2-9.


 ◆



 「はーい」


 荒川と書かれた表札が何となく新鮮に感じる二階建ての家。白基調で平屋根の建築で、シンプルな形ではあるけれどこだわりを感じさせられる配置のガラス窓たちがそのモダンさを引き立たせている。


 呼び鈴を鳴らすと、すぐに出てきたのは若々しさ溢れる女性――おそらくは、荒川の母親だった。


 「あら、高校生の子たち? 若いわねー。どなたかしら?」


 訪問者を尋ねるその感じはぶっきらぼうな感じはあるもののネガティブな意思は含まれておらず、けっこう気さくで話しやすそうというのが第一印象として持たれやすそうな人だった。


 いやしかし、荒川と同じ茶髪に荒川と同じくらいの身長、荒川と同じような細身スタイルに荒川と同じような顔つき――まあ、当たり前な話ではあるけれど、荒川はしっかりと母親の遺伝子を引き継いでいるようだ。


 「どうも、初めまして。僕ら、お宅の娘さんの高校の同級生で、自分が江戸、こっちが宮と言います。輪子さんがしばらく学校を休んでいるので心配になって、不躾ながらもご自宅の方をお訪ねさせていただいたのですが……」


 「初めましてっ。輪子ちゃん、いらっしゃいますか……?」


 二人でそう挨拶をすると、荒川母は驚いたような感心したような顔を浮かべて、


 「へー、輪子のお友達なのね。どうもどうも、初めまして。輪子の母親です。心配で来てくれたなんて、わざわざありがとうねー。で、その輪子なんだけど……うーん、どうしようかしら。まっ、いいや。とりあえず上がって。ほらほら」


 見た目に違わず――荒川の母親だけあって、やはりとても気前のいい人のようだった。


 荒川本人も――俺など例外もいるけど――基本的に心を許した相手に対してそこはかとない優しさを見せる。場合によってはそれが気のいいお姉さんのような雰囲気にもなるのであり――今目の前にいる荒川母がまさに、荒川が子ども相手に取りそうな態度のイメージを正確に具現化している。何となく納得したような、しかし何に納得できたのかはわからない妙な気分に陥っている内に案内されたのはリビングルームだった。


 塵一つ落ちていなそうなピカピカのフローリング、そしてこれまた汚れのない嫌いな白い壁紙に覆われた部屋に入り――俺は思わず足を止める。そこにあった光景に圧倒されて。立ち止まる。


 正直、予想していたことではあった――自転車を愛する荒川の家だ。荒川自身からも自転車を数台保有しているとは聞いていたし、また、あの自転車好き女子たちによって改変された自転車部室だ――自転車好きの荒川の部屋、及び家の中が似たような様相を呈しているという可能性は、十分に考慮し得ることだった。


 しかし、それでも圧倒的だった――自転車部室なんて、まだまだ甘かった。



 荒川家のリビングルーム――平均的だと思われる我が家の一・五倍ほどの広さを有するその部屋は、



 床が見えない、歩く隙間もない――というほどではない。自転車があるのは主に壁際――窓、ダイニングキッチンなどがある場所は除いて、その他の壁スペースの至る所に自転車が置かれているのだ。


 壁の上部、下部と二段重ねになって自転車が立て掛けられていたり、さらに水平方向にも重ねてあったり。ホイールのみが外されて天上から吊り下げられていたりもしている。部屋は隅々まで綺麗に掃除されていて、数々の自転車や部品も艶が出るほどに清掃されているようだけれど、それでも――それでも、だ。


 全部で十台くらいか――部屋、それも家庭の部屋、リビングルームにこれだけの数の自転車があるのは、何とも一平均的高校生には筆舌に尽くしがたい異様さを感じさせるものがあった。


 「わあ、すごいいっぱいある……。ロードバイクにクロスバイク、マウンテンバイク、ピストバイクにTTバイク、ビーエムエックスまで。あっ、リカンベントまであるよ……これってもしかして、全部リンちゃん自転車だったりするんですか?」


 俺よりは状況を理解している風の宮が荒川母に聞く。


 「ううん、これは全部輪子のお父さんのモノだね。輪子のお友達なら、あの子が自転車好きだってことは知ってるよね? あの自転車好きはあの子のお父さん譲りでさ、お父さんも自転車大好きだったんだ。まあでも、今はもうお父さんいないから、ここにあるモノもほとんど輪子の私物になっちゃってるのが実情だけどね」


 ははは、と照れるように笑う母親。その表情からはまだ見ぬ荒川本人の照れた顔が連想され、そのあまりの意外な可愛さに――おっとまた妄想が。そんなことはどうでもよく、荒川母がさらりと言ったもののこちらとしては引っかかりを覚えざるを得ないことがあり――


 「お父さんがいない、ってどういうことですか?」


 同じ疑問を持ったらしい宮が尋ねた。


 荒川母は思い出話を語るような軽い口調で、


 「ああ、そのことはまだ聞いてなかったか。あの子のお父さんね、あの子が生まれる直前に死んじゃってるんだ。プロのレーサーやってたんだけど、レース中の事故でね。だから輪子って、可哀想にお父さんの顔、直接見たことないんだよねー」


 冗談っぽく話されても、そんなこと初めて聞いたこちらとしてはアハハそうですかと笑い返すことなどできない。宮と俺が二人して気まずそうに黙っていると、荒川母はそのことに気が付いて慌てたように、


 「あっ、ごめんごめん、ちょっと重い話だったね。でもいいんだ、このことはあの子ももう気にしてないし、あたしもまた然り。だから気にしないで。全然気にしないで。遠慮なんて無用、へっちゃらだからさ」


 リビングルームの真ん中にあるテーブルにつくように促され、俺と宮は並んで座った。天板だけガラス板のシックなブラウンのウッドテーブル。木製チェアも洗っていない手では触れづらいオーラを纏っており――大量の自転車及びそのパーツといい、この家に住む人間の趣向をどことなく伺わせるコーディネートだった――まあ、とは言っても変わった人たちなんだろうなあ、くらいしかわからないけど。


 しばらくすると、荒川母が紅茶を用意して来てくれた。これまた香りだけでも十分喉が潤うような代物だ。そこからしばらくはお茶で談笑タイム。学校での荒川の様子や、自転車部の話など、主に荒川母から俺たちが色々と聞かれるような形だった。

 

 親というものは、やはり学校での自分の子どもの様子が気になって仕方ないらしい。俺たちも自分たちのことをすぐに受け入れてくれた彼女の疑問に答えるのはやぶさかではなかったため、差し障りのない程度に荒川のことを話したのだった。


 荒川の見舞いに来ただけのつもりが、思いの外くつろがせてもらってしまった俺たち。そろそろ不思議に思い始めた――この間ずっと、荒川本人は姿を現さなかったのだった。というか、いる気配がなかった。

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