ふがす郷土誌の謎

鹿園寺平太

1 禁忌

 島根県出雲市の山間の集落に、父の実家がある。

 過日、祖父の葬儀でそこを訪ねた際に蔵書を物色していたところ、郷土のあれこれを記した書物を発見した。

 『ふがす郷土誌』と題されたその書物は昭和六十年の刊行で、古文書というほどのものではない。内容的にも、地域の地理歴史に関する記録がほとんどであったが、地域の『伝承』を紹介している章に気になる記述があった。

 以下、当該部分の記述を抜粋する。基本的に原文ママであるが、具体的な地名は諸事情を勘案して伏字にした。なお、『ふがす』というのは『東』の出雲訛りであると思われる。当該地域は大社さんの東部にあることから、同書の編者がある種のウケ狙いでそういうタイトルにしたのであろう。


・門を建てない

 ●●には、神職家を除く民家では門を建ててはいけないという言い伝えがある。

 これは、むかし、●●の城主が戦に破れて民家に隠れようとした時に、門に遮られて中に入ることができず、無念の最後を遂げたことがあったのがきっかけで、門を新築すると、不祥事が起きるというので、今日まで門を建てない習慣がつづけられてきた。『島根県 口碑くひ伝説集』


もろこしを作らない

 ●●地域は古くから黍を作らない慣行がある。この起りは、いつの時代かはわからないが、戦に破れ落城した城主が城を追われた時に、馬が黍畑に飛び込み、黍殻につまずいて落馬したため、敵に打たれて最後を遂げたことがもとになったといわれている。「ひがし村史」


 これらはいずれも、『ふがす郷土誌』の第十章『伝承』第一節『口碑伝説』の項目で紹介されている。

 このように、特定の地域で「~をしてはならない」というような禁忌型の伝承は、実はそれほど珍しいものではない。

 たとえば、私の住んでいる町の農家の間では、「胡瓜きゅうりを栽培してはならない」という禁忌がある。氏社の神様が胡瓜を嫌っているからだといわれている。

 また、やはり我が県にある美保みほ神社の氏子は「にわとりを食べてはいけない」ということになっている。その理由がバカバカしいので紹介しておこう。


   ***

 

 美保神社におられるエビス様は、夜な夜な舟で海を渡っては愛人宅に通っていた。

夜の間は愛人宅でほっこりし、一番鶏いちばんどりの鳴く声を合図にまた舟を漕いで美保へと戻る。日中は素知らぬ顔で仕事をし、夜になるとまた海を渡る。日々それの繰り返しであった。

 そんなある日のこと、エビス様が例によって愛人宅に入り浸っていると、いつもより早く一番鶏の鳴き声が聞こえたという。

「今日、早くね?」

 そうは思いつつも、夜明けまでに家に帰れなければ一大スキャンダルとなる。エビス様は大急ぎで支度を済ませると、海路美保へと引き返して行った。

 一心不乱に舟を漕ぐエビス様。しかし焦りが祟ってオールを海に落っことしてしまう。やむを得ず片足をオール代わりにして舟を漕ぎ出すエビス様。そこへ現れるサメの大群。逃げるエビス。食らいつくサメ。夜の海上に響く絶叫。

 ──そこから先の記憶はない。気がつくと美保の浜辺に立ち尽くしていた。

 のちにエビス様はそう語っている。

 ともあれ、その時点で美保の空はまだ漆黒の闇に覆われていた。片足の半分はサメに持って行かれたが、ゲス不倫報道でマスコミの餌食にされるよりは遥かにマシである。と、

「おやエビス様、今日はお早いお帰りですね」

 神社の境内にたどり着いたエビス様に声をかけるのは、件の一番鶏だった。

 鶏曰く、今日は時間を勘違いして変なタイミングで鳴いてしまったもので、これからもう一鳴きさせていただきます。「では失礼して」と居住まいを正す鶏。

 

 コケコッコ~。

 

 美保の町に、今度こそ夜明けの訪れを知らせる鶏の声が高らかに鳴り響く。

「てめえマジふざけんなよ!」

 普段は温厚で知られるエビス様も、この時ばかりはマジギレであった。

 金輪際、鶏とは関わり合いになりたくない。鶏のことなど思い出したくもないということで、鶏を連想させる一切のモノはエビス様の前から姿を消すこととなった。

 美保神社の氏子衆も、エビス様の気持ちを忖度して鶏肉や鶏卵を食べるのを自粛するようになり、それがやがて鶏禁忌となって現代に伝わったというわけである。


   ***


 ……多少の脚色も加えたが、美保神社の鶏禁忌の由来はおおむねこんなところである。

 エビス様、鶏、氏子、いずれを気の毒に思うかは受け手の感性の問題であるが、このように禁忌に関するエピソードというのは、地元の神様のご機嫌を損ねるパターンのものが多い。我が町の胡瓜禁忌もしかりである。

 ところが、『ふがす郷土誌』で紹介されている二つの禁忌は、いずれも『城主』という特定の人間を起源とするものである。私にはそこが引っかかったのだ。

 とはいえ、神ではなく人が禁忌の由来となった例は、ほかにないわけではない。

 たとえば、宮崎県の某地域でも、福永ふくなが丹後守たんごのかみ南瓜かぼちゃつるに足をとられて討ち取られたことに由来する南瓜禁忌が存在していたりする。

 そもそも、この手の禁忌伝承のほとんどは、いわばである。外来種の栽植を嫌う保守的な土地柄であるとか、特定の作物の栽植に向かない気候であるとかいう事情を説明するために、人知の及ばない祟りだの呪いだのを犯人に仕立て上げたに過ぎないのだ。

 そうすると、禁忌の由来が神であるかどうかというのは、実は大した問題ではないのかもしれない。私は民俗学の専門家でもなんでもないので、その辺りが学問的にどのように評価されているのかはよくわからない。

 しかし、同じ村で、「城主が討たれた」という同じ理由で、二つの禁忌が存在しているという『ふがす郷土誌』の記述には、そこはかとない違和感を覚える。

 端的に言えば、「城主、討たれ過ぎじゃね?」という話である。

 現在の島根県出雲市の●●地区というのは、うらぶれた山間の農村地帯であって、まずそんなところに城があったのか、城主がいたのかという疑問がある。よしんばあったとして、そこで度々に戦が起こり、二度にも渡って城主が討たれるようなことがあるのだろうか。

 そこで私は、禁忌の由来となった「城主の討死」の真偽を確認すべく、●●の歴史を調べてみることにした。

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