怒り、悲しみ、吼えても変わらないものがある




 慈悲とは授ける者、授かる者によって受け取り方が異なるものだ。

 私は怒りに震え、しかし悟る時がいつか来る。

 それは真実、慈悲だった。

 到底受け入れがたくとも。例えどんな仕打ちを受けようとも――それは慈悲だったのだ。







  †  †  †  †  †  †  †  †







 激発したのはエイハブだった。

 粗暴で強気な男という印象を裏切って、胆は細く情が深い男なのだろう。憎まれ口を叩きはしても、安否の不明な妻と娘、そして老齢の母を心配しているのは分かっていた。


「おい! 闘技場に向かってるってのは本当なのか!?」


 壁を隔ててこの馬車を操る御者の姿は見えない。しかしエイハブは護送車両の御台に向けて叫んでいた。じっとしてはいられないのだろう。


「聞いてんのかよ! なあ頼む、何か言ってくれ……!」


 コールマンはその熱の籠った訴えに、足元を焼かれているような心地となっていた。エイハブの焦りが移ったのだ。

 そんなに必死に叫ぶほどに認め難いのか。あの焼き討ちでことの深刻さを察してはいても、彼らほど真に、どれほど状況が切迫しているかを理解できているわけではない。平和な時代を享受していた人間として、どこか楽観的な心境でいたのではなく――無意識の内に、待ち受けているものの過酷さから目を逸らしたがっているのだ。

 それは愚昧な現実逃避。愚かの一言で言い捨てられる往生際の悪さ。しかしコールマンに限らず、例えどんな人間でも侮蔑されて然るべき逃避をしても、幾らかは情状酌量の余地のある現実である。実際に迫り来ている現実から逃れられるかとなると話は別だが。


 逃避しても、逃げられないものもある。それを教えるように、些か気の毒そうな声が御台の方から聞こえてきた。壁を隔てているためか、くぐもった声が。


『ああ、そうだよ。……頼むから静かにしてくれ。あんまりにも哀れで、聞くに堪えねえ。できれば黙っててくれるとありがたい』

「なんだよそれ! おれ達がなんだってそんなところに連れて行かれる!?」

『黙れったって、やっぱ黙れねえよなぁ……。税を納められなかったからだろ。よその領主サマんとこなら、まだ温情はあったかもな。恨むんならユーヴァンリッヒ伯爵領に生まれた自分を恨んでくれ』

「生まれを恨めだって……!? 畜生、なんでそんなことが言えるんだ……!」

『同情するよ。不作続きだったらしいじゃないか。改善の見込みもないって聞くぜ。けどよ、ユーヴァンリッヒ伯爵サマは冷淡だが、まだしも理性的で合理的だ。税だってそんなに重くない。単におまえんとこの村は"先がない"って見切られたから……せめて"有効に"使ってやろうってこった』


「有効に……?」


 コールマンはぽつりと呟く。有効に……その有効な利用法が、あれなのか。あの仕打ちなのか。仄暗い火が少年の胸に生まれる。まだ小さく、か弱い火種が。

 御台の兵士は本当に同情してくれているのだろう。それを紛れさせるためか、一旦喋り始めると饒舌だった。ユーサーとエイハブは愕然としている。有効にだと、と呻くように唇を噛んでいた。


『伯爵サマはまだ優しい方だろうよ。あのままなら、おまえらんとこの村は飢えて体力のない女と老いぼれ、ガキから死んでいく。なら早々に切り捨てて、男がまだ健康な内に利用しようってんだから』

利用・・……か。私達は何に使われるという?」

『あ? なんだ、妙に芝居掛かった口調のガキがいるな』


 気になったコールマンが訊ねると、兵士は可笑しそうに笑いこそしたが追求はしてこなかった。


『何に使われる、かぁ。用途は二つ……いや三つかな。ゲスなお貴族サマ用の見世物と、単純に利潤を生むための探索要員、見込みのある剣闘士を鍛えるための試金石ってとこか』


 見世物、探索要員、試金石。

 最初の一つは分かった。しかし後の二つは腑に落ちない。コールマンが疑問を口にするより先に、兵士が喋った。


『見世物ってのはあれだ。言わなくても分かるだろうが、人間の生き死にを賭けた殺し合いを、高い金を払ってでも見たいって奴らのためのもんさ。ユーヴァンリッヒ伯爵サマの趣味じゃねぇが、そのショーは純粋に金になる。金は大事だからな、たまにある催しとしてならやってもいいんだろ』

「……」

『探索要員ってのも分かりやすいだろう? 行き先も闘技場だって知ってんなら察しはつくはずだぜ。なんせユーヴァンリッヒ伯爵サマの領地にあるコロッセウムは"ダンジョン"なんだからな』


 ダンジョン。つまりは迷宮。コールマンは引き攣ったような笑みを口端に浮かべた。


「そのコロッセウムは……ダンジョンというものの上にでも築かれているわけか」

『はあ? んなわけあるかっての。田舎のガキだから知らねえのか、それとも親に教えられなかったのか。――いいかガキんちょ、人間が建物なんか建てられる代物じゃねえんだ、ダンジョンってのは』

「それは……何故と訊いてもいいのかね?」

『おいおい……いや、いいけどよ。こっちも喋ってた方が気が紛れる。ったく、田舎じゃこんなことも教わらねぇのか? ……いいか、一回しか言わねえぞ。ユーヴァンリッヒ伯爵サマの家は武門の家だ。元々この領地は魔族の領土でよ、伯爵サマのご先祖が切り取って、王サマから領地として押し付けられたんだよ。だがその領地には困ったことに魔物の湧いて出る"迷宮ダンジョン"があった。このダンジョンは澱んだ魔力の吹き溜まりでな、こいつをどうにかしねぇと危なくておちおち暮らしてらんねぇ。んなもんで、このダンジョンを攻略するために軍が出て、まあなんとかしたはいいが完全に潰すことは出来なかった。なんせ当時はダンジョンの核が見つからなかった。手の打ちようがなかったってわけよ』

「……」


 大体の話の流れを、コールマンは察した。しかし最後まで黙って聞くことにする。もしかしなくても自分も、そこに放り込まれるだろうからだ。事前知識はあるに越したことはない、と理性では思う。やはりいまいち実感はないのだが。

 兵士は水か何かを飲んだようだ。そういえば喉が乾いたなとコールマンは思うも、それは口には出さない。


『で、そのダンジョンはドーム状に地上に広がって、その地下へ奥深く進んでる。攻略したはいいが、このダンジョンから魔力を含んだ良質な鉱物が、それこそ無限に採れるのが分かってな。そっからだよ。ここを資金源にしようって何代も前の伯爵サマが思い立って、そうして始まったのが闘技場の運営さ。折り合いよくドーム状に広がってた地上部を改築して、観客席やらなんやらを作って。地下のダンジョンを探索する探索組の様子をスクリーンで観賞し、観客から金を巻き上げる。人間同士の殺し合いなんて趣味の悪い見世物をはじめたのは……先々代の伯爵サマだったっけな。先代が剣闘士の訓練と称して、殺し合いじゃない人間同士の試合もやるようになった』


 実に営利的で、実務的で、計算高い。手に入る利益と他者の関心を買う手法としては、ダンジョンをかなり有効に使っていると言えるだろう。


『名付けて"発掘闘技都市"だ。闘技場コロッセウムって呼び名が有名だけどな』と兵士は言った。『無限に発掘される鉱石と、優秀な戦士を育て、有為の人材を発掘できるって意味もあるらしいぜ』

「……」


 なんとも合理的だと言える。その合理さにコールマンは笑い出したくなった。巻き込まれた側からすると堪ったものではない。理不尽なまでの、情の通わない理屈である。理と利しかない。

 気になるワードも出てきた。魔族。なんともファンタジックでありがちな存在。話からして人間と敵対でもしているのだろう。それにこの機械めいた合理さと"当時は"ダンジョンの核が見つからなかったという言い草からして、今はもう見つかっているのか。しかし敢えて放置することで、鉱石の発掘場として残している事情が察せられた。


 兵士がわざとらしく、明るい語調で言った。


『でもまあ、そんな絶望することはないぜ。無事に生きて、一定量の鉱物を発掘したら闘技場から解放される。利益はばかデカイからな。一攫千金も夢じゃねえ。現に何人も闘技場から出ていく権利を手に入れた剣闘士もいるし、無理矢理に剣闘士を使い潰すほどアホな領主サマでもねえ。なんせ生きてりゃ腕の立つ剣闘士は対魔族の戦線に利用できる。魔族との戦争が嫌だってんなら、人間に害を為さなきゃ放っておいてもらえる。な? 優しいもんだろ』

「……優しい、だと」


 これまで黙って聞いていたユーサーが、怒りに打ち震えたように憤怒を露にした。

 聞き流せるものではない。特にユーサーとコールマンには笑って流せる話ではなかった。


「アデラインを……おれの妻を殺しておいて……! 優しいだと!? ふざけているのか!?」

『……』


 怒りのあまりに、ユーサーの声までも震えている。エイハブの顔も青ざめていた。


「切り捨てて、と言ったな。女と年寄りを。……おれ達以外の、村の男達だけを残して……たった二十七人以外はみんな殺したのか!?」

「嘘だろ……おい嘘だろ!? なあ!? お袋は……孫の誕生日が近いってんで、服を編んでたんだぞ……? アデルは娘のために、無理して少しだけ豪勢に飯を作ろうって……娘なんて、まだ八歳だったんだぜ!? それを切り捨てたって……殺したのか!? テメエらそれでも人間かよ!?」


 非難轟々。それも当然だ。兵士はその弾劾を黙って聞いていたが、最後の会話として応じた。


『……優しいさ。人間勢力に許された、限りある優しさを、あの方は見せてくれる。もっと冷酷に振る舞ったって許されるってのに……』

「ふざけるな……ふざけるなよ、クソッタレが……!」


 壁へ拳を打ち付けるユーサーに、それっきり兵士は応じなかった。体格のいいユーサーが殴り付けたというのに、漆喰が塗られただけの木製の壁は小揺るぎもしない。

 項垂れる男達を尻目に、コールマンはどこか冷めている自分に気づいた。何も感じなかったのではない。寧ろ煮えたぎるような、マグマのように熱いものが、腹の底でうねっている。自分自身戸惑ってしまいそうな激情がある。あるいは、これはコールマンではなく、この世界のアルトリウス・コールマン自身が感じているものなのかもしれなかった。


 窓の外を見る。馬車の数は五。父が言った男の数は二十七人。なら馬車には六人ずつ四台に乗せられていて、この馬車には余った三人が詰め込まれていることになるのか。

 そんなつまらない計算をして、何をする気にもなれずに黙りこくる。重苦しい空気の中、ユーサーとエイハブが何かを言い合っているのも耳に入れずに、静かに目を閉じていた。


 どれほどそうしていたのか。やがて馬車の脚が緩んでいくのを感じ取る。それが完全に止まると、兵士が言った。


『――着いたぞ。ユーヴァンリッヒ伯爵領の領都、発掘闘技都市だ』







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