第8章ー6 量子コンピューター研究開発機構のソルジャー

 R4班は手際よく通信機器の設営を完了し、CIC及びリニアモーターカー内の各班と連絡を取れるようにした。

 しかし、未だ手を休めることなく作業を続行している。

 なぜなら、鉄道会社と自衛隊が締結した契約条項の、まさにギリギリのラインを攻めているからだ。リニアモーターカーの内部設備を利用しなければ、トンネル内で安定した通信を実現できない。そのため契約条項には、安定した通信を確保するためにリニアモーターカーの設備を利用できるとある。

 逆を返せば、安定した通信を確保する以上にリニアモーターカーの設備へと干渉するのは、契約範囲外の行為。

 そのため契約違反となりかねない。

 ただ契約書の前段には”乗客乗員及びリニアモーターカーの安全は、保障されねばならない。以下契約条項の解釈で矛盾が生じる際は、これを優先する”とある。

 つまり安全が最優先となる。

 今、サイバー作戦隊は国家安全保障のための作戦中である。そこにはリニアモーターカーの安全保障も含まれている。

 R4班がリニアモーターカーに搭載されているカメラの動画データを、直接取得しようとしているのも安全運行のため。

 中央統合情報処理研究所の人工知能が鉄道会社のシステムを乗っ取る可能性がある。トンネル内に設置されている、カメラやセンサー類のデータが改竄される可能性もある。

 リニアモーターカーの頭脳を操り、鉄道会社のシステムにカメラやセンサー類の偽りのデータが送信されるかもしれない。または、リニアモーターカーの加速、減速、通常走行、停止という安全の基本が脅かされるかもしれない。

 サイバー作戦隊は人工知能から乗員乗客とリニアモーターカーを護る。そのため、リニアモーターカーのカメラとセンサーの生データを取得しようとしているのだ。

『こちら加瀬。分線盤の所定位置に到達』

 プレミアムコンパートメント席に残っているR4班の加瀬の声が、骨伝導イヤホンから聞こえてきた。R4班のリーダーである有森が、口腔で呟き加瀬に指示する。口に耳をつけないと聞こえない音量だった。

「了解。加瀬はそのまま待機」

『了解です』

「森下は配電盤周辺の防犯カメラへの光学迷彩展開準備。飯田は周辺警戒」

「「了解」」

 R4班の有森、飯田、森下の3名は車両の連結部の近傍で、適度な距離を保ち静かにリニアモーターカーの発車時刻を待つ。

 リニアモーターカー車内と品川駅に発車メロディーが鳴り響き、慌てて乗り込もうとする乗客もなく扉がスムーズに閉じる。

 音も振動もなく、滑るようリニアモーターカーが走行を始める。

「飯田より、リニアモーターカー走行開始。周囲に人影なし」

「良し。光学迷彩展開」

「展開開始しました」

 森下の報告を受け、有森が宣言する。

「作戦フェーズスリー開始」

 車両連結部には分線盤の他にトイレや多目的ルーム、有料の荷物置き場などもある。

 乗客乗員に見つからず作業を終えねばならない。ゆえに、R4班の作戦フェーズスリーは作業スピードが肝要。

 座席と連結部を隔てる自動ドアの表面は有機ELが全面に貼り付けてあり、人が近くに来ると反対側を表示するようになっている。有機ELはドアの開く速度に合わせて映像を表示しているので、まるでドアが透明になったかのように思える。

 ただリアルに映像を表現しすぎると、自動ドアが開き切る前に人が衝突する恐れがあるので、少し画質を落としている。・・・テスト走行の際、何人もの技術者が自動ドアに衝突したからだった。

 光学迷彩は配線盤の周辺だけでなく、ここの車両連結部の全センサーを対象にしている。その上で、自動ドア用のセンサーには人がいると誤認識させている。

 客室の座席からは、自動ドアが透明になっているように見える。そして自動ドア前にいる人物は、迷彩服姿で仁王立ちしているR4班の森下。

 むろんダミー映像が表示されているのであり、客室から人が来る際は、急いでBが向かい仁王立ちするのだ。

 前後の車両から同時に人が来る際は、連結部の中央に仁王立ちする。それように中央へと歩く映像データも用意しているが、不自然に見えてしまうのは避けられない。

 準備期間がなかったため、雑な計画となってしまった。

 とはいえ、やり遂げねばならないのだ。

 飯田は分線盤の扉の電子キーを開錠する。有森は予め物理鍵を差し込み窪みに指を引っ掛けいた。電子キー開錠の合図となる音がした瞬間、物理鍵を廻し分線盤の扉を引き開け、口も開く。ただ、声は周囲に漏れないようにだ。

「分線盤の扉開放。タッチパネルディスプレイ、スイッチオン。メインメニューから分線切り替えメニューを選択」

 有森は扉を開けると、すぐに分線盤のメンテナンスを可能としたのだ。

 作業時間の予定は約5分。

 物理的にネットワーク機能を外したクールグラスが、手順をAR表示でガイドする。そのため、間違えるリスクは低い。しかし、練習したことのない作業なので、もたつく可能性がある。

「搬送機とケーブルを確認。カメラ用分線口およびセンサー用分線口を確認」

 飯田は、まず共同溝を通ってきた搬送機を取り出し、搬送機からケーブルを外した。

「バイパス接続開始」

 有森はバイパスするために自ら持ってきた7本のケーブルを分電盤に差し込み始めた。

 飯田は搬送機が持ってきたにケーブルをつなぐ。

「カメラ用分線口5ヶ所にコネクター挿入完了」

 ここまでの作業は順調に経過していったが、森下の顔が突然強張った。

 後部車両のドアに客室の映像が表示されたのだ。

 20歳後半の女性が客室の通路をゆっくり歩き、自動ドアへと近づいてきている。

 森下は弾かれたように動き出し、自動ドアの近くで仁王立ちした。

 まだ3分程しか経っていないため、完了まで後2分はかかる。

「バイパス接続完了。全て良し」

 有森は7本のケーブルの両端を分線盤へと差し込み、タッチパネルディスプレイでバイパスされているのを確認したのだ。

 自動ドアが開く位置まで女性は5メートルにまで近づいていた。

「センサー用分線口6ヶ所にコネクター挿入完了」

 飯田は搬送機が運んできたケーブルを全て分線盤に挿入し終えた。

 作業は順調。

 状況は悪化。

 自動ドアが開き2~3歩進めば、分線盤前で作業している姿を見られるのは確実。何としてでも、彼女を自動ドアからこちら側に向かわせてならない。森下は脳内で、いくつもの展開をシミュレーションして備えた。

「直通回線切断」

 分線盤の前ではタッチパネルディスプレイを操作し、有森がデータを直通回線からバイパスを通すように設定した。

 客室の通路ではセンサーが自動ドアへと女性の接近してくるのを感知した。 

「コネクター挿入11か所、全ての接続を確認」

 分線盤の前で飯田は、挿入したコネクターの接続口近傍にあるLEDが緑色になっているのを確認した。

 森下の前の自動ドアが開いた。

 彼は咄嗟に右手を額に添え、敬礼した。脳内シミュレーションの通りだった。

 女性に向かって口を開こうとした瞬間、自動ドアの前には誰もいなかった。女性は前から2列目の座席に座ろうしていた。

 自動ドアに迷彩服姿の怪しい男が映っていたので、彼女は近い前のトイレでなく後ろのトイレに向かい、その帰りだったのだ。

 森下は顔を真っ赤になりながら自動ドアが閉じるまで、そのまま敬礼を続けた。

 分線盤の作業結果をプレミアムコンパートメント席に残っていた加瀬が報告する

『接続良好。データ受信確認。全て良し』

 すかさず有森は撤収を指示する。

「搬送機を回収」

「分線盤の扉を閉鎖」

 飯田が搬送機を抱え込み分線盤から離れ、有森が扉を閉めた。

「光学迷彩展開終了」

 赤い顔をした森下が光学迷彩の展開を終了させると、有森が鋭く呟く。

「撤収」

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