1-2.


 部活――自転車部。それはまだ結成されたばかりの新しい部活動で、メンバーはここにいる俺、宮、荒川、そして二年生の五十嵐アリス(週末に部活に関するチャットのやり取りで少し親しくなったのは否めないので以下丁寧にアリスさんとしよう)。元々は荒川輪子なる極限的自己中女子の愛用の自転車の置き場所を確保する目的で俺が提案し、幸か不幸か細かい点を除けば拍子抜けなほどにとんとんと話が進んだ結果つい先日晴れて学校側の公認も得ることができた出来立てほやほやピカピカのクラブだ。

 

 部活動成立条件であるメンバー四人を集め、各人の参加申請書を揃えて学校に提出したのが先週の前半。教師側にも既に大問題児として知れ渡っていた荒川率いる組織だったり、また裏事情を知っている一年一組の担任テラサキがいたりしたこともあってか、あっけないほどに申請はすぐ通り、先週の終わりには部室棟の一室が自転車部専用の部屋として明け渡されることとなったのだった。

 

 もちろん部室を確保したからといって、当の荒川がいなければ話にもならないので、宮やアリスさんには荒川が登校再開したら部活動を始めると伝えてあった。つまり、一週間ぶりに荒川の顔を見た宮がその話題に行きつくのは至極当然の論理と言える。そしてそのこと自体は別に予想外でも何でもなかったから困るわけでもないけれど、ひとつだけケアレスミス程度ではあるけれど計算違いがあると言えばあった。


 それがどんな間違えだったのかと言えば――


 「そう……だな。そうだよな、荒川。今日から自転車部活動開始ってことでいいんだよな?」


 透け度の低い黒タイツの細長い脚が際立つ隣の女子に確認を取る。当の荒川はどうしてここで自分に話題が振られるのかわからないという風な顔で、


 「ん? そうなんじゃないの? そう言ってたのは江戸君でしょ? 言われた通り、早速部室に自転車も置いてきたけど、もしかしてマズかったりした?」


 これまで校内自転車持ち込み事件及び校内自転車曲芸走行事件で新年度早々この学校を騒がせていた荒川の隣――そこに競技用自転車が立て掛けてあるのがもはやこの教室の日常風景となっていた壁際――には、今はもう、何もない。それなのにこの女子が慣れない電車登校による疲労で死んだ魚のような目もせずに平然としているのは、直前のセリフの通り彼女がついに合法的な自転車置き場を確保したからだ。


 つまりは荒川は念願の自転車登校を再開し、俺が事前に教えておいた部室に置いてきている(ちなみに彼女は愛車が常に手元になければいけないってわけでもなく、自分が認める場所に保管さえされていればいいらしい)。言葉にしてみれば何てことのない、取るに足らない些細なことだけれど、この平穏を手に入れるまでに世界中の人間がどれほどの労力を惜しみ犠牲を払ったことか――まあ終わり良ければすべて良しってわけでもないけれど、結果的にこうして誰もが笑っていられるのだから過ぎたことについて深く考えるのは避けるとして。


 しかし厳密に言えば、心から笑うことのできないというか、笑っていいのかわからないという心理状態の人物が少なくともこの場にひとりいて、つまりはそれが俺なのであり。


 ――何だか微妙に話が噛み合ってない気がする。


 「いや、別にマズいことは何もないんだけど。あの部屋はもう正真正銘自転車部の部室なんだから好きに使って構わねえよ」


 「うん。早めに来て見てみたけど、あれスッゴいいい部屋だね。思ってたより広いし綺麗だし。セキュリティもしっかりしてるみたいだし、あそこならあのコたちも安心して置いておける」


 心なしか嬉しそうに話す荒川に対し、


 「へー、そうなんだ。私も早く見てみたいなぁ、自転車部の部屋。部室棟の建物ってとっても綺麗だもんね。あんなところで部活するのかぁ……ふふ、何だかドラマみたい」


 宮も心トキメかせているようである。


 同じように目を輝かせて喋る気にイマイチなれない俺は蚊帳の外のようで、実際気分はその通りだった。このテンションの違いというか気持ちのすれ違いというか、認識の齟齬を説明しないといけないのだけれど――まるで引っ越しが決まった新居に心を寄せる夫婦のように話し出した女子二人を前にしては、その興を削ぐようなことは口に出せなかった――というか、興を削いだことによるしっぺ返しが怖くて言葉が嫌でも喉に引っかかる。


 しかしそれでも、このことは早いうちに言っておかないと、つい一週間ほど前の惨事の二の舞になりかねない。微妙な認識のズレに気が付かず放置してしまったが故の、あの惨劇だったんだ。まあ、結果的には丸く収まりこそしたとは言え、そんな幸運な結果が常に後に待っているとは限らないし、何より結果がどうであれあんな出来事を経験するのは二度とゴメンだぜ。


 時間が経てば経つほど事態が悪化しそうなことは確かだけれど――しかし。今すぐここで本心を暴露したところでピーキーな荒川の気分を害してしまうことには変わりなさそうだ。待てば待つほど後が怖い――でも今言うのも怖い――そんなジレンマに陥っていると、人生そんな甘くないぞもっとメリハリつけろこの優柔不断野郎とでも言うかのように、厳しい現実は俺に決断の時を押し付けてきたのである。


 「それで、どんな感じの部活にするの?」


 質問が、荒川から俺に来る。

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