狗の声が不自然に途切れた。伸びきった腕を引き戻す隙もないまま、その顔面を一の拳が打ち抜いていたからである。特大の砂袋でも殴りつけたような音が鳴り響き、岩戸天狗の巨躯はのけぞりながら後ずさる。

「な――んだと、見えん……今、なにが……この威力は!?」

 驚愕に打ちのめされているのは面越しにも明らかだろう。何せ岩戸天狗にとっては、今の一がいつ錫杖を回避したのかも、いつ間合いに飛び込んだのかも、まったく読めていなかったのだから。遅れて、拳打によるダメージにがくりと身体が傾ぐ。

 が、その顔面に間髪入れず切迫した一の右手が添えられる。右足を前、左足をやや後ろ。重心を右半身に、そうして左手で手首を押さえて固定して。

「……消し飛べ」

 爆音。岩戸天狗の頭部を、一度目とは比べものにならない規模の衝撃波が貫き、面の下から滝のように大量出血を引き起こさせてはじき飛ばす。岩戸天狗はピンポン球のように地面を何度か跳ねて倒れ込み、血痰をひどく吐き出しながらよろめいて立ち上がる。

「そ……その変化……いや、変容! 貴様――よもや御子か! この時代に現れるとは……なんたる因果!」

 御子、と小さくおうむ返しにして、一は数拍、目を閉じる。頭の中のたがが外れたように五感が冴え渡り、世界そのものが変転しているようだった。

 流れの遅い血液と代替するように、もっと素早く血管を巡り物質を循環させていく新たな液体を流し込んだかの如く、身体に重さを感じない。まるで手足や筋繊維、いや細胞の一片一片にまったく別の頭脳が宿った風で、思考を上回る速さで動いてくれる。

「……何だろうが関係ない。明日からも部長は部室に来て、やりたい放題やって、俺達も振り回されて。今までと何も変わらない日常が戻って来る。……そして」

 岩戸天狗から顔を背けるようにして、片目だけで睥睨する。

「……貴様はこの地上から抹消される。塵一つ残さずな」

「これは反逆だぞ! 主はたった今神を裏切った! あらゆる人々の夢も、希望も、願いも! ――全ての可能性を打ち砕く、世界の敵となったのだ!」

「それがどうした。知った事か」

「不遜である、愚かである! その妄執、今ここで正し――」

 一は一足飛びに岩戸天狗の懐へ飛び込むと、右手を貫手へ曲げて、頑丈な筋肉に覆われた腹部をノーモーションで穿つ。

「がっ……!」

 みぞおちとか急所とか、そんなものに意味などなくただ技の威力だけで行動を阻害してのけ、身体をくの字に折る岩戸天狗の顎へ、すかさず貫手を掌底に開いて打ち上げる。

 岩戸天狗の足が浮いた。何の抵抗もできぬまま後方へ倒れゆくその相手へ、一は追撃を緩めない。その場で跳躍し、身体を横に倒して回転――そう、この一連の攻撃。あの夢で見た、少女の技をそのまま使う。

 水平から放たれた蹴撃が、岩戸天狗のかざしていた錫杖ごと破砕しながら、なおも勢いは止まらず顔面へ着弾した。破壊された黒の面の破片が半分、宙へ散っていく。

 血反吐を吐きながらも、岩戸天狗は翼をはためかせて後退する。一も体勢を立て直し、また腕を垂らした姿勢でじっと目線を注ぐ。身動き一つで粒子が四方へ舞い散り、随従する彗星のような光の帯が空隙を彩った。

「共鳴によって身体能力が飛躍的に向上しているだけでなく、技までも星の巫女と――いや、細部は少し異なっているように見受けるが、これほどとは……!」

 岩戸天狗は翼をざわめかせ、垂直にジャンプしながら急上昇する。そのまま翼を上下させて旋回するように大空洞を飛び回り、一の目を左右へ振らせた。

「一人の武辺者として、このような手には出たくなかった……! だが、主に封印だけは破らせるわけにはゆかぬ! ――受けてみよ!」

 一に向かって急降下――するように見せかけ、中途で突撃を止めた岩戸天狗は、当たるはずのない間合いの向こうから腕を振り下ろす。するとどうだろうか、空間を引き裂いた軌跡から、空気の塊がこちらめがけて降り注いでくる。

「かまいたち、か……」

 どんな名刀よりも鋭く分厚い、真空の刃。ただ敵を両断するためだけに打ち放たれたそれが、まっすぐ一を捉えようと肉薄し――岩戸天狗はその時起きた光景に、面から片側だけ露出した目を疑うように大きく開く。

「なに……!」

 確かに命中した手応えを得たのにその瞬間、一の姿がぶれて真空の刃が通過し、真後ろの地面へと吸い込まれていたのである。一の身体には傷一つついていない。

 強固な自然の岩は空気の刃によって深々と斬り裂かれ、その跡もまた綺麗なものだ。当たれば一といえど無事では済まないだろう――当たれば、の話だが。

「馬鹿な、何をした! おのれ……!」

 事態をこれっぽちも把握できていない岩戸天狗は、やたらに真空刃を連射する。空を舞い踊り、あらゆる方向からあらゆる速度へ切り替え、さながら竜巻にも近い勢いで撃ち続けたのだ。

 なのに、当たらない。一発も。刃が近づく度に一の姿はフレームが飛んだかのようにぶれてぼやけ、地面には無意味に縦横の穴が増えるばかり。岩戸天狗の混乱が頂点に達しかけた時、ようやくからくりを理解する。

「そうか、当たる瞬間のみスピードを最大に引き上げ――残像だけを残して回避を……!」

 そしてそれが意味するところを察して、愕然とした直後。岩戸天狗は肩に激烈な衝撃を受け、天空より叩き落とされていた。

「がはぁっ……! ぁ、が……何が……!?」

 何の事はない。岩戸天狗の背中を踏みしめ、一が立っているのを見れば分かる事だった。

 残像を囮に、ただ回り込んで岩戸天狗の背面を取り、踵落としを決めたに過ぎない。その衝撃で地面の岩は砕け散り、びしりと放射状にヒビが広がっていた。

 一は目の前で羽ばたこうとする二つの翼に狙いを定め、両腕を払うようにする。手刀の形に傾けられた手が、黒く無骨な翼を斜めになぞり。

 岩戸天狗の絶叫が響き渡った。一寸遅れて翼の両方ともが、付け根の先から斬り飛ばされたのである。腕か足でも切断されたかのように鮮血がほとばしり、苦渋に顔を歪ませる岩戸天狗。だが次には、その顔すら気にしている余裕はなくなった。

 真上から足を振り下ろした一が、首を踏みつけていた。充分な体重を乗せた上に重心の安定したその威力は、直前の踵落としのそれをゆうに凌駕し――結果、岩戸天狗の頭部は嫌な音を立てて直角にへし曲がり、ヒビの入った地面へクレーターを開けて埋没する。

「どうした。このままでは貴様らの忌み嫌う魔神とやらが復活してしまうぞ。道理を通したくば力を示せ」

「抜……かしおる! ――ぐぅ……がはっ……! 小僧……めがッ!」

 それでも身体を浮かせ、腕の関節可動域の限界まで反らし、拳を振って反撃した。一はすぐさまくるりと宙返りし、距離を取って岩戸天狗が立ち上がるのを見つめる。

「よくぞ……よくぞそれほどの深度、星の巫女と共鳴を果たした。主が味方であれば、どれほど心強く思えたか……っ」

 虫の息。そんな表現で表せてしまう程に、岩戸天狗は全身に重傷を負い、血みどろだった。衣装は見る影もなく裂け、面は無惨に割れ、空を頂くための翼はちぎり取られている。

「だがしかし……否、もはや語るまい。ただ雌雄を決しようぞ……!」

 岩戸天狗の目はまだ死んでいない。それどころか勝利を捨てず、最後の賭けに出ようとしている。そう察した一は先の先を取り畳みかけようとして――わずかに瞠目した。

「はあぁぁぁぁぁ……!」

 腹の底から気勢をかき集めるようにしながら、岩戸天狗が両の手のひらをかざすように構えていた。――あの構え。まさか。

「まだだ……まだ足りぬ! 主を討つには……命すら、この一撃に捧げようぞ!」

 両手を合わせるようにした状態からさらに指同士を絡め、それを内側へ潜り込ませるようにすると――なんと肉を陥没させて突き破り、深く黒々とした闇をさらす楕円形の穴が形作られたのである。

 砲塔と化した両腕と、直接体内から砲弾を撃ち出すような掌の砲口。岩戸天狗の正面には、さっきの一と同じように白いもやのようなものが集束しつつあった。

 対し、一もまた半身の体勢になると、右手を突き出し鬼気砲の発射態勢に入る。共鳴の影響によるものか鬼気砲のフォームも目を覚ます前と比べ変質しているのだが、意にも介さず発動させてのけるとばかり、静かに気を研ぎ澄ませて。

 撃ち出されたのはほぼ同時。互いの衝撃波が進行上にある岩や岩盤を消し飛ばし、文字通り砲撃音を轟かせて激突する。その瞬間両者には強烈な重圧がかかり、衝撃波をぶつけ合う余波だけで身体が後ろへずれ始めていた。

「ぬおおぉぉぉぉ……! ――届かせてみせよう、我が全霊で!」

 岩戸天狗がありったけの気迫と生命力をつぎ込み、せめぎ合いを制すべく衝撃波の威力を倍増させていく。見る間に膨れあがった衝撃は一の眼前で白い津波か、もしくは巨壁の如く、押し潰さんと迫って来ていた。

 返しきれない。右腕の皮膚が剥がれ、肉が裂けて吹き出す血が風で後方へ流れていく様子から一は冷徹に判断を下していた。同じ技一つにしても、習熟度が違いすぎるのだ。その二つがぶつかり合えば、いかに共鳴をもってしてもいずれに軍配が上がるかは明白。

 押し合いにこだわったところで間もなく衝撃波は一のそれを打ち破り、この身を粉砕するだろう。その予測に変更はないと見て取った一は、ぴき、ぱき、と右手の指が折れて内側に曲がり、身体のあちこちが爆ぜていくのもものともせず呼気を落ち着けた。

 すると周囲に漂っていた粒子達がまるで妖精のように右腕へ寄り集まると、何重もの車輪のようになって囲い込み回転を始める。明確なイメージが湧いて来たわけではない。ただこうするのが今の時点では正答なのだと、その粒子達が語っているように思えたのだ。

 変化はたちどころに現れた。それまで衝撃波を放ち続けていた右手に熱が集まっていき、次の瞬間には――とてつもない熱量の光線が一条、飛び出していたのである。

「な、なんだと……ッ!」

 もう何度目か。岩戸天狗は疲労の濃い表情をまたも驚倒一色に染めていた。衝撃とは違う、エネルギーの塊とでもいうべき極光。大空洞全体をまばゆい青へと照らし上げ、衝撃波を押し戻すどころか触れる先から消滅させるかのように勢力を取り戻していく。

「ありえん、なんだこの技は……! 性質変化だと!? 主、一体何をしている――!」

 岩戸天狗の叫びは極太の光条が作り出す衝撃音にかき消され、攻防は一転するどころか、もはや一方的に衝撃波が削り取られていき――ついにその行使者の元へ、到達した。

「ぐ――ぐおおおぉぉぉぉあああああァァァ――ッ! こん、な……ァァ……ッ!」

 回避も防御もかなわず光が呑み込み、そのまま止まる事なく後方へと吹き飛ばされていく。閃光はその輝きを失わず空間を上向きに伸びていき――背後にあった封印の岩戸を破壊しながら、洞窟の上部、その天井をもえぐり取るようにしながら突き抜けて行った。


 敵の消滅を確認するとともに、一の全身から熱も、緊張も、力も全てが抜けていき、がくりと膝を突きそうになる。――でも、まだだ。まだ部長を助けていない。

「部長……」

 痛みがぶり返し、進もうとする一歩が致命的に遅い。気がつけばあの光る粒子達もいずこかへと失せており、嘘のように重々しさを増した身体を引きずるようにして、前へと歩く。ずる、ずる、と足を地面へこすり、腕を庇う余力もなく垂れ下げて。

『主の力……見事なものよ。そしてそれだけの意志を見せつけたのならば、これより先、決して後悔に暮れるでないぞ。主は今後、羅刹の道を辿るのだから……』

 あれだけの轟音のせいで耳がいかれたのかと思ったが、どこからか――いや、頭上からあの岩戸天狗の声だけが聞こえてきた気がした。振り仰ごうとするものの、一は岩戸の開いた奥の方から、何か虹色に光るものが近づいて来ているのを認めて。

「な、なんだ……っ?」

 それは、星に見えた。数条、数十条にも渡る軌跡を残した無数の星が、こちらへと一直線に迫って来て――衝突するかと思った直後、真上へ方向を転換させ凄まじい勢いで上昇していく。

「今、のは……」

 分からない。数え切れないくらいあった、と驚きながら上を見ると、先ほど一が開けた天井の穴を星達は突き進み、すっかり夜になった空から彼方へと散っていった。それこそ花火が咲くように、刹那に派手で、そして泡沫のように儚い出来事で。

 何だったのか。さながら狭いところに押し込められていたものが、蓋を開くと解放されて好き放題に飛散していったかのような。とにかく一は視線を戻し、再び足に鞭打って奥にある部屋へ入る。


 部屋とも広間とも曖昧な広さの、神秘的な空間だった。荒削りだった岩窟とは一変し、大理石のような滑らかな石で切り取られた正方形のスペースとなっている。この部屋にあの光が詰め込まれていたのかと思ったが、それほどの広さには思えなかった。

 そうして、一の正面には巨大な岩が座していた。三角形にも似た、上部にかけて尖りを帯びている岩である。

 表面は海の色を丹念に薄めたような淡い水色で、どんな構造なのか星座を思わせる細かな輝きがちりばめられており、ペンキや箔で塗った人工物とは根本からして質を異にする、自然そのものの産物であり、結晶であるかのような神々しさが感じられた。

「これが……ご神体?」

 一は当惑したように声を漏らした。ではこれこそが、何百年も前に祈願山に落ちたという隕石。伝説では星には願いを叶える力があったという。とはいえ、現代では失われているらしいが。

「こんなに原型をとどめてるものなんだな……意外に固いのか、それとも」

 元々は球体だったりしたのかも知れない。そこで一は思い直した。そうだ、こんなものはどうでもいい。部長は。彼女はどこだ。

 いた。ご神体の星のごく手前。そこに身を横たえ、目を閉じている。隣に広がった長い髪はどうしてか随所が白くなって紋様が浮かび、脳裏に夢の中の少女を思い起こさせた。

 その姿を視界に収めた瞬間、安堵と不安が等分に押し寄せて来る。部長をやっと見つけた。でも、これはどういう事だ。無事なのか――一は間に合ったのか。

「ぶ、部長……」

 近寄ろうとしたが、限界が訪れる方が早かった。今度こそ身体がくずおれ、石床の上へ突っ伏す。意識がまどろみのように闇へ引っ張られ、視野が狭くなっていく。

「部……長」

 手を伸ばすが、届かない。まだ何段か祭壇のような段差を昇らなければならないのに、それすらままならず――一は薄れゆく視界の中、部長を見ている事しかできなかった。

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