逢坂さんは、早坂と話をした際に預かった須田さんのハンカチを奥様のところへ届けに行ったそうだ。岩田の自殺の件がきっかけで須田さん、彼の奥さんともときどき連絡を取り合うようになっていたそうで、失踪後、その連絡を受けた逢坂さんも必死になって行方を捜したが見つからず、細々とした交流はそこで一旦、途切れていたのだという。

 しかしその半年後、警察が富士の樹海で須田さんを発見、身元の確認も取れ、家族のもとへ帰ったという連絡が入り、逢坂さんは仏壇に手を合わせに向かった。

 そこで奥さんからハンカチのことを聞いたのだという。

 なんでもそのハンカチは、夫婦の思い出のハンカチなのだそうだ。

 逢坂さんの話では、戻ってきた遺品の中にそのハンカチだけがなく、当時の奥さんは輪をかけて憔悴しきった様子をしており、見ていられなかったという。

 早坂から綺麗に洗われたハンカチを受け取った逢坂さんは、大粒の涙を流しながら何度も何度も礼を言い、すぐに奥さんのもとへ届けに行くと力強い眼差しを早坂に向けたそうだ。その足で駅へ向かい、その日のうちに無事、奥さんの手に渡せたという。

 須田壮介さんが亡くなって、四年半。

 四年半越しにハンカチを届けに来た逢坂さんに、奥さんは最初、ひどく驚いたそうだけれど、ハンカチを目にしたとたん、泣き崩れるようにしてそれを抱きしめたという。

 その背中にぴったりと寄り添う人が、ふたり。ひとりは、当時まだ赤ちゃんだった息子の柚季ゆずき君と、もうひとりは、今年再婚したばかりだというお相手の克弥かつやさんだ。

 逢坂さんが見守る中、ふたりは奥さんが落ち着くまで、ずっと背中をさすり続けたという。逢坂さんもまた、懸命に前に進もうとしている家族の姿にこみ上げるものがあり、苦しいだけだったこの五年間に少しだけ光が差したような気がしたとのことだった。

 これを機に、交流がまた再開するかはわからない。いや、むしろ、これで本当の最後にするべきなのだろう。けれど、新しい家族の姿は逢坂さんに希望の火を灯すには十分だった。自分も前に進もう――そう固く決意し、その場をあとにしたらしい。


「そうだったんですね……。須田さんの行方が気がかりだったので、どんな形でも奥さんや柚季君のところへ帰れたのは、よかったと思いたいです」

「……そうですね」

「それに、ハンカチも。洗濯のとき、それだけなかったので、所長が供養するつもりで抜き取ったんだと思っていたんですけど、逢坂さんの手から奥さんのもとに返されていたんですね。所長。これで皆さんそれぞれ、少しは救われたと思ってもいい……ですよね?」

 すべて聞き終わった三佳は、早坂からの「はい」という確かな返事がほしくて尋ねる。

 人が何人も亡くなり、周りは深い悲しみに見舞われた話だ。大団円の気持ちのいい終わり方にならないのは三佳だって十分にわかっていたけれど、そこにそれぞれ、少しでも救いがあったと思いたい。早坂が頷いてくれるなら、そう思える気がした。

「それは野々原さん次第なんじゃないでしょうか」

 しかし早坂は、曖昧に笑って言葉を濁しただけだった。けれど、突き放されたような気持ちで「……そうですよね」と落ち込む三佳の頭に優しく手を置くと、

「〝思い込み〟って大事ですよね」

 琥珀色と淡いブルーのアンニュイな瞳を細めて、ふわりと笑った。

「……はい!」

 途端に三佳に元気が戻る。

 要はきっと、すべてはその人、その人の心の中でゆっくりと時間をかけて受け入れていくしかないことなのだろう。そこには、ちょっと関わっただけの他人である三佳の価値観や尺度は介入できない。だから、奇しくも真相まで知ることとなった三佳にとっては、そうあってほしいと思い込むしかないのだ。人間に備わった、その力を使って。


 *


 その週の週末。

 三佳は、まだ落ち込んでいる光葉を強引に誘い出し、御寺巡りを敢行した。

 ゲームコンテンツ会社のダークすぎる経営が白日の下にさらされて、二ヵ月弱。季節はすっかり夏の盛りに移行し、そこかしこでミンミンと蝉が大合唱を奏でている。

「ていうか、なんで御寺巡りなわけ? お参りするなら神社なんじゃないの? めちゃくちゃ暑いし、蝉もうるさいし、肌だって焼けるんだけど」

「まあまあ、いいじゃない、たまにはこういうのも」

 隣でブーブー文句を言う光葉を軽く受け流し、三佳は敷地内に厳かに佇むお地蔵様に手を合わせる。本当は須田さんのお墓にも岩田のお墓にも直接伺い、手を合わせたかったのだが、三佳にはそこまで調べられなかったし、早坂も知らないとのことで、仕方がないので供養で有名な寺を探し、こうして手を合わせに来ている、というわけである。

 けれど。

 心よりご冥福をお祈りします――心で呟いて顔を上げると、

「ねえ三佳、ここ、お人形供養のお寺なんだけど……」

「へっ!?」

 光葉が気まずそうな顔で立て板を指さし、素っ頓狂な声を上げる三佳に微妙な顔で笑った。見るとそこには、【人形の供養賜ります】と立派な筆字で書いてある。

「え、三佳、ぬいぐるみか何かを供養したの? 小さい頃から大事にしてて、今も持ってるものがあるって話、私、前に聞いたことあったっけ?」

「いや……そういうわけじゃ、ないんだけど」

 なんということだろうか。どうして私は詰めが甘いんだと赤面しながら、三佳は不思議そうに首をかしげる光葉に苦笑するしかなかった。〝供養で有名な寺〟探しにばかり気を取られていて、主にどんな供養をしている寺なのかまでは調べていなかったのだ。

 これでは何の冥福を祈りに来たんだか……。

 炎天下の中、無理やり光葉まで付き合わせてしまい、かなり恥ずかしい。

「まあでも、何かしらの供養にはなるでしょ」

 しかし、ふっと笑った光葉も、そう言ってお地蔵様に手を合わせた。

「光葉……」

「三佳の会社って、空き家の掃除もするんでしょう? ものが残ってる場合もあるだろうし、人形に限らず供養することって大事だよね。もしかしたら回り回って誰かの供養になることだってあるかもしれないし、そういう心は忘れたくないものだよ」

「そうだね」

 光葉の言葉に相づちを打ちながら、三佳も心からそう思った。

 何の供養をしに来たのかわからない感じになってしまったけれど、それが巡り巡って須田さんや、やっぱり岩田への何かしらの供養になったらいいなと思う。

 光葉が言ったように、空き家のハウスクリーニングに行くと、持ち主の荷物がそのまま放置されて久しい場合も多い。そういう場合、こちらとしては一つにまとめ、処分するしかないわけだけれど。そうするしかないとわかっていても、やはり心苦しいものがある。

 折に触れ、何か自分にできることはないかと思っていた三佳だったが、光葉の心に触れて、ときどきこうして手を合わせに来る時間を作ろうと思った。

 早坂にはきっと呆れられるだろうけれど、自己満足でもなんでもいい。何かしらの供養になっていると思っていれば、いつかはそれが本当になるかもしれないのだから。

「じゃあ、そろそろ行こっか」

「うん」

 そうして寺をあとにする二人の背中を、蝉の大合唱が盛大に盛り立てる。もうすぐお盆休みだなぁ、なんて思いながら、三佳は少しだけ、鼻を啜った。

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