第1章ー前半 AI監査グループ

 監査室フロアには会議室が18部屋もあり、ほとんどが10人用である。

 監査室は監査対象の部署が法令を遵守し、かつ量子計算情報処理省の規則から逸脱していないかをチェックする。その際、監査対象部署の機密事項にも数多く触れるため、ちょっとした打ち合わせでも会議室を使うのが慣例になっている。

 その中の会議室の1つに、3人の男が会話もなく座っていた。

 グループ長は携帯キーボード上で指を滑らせ、何やら文書を作成しているらしい。

 彼が注視しているB4サイズのQLED”量子ドットLED”薄型ディスプレイには、パソコンの機能が配置されている。

 携帯キーボードは表面が滑らかだが、FキーとJキーだけ一部が少し盛り上がっている。ホームポジションが指先で分かるようになっている昔ながらの仕様で、丸めて持ち運べる。

 もう1人の男は、A4サイズの超薄型のQLEDディスプレイを片手に持ち、タッチペンで書き込みをしている。両手首に巻いているのは、ブレスレット型ウェアラブルPCである。片方にCPU、もう片方にGPUを装備する最新のモデルなのだ。

 2人は向かい合わせに座っているのに全く話そうとしない。それだけでなく、目を合わせようともしないのだ。

 すっげぇー空気が重いぜ、この部屋。

 早く戻って来てくれよ、香奈ちゃん。

 オレは休憩室にマグカップを持ってきた香奈ちゃんに、飲み物を購入していないことをワザと伝えなかった。

 もしかして、その報いが、これか?

 オレが悪いのか?

 ったく、今日は調子が狂いっぱなしだぜ・・・。

「お待たせしましたぁ」

 晴れやかで魅力的な声と共に扉を開けた香奈が、会議室に入ってきた。

 彼女のマグカップからは、湯気が立ちのぼっている。

 マグカップをトレイに載せてたら、まるで飲食店だぜ。

「何買ったんだい?」

 楕円形の会議机にマグカップを置き、扉近くのオレの隣のイスに、優雅な所作で座る。

 こういう振舞いとか仕草とかは、良いところのお嬢様風なんだが、毒舌。ホントにお嬢様かは知らないが。まあ、どうでもイイか・・・。

「ロイヤルミルクティー?」

「何で疑問形なんだ?」

「う~ん、マグカップを入れた時、ボタンに触れちゃったみたいで・・・。色と香りから、たぶんロイヤルミルクティーかな~って」

 人差し指を顎にあて、香奈は可愛いらしく小首を傾げながら、購入時の説明をした。

 《不注意なヤツだぜ》という正直な感想が口から漏れ出しそうになったが、寸前で口を閉ざし、香奈ちゃんに別の質問をする。

「普段は何を飲んでんだ?」

「緑茶ミルク」

「・・・美味しいのか?」

「凄く美味しいですよ。飲んでみます?」

 香奈はマグカップを真田の前へと、滑るように差し出す。

「それ、ロイヤルミルクティーだぜ」

「そうでしたねぇ~。どうぞ」

「いや、いらない」

 漸くグループ長の山咲が、QLED薄型ディスプレイから顔をあげ口を開く。

「えー、AI監査グループのグループ長の山咲だ」

 ボソボソとした話し方で聞き取りづらく、酷く適当な感じだった。

 オレが休憩室に行く前、山咲グループ長は監査室長の質問に、ハキハキとした口調で答えていたのに・・・。

 空咳を一つして、山咲は説明を始める。

「AI監査グループは、量子計算情報処理省の量子コンピューターの人工知能を検査する。4人体制・・・・・・」

 10人用会議室の壁に備えつけられている80インチQLEDディスプレイに、プレゼンテーション資料が表示されている。その資料に記載されている文字を、グループ長は抑揚なく読んでいるだけだった。

 それなら、わざわざ会議室のQLEDに映す必要はない。

 4人とも仕事中なので、携帯ディスプレイを持参してきてるし、異動時に同じ資料を渡されている。

「・・・と、手法を研究しながらの監査となる」

 山咲は最後まで資料を読み切ると、空咳を一つした。説明の中で資料以上の情報は全く出てこなかった。

 大丈夫か? AI監査グループ。

 管理職の仕事を、まともにこなせるのか? 山咲グループ長。

 これから、不安だらけだぜ。

「質問は?」

 いやいや、質問というより全部が疑問だぜ。

 オレたちは、明日から何すればイイんだ?

 具体的に頼むぜ。

 山咲グループ長は一拍だけおいて、すぐに適当な感じて言う。

「解散」

 オレ達は、何から聞くか考える暇すら与えられなかったのだ。

 《おいっ!》と口から出そうになるのを抑え込み言葉を探すが、まーったく思いつかない。

 隣に座っている香奈ちゃんも言葉を失っている。というより毒舌しか思いつかず、上司に発すべき言葉が見つからないようだ。

「明日、西東京に行ってきます」

 香奈と反対側に座っていた男が軽く手をあげて発言した。

 確か資料に名前は・・・門倉啓太。役職はグループ長(課長)補佐だ。年齢は50前後か?

「西東京?」

 ボソッと呟いた真田を香奈がジト目で見詰める。

「何だ?」

「知らないんですかぁ~」

「彼は警察庁からの出向組だから仕方ないさ。西東京には、量子コンピューター研究開発施設がある。そこにAIを実装した量子コンピューターと、解析用ビッグデータ一時保管装置の建屋がある。施設内は量子計算情報処理省の所属でも、許可がないと入れなくてね」

「許可貰うのって、大変なんですよぉ~」

 なるほど。

 香奈ちゃんの言葉で、オレは明日の業務を見つけた。

 タブレット端末片手に、コンピューターの座学をしているより何倍もマシだ。

「オレも行きたいです」

「ダメだ」

 素っ気なく、しかも刺を含んだ口調で山咲から告げられ、会議室内の空気が凍りついた。

「どうしてですか?」

 真田は正面へと向き直り、山咲に視線を突き刺した。

「いいから!」

 《質問は受け付けない》という意志の入った口調で返された。

 ムカつくグループ長だぜ。

 理由を説明せず、部下を黙らせるためだけのセリフを言い放つとは、絶対に仲良く出来ねーな。

 今後は山咲と呼び捨てにしてやる・・・心の中で、だけどな。

「ああ、ボクは行ってきますね。監査室室長から自由裁量を頂いてますので・・・。それと、どうせならグループ全員で行きませんか? 申請はボクがして、今日中に許可をもらうようにしておきます。どうですか。山咲さん?」

 自由裁量?

 普通、あり得ないだろ。籍だけAI監査グループで、グループ長の頭越しに監査室室長の指揮命令下に入るってのか?

 仕事ができる人なのか?

 50歳前後で課長補佐なら、キャリア採用じゃねーんだろうな

「何時までに?」

 それにしても、山咲はブサイクとまでいえない顔なのだが、無愛想な表情の所為で醜悪とすら云える。

 翻って門倉は飄々とした表情で、淡々とした口調で応じている。

「2時間ほどあれば、3人の許可がおりるでしょう」

 空咳を一つしてから、横柄な態度で山咲は吐き捨てる。

「できるなら。・・・報告はすぐに」

 言葉は意味不明で、彼の思考は理解不能だった。

 《できるなら》とは?

 理由なり、考えている事の補足説明なり、業務指示に必要な情報が欠けている。その上、質問を寄せ付けない態度なので、オレは山咲が無能だと判断した。

「了解しました」

 門倉が返事をすると、山咲は何も言わず不機嫌そうな様子で会議室を出て行った。

 ほぼ運だけで管理職になった山咲は、自身が何をすべきか理解していない。そのため具体的な指示が出せない。しかし、管理職というプライドの高さと地頭の悪さを隠すため、部下からの質問を抑圧し、業務内容の説明を拒んでいるのだ。

 つまり、真田の判断は正しかったのだ。

 会議室の扉がゆっくりと閉まるまで、真田は中肉中背の山咲が見送る・・・というより睨みつけていた。

 扉が閉まるとロック時の電子音が鳴った。鍵が掛かったらしい。

 そして扉が半透明になり、部屋の内からも外からも様子を窺えるようになった。それでも音は遮断されるのだが・・・。

 会議室の開錠は、室内の人間か施設管理者にしかできない。

 しかし完全な密室は、犯罪の温床と成り兼ねないのだ。不正した人物が、監査人に暴力に訴えたり、脅迫したり、賄賂で懐柔しようとしたりするからだ。

「最悪っ! 咳する時、手で口をふさがないなんて・・・。ロイヤルミルクティーが飲めなくなっちゃった。きっと唾が入ってます」

 香奈ちゃんが訴えかけるような目で、オレと門倉をみる。

「能力だけでなく、人間的にもダメなんて・・・。ホンット、最悪~」

 かなり我慢していたらしく、オレ達は5分以上に亘って香奈ちゃんの愚痴を聞かされることになった。

 まったく前途多難だぜ・・・。


 里見香奈は漸く落ち着きを取り戻したようで、一息ついてからマグカップに手を伸ばす。

 どうやら扉の鍵をかけたのは香奈ちゃんのようだ。

「おおーっと・・・。危なかったです~」

 手に取ったマグカップを口つける前に、ギリギリで気づいたようだ。

 山咲の唾液入りロイヤルミルクティーを飲むのは嫌だろうなぁー。

 まあオレも、他人の唾液入りコーヒーを喜んで飲む趣味はないので、真空断熱タンブラーの蓋をしっかり閉める。

 真田は呆れたとの表情を隠そうとせず、口を開こうともしない。そこで仕方なく、門倉が香奈に声をかける。

「落ち着いたかい?」

 門倉はクールグラスをかけ、さっきまで香奈の話を聞き流しつつ、申請処理を実施していた。それなのに、2人が抱いている気持ちに寄り添う的確なコメントをする。

「彼が部下の成果を自分の手柄としてきた人間のクズなのは、周囲に随分と知られたきたから、共感する人は多くいるよ。ただグループ長以上の役職者がいない場に止めておいた方がいいね。彼は自分より上の役職者には平身低頭のイエスマンで、ヒラメ野郎だから、未だに誤解している人もいる。気を付けようか」

「そうですね。心配してくれありがとうございます、門倉さん」

「さて、それでは明日の朝は西東京に直行しよう。待ち合わせ場所はメールで送付しておくから。それと2時間後、許可証がIDカードに発行されるようになっている。確認をしておいて欲しいね」

 はいっ?

 オレが疑問を口にするより早く、香奈ちゃんが口を開く。

「門倉さん、そのクールグラスって最新モデルですよね?」

 おいっ! 訊くとこ違くねーか?

「ようやく価格に見合う性能になってきたからね。先月購入したのさ」

 オレまで、別の方向に興味が移っちまったぜ。

 まあ、いっか・・・。

 真田は自らの興味の赴くまま門倉に尋ねる。

「購入って、個人のクールグラスを使ってイイんですか? それにクールグラスってMLEDを使用しているから、QLEDと異なり目に悪いと聞いてるけど・・・」

 オレの言葉で門倉さんと香奈ちゃんが固まったようなので、不可解に思い2人に尋ねる。

「えっとぉー・・・、何か?」

「どこから説明すれば良いのかい・・・と、真田君に聞いても・・・う~ん」

「ええーっと、真田先輩。まず、MLEDとQLEDの違いって知ってます~?」

 香奈の台詞の中身は相変わらず失礼なのだが、真剣な表情だったので真田は自分の知っている内容を伝える。

「MLEDはマイクロLEDの略で、極小のLEDを並べて、直接LEDをみている。QLEDは量子ビットLEDの略で、LEDバックライトを光源とし、量子ビットフィルムを通して色を変化させている」

「おおーっと、オカシイで・・・おしいですね」

 可愛い顔で、香奈は愉しそうに言う。

 絶対にワザと間違えやがった。

「なあ、オカシイの方が本音なんだろ?」

「えーっと、ですね。ディスプレイは量子ビットじゃなく、量子ドットですよ。量子ビットは、重ね合わせ状態で表現できる数・・・。量子コンピューターのCPU性能は、2のn乗の数になる量子ビットと量子ビット実装数の掛算で大体わかるんですよ~」

 そうだったのか・・・、やはり付け焼刃だと、細かいところに粗がでてしまうようだ。

 だが、聞き捨てならない”オカシイ”という言葉。それが本音だったかどうかを確認しておきたい。

「まず、オレの質問に答え・・・」

 その時、横から柔らかい口調で門倉が声をかけてくる。

「真田君」

 真田は顔を真横に向け、門倉をみる。

「クールグラスはMLEDを使用しているけれど、直接LEDを見る訳じゃないのさ。眼鏡のグラスに表示させ、間接的に見ているんだよ。だから、AR”拡張現実”用の眼鏡としても使用できるのさ」

 絶妙のタイミングで話を逸らされた。

「そうなんですか・・・解説ありがとうございます、門倉さん」

 顔の向きを香奈の方に戻そうとするが、それより先に門倉が話を続ける。

「それと個人の端末使用には条件があるんだ。量子計算情報処理省では、省で用意しているセキュリティソフトをインストール可能であること。それに、ASLPWA端末であること。両方を満たしていれば使用申請するだけでいいのさ」

 既に話題を戻せる雰囲気でなくなり、真田は疑問を口にする。

「アズエルピーダブリュエー?」

 愉しげな口調で、香奈は軽やかに言う。

「Always Supply Low Power Wide Area.常時省電力広域無線通信ですよ、真田先輩♪」

「LPWAは知ってる。現代人なら常識だな。だがよ、LPWAへは電磁波で自動給電されるだろ。何で”常時”がつくのか、意味が解からないだけだ」

「なるほどぉ~、ITには疎くても常識は知ってるんですね」

「もしかして、オレが嫌いでケンカ売ってんのかなぁー」

 不穏な空気が真田から流れている。しかし里見の周囲には鉄壁のガードがあるようで、彼女は愉しそうに微笑む。

「アタシ嫌いだと、極力会話さないようにしますよ。だから、山咲さんの相手はお願いします」

 また話を逸らされた。

 しかし不思議な気分だった。混沌の沼の中に囚われているかのような感覚なのだ。

 それでいて、その沼での一番強い感覚が、香奈ちゃんとケンカにならずに済んだという安心だったのは・・・。なんか自分を嫌いになりそうだった。

「LPWAへの給電装置は、道路や公共機関の各所に備え付けてあるよね。だけど、みんな自宅にまで、給電装置を備え付けはしてないから、超小型LPWAは給電され続けないと通信できなくなる。爪ぐらいある小型LPWAはバッテリー内蔵だけど、半日も保てないしね。機密データが残っているかもしれない端末を紛失したら大問題になる。だから、常時位置監視できる仕組みが必要なのさ」

 人差し指を顎に持っていき、香奈は軽く首を傾げた。

「う~ん・・・アタシの端末も、幾つか申請しようかなぁ~。自宅に給電装置もあるし・・・」

「お薦めはできないかな。管理サーバから端末へ、たった1時間通信が途絶えるだけでセキュリティソフトが初期化プログラムを実行するんだよ。最悪の場合、端末のハードが破壊される。正確に言うと、目的はハードの破壊で、不可能な場合OSごと初期化する仕様になっている。そういう訳で、最低限、初期化可能な端末でないとセキュリティソフトのインストールはできないのさ」

 香奈は僅かな期待を胸に、真剣な表情をし、猛烈な勢いで門倉に質問する。

「壊れた端末、補償してくれるんですよねっ」

 しかし香奈の希望で、省のルールが変わるはずもない。

「自己責任だね」

「そうですよねぇ~」

 会話が途切れたところで、真田は数ある疑問の中の1つを口にする。

「西東京って、どんなとこなんですか?」

 途端に、門倉の雰囲気が変わった。

 彼は楕円形の会議机に両肘を置き、組んだ指を顎にのせた。すると、眼鏡のグラスから光が放たれた。

「いいのかい。知ったら・・・もう戻れなくなる」

 門倉の真剣な口調に、真田は気圧された。

 だが好奇心に勝てなかったようだ。それに、AIを監査するという使命感に突き動かされていた。

「構わないぜ」

 真田は気づかなかった。

 彼のセリフに合わせるよう門倉の口が動き、微かに声がしたことに・・・。

 そして、香奈が愉しそうな笑顔を浮かべていたことに・・・。

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