シリアス・ワンダーランド

飴玉鉛

第一部「弱音は全て捨てていけ」

不条理はいつだって突然に、少年の理解を待ちはしない




 日本に行きたい。


 メシウマで有名な日本。オタク文化の聖地を有する日本。多種多様なゲームや漫画で名作を生み出した日本。変態技術を生み出す日本。

 日本の生み出してきたサブカルに触れる機会があり、いつしか日本へ憧れに近い感情を持つようになった。日本に観光へ行ったことのある人は、僕のそんな願望を肯定的に見てくれるけど、中には幻想を持ちすぎても落胆するだけだと諌めてくれる人もいる。

 確かに僕は日本という国を美化し過ぎているかもしれない。日本人にだって悪人はいるだろうし、不親切で不誠実な人も沢山いるだろう。他人への感心が薄い事でも有名だし、困っていても誰も助けてくれない事もあると聞いた。

 けれど僕は日本に行きたかった。なぜなら僕は、日本のスシやラーメン、カレーなどに魅了されて。何より大好きな日本アニメやゲームに現地で触れて、同じ趣味の日本人と友達になってみたかったのだ。


 ――グレートブリテン及び北アイルランド連合王国。一般にはイギリスと呼ばれる、ヨーロッパ北西部にある島国で僕は生まれ育った。


 祖国を卑下する気はない。僕の故郷であるイングランドにだって素敵なところは沢山ある。それでも日本に行きたいという気持ちを、僕は年々抑えられなくなってきていた。

 それが止められなくなるほど加速した切欠は、僕と共通の趣味を持つ日本の人とネットで知り合った事だ。日本のアニメを視聴している際のリアクション動画なんてものを録画して、動画投稿サイトに投稿していると、ロンドンの大学に留学してきていた日本人大学生と知り合う切欠になったのである。


 年上の男性だったが、意気投合した僕らは歳の差なんて関係なく付き合うことができた。日本人の彼は面白おかしく日本の文化を教えてくれて、僕の知らない良作とされるアニメや漫画を色々と紹介してくれた。

 それによってますます日本好きが深まった僕は、思い立って彼にお願いしたものである。僕に日本語を教えてください、と。一年後の交換留学で日本に行きたいと希望を告げたのだ。

 多忙な身でありながら、彼は快く応じてくれた。日本語の読み書き、日本語での会話。どれも親身になって懇切丁寧に教示してくれたのだ。僕は彼の友情に感謝して、熱心にそれらを学んでいく。

 そんな僕にとって誤算だったのは、ひらがなとカタカナ、漢字という三種類の文字を併用した日本語の難解さだ。世界に数ある言語の中でも特に難しいと評判の語学は、僕の頭を大いに悩ませたものである。


 聞けば日本人の彼は、英語を身に付けるのに苦労したと言うが、それはなんの冗談だと呆れてしまう。どう考えても日本語の方が難しいではないか。

 異様なまでに細かい文法、接続詞、助詞などをはじめとして、敬語や謙譲語などの細々とした違い。こんなに難しい日本語に慣れ親しんで育った人間が、どうして英語のような単純な言語を学ぶのに難儀するというのだろう。僕にはさっぱり分からなかった。


 何はともあれ僕はなんとか日本語を習得した。一年掛かりで辛うじて学び取ることが出来たのである。


 十四歳になった。母校での交換留学の応募期間に間に合った僕は、喜び勇んで志願したものだ。


 そうして僕は日本の調月ツカツキという一家の家庭にホームステイし、一年の間日本の中学校で過ごす事となったのである。


 父と母の許から暫く離れることになる寂寥よりも、僕の胸には日本に行けることの喜びの方が強くあった。

 憧れのオタク文化、その聖地に赴ける喜びは、人生の中でもかけがえのない貴重な体験と思い出になることだろう。

 あるいは祖国で知り合った彼の他にも、生涯の友とも言える友人と巡り会えるかもしれない。僕の胸には未来への夢と希望が満ちていて――


 ――その未来はひどく唐突に、あまりにもあっけなく、僕の手の中から永遠に失われてしまった。







  †  †  †  †  †  †  †  †







「What (なに)……?」


 少年――アルトリウス・コールマンは困惑していた。

 日本行きの飛行機に乗り、とりあえず仮眠でも取るかとアイマスクをして寝入っていると、突然空中に投げ出されたかの如く地面に打ち付けられたのだ。

 尻餅をついて、目を白黒させる。飛行機の座席にいたはずのコールマンは地上にいた。何事かと狼狽えて辺りを見渡した少年の目に飛び込んできたのは、辺鄙な田舎町にありがちな長閑な風景だった。

 田んぼ、藁で編まれたような家屋の屋根、村の中心にある樹齢百年は越えていそうな立派な樹木。そして家畜らしき牛のいる畜舎。呆気に取られたコールマンは、思考に空白の楔を打ち込まれたように呆然とする。一体全体、これは何事なのだろう……? まったく訳がわからない。


 辺鄙で、長閑で、牧歌的な田舎町。燦々と照る日輪。そして――劫々と燃え盛る炎の赤。肌を焼くような熱気が、コールマンの混乱を一層助長した。


「――――」


 何もかもが燃えていた。

 家も、畜舎も、とにかく目につく限りの全てが冒涜的な火の赤に侵されて、この世の全てを灰塵に帰さんとでもしているかのように燃えていた。


(――なんだ、なんだっていうんだ。火事か? いやその前に僕はどうしてこんな所にいるんだ? 僕は日本行きの飛行機に乗っていたはずだろう? まさか飛行機事故? そんなまさか! だったらこうして無事でいるわけがない。そもそもここはどこなんだ? どうして僕は……こんな大火災に巻き込まれている?)


 分からないことばかりだった。尻餅をついたままだった少年は、しかしすぐにハッと我に返る。肌を熱する炎の熱気が、彼に正気を取り戻させたのだ。

 息苦しくなってきている。村全体が火に呑まれているせいで、辺りの酸素が薄くなっていた。このまま呑気に構えてはいられない、コールマンは兎に角この場から離れることにした。ここに居座るのはよくないと、混乱していてもその程度は判断できた。


「Hey, you there (おーい、誰かいませんか)?」


 自身の格好や持っていたはずの荷物の所在を気にする余裕もなく走り出しながら、コールマンは誰かに助けを求めるべく大声を出した。

 この訳の分からない状況の説明をしてくれて、火災から救い出してくれるなら誰でもよかった。コールマンはそれこそ必死になって呼び掛ける。

 すると人の気配がした。怒鳴り声が聞こえたのだ。コールマンはその声を聞き付けて、急いでそちらに足を向ける。こんな火事の現場にいるのだ、消防隊の人だろうと自身の常識に基づいて勝手に決めつけていた。その人達なら助けてくれると希望を持って駆けていく。


 燃える家屋の曲がり角を曲がって、勢いよく飛び出した少年は、


「Please help me help (お願いです、助けてください)」


 と救命を求めた――求めてしまった。

 

「アーサー!? 逃げなさいって、言ったのに……!」


 そこにいたのは、安価なチェインメイルと粗末な鎧に身を包んだ、まるで中世の兵士のような格好をした男だ。

 その兵士は血糊に塗れた鉄剣を振りかぶっていた。今この瞬間に斬り殺そうとしているのは、コールマンがよく知る人物で……それはまさに、アルトリウス・コールマンの、実の母だった。


 コールマンが知っているより痩せこけていて。肌は荒く、髪もボサボサだ。しかしそれでも一目で分かった。彼女は間違いなく自分の母親なのだと。だって生まれた時から一緒にいた、大切な家族なのだから――


「mother (母さん)?」


 なんでこんな所に、と思うのと同時だった。振り下ろされた剣が、コールマンの母を背中から切り裂いた。

 鮮血を噴き出して、前のめりに倒れる母。愕然とした少年は、しかしすぐに悲鳴を迸らせる。変声期を迎える前の、甲高い悲鳴を上げた。母さん! 倒れた母以外の何もかもが見えなくなって、コールマンは母に向かって走り出す。

 その母が話せないはずの日本語を喋っていたことなど意識の外にあった。大事なのは彼女の言葉の意味をコールマンが理解したことで――発作的に母を助け起こそうと駆け寄ったことだ。だが健気にも母の傍に向かったコールマンの顔に、嘗て経験したことのない衝撃が叩きつけられる。


 もんどりうって転倒したコールマンは、一瞬の間を空けて理解する。

 母を斬った男に殴られたのだ、と。


 カッとした。頭に血が上った。何をすると食って掛かろうとするも、起き上がろうとした少年の腹に男が手加減もなく蹴りを入れてくる。

 吐瀉を吐き出したコールマンは、腹部に発生した激痛にのたうち回る。痛みに呻き、腹を抱えて地面に倒れていた少年は、片膝をついて屈んだ男に髪を掴まれ顔を上げさせられた。


「おまえ、この女のガキか?」


 日本語だった。睨み付けるコールマンの視線の先に白人の男がいる。その男が流暢な日本語を話したのだ。

 男はコールマンの顔に、たった今自分が斬った女の面影を見たのだろうか。鼻を鳴らしてコールマンの髪から手を離した。


「悪いな、これもお上の命令でよぉ。女は殺せ、老いぼれも殺せ、男は捕まえろって命令を受けてんだ」

「……Killed (殺した)?」

「あ? ……てめぇ、今何て言った? 悪いんだがおれは浅学な下っ端でね、難しい言葉はわからねぇんだわ」


 分からない、と。英語で呟いたコールマンの言葉を、本気で理解していないように、コールマンが身に付けたばかりの日本語で話す男。彼は立ち上がると己の肩を剣の腹で叩いた。

 どうでもよさそうに嘆息し、剣を鞘に納める。すると鞘が淡く青色に発光した。剣を抜いた男が刀身を眺めると、こびりついていた血糊がなくなり、刃毀れもなくなっていた。それに満足したように、男は再び剣を鞘に納める。


「……私の、母を……殺したって……?」

「おう、そうだよ。見たら分かるだろ」

「殺した……死ん、だ……私の……母、が……?」


 男がふざけているのか、それすら分からない。彼に合わせてなんとか日本語で反駁したコールマンに、男は当たり前のように言った。

 見たら分かるだろ、と。コールマンは呆然と、血の海に沈む母親を見た。ぴくりとも動かず、呼吸すらしていない母。ワガママをなんでも聞いてくれて、父に叱られた時はいつも庇ってくれて、日本に行きたいと言った時に父から反対された時も、寂しそうにしながらも応援してくれた。

 その、誰よりも少年に優しかった母が……死んだ? 殺された……誰に? この、目の前にいる男にだ。


「ぁあああああ!!」


 殴りかかったコールマンは激情のままに吼えた。そうして握り拳を作って、頭一つ分は背の高い男に拳を叩きつけていた。だがその拳は、男の手に簡単に掴み取られる。

 暴れても男の手から逃れられない。逆に腕を捻られ、地面に引き倒される。背中に乗ってくる男に、コールマンは血を吐くように吼えて、吼えて、罵倒の限りを尽くした。だが英語で放たれたそれは、相手にまるで意味が通じず。鎧に包まれた太い腕が、コールマンの首に巻き付いてきた。


「何喋ってんのか分からねぇって。公用語喋れよ。ってかそれ何語なんだ? まあ……どうでもいいか」


 首を絞められ、急速に意識が遠退いていく。男が何事かを呟いたのを、なんとか聞き取ったのを最後に……コールマンは意識を手放した。


「可哀想になぁ。こんなガキまで闘技場コロッセウム送りとはねぇ。やれやれ税をまともに払えもしねぇ民草は、雑草と同じように処分されちまうんだなぁ。ほんっと、こうはなりたくないもんだ」







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