3-8.


 俺が初めて見るサイクルウェア姿だった。黒地に赤や黄色のラインがレーシーに入った感じのデザインが施されていて、アームカバーとレッグカバーで肌の露出は最小限に止められている。


 しかしアリスさんがトレーニング中に着用しているものと同じように、自転車用衣服の特性上全体的に体にピッタリしているので、そのラインは丸見えだ――何を隠そう、そこにいるのが荒川だと瞬時に理解できた要因の一つはそれだった。ヘルメットを顔に被せて日除けにしているので顔は見えない――でも、ボサボサ気味の茶髪ミディアムショート、そして肉付きの良さもしっかり残しながらかなり際どいラインを攻める細身スタイルは、我が高校一年一組においては俺が一番見慣れているだろう出席番号一番荒川輪子のそれで間違いなかった(それでわかってしまうのも我ながらどうかと思うけど、ふくらはぎの辺りとか例えるなら象牙のように綺麗なカーブを描きつつ、立っていれば地面に突き刺さるように細くまっすぐ突き出たあの足はかのタイツ姿と同じもので相違ない)。


 ゆっくり丁寧に参拝を終えた宮が続いて後方視界の違和感に気が付き、声を上げようとする――しかし俺は手を上げてそれを制止。ミヅキにも一旦静かにするよう合図して、彼女らを拝殿の脇へと連れて行く。


 荒川が目を覚ましても距離的に気付かれないことを横目で確認しながら、疑惑の目を向けてくる前の二人に説明を試みる――


 「宮、一刻も早く荒川に会いたい気持ちはわかるけど、ひとまずここは待っていてくれないか。まずは俺一人であいつと話してきたい。ミヅキ、お前も何だか不満そうな顔をしてるけど、ここは言うことを聞いてほしい。ほら、金渡すからあっちの方でお守りでも買って来いよ。ついでに宮と一緒に散歩でもしといてくれ」


 初めは戸惑いを隠せない様子でいた宮だけれど、俺の言葉を聞くなりその真意を理解してくれたようだった。すぐに「任せて」と言わんばかりにスマイルマークを作り、頷いてくれる。とても頼もしい返事だった――この前にミヅキが倒れた時もそうだったけれど、どうも距離の近い人のこととなると、宮は普段の姿からはあまり想像できないくらいに献身的になってくれるようである。特に今は大切な自転車仲間の荒川のことだ――何が荒川のためになるか、荒川のために何をすべきか、宮自身でわかっていてくれたのだろう。


 「わかった。じゃ、ちょっとその辺回ってからまた戻ってくるね」


 言ってミヅキの手を引き、社の横手の方(社務所とか土産屋とかが並んでいる)に向かっていく――ミヅキは訝しげに頬を膨らませていたが、宮のおかげで渋々従う気になってくれたようだった。


 これがここ場にいるのが俺とミヅキだけだったら、疑り深いミヅキを説得するのは到底無理だったろう――その点でも宮には感謝しなければならない。純真無垢な女子からの信頼というのはやはり何物にも代えがたい――それがあるだけで、俺は労せずして兄をなめてかかる妹に対し圧倒的な威厳を手にすることができるのだ。まあそんなことはどうでもいい。


 「江戸君――、」


 去り様に、宮は振り返り、


 「頑張って!」


 大人しい彼女のイメージを覆すような、かなり大胆なウインクをしてきた。


 しかしそれは、目鼻立ちの良い女子にだけ許される、その笑顔の魅力を無限大に高める効果を持つ無敵のウインクだったのである――思わずドキッとさせられた。


 宮がそんなことを躊躇なくできるような女子だとは思わなかった――つい最近荒川にも反則技ウインクを送られた記憶があるけど、それと肩を並べるくらい、宮にも素質があるようだった。


 彼女はわかっていて、俺にそんなサプライズプレゼント――というかエールを送ってくれたのだろう。


 


 ただ彼女を連れ戻すだけなら、宮やミヅキが話してくれた方が断然早いだろう。友達が心配して迎えに来てくれたなんて知れば、女子同士の友情を大切にする荒川なら泣いて喜んですぐさま帰途につくに違いない。


 でも、それではいけない――


 それだけじゃ、根本的な解決にはならない。荒川を学校から追い出しこんな場所まで吹っ飛ばしてしまった原因の根源を叩かないと、荒川はただ元の場所に戻るだけで、その内側の傷まで治せることにはならないんだ。


 つまりはまあ――これまでに見たこともなかったような完璧なウインクを頂いた義理もある。そういうわけで、俺が直々に、重い腰を上げてやろうってわけなのさ……。

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