第16話 神秘のカードは危険!


「はいどうぞ」


 インターフォン越しに聞こえてきた声は、柔らかな女性のものだった。おそらく津久井だろう。


「上の階で陶芸教室を手伝っている秋津という者ですが、占いをこちらでやっていらっしゃると聞いて伺ってみました」


「あらあら、秋津さんって、結構、みなさんのお話に出てくる秋津さん?一度お会いしたかったわ。さ、どうぞお入りになって」


 声のトーンがひときわ高くなり、ロックが解かれる音がした。


 ドアを開けると、ふくよかな体つきの中年女性がにこやかな笑みをたたえて立っていた。


「あ、はじめまして、秋津俊介です」


「はじめまして。占いの館の女主人、マダムオフィーリア……本名は津久井聖子つくいせいこ。ようこそ私の館へ。さ、どうぞ奥へ」


 俊介は聖子に導かれるまま、リビングへと進んだ。玄関からリビングまではごく普通の内装だった。マダムオフィーリアも民族衣装風のいでたちであることを除けば、まだ津久井聖子のモードらしい。


「ここが占いのお部屋よ。お入りになって」


 僕はいきなりの展開に戸惑いながらも、占いの客として訪れたのだから当たり前か、と自分を納得させた。


 ドアの向こうは六畳ほどの部屋で、こちらはリビングとは打って変わって神秘的な装飾が部屋いっぱいに施されていた。


 怪しげなタペストリーや香炉、ジュモーか何かの妙に迫力ある人形、むき出しで置かれている巨大な天然石など、こけおどしともいえるが効果は十分にありそうなディスプレイが僕を圧倒した。


「ちょっとお待ちになってね」


 背後から聖子の声が聞こえ、お香の匂いがあたりに漂い始めた。ややあって度の強そうな眼鏡をかけた聖子がタロットらしいカードを手に姿を現した。


「占いはいくつかあるんだけど、これが一番、人気があるのよ」


 神秘的な空間とは裏腹に、気さくな口調で聖子は言った。


「さ、真ん中のテーブルに付いてちょうだい」


 言われるまま、僕は部屋の中央にある丸テーブルに付いた。水晶の球が乗っていたので、てっきりそれで占うのかと思いきや、聖子は球をよっこいしょと近くの棚に移動し、カードを手に僕と向き合った。


「ではうかがいましょうか。占ってほしいことは何?秋津さん」


「ええと……」


 僕は一瞬、返答に窮した。興味本位で尋ねてみたものの、いざ占い氏本人を目の前にすると何を尋ねてよいやら戸惑う。


「ほら、仕事の事とか、家族の事、人に言えない悩みがおありでしょ?……恋愛の事でもいいわよ。ここは秘密厳守ですから」


 ううむ、と僕はうなった。確かに仕事も少し行き詰まっている、人間関係の事も……


 それというのも僕が人の信頼を損なうようなことばかりしているからだろう。

 ……そうだ、はたして自分は大切な人たちの負担にならずにやってゆけるのだろうか……


「どうしたの?そんな深刻な表情をして」


「実は最近、失敗ばかりで、このまま行くと自分は身近な人を不幸にしてしまうんじゃないかって気がしてるんです」


「ふんふん、それで?」


「だから……今現在、僕が誰かを不幸にしていないか、これから不幸にするかどうか、そういうことを占ってもらえればと思います」


 俊介は一気に言い終えると、ふう、と大きく息を吐き出した。一呼吸おいて、聖子が「ああ、もうっ」と大声を上げた。


「まだ若いのに、こんなネガティブな人、初めて見たわっ」


 聖子は僕を睨み付けると、タロットカードをかき回し始めた。


「それでっ。身近な人っていうのは、誰?占うんだから、一人選んで。言っておくけど、不幸になるかどうかなんてこと、聞いたらもっと不幸になるかもしれないわよ。いいのね?」


「え、ええ……じゃあ、僕がこれから思い浮かべる人をお願いします」


 そう言うと、僕はある人物の顔を思い浮かべた。表情の変化で悟ったのか、聖子は鮮やかな手つきでタロットカードをさばき始めた。


「さて……これでいいわ。カードをめくるわね」


 僕の目の前に数枚のカードを並べ終えると、聖子はおもむろに言い放った。


「お願いします」


 聖子は端の方からゆっくりと一枚づつカードをめくっていった。どこかで見たことのある図柄だったが、知識のない僕にはそれがどんなことを意味するカードなのか、さっぱりわからなかった。


「まず、あなたは……」


 聖子はカードから顔を上げると、僕の顔を覗き込んだ。


「その性格を何とかなさい」


 まるで教師に叱られた小学生のように、僕は身をすくめた。


「いい?今も未来もあなたのせいで不幸になる人なんかいやしないわ。そんなことを占おうとすること自体が、あなたにとっての不幸。占うまでもないわね」


「いや、あの……実際に占った結果はどうだったんでしょうか」


「だから、今言った通りよ。あなたが思い浮かべている人は今、とっても幸せよ。この上ないくらいにね」


 聖子はきっぱりと言い切ると、いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「さあ、ちょっと疲れたから、お隣でお茶にしましょう。このままだと私のほうがあなたの雰囲気にのまれちゃいそうだわ」


 そういうと聖子は隣のリビングに移動した。あっけにとられながら後に続くと、聖子はマントのような衣装を脱ぎ、うーんとのびをした。


「あの……マダム」


「こっちの部屋に来たらただの津久井聖子よ。それより、お茶でも飲む?飲むんだったらそこのテーブルについて」


 有無を言わせぬ物腰で聖子は僕に命じた。僕がテーブルに付くと、聖子はキッチンに移動した。冷蔵庫を開け閉めする音が聞こえたかと思うと、やがて聖子が飲料の入ったポットを手に再び姿を現した。


「あなたねえ。見栄えも悪くないし、態度は丁寧だし、どうしてそんなに後ろ向きなの?」


「どうしてでしょう……人の顔色ばかりうかがって生きてきたからかな」


「そんなの私だってそうよ。私もね、人間を扱う仕事がしたくて、小学校の先生をしたりカウンセラーをしたりしてたのよ。でもね。人を扱う仕事ってのはこちらが思っているような手ごたえはむしろ得られないものなの。


 感謝や感動は思ってもみないところにあるものだったのよね。人を扱うにはむしろドライに、機械的なほうがいい。そう気づいた時、私はいったん、仕事を辞めて花屋さんや薬局で働いてみたわ。店員さんって余計な感情が入らないんじゃないかと思って」


「はあ……そうですか」


 いきなり始まった聖子の身の上話に、僕は相槌を打つのが精いっぱいだった。


「その後、ひょんなことからクラブで歌うことになったんだけど、その時のお客さんに占いが得意な方がいたのね。それで見よう見まねでやってるうちに、ああ、こんな風に人と向き合うのも悪くないなって思ったの」


「その方が聖子さんの占いの先生だったんですね」


「そうね……でも結局、その人も心を病んで占いを辞めてしまったの。皮肉なものよね」


「そうだったんですか……」


「今日も、あなたみたいなネガティブな気持ちを持て余したお客さんが来たわ。あなたよりもっとずっと若い人だけど」


「……結衣ちゃんですか?」


 聖子の言葉が止まった。言わなきゃよかったかなと顔に書いてあった。


「入るところを見たのね。……じゃあ、これ以上はノーコメントよ。お客様の秘密を話すようじゃプロ失格ですからね」


「すみません。彼女の事でちょっと気になることがあったもので……」


 僕がポツリと漏らすと、聖子はぐっと身を乗り出し「それはね」と言った。


「あなたがあれこれ悩むことではないと思うの。どんなに心配でも」


 聖子の口調には、説得力があった。僕は頷いた。


「そうですね。自分の事を振り返って見ても、思春期の悩みは大抵、時間が経つとなんだかわからないうちに解決していましたから」


「そういうものよ。あなたの場合もね」


「えっ?」


「私から見たら、あなたはまだ思春期みたいなものよ。結衣ちゃんといい勝負だわ」


「なるほど、そういうことですか……そう言われれば、そんな気もします」


「私だって、ずうっと引きずっている悩みがあるのよ。でもそれは絶対、人には言わない悩みってことに決めてるの。そんなことの一つくらい、みんな持ってるでしょ?」


「そうですね。そうだと思います。占いにしても何にしても、答えを出すための物じゃない。自分なりに気持ちが整理されれば、それでいいのかもしれない」


「そういうことよ。それがわかっただけでもう、悩みの一つは解決したようなものよ」


 聖子はそういうと、親指を立てて見せた。占い師というより、部活のコーチか何かのようだと僕は思った。


               〈第十七回に続く〉

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