第5話 上流階級は危険!


 手の中で生き物のように暴れていた土が、不意におとなしくなった。


 土の柔らかさが均一になった合図だ。僕は、はずみをつけて「ろくろ」を回転させた。粘土の中心に親指でゆっくりと穴を穿ち、下の方の土を中指と親指でつまんで持ち上げる。


 おとなしくなった土は、驚くほど素直に上に伸びてゆく。こうなれば、後は自由自在だ。


 カップがいいか、湯飲みにしようか。あまり大きくないほうがいいな。そう、「彼女」の手にすっぽりと収まるくらいの――


「秋津さん」


 呼びかけられ、僕は手を止めた。


「秋津さんが先週作ってらした一輪挿し、とても素敵だったわ。私もあんな感じの奴を作りたいんだけど、首のところがうまくできなくって……」


 甘えるような口調でそう話しかけてきたのは、樫山美咲かしやまみさきだった。美咲が目で示した先に、ろくろに乗った作りかけの作品があった。

 湯飲みというには高さが足りず、茶碗にするにはいささか胴体が膨らみすぎている。言ってみれば「土管」のような作品だった。


「うーん、このままだと一輪挿しは難しいかもしれないですね」


 僕は忌憚なく感想を述べた。美咲はやっぱり、という顔になった。


「何とかならないかしら。私、不器用だから思うような形にならないのよ」


 美咲はそういうと上目づかいで僕を見つめてきた。襟ぐりの大きくあいたピンクのカットソーは、エプロンをすると妙に色っぽく見える。


「もっと簡単な形のものにしたほうがよくはないですか?」


 僕がさりげなく断念する方向に水を向けると、美咲は途端にぷっと頬を膨らませた。


「そんなの、嫌よ。だって今日は最初から秋津さんの一輪挿しを作るんだって決めてたんだから。簡単なのにしろだなんて、ひどい」


 そういいながら、美咲はさりげなく体を近づけてきた。大きく巻いたロングヘアの毛先が目の前で揺れ、コロンの香りが胸のあたりから立ち上ってきた。


「うーん……それじゃ、ちょっとやってみましょうか」


 気乗りしないまま、僕は美咲の「作品」に向かった。この陶芸教室は美咲がマンションの一室を開放して開いたもので、いわば教室の「オーナー」だった。彼女が主である以上、「お願い」とはすなわち強制だ。


  N駅からほど近いタワーマンション「アークトゥルス472」は医者や経営者、芸能人などいわゆる「成功者」の世帯が多く住む高級マンションだった。ここ数年、上層階の主婦たちの間で空き部屋を利用して「サロン」を主宰することが流行っていた。


 内容はテーブルマナーや料理、パッチワークなどで、お茶会程度の物から講師を招いた本格的なものまでさまざまだった。


 樫山美咲――つまり優名の母親だ――の主宰する陶芸教室は、知人のアマチュア陶芸家を講師に招いたかなり本格的な教室だった。

 僕は講師である蒲田喜久雄とたまたま知り合いだったため、アルバイトの助手という形で関ることになったのだ。


 喜久雄と知り合ったのは十年前、僕が引きこもり気味だった時だった。親戚に紹介され、遊び感覚で始めた陶芸の講師が喜久雄だったのだ。二年程度の間に結構な数の作品をこしらえ、その後も喜久雄とはメールのやりとりををするなど交流が続いていた。


 教室は主に喜久雄が手ほどきをし、僕は難儀している主婦たちにちょっとしたアドバイスをする程度の役回りだった。主宰の樫山美咲はIT会社を経営する夫と娘の優名の三人暮らしで、常に派手な格好で現れ、僕や喜久雄に甘えた声で指導をねだるのが常だった。


 優名はしばしば教室に出入りしており、僕や他の主婦たちとも顔見知りだった。教室で見かける優名はいかにも天真爛漫で、とても深い悩みを抱えているようには見えなかった。 


 俊介はろくろに向かうと、大きく息を吐いた。土を焼く電気窯は喜久雄に言わせると「車が一台買える」ほどの値段らしい。その他にもベランダには電動式のろくろが設置されており、こちらもそこそこいい値段らしい。


 高額所得者の夫を持ち、マンションの一室で主婦を相手に陶芸教室を主宰する生活。一円でも安い商品をとスーパーをはしごする普通の主婦たちから見れば、紛うことなき「成功者」の暮らしだ。娘もその立場にふさわしい学校に通わせようとするのは当然だろう。


 両親は今の生活に満足かもしれない。しかし娘はどうか。お城のようなマンションに、貴族のように着飾った主婦たち。本物顔負けの陶芸教室。どれも子供の生活にはさして縁がないもののように思える。

 優名はそんな環境から、おそらく本気で逃げ出したかったに違いない。そうでなければ、万引きなどという思い切った行動に出るはずがない。


 僕は勢いをつけてろくろを回した。下の方の土をゆっくりと持ち上げ、口をすぼめてゆく。いくらか球体に近づいたところで僕は手を止めた。このまま管状に伸ばしてゆけば一輪挿しになるが、そこまでやってしまっては何の意味もない。


「そう、そういう形にしたかったの!」


 美咲がはしゃいだ声を上げた。心なしか目が潤んでいる。


「ここから上に向かって伸ばしていけばいいんです」


 自分で手掛けるよう先を促すと、美咲は途端に不服そうな表情になった。


「えーっ。もう少し、やってくださらないかしら」


「これ以上やったら、僕の作品になっちゃいますよ」


「あら、それも素敵ね。二人の合作ってことね。そうしようかな、ふふっ」


 それは合作とは言わないだろう……そう思った時、別の方角から声が聞こえた。


「倉橋さん、素敵なお皿―――」


 見ると陶芸仲間の主婦、倉橋くらはしこずえが恥ずかしそうに笑みを浮かべていた。


「どんぶりを作ろうとしたら、こんな風になっちゃって…」


 ほう、と僕は思った。皿を作るのはどんぶりを作るより難しいのだ。


「すごい、倉橋さん、これ、お店で使えますよお」


 主婦仲間の一人が目を輝かせて褒めた。こずえは顔を赤らめ「とんでもないです、偶然お皿の形になっただけで」と消え入りそうな声で答えた。


 僕は改めて倉橋こずえの皿に目を向けた。なるほど、形が整っている。サラダなどを盛ったらさぞ見栄えがすることだろう。これなら主婦たちが感心するのもうなずける。


 色は何が合うだろう、などと思いながら見入っていると、背後からふんと荒い鼻息が聞こえた。見ると美咲が小鼻を膨らませている。


「先生。いまからでもこれ、お皿にならないかしら?」


「さ、皿ですか……うーん、そうですねえ、壺か小鉢ならまだ何とか……」


「壺なんて嫌よ。お皿にしてほしいの。ねえ、できるでしょ?」


 今にも頬ずりしかねない距離で美咲が言った。この人なら、狸の置物でも皿にしろと言いかねない。早々と断ったほうがよさそうだった。


「いやあ、無理ですよ、僕の力量じゃ……」


「あらあ、そうなの。意外と不器用なのね」


 失望したような美咲の表情を尻目に、僕はこっそり安堵の息を漏らした。


「もともと僕は不器用ですよ。……でも、一輪挿しだっていいじゃないですか」


 心のどこかでよせばいいのにと思いつつ、フォローの言葉を継がずにはいられない自分が情けなかった。


「じゃあ作って。秋津さんのと寸分違わないやつを、お願い」


「ですから、それじゃあ、僕の作品ですってば……」


 際限ないやり取りに頭を痛めていると、ふいに出入り口のドアが開いた。


「あら、優名」


 美咲が玄関に現れた人影を見て言った。つられて目をやると、優名が細めに開けたドアから入って来るところだった。


「あら、今日はミドリちゃんも一緒なのね」


 来たか。僕は思わず身を固くした。優名とミドリがこの場所に現れることは前もって知らされていた。……というか、ここへ連れ立ってやってくること自体がミドリの「計画」なのだ。


 ワンピース姿の優名に続いて、ミドリが部屋に入ってきた。ミドリは今日もジャージ姿だった。ミドリの目が一瞬、「わかってるな」というように俊介を見た。


結衣ゆいちゃんを探してるの」


「結衣?」


 倉橋こずえが声を上げた。結衣とはこずえの娘の名だった。


「おうちに行ってみたけど、いなかったからここにいるかなと思って」


「こにはいないわよ。家にいなかった?……変ね、今日は塾でもないのに」


 ここで結衣本人が登場する……ミドリの筋書ではそうなっていた。


「少し見てっていい?ミドリちゃん、ここ来るの初めてだから」


「あっ、あのっ……は、はじめまして」


 ミドリが見せた豹変ぶりに、僕は舌を巻いた。俯き、目を伏せてもじもじしている様子は、どう見ても人見知りする内気な少女だ。


「どうぞ。いいわよ。でも、作ってる人の邪魔はしないでね」


「わあ、嬉しい!」


 ミドリが目を輝かせた。僕は開いた口が塞がらなかった。こいつ、ハリウッド女優にでもなるつもりか。


 二人の少女は、連れ立って教室の中をちょこまかと移動し始めた。僕は二人に無関心な風を装った。もしこの行動のすべてが芝居だとわかったら、美咲は何と思うだろう。


「わあ、素敵なお皿!」 


 ミドリの興奮した声が響いた。こずえの作品かと思い、声のした方を見た。ミドリがうっとりと見つめているのはこずえの皿ではなく、教室の棚に飾られた絵皿だった。


「わかる?これはねえ、私のお気に入りなの」


 美咲が声のトーンを上げて言った。絵皿は直径三十センチほどで、ブルーの釉薬で縁どられている。皿の中心には絵が描かれ、実用というよりは装飾用の皿であることをうかがわせた。


「これ、おばさんが作ったの?」


 ミドリが遠慮なく問いを放った。美咲が一瞬、戸惑ったような表情を見せた。


「そうねえ、そうだといいんだけど……まあ、合作みたいなものかしら」


「ガッサク?」


 合作の意味が分からない、というようにミドリが小首を傾げた。あのこましゃくれた娘が合作程度の言葉を知らないとは考えにくい。おそらく、演技だろう。


「おばさんがね、絵のうまいお友達に頼んで、好きな絵を描いてもらったの」


 皿の中央に描かれているのは、植物だった。花はなく、緑の葉だけが鮮やかに描かれている。心が安らぐようないい絵だった。


「ふうん。この絵、私も好きだよ」


 ミドリが眼鏡の奥の瞳をくりくりと動かして言った。内気な少女の演技もなかなか堂に入ったものだ。


「これでご飯を食べたり、しないの?」


 ミドリがいかにも子供らしい問いを口にした。装飾用の皿とわかって言っているのだとしたら、やや演技過剰だ。


「うーん、そうね。使ってもいいんだけど、ちょっと勿体ないかなあ。ほら、食べ物を乗せたら、絵が見えなくなってしまうでしょ?」


「あっ、そうだ。絵を見ながら、食べられないんだあ。おばさん、頭いい!」


 ミドリがすごい発見だと言わんばかりに興奮した声を上げた。演技もそのくらいにしておけよ、と僕は思った。


「でもこれで食べてみたいなー。ハンバーグとか、パスタとか……」


 ミドリがどうでもいいことをぶつぶつ喋っていると、またドアが開く音がした。


「こんにちは」


 入ってきたのは、ミドリとほぼ同年代と思われる少女だった。Tシャツにジーパンというラフないでたちだ。髪を後ろで束ね、額を出しているせいか、利発そうな印象を受ける。


「結衣ちゃん」


 優名が声を上げた。結衣は優名の声に反応し、目をきょろきょろさせた。


「結衣。お家にいたんじゃなかったの?」


 こずえがびっくりしたように娘を見た。結衣は俯き、ぶるんと一つ頭を振った。


「家にいてもつまんないから外をぶらぶら歩いてたら、ここまで来ちゃった」


「結衣ちゃん、私、結衣ちゃんと遊ぼうと思って、お家まで誘いに行ったんだよ」


「えっ、そうなの?知らなかった、ごめん」


 結衣は目を丸くした。これも芝居だった。ミドリの「計画」は、結衣も抱き込んだものだった。陶芸教室に全員が終結したのは、ターゲットが結衣と優名の母親だからだ。


「わ、このお皿、素敵!」


 結衣が歓声を上げた。美咲が誰かと「合作」したという絵皿だ。


「結衣ちゃんもそう思った?私も一目見て素敵だと思ったの」


 ミドリが調子を合わせる。ミドリの口から「思ったの」などという言葉を聞こうとは。……もっとも、演技でなければ言いはしないだろうが。


「これ、おばさんが作ったんですか?」


 ミドリと同じ質問を結衣が繰り返した。美咲は面倒がるそぶりも見せず、「そうよ、一人で作ったんじゃないけど」と説明した。


「いいなあ。うちにもこんなお皿があったらなあ」


 とん、と小さな音がした。見るとこずえが作業台に手をつき、結衣の方を見ていた。


「結衣。変なこと言っちゃ駄目よ」


「そうだ、今度うちでランチパーティーしない?このお皿、優名ちゃんのお母さんに貸してもらって、うちのお母さんの新メニューを乗せるの」


「結衣、なに図々しいこと言ってるの。優名ちゃんのお母さんに失礼でしょ」


 こずえがいくぶん青ざめた顔で言った。たしなめられた結衣は、きょとんとした表情のままだ。そこへ美咲がとりなすように入った。


「あら、いいじゃない。私は構わないわよ。ちゃんと洗って返してくれば。ね?」


 美咲は結衣に向かってウィンクして見せた。途端に結衣の表情がぱっと輝いた。


「そんな……子供だからって特別扱いなさらないで。単なるわがままなんですから」


「わーい。ランチパーティーだっ」


 大きな声でミドリが叫んだ。こずえが毒気を抜かれたように目をしばたたいた。


「おばさん、お願いします、ランチ・パーティー。ここにいる人、みーんな呼んで」


「ランチは……それは構わないけど、みなさんだってご都合あるでしょうし……」


 こずえが困惑したように言い、教室全体がざわつき始めた。


「ね、優名ちゃんも行くでしょ?」


 ミドリがはしゃぎだすと、あちこちで「ランチ、いいわね」「素敵ね」とささやきが漏れ始めた。


 ミドリは電動ろくろに向かっている喜久雄にも「先生も、いいでしょ?」と声をかけた。喜久雄は「あー、まあ、私は何とも」と言葉を濁した。ミドリはにっこりとほほ笑んで見せた後、俊介の方を向いた。さあ、来るぞ。


「秋津さんもいいでしょ?」


 ヒヤリとした。さっき名前を知ったばかりなのに、もう親しげに呼びかけるのか。不審がられたらどうする気だ。


「あ、うん……ご迷惑でなければね……」


「決まりっ。倉橋シェフ、お願いしますっ!」


 ミドリが大げさに頭を下げると、期せずして拍手が起こった。


「どうしましょう。狭いお店なのに、こんな大きな話になってしまって……」


 困惑するこずえを尻目にハイタッチする子供たちを、僕は呆れながら眺めた。


             〈第六回に続く〉


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