竜闘虎争 6





 刀剣類。銃火器。ABC核・生物・化学兵器。そのいずれをも生身で凌駕する“真人”とは、人類ユーザー・サピエンスにとってかけがえのない戦力であり、中でも第四、第三位階到達者は全人類の希望であると言っても過言ではない。

 彼らは単純な軍事的戦力の枠組みには収まらないのだ。

 “真人”は純粋な戦闘力のみならず、常人とは比較にもならない脳力を有してもいる。つまるところ知力体力魔力に於いて、旧来の人種より遥かに優越した超人なのだ。

 時に軍人として。技術者、開発者として人類に多大な貢献をしてきた著名人、英雄の全ては一人の例外もなく“真人”である。強大な魔族やそれに連なるモノが登場し、人類存亡の危機に陥った際には、選りすぐりの人員が“敵地浸透探索員てっぽうだま”に起用され、対象を抹殺する切り札の役を担う事もあった。


 謂わば彼らこそ、決戦の最後の手段ラストリゾートの為に在るジョーカーなのだ。


 だが悲しいかな。

 福音プロミストランド王国。方舟エファンゲーリウム帝国。超人ネフィリム連合王国。豊葦原之とよあしはらの千秋長五百秋之ちあきながいほあきの水穂国みずほのくに――縮めて豊葦原国とよあしはらくに

 この四つの人類国家が現存するものの、第三位階の“真人”は豊葦原国にたった一人いるのみだ。士道第三位階である彼の“剣聖”は豊葦原国から滅多に離れる事がないため、事実上ユーザー・サピエンスの最高戦力とは第四位階の“真人”なのである。


 そうであるが故に彼らは一身に羨望を集めていた。第四位階の“真人”が英雄と喧伝され数多の異名で謳われるのは、良くも悪くも彼らが精神的支柱だからなのだ。


 となると無論、マーリエル・オストーラヴァだけが例外とされる道理はない。彼女もまた他の例に則り幾つかの異名で持て囃されている。

 アレクシアが“帝国の戦乙女”なら、彼女は“王国の戦乙女”で。彼女固有の決戦魔術に因んで“白い羽毛の騎士”とも呼ばれていた。魔に属するモノからは“臆病者”と。

 そして最も知られるマーリエルの二つ名は、人魔の境なく轟く福音の勇名である。


 称して曰く――“ベツレヘムの魔砲使い”


 薄弱な火力と弾速しか発揮しないはずの魔導銃、魔導砲を主兵装とするマーリエルを、人も魔も一つの技術的ブレイクスルーを齎し得る者として見ていた。

 彼女が実現への道を模索している、魔導銃などの一級戦力化が成されたなら、人にとっての大きな力に。魔にとっての大きな壁になるのだと。

 ある種の突然変異とも言える、天災を天才の枠に落とし込んだ帝国の第一皇女アレクシアとは違う。伊達や酔狂でベツレヘムという、救世主生誕の地を意味する異名をつけられたりはしない。全体の力を引き上げる事を成し遂げ得る、国名と同じ福音の鐘を鳴らせるかもしれない存在なのだ。




「クッ、ぐぅうッ、ぐぅぅぅぁああ………ッ!」




 ――果たして氷人の乙女は“ベツレヘムの魔砲使い”を相手に劣勢へ追い込まれていた。


 四方八方から間断なく放たれる、多種多様の弾丸の雨霰に全身を撃ち抜かれながら、死に物狂いで防禦に徹する。

 この小娘は悪の救世主を生み出し得るモノだ。その事を今、クーラー・クーラーは思い知っていた。

 士官学校で同期の同胞達と共に、教導官から耳にタコが出来るほど聞かされている。戦場でアレと出会ったなら、他を捨て置いてでも殺せと。アレの排除優先順位は上位に登ると。今作戦では最上位の優先順位には該当しないにしろ、無視できる相手でもない。

 “ベツレヘムの魔砲使い”が魔導師寄りの魔人であると知った時、この私なら出来ると氷人は確信していた。なのに結果はこのザマで、怒りと恥辱で理性が沸騰しそうだ。何故この私が追い詰められているのだと、クーラー・クーラーの頭の中には疑問符が乱舞している。


 人と魔が有する魔力の二要素。魔力形質、魔力波長。前者が偽証不能の魂の波形や得手とする属性を現すのに対し、後者は知覚領域の拡大を可能とする。だが魔力波長には明確なデメリットがあるのは言うまでもない。

 魔力形質を相手に知られてしまうのである。波長に形質の色が滲み、これを偽る事は何者にも不可能。レッド・カラーなら赤の、ブルー・カラーなら青の波長となるのだ。

 この性質をマーリエルは逆手に取っていた。目に見える魔力形質イエロー・カラーを波長に乗せて、クーラー・クーラーの白銀の波長と押し合い、塗り潰し合い、相手を自らの脳内領域に取り込まんとして。その実“ベツレヘムの魔砲使い”は波長の一部を無色透明へと隠蔽・・していた。

 真に卓越した魔導師なら、波長の虚偽は働けずとも隠し立てする事は適う。だが隠蔽した波長としていない波長を二つに分け、同時に操るなんてどれほどの集中力があれば出来るというのだ。腹の底から戦慄させられる、マーリエルは大部分の黄色と末端の無色、前者を盾としてクーラー・クーラーの白銀を防ぎ、後者を見えざる矛として密かに敵手の領域を侵犯してきていたのである。


 クーラー・クーラーが気づいた時には既に手遅れ。自らの拠って立つ天地を全て、マーリエルに掌握され切ってしまった。魔道における鉄則……己の領土を侵されることなかれ――これを守る事が出来なかった。

 その代償だろう。今、クーラー・クーラーは絶体絶命の危地に立たされている。四方八方とは比喩ではない、文字通り前後左右上下、全ての方角から顔を出す砲口、銃口に睨み据えられ、あたかも常人が全身を金属バットで乱打されているかのような衝撃に襲われていた。


「仮想砲身力場作製。地場操作。磁界形状“円”――個数、二」


 苦悶の叫び声を上げる氷人に対し、マーリエルに撃ち損じは一発も存在しない。

 生き物としての規格を超えた魔族と真人にとって、急所となるのは頭部のみ。首から下がどれだけ破壊されようと、魔力さえ保つなら幾らでも再生可能だ。

 だが、かといって首から下の護りを疎かにしていい理由はない。傷をそのままにしていれば肉体性能の低下は著しく、最悪死に到るのは常人と同じなのだ。

 頭以外への攻撃は相手の魔力を削るための行為、頭部を狙うのは一撃必殺を狙うもの。マーリエルは100を超える砲、銃の包囲網を緻密に制御し、精密射撃を行なって、クーラー・クーラーの体をズタズタにし、首から上を重点的に破壊せんとしていた。


「磁界強度100%に設定。磁界重力ガイドレール敷設。磁界円中央に質量百kg圧縮個体精製、形状7.62x51mm NATO弾」


 宙に磔にされたかの如く浮遊させられている氷人は頭を抱え、体を丸め、体の再生と頭の防禦を両立させる為に、魔力の大部分を急激に燃焼させられている状況に臍を噛む。

 げに恐るべきは“ベツレヘムの魔砲使い”の魔術制御技術。顕現させた銃火器の悉くを同時に操りながら、本人はその二本の腕に抱いた白いライフルで大魔術の使用に踏み切っているのだ。


 ――あれは、まずい。


 白いライフルの銃身が、黄色い砲身の力場で延長され、銃口を二つに増設している。そして膨大な魔力を秘めた銃弾が二発虚空に現れ、それが異音を立てて装填された。

 理性と本能が警告を発している。あれを食らっては駄目だと。だが身動きの一つも取れない。下手に魔力を自身の防衛以外に割いた瞬間クーラー・クーラーは無数の弾丸によって滅ぼされてしまう。厄介どころの騒ぎではない、マーリエルの弾丸には全て魔術式が組み込まれて、受けるに容易いものなど一発も放っていないのだ。


 これではクーラー・クーラーが実戦闘での切り札となる異質特性を使用できない。この僅かな交戦時間で弱点を見切られたとでも言うのか? クーラー・クーラーの許容値を超える魔術数となると、個別に識別して複写できないと見抜かれたとでも?


 これほどの大量魔術運用を同時並行して、かつあれだけの大魔術を組み上げていく技量たるや、末恐ろしい集中力と才覚である。

 あれでまだ四半世紀も生きていない……? 常識を遥か彼方に置き去りにした技巧を目の当たりにしてしまえば、自分よりも齢を重ねていないなんて悪い冗談としか思えない。まさに悪夢のような魔女である。

 しかしクーラー・クーラーもまた、才能では負けていない。絶えず即死しかねない攻撃の嵐に晒されながらも、彼女の眼力にノイズは走らず、魔女の圧倒的な手腕の中に違和感を見い出した。


「ヅッ……ゥゥ、ぐぃぃいッ」


 激痛を噛み殺す。理性の鎖を手繰り寄せ、必死に思考回路を回した、


 魔力の大量消費を厭わぬ速攻。これはまあ、敵の立場からすると分からなくもない。このクーラー・クーラーを斃せば異質特性の次元門は閉ざされ、ニンゲンの無限供給は途絶える。敵からすると可及的速やかなる打倒を図るのは当然だ。

 だがしかしあの顔は。あの、余裕のない切羽詰まった鉄面皮はなんだ。見事なポーカーフェイスだが、疲弊を隠しきれていない様はなんだ。

 あの小娘がクーラー・クーラーを追い詰めている、この逆ではない。遺憾ながら、不本意ながら、認めている。まだ年若い小娘であるクーラー・クーラーよりも、さらに若い魔女の方が強いのだと。であるなら、この状況下でどうして切羽詰まっている?


「――――」

「装填完了。形成術式・電磁投射砲レイルガン。……空間固定。重力操作、目標地点を落下・・地点に指定」


 隙を、活路を視た。

 須臾の判断でクーラー・クーラーは後先を考える思考を捨てる。そして反撃のために温存していた全魔力を防禦に回した。

 見えた。視えた。観えたのだ。マーリエル自身に余裕が一切存在しない故に生じた、その肉体と魔力のほつれが。魂魄が透けて視えたのである。


 ボロボロだった。焼け焦げていた。その痕跡をクーラー・クーラーは知っている。あれはそう、この死地へ共に乗り込んできた同胞、クラウ・クラウの劫火の痕。

 すなわちあの魔女は、既に死に体! どこでかは知らないが、クラウ・クラウの一撃を無防備に受けてしまっていたのだ。


(やってくれていた、クラウ・クラウが!)


 速攻を仕掛けてきたのは戦略的観点から来る判断だけではない、戦術的に見て速攻でこちらを討ち倒さねば、自分が魔力切れで敗北すると自覚しているからこその速攻。


(なら……ここを耐えれば、この私の勝ちだ………ッ!)

「目標、個体名クーラー・クーラー」


 照準しながら、マーリエルは100の魔導砲、魔導銃を一瞬で分解する。部品の全てを一つの巨大な腕へと組み換え、獲物を捉えている魔力波長でクーラー・クーラーの身動きを刹那の間封じるや、機械の巨腕で造り上げた拳で下から上へと殴り飛ばす。

 クーラー・クーラーが上空に打ち上げられた。意識が白熱しバラバラに四散するほどの威力。しかし強靭な意志で即座に散りかけた意識を繋ぎ、選民の貴種は復帰する。

 魔砲使いは片膝を地面につき、白いライフル“レヴェリー”の銃口を直上へ掲げるように構えていた。来る、来る! 己の命運が定まる運命の岐路を前に総毛立ちながら、氷人の乙女は覚悟を込めて絶叫した。


「――射出ファイアッ!」

「ぉ………ぉぉぁぁあああああ――ッッッ!!」


 解き放たれるのは破滅の魔弾。直上へ墜落・・していく黄色い稲妻が閃光となって瞬き、音速を超え超音速へ、更にそれを超え極超音速に到達。僅か数㎝にまで圧縮された質量百㎏の弾丸が二つ重なり、瀑布の如き魔力反応を撒き散らしながら獲物に食らいついた。


 直前、クーラー・クーラーは生死を賭した魔術を発動する。第一層に白銀の曼荼羅を描く三重大結界、第二層に朱き大紅蓮となる氷塊の城壁、第三層に時間停止と時空氷結の城門。これら三つに連なった完全防禦。旧時代、核兵器数十発の雨にも耐える規格外極まる絶対の護りが、グラスゴーフの空を塞ぐ白銀の天蓋となる。

 魔弾と防壁が上空で激突した。地上に見舞ったなら衝突の余波で都市全土の情報集積文字ルーンを剥がし、防衛機構を丸裸にしてしまいかねない破壊力。魔弾を放った射手は力尽き、全兵装が解け、纏っていた防護術式甲冑バリア・アーマーもまた半壊して華奢な素肌が外気に晒された。

 兜も消えた。人事を尽くしたのだ、後はもう現状の己に赦された最大火力が、あの魔族の護りを破り討ち滅ぼす事を祈るしかない。疲労の余り脱力し、肩を上下しながら白い息を吐き出して空を見上げる。


 強度をほぼ同等とする矛と盾の鬩ぎ合い。永遠に等しい白と黄が咲き乱れる。高速で回転する曼荼羅結界が打ち破られ、四散した結界の欠片が第二層の朱い氷壁に取り込まれると強度を増すも、推進力と魔力を分散されながらも魔弾はこれを突破する。

 「あああぁぁああぁぁぁ……!」クーラー・クーラーの咆哮。どこか気取り、保っていた貴種に相応しい品をかなぐり捨て、獣のように吼えて最後の護りに全てを託す。

 時間停止、時空氷結の空間干渉の防壁は、クーラー・クーラーの世界をモノクロにしている。白と黒しか色彩の無い空間に黄金に赤熱する閃光が食い込み、もはや頼れるのは己の五体のみとなったクーラー・クーラーが両手で魔弾を受け止めた。


 戦闘服が袖から吹き飛ぶ。細く長い、きめ細かな指が残らず圧し折れ、吹き飛び、掌の中心から破断され、手首が衝撃に耐えられず粉砕される。両腕が裂け、肘が壊れ、肩が脱臼し、次いで腕全体から白い血が噴出した。

 渾身の魔力を注ぎ込む。鬼気迫る形相で遮二無二に耐え忍び、空間が割れて白黒の世界に外界の色調が流入した。電磁の魔弾が白い少女の腕の半ばにまで食い込み、なおも突き進んでクーラー・クーラーの頭蓋を目指す。食い止めんと足掻く少女があの世とこの世の瀬戸際で、黄泉の国をも幻視しながらも笑みを浮かべる。


「………」


 マーリエルは、項垂れた。


 白銀の魔族は両肩を氷像とし、魔弾の衝撃に砕けるのに任せることで魔弾の軌道を逸らす。自ら腕を捨てた事で死の脅威から逃れたのだ。

 赤熱する黄金の軌跡は敗北を謳うように空へ駆け、消えて。

 虚空に健在を示す白銀の魔族は、勝利を誇るかの如く佇む。

 ゆっくり降下したクーラー・クーラーが、これみよがしに両腕を再生し、片膝をついたままのマーリエルの眼前に降り立った。


「………」

「………」


 紺碧の視線と、青い視線が交錯する。片や敵意を、片や勝ち誇る傲慢を瞳に宿し。


「強かったよ」


 魔族が素直に讃えた。勝利したが故の、上からの物言いだ。

 敵を讃えるのは、そんな称賛に値する敵を己が上回った事を顕示するための行為。

 浅ましく見えるとしても、勝ったのならそれでいい。勝利こそ全てなのだから。


「正直、舐めていた。魔人如きと。魔導師如きと。だが蓋を空けてみたら無様なものだ。もし私の同胞が貴様を削っていなければ、私は貴様に手も足も出なかっただろうな」

「………」

「心の底から怖いと思う。もし万全の貴様と戦っていたら、私は任務を全うできぬままに倒れていた………だからこそ私の初の戦闘・・・・で、貴様と戦えた事を誇ろう。貴様を此処で殺す栄誉に喜ぼう。貴様との戦いは、私にとって得難い財産になった。せめてもの情けだ、魔人。最後に何か言い残す事はあるか?」


 勝てないはずの相手に、同胞のおかげとはいえ勝利できた。

 敵が強大であったからこそ、あわやという所まで追い詰められ死に瀕したからこそ、その危機から解放された反動でクーラー・クーラーは高揚している。

 愚かだった。新兵にありがちとはいえ、死の恐怖から逃れた事で一種の興奮状態に陥っている。マーリエルは無表情の裏で自嘲した。即座に撃ち殺すべき敵を前に、こんな愚行を犯す格下に敗けるなんて、と。


 マーリエルは諦めていない。魔力が枯渇した事で精神疲弊マインドダウンを引き起こし、視線も定まらない状態になっても逆転の一手を模索していた。


 だがそんなものは無い。どこにも見当たらない。もう兵装を維持するだけの魔力も、構築するだけの集中力も底を突いている。微かに余力を残している魔族を相手に、徒手空拳で勝てる気はまるでしなかった。

 だがマーリエルは軍人である。貴族である。真人である。何より人間だった。確かに敗けた、だがそれがなんだ。一局面で敗北したとはいえ、まだ生きている。ならまだ終わっていない、ここから盤面をひっくり返し勝利を掴み取ってやる。敗けたくないのだ、誰にも。だって自分には、戦うための力と知識、歴史じんせいしかなかったのだから。


 しかし、どれほど気力を振り絞ろうと、無くなった魔力が湧いてくるわけではない。


 マーリエルの瞳が闘志を燃やしているのに気づいたクーラー・クーラーは失笑し、しかし無駄に時を掛ける危険性に思い至ったのか氷の細剣を手の中に現す。


「さらばだ、“ベツレヘムの魔砲使い”よ。来世ではこちら側に生まれて来い。貴様が我らが神の御許みもとに侍ったなら、これ以上なく頼もしい同胞となるだろうからな」

「………え?」


 クーラー・クーラーが細剣を握る腕を引き、鋭利な切っ先でマーリエルの眉間を貫かんと構えた時だ。

 真人の少女は絶体絶命の窮地の中で、敵を睨むのではなく、不意に慮外のモノを見つけた事でそちらに意識を奪われてしまっていた。


 くだらん、と氷人は嘲笑を浮かべる。視線で誘導してこちらの注意を逸らそうとするとは。万策尽き他にできる事がないとはいえ、なんとちゃち・・・な策を用いるのだ。

 だがすぐに気づいた。何者かが急速に接近してくる――


「ッ………?!」


 クーラー・クーラーは慄然として振り返る。肌を粟立たせて咄嗟に戦闘態勢を取った。

 この局面、この場面で、この場へやってくるモノなど限られている。ニンゲンは無い、足手まといになるから来るなと言ってある。

 であれば答えは決まっているも同然だ。すなわちマーリエルへの増援、それも魔人級。考えられるのは所在を確認できていない、ルベド大公爵の脊髄を抜いたあの“冒涜者”!


 勝てない。こんなに消耗してしまっているのだ、勝てるわけが――


 絶望しながら、クーラー・クーラーはせめてもの悪あがきとして一太刀浴びせんと覚悟する。

 だが、その覚悟は無駄だった。

 顔面に飛来した物体、白亜の大剣を切り払ったクーラー・クーラーの目に飛び込んできたのは……いつぞやに殺したはずの、あの時・・・の雑魚だったのだ。


「は―――はは……」

「………」


 大剣を投じるなり、その闖入者はクーラー・クーラーの脇を通り抜け、マーリエルの許へ辿り着くと彼女を抱き上げていた。

 金髪碧眼の少年である。鴉を象った兜と、その下に蒼布を被っているため肉眼では素顔が識別できないとはいえ、発される魔力形質・波長を誤魔化す事はできない。

 瞬間的に極度の緊張を強いられた為だろう、むざむざマーリエルと合流させてしまったが、なんてことはない。戦う上で数にも入らない、取るに足らぬ雑兵だ。


「ハハハハハハハ!!」


 クーラー・クーラーは腹を抱えて爆笑する。笑うしかなかった。


「貴様、あの時の! あの時の雑魚ではないか!? ハハハハ! なんだ、なんだってこんな所に紛れ込んでいる!? 場違い極まる、貴様如きを蘇生した何者かの手間が惜しまれるな! また私に殺されに来るとは!」

「……アーサー?」


 長身の少年に横抱きにされたマーリエルが、その顔を見上げて呆然とする。クーラー・クーラーの哄笑など耳にも入れず。

 魔力が尽き、力尽きている少女へ、木っ端に過ぎない少年は囁きかける。


「マリア。君を、助けに来た」

「………」

「だからね」


 助けに来た? 弱い貴方が? 殺されるだけなのに。そう思うマーリエルの心は冷たくなっていた。

 ただ一人できた友達が、殺される。戦友とは違う、ただの友達が殺される様がありありと目に浮かんで、マーリエルは体の芯から凍える心地を味わった。

 そんな彼女へ、あくまで素面のまま少年は言う。


「私を助けてくれ」

「――――」


 助けに来た。そう宣った口で、舌の根も乾かぬ内に助けを乞う少年にマーリエルは唖然とする。そして、だからこそマーリエルの思考回路は突如火花を散らした。

 あ、と単音を溢す。少年の手甲越しとはいえ、触れているため察知したのである。アーサー……アルトリウスの肉体が、人のそれから竜のそれへと置き換わっているのを。

 そしてそれに伴い、ただでさえ真人に匹敵していた彼の魔力量が十倍に跳ね上がっているのにマーリエルは気づき、彼女の目に光が戻る。


「………はぁ、笑わされた。記憶にないぞ、こんなに笑ったのは。褒美だ、苦しまずに死なせてやろう」


 指先で眦に滲んだ涙を拭いながら、クーラー・クーラーが半笑いの表情で歩み寄ってくる。アルトリウスを完全に見下した、否、実際に雑魚でしかない彼を瞬きの間もなく殺すために。何せクーラー・クーラーの本命は“ベツレヘムの魔砲使い”であるからして。アルトリウス如きに割く危機意識など皆無だった。


 ――本当に、とことんまで、クーラー・クーラーには運がなかった。


 あの時・・・に偶然にもアルトリウスと遭遇し。これを殺した。

 アルトリウスが“冒涜者”に回収され、蘇生され。

 偶然にもアルトリウスはマーリエルが教導した、唯一の友人だった。

 こんな偶然があるものなのか。フィクションの物語だってもう少し気が利いてる。

 マーリエル・オストーラヴァにとって最大の武器とは、彼女自身が保有する全魔術、全兵装ではなく、知悉した仲間・・・・・・なのだから。


 何があったら竜の体に換われる? その経緯は知らないにしろ、自然と笑みが浮かびマーリエルは了承する。


「ええ、いいわよ。だから……貴方の魔力を貰うわ」

「好きなだけ持っていくといい。今の私には宝の持ち腐れだ」

「でしょうね。だからついでに、イイ事をしてあげる」


 マーリエルは自身の手をアルトリウスの胸に添える。そっと、割れ物に触るように。

 魔力炉心が接続される。誰のものが? 誰のものと? マーリエルの魔力炉心が、アルトリウスのそれに、である。

 転瞬、アルトリウスの魔力がマーリエルに流入した。少年の赤い魔力形質は、黄の魔力形質を持つマーリエルに合わない。故に少女のものへ変換された魔力は微々たるものだ。

 だがこの時、マーリエルは最低限の戦闘力を回復した。戦える体力を取り戻した。

 魔族の女の顔が引き攣る。他人の魔力を自分のものに変換する行為は、酷く効率が悪い上に超高等技術に分類される難易度である。それを真人が、そうでない人間に行なえば、吸われた側が枯死するのは自明のはず。

 マーリエルだから出来た、彼女がよく知る少年相手だからできた、アルトリウスが真人に並ぶ魔力量を有していたからできた。こんな事をクーラー・クーラーに予想できるはずもない。予想外にもほどがある。


 だがそれでも、今のマーリエルと比べても、クーラー・クーラーの方が魔力は多い。勝てる、勝てるはずだ。もう大それた魔術は使えないはずなのだから。


「………ッ」


 だが動けなかった。手足が凍りついたように。

 だって、認めてしまっている。自分で言っていた。貴様の方が私より強い、と。マーリエルは弱体化してなおクーラー・クーラーを後一歩まで追い詰めている。

 微々たる魔力しかなくても、同様に疲弊し切っているクーラー・クーラーと比べると、先刻とパワーバランスは変わらない。元の木阿弥だ。

 勝てるのか? その疑問が弱気に繋がり、敗北と死への恐怖が再燃する。

 どれほど才に富んでいようと、クーラー・クーラーは所詮新兵である。極限の状況下で十全の判断力を保つのは難しい。むしろ新兵でありながら、ここまで上手くやっているのは手放しに褒め称えられるべき偉業だ。


 マーリエルはアルトリウスの腕を軽く叩く。意図を汲んで地面に降ろしてもらい、少女は微かに上気した頬を隠したいのか、そっぽを向いて感想を口にした。


「貴方の魔力、あったかいわ」

「ん? ……うん、そうなのか」

「そうよ。……ねえ、私の贈り物は受け取ってる?」

「もちろん」


 答えを聞いたマーリエルは、あろう事かアルトリウスを盾にするようにその背後に回った。魔族と戦えば一秒と保たずに瞬殺される程度の弱者、その影に隠れたのだ。

 クーラー・クーラーはなんとか気を奮い立たせる。今更怯懦に震えるなんて、矜持が赦さない。雑魚が一匹紛れ込んだからなんだ、魔女が活力を取り戻したからなんだ、勝っているのは自分なのだ。優勢なのは未だにこちらなのだ!

 自身を勇気づけ、クーラー・クーラーは氷剣の柄を握り締め。そしてそんな彼女など、マーリエルはもう見てすらいなかった。


「最高よ、アーサー。―――オペレーティング・システム、戦闘モードを起動」


 闘技場の受付をしていた男性から受け取った、USBメモリに似た小型の筺体。アルトリウスが所持していたそれが、マーリエルの魔力を受けて起動した。

 すると、アルトリウスの脳裏に未知の魔術の知識が浮かび上がる。


「アーサー、よく聞いて」


 もしもクーラー・クーラーがこの場を切り抜けられたとしたら、いつか思い知る事だろう。

 魔女が敵味方からなんと呼ばれているのかを。


「今から貴方を、私の魔術で真人にするわ・・・・・・。もちろん擬似的なもので、永続はしないけど切っ掛けにはなる。位階を上がった時の感覚を忘れないで」

「―――分かった」


 臆病者。

 そして、ベツレヘムの魔砲使い。

 ベツレヘム――すなわち、救世主生誕の地・・・・・・・


 自身の不手際が何を生んでしまったのかを、彼女が痛感するにはまだ幾年もの歳月を要するだろう。


「“斯くて汝の頭上に光が落ちる。母なる御方、どうぞ貴女の御子を抱き給え”」


 マーリエル・オストーラヴァ。その真価は、同胞を率いての集団戦にある。

 彼女の常套戦術は決まっていた。

 ――味方の位階を自身と同等まで引き上げ、強化し、後方支援に徹する事。自らが知り尽くした相手とだけ可能とする共有魔術。

 人はそれを、マーリエル固有の決戦魔術と呼んだ。

 

 白い羽毛が舞い散る。暖色の光に包まれ、今――アルトリウス・コールマンは仮染めの力を手に入れた。







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