第24話 偶然の再会は危険!


 雪江と初めて出会ったのは、いつだったろう。彼女が映画デビューした直後だったように思う。準主役のような扱いで、知名度もゼロに等しかった。


 それでも、彼女が陶芸をするシーンでろくろを扱う手つきに感心した僕は、彼女の過去の出演CMなどを探しては、ほのかな好感とともに眺めていたのだった。


 そんな時、ヨーロッパから帰ったばかりの従妹と話す機会があった。


 会話中、なにかのきっかけで雪江の出演した映画の話になり、僕が「あの女優さんいいよね。応援してるんだ」というと、従妹は「その子、私の大学時代の友達だよ」と言ったのだった。


 従妹によると雪江は学生時代、作曲家を目指しており、バレエをやっている僕の従妹のためにいつか曲を作りたいといっていたのだそうだ。そしてその時の従妹の一言が、僕の運命を大きく変えることになったのだ。


「今晩、会うことになってるんだけど、俊ちゃんも来る?」


 こうして僕は真妙寺雪江と対面する機会を得た。大学を卒業したての雪江はまだ素人と言っていいほど素朴な雰囲気を漂わせていた。


「音楽をやりたいので、女優の仕事はできるだけ早く辞めたいいんです」


 彼女の持つ雰囲気からすると、意外とも思える言葉に僕は思わず「もったいない」と口走っていた。


「ありがとうございます。デビュー作を撮ってくださった監督が、もう一作だけでも出てほしいとおっしゃっているので、それには全力を尽くしたいと思っているんですけど」


 雪江は、本当に女優業に何の未練も持っていないように見えた。酔った勢いもあって、僕は初対面の雪江に「いつかは絵本作家になりたい」などと告白した。雪江は「絶対買います。本が出たら教えてください」と言った。僕にとってはお世辞でも嬉しかった。


 それからほどなく、とある出版社のキャンペーンで、雪江が本を手に並木道を歩くというCMが撮られ、全国に流れた。その時雪江が手にしていたのが惣領三留の絵本だった。


「たまたまディレクターさんから手渡されたんですけど、すっかり気に入ってしまって」


と、仕事の合間を縫って再び三人で会食をした時、雪江は言った。


 惣領の絵本に衝撃を受けた僕は、「ぼくもいつかこんな……いや、こんな風とかでなく、僕にしか書けない絵本を作りたい」と二人の前で改めて宣言したのだった。


 それから半年ほど過ぎ、雪江は二作目の映画で主役を演じてとある賞を受賞した。業界内ではかなりの評判だったようだが、ほとんどテレビに出ていなかったこともあり、一般的にはまだ無名に近い存在だった。

 そして映画が着実に評価を高めている最中に、従妹が事故で亡くなったのだった。


 従妹の通夜で再会した雪江は「もうピアノは弾けないかもしれない」と手で顔を覆って言った。僕はかける言葉もなく、そのまま雪江とは疎遠になった。


 それからしばらくして、何気なくインターネットを見ていた僕は、雪江の出演した新しい映画が高い評価を得ているというニュースに接した。弟を守るために暴力的な父親を殺害した姉の役だった。演技派として多くの監督が注目しているという記事を目にして、もはや会う事もあるまいと思ったのだった。


 しかし運命は僕と雪江とを結びつけた。場所は、従妹が気に入っていたカフェだった。


 自作の絵本を置いてもらおうと赴いた僕の前に、雪江が現れたのだった。


 化粧っ気もなく、地味なジャケットとパンツ姿の雪江は僕を見つけると「お久しぶりです」と相好を崩した。聞くと撮影スケジュールが変更になり、たまたまオフになったのだという。


「いま、フォト絵本というのを作っているんです」


 僕は主に自分の事を話した。休みの日にまであれこれ聞かれたくはないだろうとの思いからだった。雪江は僕の絵本に改めて興味を示し、「もっと話が聞きたい」と言った。


 僕が「仕事の邪魔になると困る」というと雪江は笑って「じゃあ、秋津さん用にもう一つ携帯を持ちます」と言った。それからほどなく、雪江との淡い交際がスタートしたのだった。


 雪江は相変わらずテレビにはほとんど出ず、映画中心の活動を続けていた。それでもオファーは日を追って増え続け、ついには会う事もかなわなくなった。

 そんなある日、深夜に雪江から呼び出された僕は「このままだと連絡も取れなくなる。俊介に迷惑をかけたくない」と告げられたのだった。


「じゃあ、女優をやめて僕と結婚しなよ」


 そう言えば雪江は自分に見切りをつけるだろう――そう思っての発言だった。

 だが、返ってきた答えは予想を覆すものだった。


「はい。そうします」


 こうして二人はその数か月後、知人に紹介されたチャペルで両家の親族のみの結婚式を執り行ったのだった。


 二人の結婚は双方の親族を除けば雪江の事務所の社長とマネージャー、それに僕の担当編集者の那須しか知らない。事務所との約束により、雪江が自分から発表するまでは俊介から会いに行くことは禁じられているのだ。


 二人の新生活は、密かに借りたマンションに、雪江がマネージャーの協力を得てこっそり会いに来たときのみ成立した。


 最初は一週間に一日程度。やがて雪江の忙しさに伴って二週間、一か月に一日程度。結婚して一年後には、結婚記念日の深夜だけが二人で過ごす時間になっていた。


「ごめんなさい。今、来てるお仕事が片付いたら、長いお休みをもらうから」


 雪江は帰り際、玄関でしゃくりあげながら言った。その仕事とは雪江にとって初のコメディーだった。その頃の雪江はシリアスな人間ドラマで高い評価を得ており、コメディは未知数だった。


「私、コメディなんて絶対才能ないから、飽きられるいいきっかけになると思うわ」


 雪江は自嘲気味にそう言った。だがふたを開けてみると雪江初のコメディは絶賛の嵐だった。しかもその作品がきっかけとなって次々と新しい役柄のオファーが舞い込み、気が付くと雪江は老若男女を問わず、誰もが知っている人気女優となっていたのだった。


「もう、これ以上あなたに窮屈な思いをさせるのは耐えられない。私にとって一番大切なのは、女優をすることじゃなくてあなたの妻をすることだもの」


 そう言ってすぐにでも記者会見を開くという雪江を、僕は「もう少しだけ待ってくれ」となだめてきたのだった。


 僕が『えんぴつナイトの冒険』でささやかなヒットを放った時も「夫を支えられない妻に、何の意味があるの?」と女優引退をほのめかした。


「君は僕を支えてるよ。君がカメラの前で頑張ってることで、僕はいい作品を作れるんだ」


 僕がそう言うと、雪江は「ごめんね、なにもできなくて」と泣き崩れるのだった。


             〈第二十五話に続く〉

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