かさぶた、あるいは雨後のエロ本

 子どもの頃の僕たちは、いつも後悔していた。

 雨雲の湧き始める夕方。僕は空一面にオレンジジュースをこぼしたような時間に、家路を急いでいた。手には友人と遊ぶためのゲームボーイ(ゲームボーイというのは任天堂製の携帯ゲーム機である)と通信ケーブルを持っており、雨が降ってゲーム機が濡れてしまえば、せっかく何十時間を費やして育てたモンスターを失いかねないからだ。もちろん、よそ見をしたり足をもつれさせたりして転んでしまってもゲーム機を壊しかねないからと、僕はただひたすらに慎重に早歩きをしていたのである。

 その日も当然のように、近道を用いた。

 高架下の金網フェンスにはいくつか大きな穴が開いており、そこを通ると高架下を通る道路をゆくよりもずっと早く家に着くことができる。そういう小狡い道を、僕ら子どもたちはよく知っていた。まるで、海賊が特別な島に向かうための独特な海流を自分たちだけが熟知しているように、僕らは自由に動き回った。

 そしてそういう場所には、得てしてエロ本が落ちているのである。

 その日はエロ本を探す日ではなかった。そういう気持ちも起こらなかった。それよりも友人と共にゲームのモンスター同士を戦わせることに必死だったし、戦わせた後も、より強いモンスターを育てたいという気持ちしか起こらなかったからである。

 しかしそこに落ちていたのは、ただのエロ本ではなかった。

 エロ本は土から生じると考えていた僕の目の前にあったのは、段ボールに入れられた大量のエロ本だった。

 僕は思わず足を止めて、その段ボールに向かって一歩を踏み出そうとする。しかしオレンジジュースの空は今にも暗く、灰色の雲はいつ大粒の涙を落とすか分からない。生温い風が、高架下の狭い空間にいる僕の頬をヌルリとさわっていく。

 エロ本の表紙を飾るヒョウ柄の下着をつけた小麦色の肌の女性が、僕を誘惑する。ぬるま湯のような風はいつしか塩気を帯びて、小麦色の肌の女性の、しなだれかかったような座り方と、表紙を見る人を求めるような指先とが、真に迫ってくる。海賊行為を繰り返す僕にとって、その女性はまさしくセイレーンであった。

 いけない。

 僕は頭を振る。

 誘惑に負けてはいけない。

 帆に縛りつけられたオデュッセウスの気持ちである。今すぐゲームボーイと通信ケーブルを投げ捨てて、小麦色の肌の女性に触れてその表紙を一枚めくれば、めくるめく欲望の世界が待っている。新たな宝を見つけた僕は英雄にもなれただろう。

 しかし通信ケーブルは僕の両の手首を結んで離さず、ゲームボーイは悲鳴をあげる。

 今帰らなければ、私たちはデータの海の藻屑と化すぞ。

 僕は帰った。

 帰ったその夜のうちに、横殴りの雨が降った。

 次の日の放課後、僕は高架下のエロ本の様子を見に行った。昨晩の雨は砂利道をぬかるませ、畦道もやはりドロドロである。午前中まで降り続いた雨は既に去って、夏に向かって太陽が準備運動を始めている。

 しかし僕の心はどんよりしていた。梅雨を先取りしたかのようにじとじとしていた。

 僕たちの探す宝は、水に弱い。

 植物ならば夜露を花びらに湛えて美しくもなるだろう。金貨も宝石も一晩の雨ごときでその輝きを失うこともないだろう。

 しかし僕たちの求める宝は水分で簡単にその価値を崩落させる。紙とインクで作られた人工物は、水を含んでゴワゴワと膨れ上がり、あるいはぴったりと貼りついてしまい、その宝が本来持っていた魅力を失ってしまう。わずかに読める部分があろうとも、それはすっかり価値の薄くなった粗悪なガラクタでしかないのだ。

 果たして、僕が先日見つけたエロ本はすっかり水分を得てガラクタになってしまっていた。

 横殴りの雨は高架下という環境にも当然のように侵食し、宝箱の役割を担う段ボールもすっかりひしゃげている。辺りに人がいないことを確認して、僕はおずおずとその価値の薄くなった宝箱に近づいた。

 突然、宝箱に吸い込まれるような突風を感じた。

 先日目にした表紙の女性、ヒョウ柄の下着をつけた小麦色の肌の女性が、すっかり化け物のような姿形をして僕に襲いかかろうとしていた。僕は思わず体重を後ろに預けて、吸い込まれるような風に耐えた。

 耐えたと思ったらその場に尻もちをついてしまった。手をついたところがぬかるんでいて、僕の手のひらは泥だらけになってしまう。表紙の女性の引力はすっかり消えてしまい、ゆっくりと近づいてももはや何の力も働かなかった。ただ、すっかり色の混ざって何柄なのかも判別できないようななめくじが、表紙を這いまわっているようにしか見えなかった。

 いつもは、リュックにそっと忍ばせて家に持って帰るのだが、水に濡れたそのエロ本をリュックに入れてしまえば、体操着や教科書ノートに水分が移ってしまう。

 僕はその水分の移動を特別嫌った。

 その理由を正確に説明する術を、その時の僕は持ち合わせていない。ただ、エロ本と勉強道具が、自分の中で対極の位置にあるということと、雨にうたれてなめくじの表紙になってしまったエロ本の持つ「穢れ」のエネルギーのようなものとが、僕にそのエロ本をリュックに入れることをためらわせたのである。

 しかし、せっかく発見した宝物を持って帰らないことは、男のプライドが許さなかった。だから僕はそのなめくじの表紙と化したエロ本一冊を衣服の内側に隠して、お腹が痛いふりをして持ち帰ったのだった。

 夜中、蛙の鳴き声が遠くから聞こえてくる。

 僕は帰ってすぐに本棚の裏に隠していたエロ本を取り出して、まだ微妙に濡れているそれを慎重に勉強机の上に広げた。

 しけっていても、ゆっくりすこしずつ剥がせば、中身が見られるかもしれない。子どもの頃の探求心というのは、人を行動力の塊にさせるのだ。

 小さな指先で、爪先で、あるいはシャーペンの先を使って、僕はエロ本をゆっくりとめくっていく。ある部分はバームクーヘンのようにごっそりと、またある部分は、木の皮のようにささくれだって、しかし大抵の部分はすっかりインクが貼りついて、あるいは混ざり合って、見るも無残な状態である。

 めくっていく一枚一枚が、だんだんと皮膚の上にできたかさぶたのように思われてくる。

 かさぶたの中には、血が入っている。治っていなければまだ血が滲む。慎重に、治っているかどうかを見極めなければならない。しかしそもそも自然にはがれるようでなければ、かさぶたの下は治っていないのだ。

 エロ本も、完全に乾いてゴワゴワになった状態で、たまたまインク同士がはがれたところでないと、まともに見ることができないのだ。それを知らずに、かさぶたをむしるようにしてページをめくっていく僕の作業は、全く傷口を悪化させるだけである。

 畢竟、期待に胸を躍らせて、そのガラクタのような宝が本当にガラクタであるかどうかを確かめている瞬間こそが最高に楽しいのである。かさぶたをはがすのは、傷が癒えているかを確かめるためではない。そこにかさぶたがあって、それをはがしたくてうずうずする心の働きに従ったに過ぎない。

 しかし、そういう行動によって引き起こされる奇跡というものもあるらしい。

 たまたま綺麗に剥がせたページには、表紙に写っていたヒョウ柄の下着を付けた小麦色の肌の女性が載っていたのである。セイレーンのような蠱惑的な表情で僕を誘い、早く次のかさぶたをはがせ、ページをめくれとせがんでくる。

 しかして奇跡は長く続くものでもない。その先のページは結局インク同士がくっついて、剥がすことができなかった。

 乾燥した蝶の羽のように無残にバラバラにしてしまったエロ本は、僕の唯一の汚点である。ただし、それは恐らくエロ本を拾ったことのある人ならば、誰でも一度は経験することなのではないだろうか、とも思う。

 僕は、その日初めてエロ本をバラバラにしてゴミ箱に捨てた。

 別の日に、お手伝いと称して朝のゴミ出しを手伝うついでに、バラバラにしたエロ本も一緒に入れてゴミ捨て場へと持っていった。

 子どもの頃の僕たちは、こうして宝を失っている。

 雨に夜露にやられる前に、エロ本を拾っておけばよかったと後悔しているのだ。

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