神様の居場所
「確かに、蘭子さんは呪われてらっしゃいました」
翌日、ほとりたちは、蘭子の家を訪れていた。
離れの前で、環は、あの箱を見せてそう言う。
今日は嫁の菜々子も来ているようだった。
瞳がくるんとして、可愛らしい顔をしている。
環が蓋を少し開けてみせると、洋次が覗き込んで見ている。
だが、彼らの目にはなにも見えないだろうし、実は、ほとりたちの目にもなにも見えなかった。
何故なら、箱の中身は、ほとりと環の間に立っていたからだ。
「お嫁さんと上手くいかなかったのは、やはり、この箱の呪いのせいでした」
「いや、私は家の居心地が悪くなるよう、家を汚くしていただけなんだが……」
環の説明に神様が反論している。
だが、聞こえているのだろうに、環はまるで無視しして、話を進める。
「蘭子さんを呪っていた方ともお話をし、和解しました。
そして、呪いの許となっていたものも社に返してきました」
此処に居るよっ!?
と神様は、環を見ている。
……本人、嫌だと言っているが、この男は絶対、政治家の才能はあると思う、と思いながら、ほとりは環を見た。
しゃあしゃあと場をまとめるために嘘をつく。
しかも、その口調にも表情にも妙な説得力があった。
言ったら、絶対殴られると思うけど、今の顔も物の言い方も、お父様にそっくりよ、環……。
そう思いながらも、ほとりは黙っていた。
殴られたくないからだ。
「蘭子さんとお嫁さんが上手くいかなかったのは、すべて、この箱の祟りのせいです」
祟ってないよっ、とほとりの横で神様が手を振っている。
「呪いです」
淡々と言い切る環の横で、神様は、
呪ってないよっ!?
と更に激しく手を振っていた。
「これで、すべてのわだかまりが消え、ご家族の新しい第一歩を踏み出せると思います。
どうぞ、楽しいご旅行を」
そう環が言うと、蘭子は黙って、環を見つめていたが、
「……ありがとうございます」
と言って、深々と頭を下げた。
「お金は調査にかかった分だけいただいて、あとはお返しします」
と環はあの封筒を洋次に差し出す。
具体的には、太一の新幹線代とさっき送っておいた菓子折り代と。
繭にお駄賃代わりにと奢ったお茶代と、環の車のガソリン代と高速代だ。
「いえ、とんでもない。
大変お手間をとらせまして。
ぜひ、お納め下さい」
とともかく上手くまとまったことに、ほっとしたように、洋次が封筒を押し返してくる。
休みなので居る子どもたちは、後ろでなにかを追いかけ回して遊んでいる。
平和だな、と思っていると、なにかに追われたように、走ってきたノブナガ様が、ぴょんっ、と車椅子で外に出ていた蘭子の夫、勝久の膝の上に飛び乗った。
汗だくで、息を切らしている。
……ノブナガ様、追われていたのですか。
甲冑脱いだらどうですか、暑そうですよ、と思ったとき、勝久が微笑んで膝の上を見ているのに気がついた。
えっ?
見えてるっ?
と思ったとき、勝久はほとりとその隣の神様を見て、ちょっと笑った。
……見えてますね。
すみません。
全然、呪い戻せてないんですけど、と苦笑いしていると、子どもたちが勝久の許に走ってきて、
「今、リスみたいなの、こっち来なかったーっ?」
と言っている。
いや、リスじゃないけど……。
サイズ的にリスだと思ったのだろうか。
色も違うよ、と思っているほとりの横で環が、
「では、もうあの離れがゴミを吸い寄せることはないと思いますので、我々が最後に片付けておきます」
と言い出した。
えーっ、と思わず、声を上げてしまう。
あの離れをっ!?
確かに今度は、出したものが戻ってきたりすることはないかもしれないが。
あれ、相当大変ですよっ? と思っていると、今日も来ていた繭が、
「僕も手伝うよ。
その代わり、なにか奢ってね」
と言ってくる。
和やかに話している蘭子と菜々子を見ながら、濡れ衣を着せられた神様は往生際悪く、
「私は、おぬしらに直接、祟ってなどおらぬぞ……。
祟ってはおらぬからなっ」
と訴えている。
「いやー、上手くまとまってよかったねー」
などと朗らかに繭が言うと、
「全部、私に押し付けおってーっ。
お前ら、ほんと、無礼者だなっ」
と神様は冬の空に向かい、叫んでおられた。
そのあと、掃除を手伝うという早瀬一家を環は断った。
蘭子は、ほとりたちの方を見て、うむ、という感じで頷き、行ってしまう。
彼女なりの感謝の表現なんだろうな、あれ、と思っているほとりの許に菜々子がやってきた。
「ありがとう。
なんか思い出しちゃったわ、貴女たちを見ていたら」
と彼女は言う。
なんの話かと思ったら、
「さっき、貴女と環さんが、照れたように距離を空けて立ってる姿を見てたら、なんだか、新婚時代を思い出しちゃったのよ。
あの頃は、この人のお母さんなんだから、どんなに気が合わなくても頑張ってやっていこうと思ってたのよね」
母屋に戻っていく、夫と蘭子と、勝久の後ろ姿を見ながら、菜々子はそう言った。
いやそれ、真ん中に神様らしき人が居たから、距離空けてただけなんですけどね。
でも……と、もう繭とともに、離れの方に向かっている環を見た。
神様居なくても、やっぱり、距離空けちゃってたかも、と。
「上手くやるわ、ありがとう」
そう言って、菜々子も行ってしまった。
すべてが見えていた勝久以外の人たちも、真実はわかっていたような気もするのだが。
今までのわだかまりをすべて呪いに押し付けて、一から、やり直そうというのなら、それもいいような気がしていた。
で、結局、ただの大掃除が残ったのだが、これが一番大変だった……。
十万円、と呟きながら、ほとりは床に張り付いていた大きな蜘蛛を
これも十万円……。
いや、諸経費かかったから、残り、五万円。
五万円……と思いながら、ほとりは息を止め、だいたい片付いた床の埃を掃除機で吸う。
新しいコートが欲しいが、あれ、五万じゃ買えないし。
三人で分けて、神様とノブナガ様にもなにか供物を与えるべきだよな。
じゃ、せいぜい、一万ちょい、と思いながら、ほとりは棚に段ボールから発見した置き時計を飾る。
「まあ、なんにも解決しないと思うけどな」
シュンシュンとストーブの上のヤカンが音を立てるのを聞きながら、みかんをむいていたほとりの前で、環が言ってきた。
「うちもあんな感じだからわかる。
未だに、ばあさんと母親は仲が悪い。
選挙とか、イベントごとを二人で乗り越えた瞬間だけ、なんか仲良さげだが、すぐに元に戻ってる」
それを聞いた繭が、
「それは長谷川家の裏方覇権争いもあるからじゃないの?」
と笑っていたが。
掃除が終わったあと、三人で寺に戻り、よく洗った手でみかんを食べていた。
三人……
いや、足許にも何人か居るが、と掘りごたつの中で騒いでいる子どもたちの気配を感じながら、ほとりは思う。
「でも、いいんだよ。
旅行に仲良く行きたいという依頼だったんだから。
その間だけでも、上手くやってれば。
のちのち、その想い出話するときだけでも、和やかになるだろ」
達観してるなーと思う。
余程、おばあさまとお母様の争いがすごいんだな、とほとりは苦笑いした。
……離れた場所に住んでてよかった、と今だけ、そのことに感謝する。
街から離れているのは辛いが。
その分、長谷川家のゴタゴタからも遠ざかっていられるからだ。
此処は呑気だ。
日々、霊やあやかしが闊歩していることを除けば。
みかんを食べたあと、環が繭に札の入った封筒を渡そうとすると、
「いらないよ、そんなもの。
なにか奢ってって言ったじゃん」
と言ってくる。
それで、三人で食事に行くことになった。
「じゃ、僕、店閉めてくるよー」
と繭は帰っていったが。
いや、待て待て。
じゃあ、今まで誰が開けてたんだ。
また、床屋の大沢さんか?
それとも、今度は大沢さんの奥さんか? と思いながら、ほとりは繭の車を見送った。
淡い黄色のエスカルゴだ。
古い車だが、後ろがもこっとして可愛いな、と思ったとき、神様がぼんやり田畑を見下ろしているのに気がついた。
「なにしてるんですか?」
とほとりが問うと、
「いや、いろいろ考えておったのだ。
私は居なくとも、社は大層綺麗になっておった。
みんなが信仰してくれているのだな」
と言う。
神様が居ないから、綺麗になっていたような気もしますが……。
この神様が居ると、部屋がとっちらかってしまうというのが真実なのか、気になるところだ、と今は縁側に置かれている箱を見た。
「人は祈るとき、神ではなく、おのれの心に対して祈っているのかもしれんな。
自らを戒め、奮起させるために。
だが、それでは、私はいらぬではないか」
もう社には戻らぬ、という神様に、ほとりは笑って言った。
「何処に居ても、なにをしてても、神様は神様ですよ」
「誰も祈るものもなくてもか」
はい、と言ったあとで、
「ああ、私が祈りますよ」
とほとりは笑う。
神様に向かい、祈るように指を組み合わせ、目を閉じると、
「環が今回の稼ぎで、新しいお洋服買ってくれますように」
と言うと、
「それは俺に向かって祈れ」
といつの間にか側に来ていた環が言った。
「っていうか、それ、お前、キリスト教の祈り方だろ」
と文句をつけてくる。
神様は笑い、
「ほら、お前も私に祈る必要はないではないか」
と言ったが、先程までとは違い、少し楽しそうだった。
そのあと、神様はこれから自らの住まいとなるのかもしれない蔵をそっと覗きに行っていた。
人間と同じように隙間から中を覗いていて笑ってしまう。
通り抜けないのか、神様、と思ったからだ。
すると、環が横から、
「なんだ、今のは。
お前は神様口説いてんのか」
と言ってくる。
え? なにが、と振り向くと、
「もういい。
さっさと支度しろ」
と言って、行ってしまった。
なんなんだ……と思いながら、母屋に戻っていく、その後ろ姿を見送った。
でも、お洒落して街に行って、お食事とか久しぶり、と浮かれて母屋に戻りかけたほとりだったが、ふと、納屋に立ち寄ってみた。
あの緑の冷蔵庫をそっと開け、また閉める。
そして、今はなにもない、納屋の前の空間を見つめた――。
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