第33話 金の被り物は危険!


「こんにちは。捜査は進んでますか?」


 木製のドアをくぐると、僕はカウンターの奥に呼びかけた。


「これから始まるとこだよ。ふふん、来たねえ優男さん」


 カウンターの中から顔を覗かせたのは、麻利絵だった。


「ごめんください」 


 僕の後ろから現れた人影に、一瞬、店内がざわめいた。


「ええと、あの……」


 連れを紹介すべく僕が言葉を探しかけた時だった。奥の席にいた人影がやおら立ち上がり、すたすたと近づいてきた。ミドリだった。ミドリはいきなり深々と頭を下げた。


「先日は、失礼なことをした。許してくれ」


 戸惑う僕の背後から、人影がすっと進み出た。


「私こそ、いきなり挨拶もしないでごめんなさい」


 人影――真妙寺雪江はミドリに負けないくらい深々と礼を返した。


「ようし、隠し妻発覚のついでに今日は、芸能界の謎解き大会と行こうか」


 麻利絵はそういうと、僕らにテーブルに着くよう促した。


 店内は僕たち夫婦のほかにミドリ、美登里、麻利絵、シュウがいた。


「しかしあんたもまあ、因果なところで仕事してるねえ」


 麻利絵が雪江に向けて遠慮のない言葉を放った。雪江は麻利絵の目をまっすぐ見据えると「自分でもそう思います」と言った。


「どうだい旦那君、これほど住む世界がかけ離れてて、無力感を感じたりはしないかい?」


「いつも感じてます。ただ僕は彼女の世界には近づかないと決めてますから、僕は僕の力の及ぶ範囲で彼女を守ろうと思っています」


「私の方こそ彼にいつも窮屈な思いをさせてしまって、無力感ばかりです」


「そうねえ、お互いに疲れ果てるくらいだったら、いっそ今、ここで別れちまったらどうだい?私たちが証人になるよ」


「麻利絵さん、それはないんじゃないかしら。見たところとってもお幸せそうよ」


 美登里がおっとりした口調で異を唱えた。


「しかし、訳が分からん世界だよ、あの世界は」


 テーブルにピザを運びながらシュウが言った。周囲にチーズの香ばしい匂いが広がった。


「そうねえ、あなたも警察とか探偵とか訳の分からない世界にいたものねえ」


「うるせえな」


 シュウは麻利絵を睨み付けると、再びカウンターの奥へと姿を消した。


「ちょっとおさらいしてみましょう。被害者、容疑者ともに僕たちとは直接会った事のない人たちです。が、ちょうどここに雪江がいます。現場の様子は雪江から間接的に聞くことにして、ここでは純粋に疑問を解きほぐしてゆけばいいんじゃないかと思うんです」


「妻を容疑から解放したい一心、というわけだ」


 ミドリが真顔で言い、僕は「その通りだ」と頷いた。


「じゃあまず、事件のあらましからね。これはご本人に説明してもらうのが一番ね」


 話を振られ、雪江は一瞬、躊躇した。……が、すぐに宙を見つめ、記憶を弄り始めた。


「全部思い出さなくてもいいよ。あと、嫌なことも」


 僕は今日は極力、雪江の近くにいようと決めていた。滅多にない休日を事件のおさらいに使おうと言い出したのは雪江の方だった。自分の推理力が何かの足しになるだろうか……そう思った時、僕の脳裏に麻利絵たちの姿が浮かんできたのだった。


「まず、あの日は午前中に『私たちのエンドレス・ロード』の撮影がM公園を中心とする屋外で行われました。撮るシーンが少なかったのと、夕方にテレビ番組の出演があるということで、昼食後私たちはいったん、解散しました。その時、私の親友役の岩淵加奈ちゃんからメールが入ったんです。


 後半のシーンの事で話があるから、二時に花壇のところまで来てくれって。それで、そのつもりでいたら三十分くらい後にまたメールが入って、今度はやっぱり二時半に変更したいのでよろしくっていう内容になっていたんです。なぜか待ち合わせの場所も花壇から噴水に変わっていました」


「そのメールを出したのが誰かっていう事ね」


「仮にそのメールが加奈さん本人の打ったものだとして、あなたの目から見てどう?加奈さんて方は。彼女は二人っきりで演技の話をするタイプ?それとも、呼び出しておいてすっぽかすとか、そういういたずらができるタイプ?」


「正直、私の目から見て加奈さんは演技の話を真剣にするタイプではありません。……でも、だからこそちょっと嬉しかったんです。演技を熱く語る加奈さんが見られるのかなって」


「なるほど。じゃあまず、最初のメールはとにかくあなたを呼び出すことを目的としたメールだったとしましょう。たとえば呼び出しておいてすっぽかす、夕方の番組に遅刻させる……これはまあ、成功したことになるわね。問題は二通目のメール……どうして場所と時間を変更したのかしら」


「それは、最初の時刻だとテレビ番組をすっぽかさせるのは早すぎると気付いたからじゃないですか?ロケ現場からテレビ局まで、結構、かかりますよね」


 僕が言うとミドリが「それもあるかもしれないが、別の考え方もできる」と言った。


「別の考え方?」


「一通目と二通目の送信者が異なっているかも知れないという事だ。加奈っていう人は、ケ―タイの扱いはどうだった?丁寧だった?」


「いえ……加奈さんはケータイを無くす名人でした。よく、打ち合わせの後で楽屋から彼女のケータイがみつかって騒ぎになったものです」


「ということはだ。もし誰か、加奈と雪江さんとを同時に陥れたい人間が、二人のケータイを入手できたとしたら、加奈のケータイから雪江さんに場所と時間が変わったと打つだけで、二人を擦れ違わせることができたわけだ」


「つまり、どちらか一方により強い恨みを抱いている場合、真のターゲットを狙っている間、もう一人のターゲットのアリバイを無くすことも可能なわけだ」


「ということは、二通目のメールの送信者の正体は、加奈に強い恨みを持ち、雪江さんを容疑者に仕立て上げたいという欲求のある人物だったってこと?」


「まあ、簡単にそうは断定できないけれど、少なくともその可能性はあるわね」


「その加奈さんは、雪江さんと何の話をしたかったのかな」


「話なんてしなかったと思うわ。二通目のメールが加奈さん自身の物だとしたら、雪江さんに待ちぼうけを食わせることが目的だったっていうことになるし、そうでなくても、例えば被り物をして脅かすとか、要するにいたずらをするつもりだったのよ」


「そうか。じゃあ、加奈が転落するという事故は、偶発的なものだったという可能性があるわけか」


「だって、二人をすれ違わせるためにケータイを盗んで、なんてまどろっこしいことしないでしょ、普通。何者かのいたずら心が招いた偶発的な事故だったのよ、きっと」


「そうだな。そうでなければわざわざテレビ収録の前なんて言う時間帯に行わないだろうな。ということは犯人は加奈と雪江に恨みを持っていて、加奈のすぐ近くにいた人間、ということになる」


「それと、テレビ収録の現場にいなかった人ね。加奈を突き落としたんだから」


「そうだな。雪江、君と加奈の両方を憎んでいそうな人物は?」


「わからない……自分ではわからないわ」


「雪江さんの場合はあれだね、金銭とかそんなことで恨みを買うとは思えないから、あるとすればまあ、こっちの方だろうね」


 そういうと、麻利絵は親指を立ててみせた。


「あんたの人気だったら、ずいぶんと連絡先を聞かれたりしたんじゃないのかい?」


「雪江、正直に言ってくれ」


「はい……ありました」


「今回のキャストではどうだ?君の相手役の中崎計馬とか」


「……聞かれました。でも、結構昔の話」


「なるほどねえ。中崎計馬ってのは真面目そうだし、いい男だけど、なんかいまいち目が嫌らしいと思っていたんだよ、ふうむ」


 麻利絵がここぞとばかりに勝手な役者評を述べ始めた。


「で?他には?監督とかはどうなんだい」


「……誘われました。二人きりで食事に行かないかって。でも、深い意味があるかどうかはわかりません」


「あるに決まってるじゃないか。どうも動機のあるやつが多すぎるね。ねえ、どうなんだい、元刑事としてはこの中の誰が一番、胡散臭いと思う?」


「うるせえな。そんなの俺にわかるわけないだろ。映画の宣伝中に事件を起こすくらいだから、映画にあんまり執着のないやつかもな」


「ほう、なかなかいいこと言うじゃない。中崎も監督も雪江さんに対し、振られたという恨みがあった。で、ちょっと恥をかかせたいという気持ちがあった……これはいいね」


「でも、計馬さんは今回の映画にすごく真剣に取り組んでましたよ。わざわざ評判を下げるようなことをするっていうのは私としては考えにくいんですが」


「じゃあ、その計馬はいったん、横へ置いとこう。他に怪しいやつは?」


「ほら、誰だっけ、君の妹役の……」


「滝沢莉緒ちゃん?あの子はいい子だと思うわ、ちょっとプライドが高いけど」


「映画に対する思い入れはあった、と」


「うん。少なくとも、嫌いな人を陥れて自分の評判まで悪くするような子じゃない」


「じゃあ、この中で、テレビ収録の現場にいなかった人は?」


「少なくとも、私と加奈さん以外の役者は局に入っていたと思います。監督は、テレビ収録の現場には来なかったみたいですけど、事件のあった時間帯は助監督さんとずっと打ち合わせをしていたって聞きました」


「ふうん。この中じゃ、監督が怪しいかな。一番の問題は、実行犯が誰かってことだけどね。主犯は現場にいなくても、命令を出すだけだったってこともあるからね」


「監督の命令を聞きそうな人ですか。……やっぱり一緒にいた助監督ですかね」


「その監督と助監督ってのは、本当にずっと打ち合わせをしていたのかい」


 ふいにシュウが割り込んできた。雪江はいきなり問いかけられ、困惑していた。


「たしかスタッフの中に、二人が打ち合わせをしている姿を見ている人がいます」


「間違いなく、本人だった?」


「ええと、監督は風貌が独自ですから、まず本人じゃない人と見間違えるってことはないです。声や喋り方にも特徴がありますし」


「もう一人の、助監督ってやつは?」


「助監督もかなりインパクトがある人なので、本人じゃないかと……」


「どんなインパクト?」


「まず髪型がすごいです。金色の辮髪べんぱつ風おさげを腰まで伸ばしてます。それに今どきあまり売っていないような三角のミラーグラスをかけています」


「ふうん、金髪か……逆に言うとほかに特徴はあまりないわけか」


「そう言えば、そうですね」


「スタッフの中に、スキンヘッドの人はいないの?」


「あ、います。第二助監督の人で、なんでもバンドをやってるとか……」


「おそらくそいつが従属犯だろうな。助監督の金髪がウィッグだったとしたら、どうだ?」


 あっと僕は思った。確かに金髪のウィッグを取ってサングラスを外せば、ただのスキンヘッドになる。ただしこの場合、素顔の人間と入れ替わる事はできないから、成りすましていたとすれば、スキンヘッドがウィッグを借りて金髪に成りすましていたことになる。


「つまり、第二助監督が金髪とサングラスで助監督に変装し、監督と打ち合わせをしていたんですね」


「そういうこと。打ち合わせをしている現場を不自然でなく目撃させるためには、監督の協力が不可欠だから、たぶん監督も共犯だ。……と言うより、撮影現場の力関係から考えても、監督が主犯と考えるのが正しいだろう」


「そして打ち合わせをしているまさにその最中、助監督が加奈を脅すか何かしていた……」


「おそらく軽い悪戯のつもりが、思いがけず騒がれてつい突き落としてしまったのだろう」


「私はどうしたらいいのかしら。今の話を監督にしてみるべき?」


「それは、無理に言わなくてもいいんじゃないかな。監督がよほどずるい人間でない限り、いつかきっとぼろを出すさ。あとは監督たち犯人が加奈に誠心誠意あやまるかどうかだ」


「実は監督と助監督って、竜邦大学映画学科の先輩と後輩なの。たぶん第二助監督も……」


「まったく進学校まで出て何やってんだろうね。芸術家同士でつるんでたって碌な事ないってのにね。絵本の旦那も、なるんだったらそこで仏頂面してる一人親方みたいになんな」


「うるせえな」


カウンターの向こうのシュウが、麻利絵の悪態にいち早く応じた。


               〈第三十三回に続く〉

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