君葛城の峰の白雲




「それら、定家ていかの残した数々の書物のなかに、幾度も幾度も現れる女性の影……それが、式子しょくし内親王ないしんのうです。そう百人一首にも選ばれていますね。


『玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする』

 ――命よ、どうせもう絶えてしまうものならばどうか今すぐにでも絶えてほしい。このまま生き永らえていたならば、人に知られてはいけないこの恋を、隠しとおせる自信がないから。


 式子内親王は後白河院ごしらかわいんの皇女であり、賀茂神社の斎院さいいんを務めた人です。この斎院というのは平安時代初期に、平城へいぜい上皇が弟の嵯峨さが天皇と対立した際、嵯峨天皇が賀茂神社の大神に「我が方に利あらば皇女を捧げる」と願をかけ、その後、薬子くすこへんで嵯峨天皇側が勝利した暁に、誓いどおり娘の内親王を斎院として捧げたのが起源だと言われています。なので、その後もずっと、皇族の未婚女性が務めるのが習わしでした。

 彼女たちは代々、清らかな生活に身を置いて賀茂大神に仕え、任期を終えて退下したあとも独身を貫くのが慣例だったのです。


 ところがこの式子内親王という人は、どうにも定家とただならぬ仲であったのではないかとの推測が浮かび上がってきます。源氏物語や伊勢物語にも例が見られるのですが、斎院のように恋を禁じられた立場の人も生身の人間ですものね。人並みに女として、殿方と恋に落ちることもきっとあったのだろうと先生は思います。


 とはいえ、核心に触れる書き方をしているわけでは決してなく、そのような仲であったことが匂わされている程度。そして再三言っているように、残されている書物というものは虚構と現実が入り交じっているものなので実際にはどの程度の関係であったのかはあくまでも憶測の域を出ません。

 だけれどもさきほどの百人一首にも採られている和歌。この命がけの和歌に対して定家の方にも激しくも密やかな恋の和歌がたくさん残っているのです。


『白玉の 緒絶おぜつの橋の 名もつらし くだけておつる 袖の涙に』

 ――緒が絶えるという「緒絶の橋」の名を聞くだけでも辛い。あの人との仲が絶えぬかと憂い、真珠の緒が絶ち切れたように砕け散って袖に落ちる涙を見るにつけて。


 緒絶の橋、とは陸奥むつ歌枕うたまくらのことです。「緒絶」は玉の緒、つまり命が絶えること、そして恋人とのつながりが断ち切れることも意味しています。


『思ふこと むなしき夢の 中空なかぞらに 絶ゆとも絶ゆな つらき玉の緒』

 ――人の思いは虚しい夢の中で絶えてしまうとしても、苦しくも命を繋ぎ止めている玉の緒だけは絶えないでくれ。


 こちらのほうが、より式子内親王の和歌うたを意識しているように思えますね。

 だけど先生は、定家の歌の中でもっとも激しくて式子内親王への熱い思いが込められているのは次の和歌じゃないかと個人的に考えているの。


『夜もすがら 月にうれへて をぞ泣く 命にむかふ 物思ふとて』

 ――一晩中、月に訴えて、私は声をあげて泣くのだ。命に逆らうこの恋に憂えているといって。


 この句は、師でもある父親の俊成しゅんぜいから、このような重い言葉を連ねるのはどうかとダメ出しされたことがある定家だけれども、それでも強く烈しい思いの言葉をたたみ重ねて練り上げた一首なんですね。

 先生はそこに、彼のとても熱く強い思いと、おおやけに成就することのない恋への切なさを感じ取って、この定家という人と高潔の内親王にもしかするとあったかもしれない秘密のロマンスに思いを巡らせてしまうんです。


 さて、だけれども。そんなふうに感じ入るのはもちろん先生だけではなかったようで。

 現代に至るまでのたくさんの人々の間でこの二人のことは議題になってはいろんな説が囁かれてきたのです。

 その一つ、有名なのがさきほど少し触れた“定家葛ていかかずら”。

 金春善竹こんぱるぜんちくという室町時代の人が作ったと言われている能の演目ですね。なんと上演時間120分という長く、静かな、けれどとても熱くて重い作品です。

 どのようなお話かというと、冬の始め――そうちょうど今くらいの季節かな。北国からやってきた僧侶が京の都の千本というところへ差しかかったところ、おりからの時雨にみまわれ、近くにあった建物で雨を凌ぐことになりました。

 雨宿りを始めてしばらく、どこからともなく数珠を携えた女が現れます。女が言うには、そこは“時雨しぐれちん”という由緒ある建物で、かつて藤原定家という貴族が建てたものなのだとのこと。


『偽りの なき世なりけり 神無月 がまことより 時雨しぐれめけん』

 ――この世には嘘偽りが多くありますが、時雨の次節になれば時雨が降る。これに偽りはなく。


 定家のこんな歌に由来した建物の名前ではないかと、女と僧侶はそのような会話を続けます。僧侶は女から聞く定家の人物像に惹かれ、親身に話を聞いていました。すると女は定家卿の供養をしてはもらえないかと頼んできます。ついてきてほしいという女に案内され僧侶が訪れた先には、蔦葛が這い纏ってその姿を覆い隠されている古い石塔がありました。女が言います。


「これは式子内親王のお墓です。ここに纏わりついている蔦は“定家葛”と申します。

 生前、身分違いな上に斎院である内親王とは結ばれるはずもなく、かといって深い契りが忘れられない定家卿の思いは妄執となってこうして今も絡みつき、互いに離れられずに現世で苦しみ続けているのです。

 この恋に耐えられないなら、命さえも『絶えなば絶えね』と詠った内親王。そして、


なげくとも 恋ふとも逢はん 道やなき 君葛城かつらぎの 峰の白雲』

 ――嘆こうとも恋焦がれようとも、今や逢う道もなく。あなたはまるで葛城かつらぎの峰の雲のように遠い存在です。


 と詠んだ定家卿。その強い思いが、こうして乱れた髪のように絡まり合い、もう逃れる術もない。どうぞお助けくださいまし」


 そう言うなり消えてしまったその女こそが、式子内親王その人だったのですね。取り除いても取り除いてもすぐにまた這い纏う定家葛に、身も心も閉じられて哀れ成仏できずに現世をさまよっていたのです。


 僧侶はさっそく、弟子とともに念仏を唱えて供養を始めました。月影に浮かび上がる内親王の真の姿。苦しい辛いと、遠い昔からの夢のごとき邪淫の妄執にがんじがらめの己の境遇を涙ながらに訴えます。

 経をもって定家卿の執心を払い除け、自身の執心も捨てて成仏なさいませ、と僧侶がいう。経の力で葛がみるみるほどけていく、石塔も内親王も拘束から抜け出して自由になる。内親王は涙を流しながらも辛苦から解放された喜びを告げ、お礼にと僧侶に舞を舞ってみせるのでした。

 だけど舞を終えると、顔を伏せて再びほろほろと涙を流し、


「かつては美しくもあったものですがこの世から消えたのち、定家葛に絡めとられ、醜いゆえに夜しか姿を表さぬ葛城の女神のようになってしまいました。私もそれに倣って、夢の覚めないうちに姿を隠すことに致しましょう」


 と言うなり、墓標の影へと消えていきました。

 すると、なんということでしょう! 僧侶らが見守るうちに、またもとの通りに定家葛が墓を這い纏い、あっというまにその姿は見えなくなってしまったのです。

 あとには、時雨そぼ降る晩秋の荒れ野が広がるばかり――――。

 

 ともに邪淫の妄執を……内親王は成仏よりも定家の愛欲の執着をってしまったんですね。愛ゆえに、極楽浄土への道を捨てて彼もろともに堕ちることを選んでしまった内親王の、女性としての心の葛藤。その苦悩が見るものを重苦しくも切ない気持ちにさせるラブストーリーなのです」





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